セシリア コレイたちがモンドに訪れ、無事アルベドによる観光案内も終わった頃。
アルベドはカフェのテラスに座ってゆっくりとしていた。
机の上にはスイーツが並び、お酒もある。もはや豪遊である。あのアルベドでも、こんな風にゆっくりすることもきっとあるのだろう。いつもの真面目な彼を見ているとなんとも珍しい光景である。
そして、その様子を離れたところから眺める不審者が一人。
俺、空である。あの隣に座りたい、でも!と指を咥えて離れたところ…具体的に言えばベンチに身を隠す形で眺めていたのである。
俺も久々にモンドへ帰ってきたわけなのだが、お互い忙しくてアルベドとあまり話すことができなかった。なので機会を盗んでは雑談なんて、と思って近づいてみたけれどいざ勇気が出ない。
用事があって話かけるのなら全く問題はないのだが、今回はそういったものがない。ただ、俺がアルベドと話がしたいというだけなのだ。
これまでのアルベドはモンドを訪れた時はあちらから挨拶に来てくれたりってことがあったけれどあれはあくまで友達だからってことだけだと思うし。
そんなこんなで俺はアルベドの背中をただ見つめるだけの怪しい男になり下がっていた。
俺がアルベドと一緒にいたいと思う理由はいたって簡単で、アルベドに恋をしてしまったからだ。
正直自分でも驚いた。だって相手は男だったから。俺も最初は綺麗だなってくらいで特に気にしていなかった。それなのに、気付けば彼の透き通るような綺麗な瞳や整った顔立ち、優しい声色その他etcにいつの間にか虜になっていた。
頭を撫でてもらえるクレーを見るたびに羨ましいなんて思ったり。俺もあの綺麗な手でよしよしされたい。そんな歳じゃないことくらい分かっているのだけれどそれでもついついそんな光景を想像してはつい涎が垂れてしまう。ああ、今も垂れている。
そして変に意識をしてしまうと近寄りづらくなってしまうものだ。上手く話せるだろうかとか、気持ち悪がられないだろうかとか。これまで気にしなかったようなものを気にし始めてしまうのだ。これまでみたいに自然体で話せたら良かったのに。
だからこそ。俺はこうして離れたところからあの綺麗な麗人(男)を見つめられれば良いのだ。
そんな感じで眺めていると、アルベドがふっと振り向きこちらに手招きをしている。
「え……?」
しっかりベンチに体を隠していたはずなのにどこか見えていたのだろうか。果たして三つ編みか、背負っている荷物か。どうしようかとオロオロしていると、アルベドは笑顔を浮かべて立ち上がりこちらを向いた。
彼の満面の笑みが俺という存在に注がれて体の悪いもの、邪念が浄化されそうな、そんな気にさえなってきた。俺は恐る恐る彼の方へ近づく。
「どうしてそんなところに立っているんだい? ボクに用があるのなら声をかければ良いじゃないか」アルベドは自身の向かいにある席を指さす。人が来ることを想定していたわけではないと思うが、そこには空のジョッキが置かれている。
「邪魔したら悪いかなって思ったんだ。俺なんかいてもうるさいだけだし」
「そんなことないよ。そもそもキミは何か用があってきたのではないのかい?」
「えっと……」
ここで素直に言うべきか迷った。どう考えても気持ち悪いと思われてしまうだろうからだ。
「旅人?」
「え、う、アルベドと話がしたくて」アルベドに尋ねられて反射的に声が出る。
声も若干上擦っていてもはや誰からみても不審者以外の何者でもなかった。
「ボクと一緒にいてキミは楽しいのかい?」
アルベドはきょとん、とする。何を言っているんだ!と少し不満気味な俺は口を開いた。
「楽しいよ、っていうかただアルベドの傍にいたいんだ。会話がなくてもアルベドの傍に居られたらすごく安心するっていうかさ…」
「ふむ、なるほど。なら隣に来てくれないかい?ボクもキミがいると落ち着くんだ」
いいの?と尋ねると彼はもちろんと返す。
こうして俺はアルベドの相席を許されたのだった。
「今回アルベドは忙しそうだったよね。まさかアルベドの方からティナリ達の案内をするなんてびっくりしたよ」俺はお酒を嗜む彼に話を振る。
「ふふ、驚いたかい? 確かに昔のボクであれば想像もつかなかっただろうね。ボクも人と関わるのはあまり好きじゃないし、最低限の会話はできてもキミとの方が話しやすかったから他の人と向き合うなんてこともなかった」
「それが、今は向き合えるようになったってこと?」
「ああ、そうだね。これまではキミに頼りっきりだったけれどようやくボクもちゃんと交流できるようになったよ。キミにはずっと迷惑をかけていたね」
そうだったんだ…。
俺は嬉しい反面、物寂しさも感じた。
アルベドがいつも俺の傍にいて、俺にわざわざ会いに来てくれていたのって俺に好意があるからじゃない。話しやすい人だったからだ。そして今のアルベドは俺がいなくても交流ができるから、だから今回は俺と別行動が多かったのかもしれない。
「そ、そっかぁ…」
どうしよう、心にぽっかり穴があいたみたいだ。本当であればアルベドの成長に喜ぶべきだというのに、どうして俺は素直に喜べないんだろうか。なんだか泣きたい気分にすらなってきた。
「どうしたんだい、旅人? 何か調子が悪そうだけれど」
「あ、いや気にしないで。ごめんね、心配かけて」
「構わないよ。でも、もし悩みがあるのなら話してもらえないかい? ボクで力になれるのなら協力は惜しまないつもりだよ」
アルベドは優しく微笑む。それが逆にすごく悲しく見えてしまった。
「ごめん。いつも一緒にいるアルベドと離れ離れだったのが寂しかっただけ。俺の我儘なんだ。」
そう言うと、アルベドはクスッと笑った。
「ふふ、まさかキミがそんな風に想ってくれているなんてね。我儘なんかじゃないよ、ボクだって我儘を通せるのなら同じことをきっと言っただろうからね」
しばらくゆっくりしていると、アルベドが席を立ちあがる。
「さて、どこか出掛けないかい? ずっとここにいても退屈だろう?」
「あ、それじゃあさ」俺も立ち上がる。
「アルベドに、セシリアの花を贈りたい」
俺はフローラの店へ行き、セシリアの花束を買うとアルベドに渡す。水色のリボンがついた可愛らしい花束だ。
アルベドは不思議そうな表情でそれを受け取る。
「ふむ、これは風花祭だからかな? ああ、あとホワイトデーという行事もあるんだったね」
アルベドは嬉しそうに微笑むと花束を抱きしめる。
「ありがとう。後で騎士団の部屋にでも飾らせてもらうよ」
ああ、可愛いな。俺は彼のその表情を見てすべてが救われた気がした。それにアルベドのような美少年にやはり花は似合う。俺がアルベドのような絵描きだったらその場でスケッチをさせてもらっていたことだろう。
「旅人、せっかくだし星拾いの崖に行かないかい?そこに生えているセシリアもすごく綺麗だからキミと見に行きたいな」
デートってこと?と食い気味に尋ねたくなったが、それを抑え込む。ついつい調子に乗ってしまうのだから気を付けないと。
俺は行こう!と彼に返すとモンドの城門へと駆け出した。
今日は雲も少なく、綺麗な青空が広がっていた。雨が降る気配もない。
自然に囲まれていて空気も美味しい。俺とアルベドはセシリアの群生地へとたどり着くと、そこへ腰を下ろした。
アルベドは自分の持っている花束と、咲いているセシリアを見比べて微笑む。
「セシリアはボクにとっても特別な花なんだ。」
彼は語り出した。
「この花には思い出があってね。だから、キミがこれを選んできたことには驚いたよ。花を贈るとなると蒲公英や薔薇もあるからね」
だって突破素材だから、という心はさておき。
「アルベドに一番合うと思ったんだ。でもまさかアルベドが好きな花だとは思わなかった。運が良かったのかな?」
アルベドはふふ、と笑う。
「だったらここにもたくさん生えてるし、アルベドが欲しい時にあげるよ。ほら!」
俺は近くのセシリアを摘み、アルベドに見せる。
「ありがとう。でもボクはこの花束でも十分嬉しいよ」
アルベドは俺の持つ花を優しく撫でると、荷物から小さな箱を取り出す。一切中身が見えない頑丈な木の箱だ。
「それは?」
俺はその箱を覗き込んだ。
アルベドはうん、と頷くと箱の中身を取り出す。
燻んだ色で、元が何なのかもわからない。かなり硬く固まった花のような形をした物質が入っていた。
「これはセシリアの花らしい」
そう言われて俺は自分が持っている花とそれを見比べる。
言われてみれば確かに形は似ているかもしれないが、色がそもそも違うしとても花とは言い難いくらい歪なものだった。
「らしいってアルベドは分からないの?」
「ボクがこれを手に入れたのはまだ小さい頃でね。どうやら誰かにもらったものらしい。師匠にどんな人か尋ねてもいけ好かないガキだ、としか教えてくれなかった」
アルベドはその歪な花に目を落としながら続ける。
「でもボクはその花をすごく大事にして離さなかったらしいんだ。それで師匠も長く保存できるように錬金術でこの花を作り変えてくれてね。ボクが生まれた頃を考えるとすごく長持ちをしているだろう?」
俺はその異形の物質を見、アルベドの顔を見る。そして悟るのだった。
これは完全に敗北したんじゃないだろうかと。
アルベドが数百年もの間大事にしている花を渡した人物なんて、彼にとって運命の相手と言っても過言ではないわけで。今初めて花束を渡した俺に勝てる見込みなんて到底ありえない。
「あ、アルベドはこの花をくれた人に会いたいの?」
声が震えていた。動揺っぷりが一切核せていなかった。
俺は恐る恐る彼の顔をみるが、彼に視線は手元の歪な花に向けられていた。
「もし会えるのなら会ってみたいとは思うかな。ボクもなぜその人に惹かれたのか、なぜこの花を大事にしていたのか理由は覚えていないんだ。ボクがキミに関心があるのと、近いようにも感じる」
「でも、俺とその人とだったらアルベドは花をくれた人を選ぶよね?」
「旅人、それって……」
「わー! なんでもないよ! 忘れて……」
失恋の味を噛み締めながら俺はうなだれる。。
楽しいデートのはずがなんだか重苦しいな。いや、そもそも失恋している時点でデートは成立していないんだけれど。居心地も悪いし帰ってしまおうか?
そんな風に悩んでいると背後からどいてどいてー!と声が響く。
変な飛び方をしたアンバーでも来たのかな?と振り返ると顔面に強く何かがぶつかる。「いでっ!!」
俺はその勢いで仰け反る。慌てて俺の顔を覗き込むアルベドの綺麗な顔を視界に浴びながら意識を手放した。
ふ、と目を覚ますとそこはドラゴンスパインだった。場所はええと、何度も訪れているはずなのに場所がいまいち思い出せない。突然雪山に飛ばされたものだから寒さで体が震えている。まずい、温かいところに避難しないと。
俺は松明を求めて走り出した。俺が普段通っているドラゴンスパインに似ているようで少し風景が違うような気がする。
しばらく走ってようやく松明を見つけたかと思うと、そこには先客がいた。一人の女性と、その女性が抱えている赤ん坊である。
「こんにちは」俺はその女性に挨拶をして松明に手を当てる。
しかし、女性は俺の挨拶なんて気にもとめない。代わりに、女性の手の中にいる赤ん坊が俺の方へと手を伸ばしていた。
すごく可愛い。どこかで見たことある雰囲気だけれど、気のせいだろうか。テイワットにきて赤ん坊と触れ合う機会なんてなかったはずだし。
「あの、この子少し抱かせてもらっても?」
俺がそう尋ねると、女性は面倒そうに溜め息をついて赤ん坊を俺に渡してきた。
もちもちしている。やわらかい。その赤ん坊はキラキラした眼差しを俺に向けている。 赤ん坊に俺は一体どう写っているのだろうか。
その赤ん坊は何かを求めるように小さな両の手を俺に向けて伸ばした。
困ったな、ミルクの1つでもあれば良かったんだけど荷物を置いてきてしまった。俺の装備なんか渡したところで意味はないし。
と、自分の手元を見ると、セシリアの花を握っているのに気づく。この赤ん坊はセシリアの花が欲しかったんじゃないのだろうか。
「これ、あげる」
俺は赤ん坊にセシリアの花を渡した。赤ん坊は受け取ったセシリアの匂いをクンクン嗅いでいる。これがどんなものなのか識別はついているようだ。
そんな様子を眺めていると、俺はこの赤ん坊の首に見慣れた印があることに気づく。テイワットでこのダイヤ型の印を持つ者は1人しか存在しないからだ。
「あ、あ、アルベド…?」
赤ん坊は答えない。元々喋る子でもないのかもしれないし、俺の言葉を理解していない可能性もある。
しかし、改めて見てみると髪型と言い、雰囲気と言いアルベドにそっくりだった。きっと、俺は何かの拍子に過去の世界に飛ばされてしまったのかもしれない。
なんて冷静に分析をしているが、この愛くるしい顔を見て俺は正直どうにかなってしまいそうだ。しかもそれが、俺の想い人ともなれば格別なわけで。
俺はその小さなアルベドをしばらく見つめていたが、ふと先ほどあったことを思い出してしまった。俺、この赤ん坊をいくら愛でても失恋した事実は変わらないじゃないか。
「ねえ、アルベド。俺失恋しちゃったんだ。」溜め息をつきながら赤ん坊に話かける。
「俺はアルベドが好きなんだけどアルベドには他に大事な人がいるんだって。誰なんだろうね?」
赤ん坊にこんなこと言っても仕方ないのにこの時の俺は動揺していたのだろう。
「告白、しない方がいいよね?」
赤ん坊は目をぱっちりとさせて俺を見る。そして、そんなのダメと言わんばかりにゆっくり首を振った。俺の話、理解してるのかな?
真相こそ分からないけれど不思議なことに、先ほどのショックが和らぐ気がした。例え俺の言ってることが分からないにしても、アルベド本人に告白しろと説得されているようで。もしかして、まだ脈ありなのかな? なんて思えてしまう。
「いつまで抱いているんだ。早く返しな」
突然隣の女性が喋った。完全に二人の世界にいたけれど、そういえばこの人もいるのだったとここで思い出す。アルベドと一緒にいるということはきっとアルベドの師匠、レインドットがこの女性なのだろう。
俺は再度アルベドに向き合う。
「アルベド、信じて良いんだよね? だったら君が大きくなったら迎えに行くから」
俺はその幼児の額にキスをして、レインドットへ返す。
「ありがとうございました。すごく、可愛いお子さんですね。抱いてて癒されました」
女性はアルベドの持つセシリアを見、俺を睨んできた。
「お前、今キスしなかったか?人の子に何勝手にキスをしてるんだい」
大変ドスの聞いた強い声だったので、俺は思わず尻ごみをしてしまう。
「わわわわわごめんなさーい!」
慌てて逃げる。まずいまずい、確かに側から見たら完璧にまずいコンプレックスを抱えているように見えても仕方ない。そもそもレインドットなんて初対面なのだし。
俺が走り去る中、残った2人である会話が続いていたらしい。
「まったくなんだい?あのガキは。アルベド、その花は……。ふん、ただのセシリアじゃないか。くだらない、あのガキが寄越したものか」
レインドットはアルベドから花を奪おうと掴む。
「なんの飾りもないただのセシリアに価値なんてない。もう捨ててやろう」
しかし、アルベドはその花が気に入ったのか離そうとしない。強く握って嫌がるように首を横に振る。
レインドットはその様子を見て深いため息をついた。
「赤ん坊のくせになかなか力が強い。神の目を授かるなら岩元素ってところかな」
びと、たびびと…
何か聞こえる。一目散にドラゴンスパインを駆け回っていたはずだが、だんだん視界に白い光があふれる。
ぶわっと強い風が吹いたかと思うと、俺の視界は星拾いの崖へと戻された。
「旅人、大丈夫かい?」
隣にはアルベドが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。俺にぶつかってきたであろうアンバーの姿もない。
「ごめん、ボーっとしてた。俺、いつからこうなってた?」
「いや、ちょっと前だよ。ボクがこの花の話をした辺りかな。すまない、キミにとってはあまり気分の良い話ではなかったのかもしれないね。疲れているだろうから、今日はもう…」
と立ち上がるアルベドを遮る。先ほどみたものは夢かもしれないが、その夢に勇気づけられて俺の中で迷いは完全に消えていた。
「俺は大丈夫だよ。あと、アルベドに伝えたいことあるんだけどいいかな?」
アルベドはなんだい?と再び俺の隣に座り、返事を待つ。
「ただあの、こんなことを言ったら絶対アルベドを困らせてしまう気がして。言って良いのか分からないんだけど」さっきの勇気はどこへ行った?と言わんばかりに一瞬弱気になってしまう。
「ボクが困ることなんてないよ。だから話して欲しい」
「本当に後悔しない?」
「しないよ」
どちらにせよ言うつもりだったけれど後悔しても知らないから、と思いつつ俺は口を開いた。
「俺、実は…アルベドの事がす、すす、好きで…」
いざ肝心なところでどもってしまう。ああ、これは不審者確定かもしれない。
アルベドからは何も返って来ない。ただ俺の顔をじいっと見つめていて空気が重たい。
何か続けないととは思うけれど、一体何を言えば良いのかと口がぱくぱくするだけだった。
「なるほど」
アルベドからはすごく落ち着いた声が返ってきた。
「それをわざわざ言うということは、友達としてではないのだろうね」
「嫌……だったよね?」俺がそう尋ねるもアルベドは黙る。
「ごめん、結局困らせちゃった。アルベドだって大事な人はいるだろうし、そもそも恋愛に興味がないかもしれない。俺が余計なことを言って悩ませちゃうんだったら俺…」
「旅人、ボクは別に何も困ってはいないよ」
アルベドがの手に自身のを重ねる。温かい手だった。
「ボクの中にあるキミへの感情が恋愛観のあるものかどうかを考えていたんだ。こういったことを考えたことがこれまでなくてね」
アルベドは俺を心配させまいとしたのか、微笑みを向けてくれていた。
「無理に考えなくていいよ。気を遣わせるのは申し訳ないし、俺くらいになると無意識に意識しちゃうくらいだから」
「無意識に、か。となると、ボクはキミについて考えることが多いのは事実だよ。これは好きと言うことになるのかな?」
「ま、待って」思わず制止する。
「それは友達同士でも起こりえる感情じゃない?恋人ってそれをさらに超えた関係っていうか…」
「抱きしめたりキスをしたり恋人らしいことがしたい、と。なるほどね」
アルベドは何のためらいもなく続ける。すらすらとそんなことを言われて思わず顔が熱くなる。
「それは、そうなんだけど…」
アルベドは俺の手を引き寄せるとそのまま抱きしめてきた。
「まっ……」
急すぎてついていけない。恥ずかしいよ。
「なるほど。キミは温かいね。うん、キミの匂いがあると安心する」
「アルベド…?」
これは彼なりの慰みなのか、まだ自分の感情の答えを探しているのか。俺はまだアルベドに花を渡した人物の事を何も知らないし、敗北している可能性も捨てきれていないから、あまり積極的に抱きしめ返すことができないのだけど。
でも、ずっとこのままだとなんだか負けた気もする。アルベドは俺だけドキドキさせて何がしたいっていうんだろう。
次第にされるがままなのが腑に落ちなくてアルベドの肩に手を置くと、彼の額にキスをする。唇にしたかったけれど、それはさすがに俺が耐えられなかった。それに恋人以外の人にするのは良くないと思うから。
立ったままだときっとアルベドに身長が足りなくて届かないけれど座ってるうちならなんとか届くからちょうど良かった。
アルベドは額にキスされたのが予想外だったのだろうか。驚いた表情を俺に向けていた。
「そうか、キミがあの……」
アルベドは何かを呟いたかと思うと「キスもして良いかい?唇に」なんて尋ねてくる
「えっ!?」
俺があえて避けたものを何の遠慮もなく。珍しくグイグイと押してくる彼に俺は動転してしまった。
早急すぎない?俺さっき恋人以外にするのは良くないって……。
俺が何も言い返せずにいると、アルベドはきっと肯定と捉えたのだろう、唇を重ねて下唇を吸いあげてきた。
「旅人の唇は柔らかい。それに、ボクの腕の中でそんなに縮こまって…キミってそんなに可愛かったかな?」
「かわ!?」思わず声が裏返る。心臓もバクバク言ってる。このまま爆炎樹のように燃え上がりそう。
「ふふ、すまない。キミの反応が面白くてつい」アルベドは俺を離すと先程の箱を取り出す。
「どうやら、この花もボクにはもう不要なようだね」
「えっ、なんで? もらった大切なものなんでしょ?」
仮に俺の気持ちを受け取ってくれたとしても、その花をくれた人が大事であるのなら忘れるべきではないと思う。いや、俺個人としては忘れて付き合ってほしい気持ちも強いのだけれど。
「ああ、そうだね。キミに、もらった大切な花だよ」
「え?」
さっきからえ?しか言ってない気がする。それくらいに驚くことが続いている。状況が全く見えないんだけど。俺はアルベドに花束しか渡していない。彼の持つそれはどうみても一輪の花だし。
…と考えて先程の夢を思い出す。赤ん坊のアルベドには花を渡していた。いや、でもあれは夢で……
「それで、キミは誰に失恋したんだい?」
「んなっ……!?」
夢じゃ、ない!?
「なななな、なんでそんなこと知ってるの?」
「おや、キミから話してきたんじゃないか。失恋したんだって。告白も迷っていたようだけれど」
再び顔が熱くなる。ええええ、あれ夢じゃないの? それにまさかあんな赤ん坊が覚えてるなんて思わないじゃないか。ホムンクルスだから特別なの? 俺からしてみたらほんの数分前の出来事でも目の前の彼にしてみたら数百年も前の話なのに。
「だって、突然失恋話をしてくる人なんて普通はいないだろう? 師匠も相当珍しかったのか、たまにキミの話をしていたよ。それでボクは失恋話が気になるな。わざわざ幼いボクに相談してきたくらいだから、相当なものだったんだろう?」
アルベドはただただ楽しそうに笑顔を浮かべて俺の返事を待った。他人事だと思って面白がっていないだろうか。というより俺に想い人がいても気にしないってこと?
「だ、だってぇ……アルベドが大切にしてるって花を出してきたから俺なんか眼中にないだろうなって」
「おや、ボクのことだったのかい?」
アルベドはあまり驚いた様子ではなかった。もしかしなくても、自分のことだと分かった上で尋ねてきたのかもしれない。うう、俺アルベドの手のひらの上で踊らされているんじゃないかな。
「おかしいね、キミの告白を断った覚えはないんだけどな」
「で、でも! 勝ち目ないって思うのは仕方ないだろ……。アルベドすごく大事そうにしていたし」
「うん、確かにタイミングは悪かったかもしれない。それは申し訳ないことをしたよ」
でも、とアルベドは続ける。
「この花をキミに見せたのにもちゃんと理由はあるんだよ。なんとなく、この花をくれたのはキミなんじゃないかって気がしてね。キミに見せることでヒントを得られそうだと思ったんだ。まさかキミ本人だとはボクも思わなかったけれど」
計算済だったということか。そんなこと言って、実は正体は俺だと想像がついていたなんてことありえそうである。
「幼いころの記憶も全て残っているわけじゃない。でも、この花はきっとボクにとって大切な意味があるのだとずっと大事にしてきた。ずっとその意味も分からないままだったけれどようやく分かったよ」
「それって?」
「あのころのキミにとって、ボクに渡したあのセシリアは他と何も変わらないただの花に見えていたのかもしれない。でもボクはキミにもらったあの花を見て、それを通して渡してくれたキミの存在を知って見える世界も変わったように感じたんだ。いつかこの先、きっとボクは運命的な出会いをするかもしれないって」
アルベドは俺の方へ身を乗り出し、頬にキスをする。
「へ?」なんて間抜けな顔をする俺をよそにアルベドは少し照れくさそうに。
「ボクはキミに会いたくてこの花を持ち続けていたんだね」
これ以上ってないくらいの最大級の告白を受けて俺は完全に参ってしまった。好きな子にそんなこと言われるなんてこと生きてても絶対に言われることなんてないだろうから。 感極まって俺が口をパクパクしているのをよそに、彼は俺が渡した花束を空へと持ちあげる。
「ボクはキミにもらったこの花がある。昔は一輪の花だったけれど、今はこんなにたくさんある」
俺もつられて花を見上げる。先ほど買ったばかりの綺麗な花が光に照らされてキラキラとしている。
「旅人、もしこの花がまた枯れてしまう時がきたらまた花が欲しいな。キミとの思い出はたくさん欲しいからね」
「ああああ当たり前でしょ! アルベドが欲しいならいつだって持っていくよ。だって、俺にとっても、セシリアは俺とアルベドを繋いでくれた大切な花だし……。それに、ううううう、もう頭の中パンパンだよ!」
嬉しいのか悲しいのか自分の感情に整理がつかない。アルベドへの好きって気持ちがただただ溢れかえるばかりで。
「それで、キミはいつからボクを好きになったんだい?」追い打ちをかけるつもりだったのだろうか、彼は突然答えづらい質問をぶち込んでくる。
「うぇ…答えなきゃ駄目なの?」
「いや、無理にとは言わないよ。ただ気になっただけだから」
「俺もはっきりいつかは覚えてないんだ。気付いたらだったから……。去年の冬にはもう好きだったし」
「ああ、ボクの偽物が現れた時かな」
「うん」
「言ってくれれば良かったのに」
「そ、そんな言えるわけないでしょ。だって、アルベドは俺を友達として信頼してくれていたのにこんな淫らなこと考えてて。合わせる顔がないよ」
「ボクは嬉しいけどな。それに、そう言われると俄然興味が湧く。」
「持たなくていいよ!」
俺が何を言ってもアルベドは一切引くことなく俺に食いついてくる。告白したのは俺だし、俺の方が優位なはずなのにこうして力負けしそうなのがなんだか悔しい。
ここで何かアルベドをぎゃふんと言わせてやりたいところだけれど……。
「あ、アルベド!」思い切って彼の手を握る。
「今夜塵歌壺に来てほしいんだけど!」つい力んで声が大きくなってしまう。
自分でそこまで言ってやってしまったという後悔に襲われる。アルベドがしたみたいに、うまい口説き文句でも言えたなら良かったのだけれどこれじゃあただ行き急いでるだけだ。
アルベドはしばらく俺の顔を見つめていたが、ぷっと噴き出して意地悪そうににたりと笑う。
「キミ、随分と大胆なんだね。さすがのボクもいきなりそんなことは言わないよ」相当それが面白かったのか、彼はしばらく笑い続けていた。
羞恥ももはや限界でアルベドの顔なんて直視できるはずもなく。うううううと唸り声をあげながら項垂れる。
最後の最後でやらかしてしまう。もう少し強気でアルベドをドキドキさせてやろうって思ってたのにな。
俺は夢で見た赤ん坊を思い出す。あの赤ん坊が今はこんなに大きくなっているのだ。すごく美人に育ったなあと感じつつも、こういうにたりを笑う姿を見ると随分可愛くなくなったものだとも思えてしまうのだった。