まぁ…あとから聞いたんだが。
「やぁ、こんにちはお嬢さん。どうしたんだい?わざわざ俺に話しかけてくるなんて」
「あのっ公爵様こ、今度私と…お茶を一緒に飲んでくださいませんかっ」
唐突な提案だが、地上に出るとこういう物好きな誘いがよくある。
「お、ははっ俺が茶が好きだって知っててくれたのか?それは嬉しいなぁ。だが…んーそうだな、俺はこう見えても忙しいから…」
…正直な話、全く知らない奴と会話することほど疲れることはない。
「君が俺のところまで泳いで来てくれるか、今度俺が上がってくれる日を当てられたら…ってのはどうだい?」
上には俺の知らない奴が沢山い過ぎる。心ばかし申し訳ないとは、思うがな。
笑顔で、頭を下げるその子に手を振り替えして、俺は俺のいるべき場所に戻る。
そうして断ったものの差し入れられるその物には罪はなく、ありがたく受け取って。
「…公爵って、タラシよね」
「何人聞き悪い事言ってるんだ」
午後のティータイム。持ち帰った土産と言う名のヌヴィレットさんからの差し入れの茶葉と、受け取った茶菓子をつまみながら。
カチャ、とソーサーに置きながら何故か不貞腐れているこの看護師長に笑顔で聞く。
「俺のどこがタラシだって?」
「だって月に一回上に行く度になんか貰って帰ってくるじゃない?」
「ん?これはどちらかって言うと師長によろしくって意味だろ?」
すると深いため息をつきながら、今口に含もうと取り上げたまずまず高級なクッキーを指差す
「…こっちじゃなくて、コッチ」
「ん…あぁこれか?なんかくれるんだよな。悪いから貰ってくるんだけどよ」
「それがタラシだって言うのよ」
サクリとしたその食感と程よい甘み。貰えるならばそれはありがたい。
「弄ばないのよ、人の心を。いつか痛い目に会うんだからね」
…もぐもぐと、いつになく怖い師長に見つめられながら味がしなくなる。
「何の話だよ…もう会わねぇだろうさ。」
「ふん、なーんにもわかってないんだから公爵ってば。うちはもう知らないからね」
「なんだよ…美味しく食べようぜ?」
…それは、『嫉妬』というものらしい。
◆
書類を眺めるその睫毛が美しい、と思う。
しかし最近その書類を見つめる瞳が細められるのには不安を覚える。
「なんか不備かあったかい?ヌヴィレットさん」
「…いや、何も」
「…そうかい」
モラの支出表。下では特別許可券が金として動いてはいるが、結局の所何事もモラに換算されるわけで。特別許可券が何にどの程度使われたのかを事細かに記載しているんだが。…それだけなはずなんだが。
「もしかして、今日遅くなったこと怒ってるのか?」
「私がそんな事で怒るとでも?」
…声が低くて若干の苛立ちが含まれていることがいやでもわかるんだが。この人は隠しているつもりなのだろうか。
生憎、既に月が昇る時間。窓にはカーテンがかかっており今日に限って天候の変化は不明だ。
「悪かったって。仕事が立て込んでて…」
「それはどうでも良い」
「…はぁ」
こう、想い人の前にいるだけでも嬉しいんだがこうも不機嫌だととても居心地が悪い。
いつもよりも機嫌が悪い気がして、このまま帰りたくなくて。いつもみたいに笑顔で見送ってほしいから。つい、
「…じゃあ、何に怒ってるんだよ」
聞いてしまった。
つい最近聞いたような大きなため息をつかれ、書類をパサリと机に広げる。
そして一部を指差す。
「では聞くが。これはなんだろうか。ここ毎月あるように思うが。」
…正直、この普段より低くて掠れた声にゾクゾクするが今はそんな場合ではない事はわかる。
少し前のめりになって確認すると、そこには『会食費』の文字。
金額はさほど大きくはない。一回に茶二杯分と少しの茶菓子代。それも下で用意するものであって高くはない。
「…私用過ぎるか?」
「会食費、ということは君が誰かと、ということだろう。シグウィンとの会食は入れていないのだろう?」
「ん、あぁ…まぁ…それは俺の金から出してるからな…」
少しかがんだ状態で、ヌヴィレットさんがこちらに顔を上げたもんだから。思ったよりも近くて。誤魔化すために首に手を当てて顔をそらす。
「ここ毎月…この四ヶ月毎月あるが?」
「んー…」
言うべきものか。まぁ隠せるもんでもないし公費だから言わないといけない。
「その頃に入ってきた奴との費用だな」
「誰だ」
「誰?」
まさかそこを問われるとは思っても見なくて聞き返してしまった
「あー、ほら。その頃あったろ連続窃盗事件。グループの。そのリーダーだったやつ。」
この膨大な量をこなすヌヴィレットさんに名前を言っても思い出すのは流石に難しいだろうしどうでもいいだろうから、とあえてふわりとした情報で伝えたのだが。
ヌヴィレットさんはそれでは許さなかったようで。
「ふむ…コレ、か」
膨大な資料の中からその月の法定資料を探し出し名前を特定したようだった。
それをしまい、椅子には座らずに腕を組み窓際に腰掛けてこちらを見据える。
…きっと今外は曇りか小雨だろう。何がそうさせているかはわからないが。
「君は、よくわかりもしない輩とこのようなことをするとは思えないのだが」
「…?いや、あんたが事細かに詳しく報告書書いておろしてくれてるから情報はあるんだけどよ」
…そういう事ではないらしい。
「聞き方を変えよう。何故コレと会食を?」
普段被告人にもある程度慈悲もありしっかりと話を聞くような、一視同仁を体現している人がこんなに言葉悪く話しているのを初めて聞いた。
「え、と…特別許可券、で。」
多分、最悪な答えな気がする。
「金でか」
「いや、まぁ…そうなるが…」
目が見れない、顔が見れない。冷や汗をかいている。凄く悪いことをした時の子供とはきっとこのような感じ。
「君は…君には貞操概念というものが無いのか」
「貞操そんなんじゃねぇって」
慌てて否定をする
「…その、まずまずな枚数の特別許可券持って俺に話し相手になってくれ、とか隣りにいてくれとか。…貯める辛さも知ってっからなんか無下にも出来なくて。まぁついでだしその券で茶を飲んでて…」
本当のことなのに嘘をついているような気持ちになる。
「その…たまにそういう行為を求めてくるやつもいるけどそれはいくら積まれても流石に丁重にお断りして飯くらいにしてるがな。ははっ俺のこと抱こうなんてモノ好きもいるんだなーなんて…ヌヴィレットさん…?」
限界が来て冗談めかして言ったのも悪かったのかもしれない。小さな声で「他にもいるのか」と聞こえた気がした。瞬間。
ダンっと机に両手を付き、ぐいと俺の下から見上げられるその瞳には何かが燃えていて。…そのナニカは俺のとは違うはずなんだが、俺のソレと同じに見える。
ゴクリと喉がなり。目が逸らせなくなる。
「いくらで買える?」
書類が床に散らばる音が鳴る。
「ど、どういう…」
「君を、いくらなら買えると聞いている。一千万か?億か?」
「いやいやっヌヴィレットさん何言って…」
「そういうことだろう」
鈍った思考回路で考える。確かに、金を積まれて己の時間を割いている、という点でそういうことなのだろう。そこまでは考えていなかった。
「駄目、だろ…ヌヴィレットさんが、そんな…」
「私は駄目で、それとは良いと?」
そうじゃない。そうじゃない。
「ちが…あ、あんたからならそんなもん、いくらでも時間作る…っいや、違くて…」
顔が熱くなるのを感じる。それを隠す為に片腕で隠す
「何が違う」
あー、駄目だ。この目、駄目だ。
「あ、んたとなら。いつでも。そんな事、関係なく。喜んで…する」
思い描いている内容がかなり如何わしいのは秘密だが、俺にとってこれが限界。
顔に手が伸びてきて体がビクッと反応する。
その手は、空中で握られ、触れられること無く降ろされた。
「…お願いがある」
「…な、に」
「もう…こういうことはやめてもらえないだろうか」
恐る恐る顔を見ると、打って変わって弱気な表情。
なんだよ。やめろよ。
「あ、おう…わかった…」
無意識に了承の言葉を発していた。
「え、と…今日は、帰ろうか…?見送りは、いらねぇよ」
「いや、一つお願いがある」
「ん…?」
「私と…短時間で構わない。迷惑なら…いいんだが…共に茶を飲む時間を私にくれないか」
その顔は、色素の薄い頬が軽く染まっているように勘違いして、とても、綺麗だったから。
◆
「それで遅かったのね?…帰ってきて早々ここのベッド使わないでもらえるかしら?」
「いいだろ誰もいないんだから」
うつ伏せで倒れ込んだベッド
心臓が疲れた。
それよりなにより
「で?どうだったの?」
「…すげぇ、楽しかった…」
「うふふ、良かったわね」
「あぁー…もう訳わかんねぇ…何でこうなった…わかんねぇ…」
顔をシーツに埋めたまま頭をガシガシと掻き毟る俺を見て笑う。
「だからうちは言ったでしょ?いつか痛い目みるんだって」
「はぁ?関係ないだろこれは…」
「…公爵ってこういう所おバカよねー」
「なっ」
わかるわけない。知るわけ無い。
だってヌヴィレットさんは、俺を仕事相手とし信頼してくれてて、別にそれ以上なんて。求めてるのは俺の方だけで。
「今度公爵から誘ってみたら?」
「出来るわけねぇだろ」
「あら、勇気がないのねー可愛い」
顔は見えないが絶対に楽しんでる。俺の気持ち知ってるくせに。
「俺とは違うんだよあの人は。…はぁ」
「あたって砕けちゃえ」
「人ごとだと思って…」
それができたらどんなにいいか。
…でも、帰り道のあの笑顔と、綺麗な星空。また見たい。
「次な…次…」
こんなにも、好きなお茶会に誘うことが難しいのは一人しかいない。
一番、隣にいたい人。