或る会話「何でさっさと手元に置かねえんだよ。ウサちゃんよ」
「・・なんの話だ?」
ヨコハマのとあるカフェテラス。浜風と雑踏の中で、入間銃兎は仕事用の笑みを崩さずに聞き返した。一方で対面する碧棺左馬刻はひどく愉快そうに笑っている。
「お前のお気に入りのワンコくんの話」
銃兎が口にしていたコーヒーの水面が揺らいだ。
「あの年頃のガキっていうのは目移りと暴走がやべえからな、首にリードつけとかねえとすぐどっか行くぜ?」
「経験者は語りますねえ、二人も逃げてたら重みが違う」
ガツン、と足下で大きな音がしたが、二人とも気にもとめない。顔にそれぞれの笑みを貼り付けているが、空気はすでに氷点下を越え絶対零度。ここに理鶯がいたならば、仲裁に入っていただろう。
「お巡りさんってのは難儀だなあウサ公、大人になるまで待つとか抜かすのか?」
「別に囲う気ねえんだよこっちは。お前と一緒にするな」
へえ?と、ここで急に興味深そうな表情に変わる。この年下のリーダーは、自分が余裕の無い反応を見せるのがどうも好きらしかった。澄まし顔が崩れるのが傑作だと。
「じゃあどうすんの?経験豊富で余裕綽々、百戦錬磨の入間巡査部長殿は」
「一々腹立つ四字熟語つけるんじゃねえよクソボケ」
薄い唇から一筋の煙が靡いた。まるで、縄のように。
「下手に尊重したり世話を焼くから逃げるんだよ」
こちらにおいでと手をひくから、相手に疑問を持つ余地なんて生まれるのだ。
「放し飼いにしてる間に、俺を選ぶのが最善の選択だと、それ以外の選択肢が想像もつかないような思考になるように誘導する。そしてそれが、自分で考えた結果だと錯覚させる」
歩く道の一つ一つに、あらかじめ潰す、餌を置く、罠を張る。
「俺はあくまでそいつの近くにいただけ、求められた時に背を押しただけ、それでいい」
「ふは、ははっ!あははははは!」
左馬刻は腹を抱えて笑う。あまりの様子に通行人が驚いたように一瞬目線を寄越す。
「俺様、初めてあのワンコに同情したわ!ほんと毎回見る目ねえなあのガキ」
毎回、と言った。あの男と同列に語られることに反発し、小さく鼻を鳴らした。
「失礼極まりないですね。親切な人生の先輩役の私に対して」
「テメエで役って言ってたら世話ねえなァ!大嘘吐きだって言ってるようなもんじゃねえか」
「大人なんて総じて嘘つきですよ。大小の差はあれど」
「お前シブヤのあいつのこと笑えねえぞ、嘘吐きウサちゃん」
「さっきからお前不愉快な顔ばっかり思い出させるんじゃねえよ」
「先に喧嘩売ったのお前だろうが、自業自得」
理不尽極まりない男を少しだけ睨んで、コーヒーを再び口にした。
「しかし、ワンコの飼い主からひったくるの、あれ結構骨だぜ?お前が手を回してやってること、無自覚にやる野郎だからな」
「・・本当にな」
未来の義兄殿の、元兄貴分の言葉は重みが違う。これは、皮肉なしで。