『ミチ』(3.0)ー○ー
背丈の小さい少女が声を荒らげ、駆け出した街中はすぐに賑わいを取り戻そうとしていた。時刻は日暮れ時、多くの人が城へと移動を開始している。
そこに取り残されたユリスは、ことの一部始終を見ていた。…そっと地面にしゃがみこみ、アルバの投げつけたループタイを手に取る。割れてしまったガラスを指で撫で、白い息がするりと抜けた。
「あ、あんたあの子の友達かい??大丈夫かいね……」
そこに1人の店員が声をかけた。ユリスは驚いた顔を見せることなく店員の方に視線を移す。
「あの男の人もあんた知っとるんか??あの人わざわざあの子の本を買いに来たみたいでね、他の本は目もくれずオノールの本は〜って、ねぇ!そしたらえらいもんを見ちゃったわぁ…?」
ユリスがこちらを確認したとわかるや否や、饒舌な口が動き出す。ユリスは内心の焦りを抑え、アルバが本来であれば端末を取りに来たことを思い出す。
「あの人とあの子に、いったい何があったんだい??」
「確かにアルバの友人ですけど、……すみません、俺にも詳しい事情は分からなくて。その男性も、…。
…いや多分…その人、家族だったんだと思います。…、後で彼女、きっと謝りに来ますよ」
店員はただの世間話のように問いかける。ユリスは困ったように途切れ途切れの言葉をつむいだ後、得意の笑みを向けた。
実際、知らないのだ。なにせ、お互いの家事情については、どちらも触れてこなかったのだから。
「俺は早くあの子を追い掛けなくちゃ。彼女の端末だけ貰ってもいいですか? もし、彼女と入れ違いになったらアルバの端末に連絡してください。」
「あらそれもそうねごめんなさいねぇ〜」
「では失礼します」
「優しくしてあげるんだよ〜!!」
店員から通信端末を受け取り、にこやかにその場を去る。
内心では焦りを隠せずにいたユリスは、いつの間にか走り出す。どこに行ってしまったのだろうか。よく笑うようになった彼女が見せた、傷心の顔が脳裏にやきついて離れない。
冬の寒気さばかりが辺りに広がった。
ー□ー
男はとうの昔にしまいこんでしまった、女との思い出の箱を開ける。少しホコリがかぶってしまっており、触れた指の跡がつく。
ずっと、読むのが怖かった。
封を切ってしまえば、本当に彼女が帰ってこないような気がして、彼女の手紙"死"を受け入れられなかった。
では、彼女の死を受け入れた今、自分はこの手紙を読めるのだろうか。
なんと、書かれているのだろうか。
彼女はいったい、自分に何を伝えようとしたのか。
今さら読んでも、いいのだろうか。
彼女の病状生活中に書いた、必死のメッセージを何年も無視していたのだ。死人に口なしとは言うけれど、彼女はなんと言うのだろうか。
男は手紙を持ったまま硬直した。
そこに一通のメッセージが端末に届く。
[大丈夫]
宛先人は表示されず、通知欄に一つだけ。
男は目を見開き、すぐに端末を手に取ってひらけるも、既にそこには何も届いていなかった。
ただの見間違いか、いや、見間違いでいい。
もう一度読んでしまったら、手紙を開ける前に泣き崩れてしまうだろう。
男は手紙の封を切った___。
ー〇ー
どこまで走ってきたのか、日は落ちかけていて冷たい風が身体をなぞった。近くに小さな公園を見つけてなんとなしに足を踏み入れる。誰もいない公園、来たこともなんて1度もない、誰かが遊んだ形跡だけが残る公園。夕日が砂山を照らし、主のいなくなったお城が音もなく欠ける。
「……はぁ…。さむ」
手先が冷たく凍ったようにかたくなる。
なんとなしにブランコに座り、キコキコと軽く揺れる。幼い頃、母親と度々公園で遊んだ事を思い出し、寒さも相まって泣きそうになった。
学園を卒業してしまえば居場所はなくなるのだと、向こう側から突き付けられた。ただ呆然と、心に空いていた穴から、黒い水が一滴一滴垂れていくのを見ていることしか出来ない。
今日は楽しい1日になるはずだった。
「……生きとし生けるもの、己の役目を全うし、身が朽ち果てる其の時まで誇り高くあれ。個の価値、個の道、個の役目、耐え忍びいつか来る運命に身を任せ。役目を果たせ……立派に…。He who has never hoped can never despair……。」
静寂な公園に、静かで短調な声が聞こえる
……兄様に会いたい。我が誇りの兄様なら、私の居場所になってくれるはず。私は兄様を愛し、支え、生涯をもって兄様に仕えるべき存在……。兄様…
意識は泥沼へと沈みだす、夕暮れだった辺りはどんどん赤くなって、赤、赤、赤
あぁ、なんてことでしょう、私は今までうつつを抜かしていた。それに気付かず月日を過ごし、あろう事か役目を捨てさろうと…。
赤が
はやく帰ってユウェルから原石を採取しなくちゃ、どうしようどうしよう、何年も役目を放棄してしまった。
真っ赤な赤
だいたいユウェルが自分の役目を全うせずに、こちらに採取を委ねているからこんな無駄な作業が生まれてしまうのよ。ユウェルとして生まれたのだから、きちんとユウェルとして生きてもらわないと……。
赤……、赤に
嗚呼けれど…私は父様と母様に名を捨てろと言わせてしまったのだから、今さらもう遅いのかしら。役目を果たせない私はもう何も言えないわね…、そんな権利すらない。私は生きててもい「……良かった、探したよ」
すっかり聞き慣れてしまった声が頭上から聞こえ、冷えきった首元にふわりと優しさが巻かれた。
ユリス……?
脳が言葉を理解するより速く、涙が込み上げ、思わずマフラーに顔をうずめる
あたたかい
ユリスは私のことを捨てたりしないよね?……あぁでも、、もう私にオノールとしての価値はないわ…。だから…、、。
ふと疑問を感じる
ユリスは果たして私をオノールとして見ていただろうか。
けれど父様は近づく人間はオノールを見ているのだと、……ちがう、
"また"乗っ取られている。
親からの洗脳はもう終わったはずなのに、長い時間をかけて正常に戻ったはずなのに、どうしてあんな数瞬で……
赤が私を放してくれない____
今さっきまで私はいったい何を考えていたのか、途端に自分が怖くなり、自分も記憶も価値観も、自分の全てがわからなくなる。
ユリスは、"私"と一緒にいてくれる。ユリスは私を"オノール"としか見ていない。ユリスは"私"を捨てない。ユリスの持って生まれた"役目"ってなに??"私"にユリスが仲良くする程の価値はない。ユリスは…いったいなんなの???
私は震える声をなんとか絞り出す。
「ユリスは……」
でももしも……。
もしも、、
気づけば続く言葉は見当たらず、吐息だけが漏れていた。
私が何を問いたいのかさえ、見失ってしまった。
今の私は____誰?
ユリスは、
「…話したかったら、後で幾らでも聴くよ。はい、忘れ物」
「ぁ…端末……ありがと…、、」
ユリスは優しい声で語りかけ、私に端末を差し出す。すっかり忘れていたが、本来であれば通信端末を取りに行っていのだ。少し顔をあげ、震える手で端末を受け取る。
「……あはは…ごめん、らしくないとこ見せちゃった」
しっかりしないと。
いつもの"私"に戻るため、早く洗脳を解かなければいけない。しかし、どうしてもユリスの顔を見ることはできず、崩れてしまった砂城に視線を移す。
ユリスはゆっくりと私の前にしゃがみこみ、そっと手を握った。
暖かかった。
ユリスの体温っていつもこんなに暖かかったっけ。
「さっき、アルバが走っていった時、咄嗟に手を掴んでおけば良かった。ねぇアルバ、
……独りにして、ごめんね」
赤に支配され、雑音で埋め尽くされていた私の脳に彼の声だけが届いた。否、最初から他の音など無かったかのように、ユリスの声がよく響いた
どうして、こんな事を言ってくれる人が"私"にはいるの……?
ずっと前からなんだかんだ一緒にいた。私のことをアルバと呼び続けてくれた。
1番たいせつな私の親友_____
ユリスの優しさが、鎮めようとしていた言葉の鍵を開ける
ごめんなさい、ユリス
「〜っ……ゆりす………。嫌いにならないで…ごめん……ごめんなさっ……わたしっゆりすに嫌われたくないっ……ごめん……ごめん…」
いつの間にか溢れていた涙は、ぽろぽろとユリスのマフラーを濡らす
どうしてユリスはこんなに優しいの?ユリスは私に何を求めているの?ユリスに嫌われたらどうしよう
どんなに優しい言葉をかけてくれても、赤がまた、私の赤が許してくれない
自分を信用できないのに、誰かを信用するなんて、臆病な私にはできない
「私いま、ユリスくんを信用できない」
ごめん、ごめんなさい、ごめん、
信用できなくて、ごめん
私の赤に勝てなくてごめん
余計なことを言ってしまってごめん
嫌わないでなんて言ってごめん
こんなこと思ってごめん
ただの友達が、貴方に執着してごめんなさい
ユリスに手を握られながら、身体を縮ませ俯く。
ブランコがキィ……と音を立てた
赤が、泣いている。
「……うん、大丈夫。」
「嫌いになったりしないよ、なれる訳が無い。」
ユリスは手にほんの少しだけ、優しく力を込めた
「……………このまま手握っててもいい?」
「……、、うん……。」
ユリスの手は離れる気配もなく、落ち着くまでずっと、握っていてくれた。
気付けば、私の赤も眠っていた
全部全部、言うはずじゃなかった言葉。言ってしまった言葉、ユリスはきちんと受け止めてくれて、それでも傍にいてくれる。言葉だけかもしれない、嫌われる未来もあるかもしれない。
「……、…さっきの、私の両親。」
だけど、"私"は信じたい。
「私ずっと、あの人達の言う通りにしてきて、それをちょっと思い出しちゃった…。」
「うん、うん、キミのご両親か。……血の繋がりには、…逆らうのが難しいから、仕方が無いのかもしれないね」
ねぇユリス
「……ねぇユリス」
顔をあげ、ユリスを見つめる
「この世界の赤が全部貴方だったらいいのにね…」
目の前で綺麗な赤髪が揺れた
ー○ー
"赤"は倒したままの写真立てを手に持ち、小さくため息をついた。
「あなた、お夕飯は何にいたしましょう?」
それを見計らったように妻は問いかける。優しく笑う妻は"赤"にとって、この世のどんなものよりも美しい。"赤"は笑う、"赤"は笑う、"赤"は笑う
「ヒスの作りたい料理にしよう」
この世に救いなどないと、
ー●ー
「…俺の、赤? 」
ユリスはじっとアルバを見つめる
「キミがそう思うのはどうしてなのか、知りたいな。……それに、…いや、なんでもないよ」
俺の色はそんな綺麗なものじゃない、と言いかけた口をつぐむ。きっとアルバは、バークリー家の忌々しい血統と、見知らぬ誰かの血で作られた色ではなく、ユリスの色のことを言っているのだから、そんな事を言うのは野暮な話だ。
アルバはきゅっと口を結ぶと、すぐにポツリポツリと語り始めた
「赤は…苦しい。嘘ばかりで、醜い色。」
__生まれた時から1番近くにあった赤。
それは己を蝕み、生まれた自我を認めなかった
「息ができなくなって、言葉も、脳も、自分のものじゃなくなる。…ずっと前から、何年も前からそう!」
赤に操らるるまま手を汚し、操り人形は自立する脚を持たなかった
「…鏡を見る度、血を流す度、赤を見る度、、、、、嫌悪感でいっぱいになる……っ」
鏡に映る自分の赤は、自分についた糸の色そっくりで、自然と口は、弧を描く。
「……わたし、鏡を見るのが大嫌いなの。……だってね、、鏡に映る自分の赤でさえ、私は動かされるから……赤を見る度に思うの、逃げられないって。…兄様を愛さなきゃって。……いつまで経っても、お人形さんの私が消えてくれない……っ…。」
抜け出したいのに抜け出せない、1度でも犯してしまった罪と、いつまでも縛り付けられている幼い自分が、全ての感情の邪魔をする。
決して、逃げることを自分が許さない。
「…でも、ユリスの赤は……私、好きだから。」
しかし、アルバの手を引いたのも、このユリスという男だった。
ユリスはアルバに耳を与え、声を与え、生を与えた。そして脚を与え、手を与え、瞳を授けた。
人形は動くことを覚えた。
話す楽しさも、聴く楽しさも
人形は世界の色を知った。
「ユリスの赤色だけ、ユリスの事しか思い浮かばない。」
人形はユリスによって、人間になった。
ユリスの赤はアルバにとって、愛おしい赤なのだ。
「ほら今も、ユリスで上書きされた」
アルバは満足気に微笑み、ユリスを見つめる。
目の前に広がる赤は消え、ただそこには物静かな公園と、最愛の彼がいた。
それだけで、アルバは十分だ
「…そっか。そんな風に思ってくれて嬉しいよ、ありがとう。」
ユリスはアルバの瞳を見つめ返す。
ユリスにとっても"アルバの赤"は他に変え難い、愛する色だ。自分の赤よりもずっと、比べ物にならないくらい好きな色。
「……苦しいね、本当にキミの為に全てを上書き出来たら、良かったんだけどなぁ」
ユリスは眉を下げて笑う。色んな女性に対して何度も見せてきた表情だが、今回は本心からだった。アルバの根底に根付いてしまった赤を、完璧に消す事などできない、それが歯がゆい
ユリスは少し考えてから口を開く。「…アルバ、今からすること、嫌だったらごめんね。今俺に出来るのは、キミが鏡を見る時に俺を思い出して少しでも楽になれるように、おまじないをかけることだけだよ」
そう言うとアルバの手をそっと離し、前髪を丁寧に流すと、その額にキスを落とした。
眠る前の子供にするような、優しくて一瞬の出来事。
アルバはぱちくりと目を開き、少しの間ぽかん……とユリスを眺める。
当の本人はアルバの前髪を軽くなおし、ポンポンと頭に手を置いた
「……ふふっ」
「鏡を見るのが楽しみになっちゃった」
おしゃれなステッキを持ったお婆さんではないけれど、ただの男は杖を振るう
アルバが苦しむ度に、何度でも魔法をかける。
それはそれは素敵な魔法、マリオネットの糸を1本ずつ、丁寧に、慎重に、傷つけることなく裁ち切る
愛の魔法
「てかそろそろ準備しなきゃだよね!ご飯食べる時間あるかなぁ」
アルバはブランコから立ち上がり、誕生日にユリスから貰った腕時計に手を当てる。赤い宝がキラリと光沢を魅せた。
「ふふ、調子戻ってきたみたいだね。今からだと…キミの準備にどれくらいかかるのかによるかな。軽く食べてからにするかい?」
立ち上がったアルバを見て、ユリスもゆっくりと立ち上がる。すっかり身体も冷えてしまった。湿った汗が冷たくて気持ち悪い
「私の準備もそうだけど、私の従姉妹の所にも行かなくちゃなんだよね〜、うん、お腹すいちゃった!軽く何か食べよっ」
「うん、そうだね。はぁ、俺の予定はキミに狂わされっぱなしだな…さ、早く行こうか」
アルバの表情はいつも通りに戻っており、ユリスのマフラーを嬉しげにもう一度巻き直す。
「ままー!ぼくすべりだいー!」
2人は小さな男の子とすれ違う。
母親は小走りで少年を追いかけ言った
「そんなに急ぐと転んじゃうよ〜!」
ー後半につづくー