『ミチ』(18)いつも隣で笑っていた親友は、ある日突然目を覚まさなくなってしまった。
皆が皆彼女の生還を待ち望んでいた。病室を訪れる度、たくさんの人とすれ違う。人々は涙をうかべ、項垂れながら通り過ぎていく。
アルバは今日も眠っている。
扉を開けるとそこには、陽の光に照らされた彼女の横顔。部屋に吹き込む優しい風がカーテンを揺らし、微かな花の香りが部屋に広がった。
綺麗な白髪の髪は靡くことなくシーツに広がり、愛らしい赤の瞳は覗かない。もう一生、目覚める事はないのかもしれない。そんな不安を感じさせてしまうほど、彼女の眠る姿は恐ろしく美しかった
限られた時間の中で、毎日、アルバの隣に座り、ただその時を待つ。来る日も来る日も俺はアルバを信じ、彼女の手を握った。
俺がそっとアルバの小さな手を握ると、アルバは俺の手に沿うように指を絡める。そして心底楽しそうに笑いながら言う
「ユリスの手おっきーね!」
記憶の中じゃ何度だってキミがわらう。声が聞こえる。愛おしそうに、俺の名を呼んでくれる。
独りの夜は不安になって、誕生日プレゼントに貰ったアルバの香水を使ってみたけれど、目を開ければそこにキミはいなくて、余計に苦しくなった。
「ねぇアルバ、いつ目を覚ましてくれるんだい…?、アルバ…………。」
俺はキミを失ったら、どうすればいい…?
キュ…
その時、アルバの手が少しだけ握り返してくれたような感覚がした。はっと驚いてアルバの顔を見るも、アルバは依然として目を瞑り、一定の感覚で呼吸するばかり。彼女の手はすでに力無く、ただの錯覚だったのかと肩を落とした。
「アルバ、俺は待ってるからね…」
お願いだから目を覚ましてくれよ
ー ○。ー
『プルルルルル……プルルルルルル……』
朝日が薄く空を色付けた頃、通信端末から発せられる無機質な音が、男の部屋に響いた。
男の名は、ユリス・レイモンド・バークリー。
男は重たい身体を起こし、画面を確認する。
「___」
そして男は浅く、息を飲む。
思わずあの日の記憶が脳をかすめ、頭が真っ白になった
《アルバ》___着信中
端末越しに聞こえた、震える彼女の声が、言葉が。数日経った今でも忘れられない。
この向こうには誰がいる?
こんな夜明けに誰が俺に電話をかけている?
アルバの両親だろうか?それなら彼女の母親から電話がかかってくるだろう、わざわざアルバの端末を使用するはずがない。
アルバの主治医だろうか?いや何か連絡があるとすれば、悲しいが俺よりも先に彼女の両親へといくだろう。
なら、なら、、あとは誰がいる??それならもう、彼女しかいないのではないか?彼女が、アルバが目を覚ましたんじゃないか?この電話の先に、アルバがいてくれるんじゃないか?
男は僅かな期待に縋る思いで、あの日と同じように電話に出る
「…もしもし」
『 』
少しの沈黙。電話越しに気配が伝わり、男の心臓はドクドクと鼓動する。永遠のような静寂の時間が男を襲い、通信端末を握る手が汗ばんだ。そして、、
『…おはよぅ、ゆりす』
「〜っ!」
『ただいま』
アルバの少しかすれた優しい声が、ゆっくりと聞こえてきた。
「、、、おはよう…。アルバ、おかえり…っ」
おかえり、おかえり。そんな言葉1度じゃ足りない。俺がどれほどの時間キミを待っていたと思う?
電話の先、どれだけ手を伸ばしても届かないキミが、『ありがとう』と言い残し消えていったあの日。キミの家の前にキミの母親が血だらけで倒れていたあの日。キミの父がキミを殺そうとしていると聞いた、あの日から、俺がどんな気持ちでキミの手を握っていたか、、。
『ねぇ、 あいにきて? あなたを、抱きしめたい』
「…あぁ。あぁっ、今すぐ逢いに行くよ」
あの病室の扉を開けると、きっとキミはわらって言うんだ『ひどい顔だよ?ゆりす』って。
でも仕方がないじゃないか、キミは俺の、
___ たった1人の親友なんだ。
どうかこれが、愚かな俺の幻でありませんように。早く、早く、キミに逢いたい
男の足は、彼女の元へと駆け出した
。゚
アルバ・オノールは桃色の空を眺め、端末を持つ手を降ろす。
きっとキミは知らない。私が、キミを理由に戻ってきたことを。
ねぇユリス。早く。早く逢いに来て?誰かが私を見つける前に_____
ー○ー
2月9日、私は目を覚ました
病室に飾られていた花束を眺める。黄色やオレンジ色の花で彩られた花々。誰が置いたのか、赤や白色の花は見られず、申し訳程度に紫や青色の花が紛れていた。
そもそも白色の花はお見舞いには適さないというけれど、兄を思い出して少しだけ、白が恋しかった。
私が意識を取り戻してから、最初に連絡を入れたのはもちろんユリスだった。早くユリスの声が聞きたくて、逢いたい気持ちが抑えられなかった。ユリスの声を聞いてやっと、自分がこの世界に帰ってきたのだと実感する。
その後外を眺めていると、ユリスとお医者様が扉を開け、次いでミリーやシェーンら皆に連絡を入れた。
泣きながら私の生還に安堵する彼女達を見ていると、自分がどれほど愛されているかを実感せざるを得ない。目前に広がる光景をよそ目に、夢の中で見た懐かしい記憶を思い出す。
人と関わる事が怖くなったあの日、愛情という凶器を持つことに恐怖を感じた。純粋な愛で人を殺すことが出来る。それはあの頃の私にとって、最大の脅し文句だったのかもしれない。
そうして私は、本の題材を「愛」に決めた。
行き過ぎた愛は恐怖に変わる。劣等感が加わると嫉妬に変わる。伝え方、場面、表情。想いは変わらないのに、”愛”と一括りにするには膨大な愛の種類。
私はただ、知りたかった。
私の愛と、兄の愛。そして、私がユリスに伝えるべき愛の形を。
そうして生まれた『便箋を君へ』。
病室でふと、ユリスと目が合った。
久しぶりに再開したユリスは以前より弱々しくて、もしも私があのまま兄と共に逝ってしまっていたのなら、残されたユリスはどうなっていたか。自分が死ぬことよりも、ユリスが苦しむことが恐ろしいと感じる。
これからどうなるかはわからない。周囲の人間関係はガラリと変わるだろうし、自分が何をすべきなのか、金銭面の援助や住居、生きることに必要な全てを、私は失ってしまったのかもしれない。
けれど改めて確信する。
還ってきた選択に後悔はない
私は、私を生きていく
ー○ー
___その日の夜、来客の足が静まると、私の両親はやって来た。元々華奢だった身体はさらに痩せ細り、目元のクマは深く、いつ栄養失調で倒れてしまってもおかしくない。そんな姿で現れた2人を、私はただ見つめる。
両親は病室に入ってくるも、扉の傍から動かない。控えめな視線を私に送り、何かを言いかけては口を閉ざすばかり。加害者側が何をしているのだと、流石の私も苛立ってくる
「あの。立ち話もなんなので座ったらどうですか?」
「あっ、ああ、そうだな、そうしよう、」
「そっそうね、えっと、」
「ここにどうぞ?」
あからさまな苛立ちを声に乗せ誘導すると、2人はそそくさと私の近くに座った。
カタと椅子が音を鳴らし、再び静寂が訪れる。
私もとうの昔から、両親が自分に隠し事をしている事くらい知っていた。幼いながらに仕方の無い事だと理解していたが、今になってその隠し事の重大さを思い知る。きっとこの両親、そしてこの家系には計り知れない何かがあるのではないか。
協力関係にあった母が、夜明け前のあの時になぜ父の所へ行ってしまったのか。父はなぜ私を殺そうとしたのか。そしてそれでもなお、どうして両親は怯えているのか。
ちゃんと説明してもらえないと納得がいかない。
____それに、兄の頼みを無視するわけにはいかない。
「お2人とも、何か言うことはないんですか?」
「すまない……。」
「ごめんなさい。」
「謝って済むことではない事くらいわかっている。だが…私は謝る事しかできない……すまない…」
「…謝るなら、最初からしないでほしいものですね」
こうして私の前で項垂れる姿を見ると、以前の両親とは別人のように感じてしまう。知らない誰かを相手にしているようで、付き合い方がわからない。
__いったい、いつからなんだろうか。私の知る昔は、もっと強引で、厳しくて、自分の行く道が正解だという人だった。こんなにすぐ謝る人ではなかったのだ。何が父を変えてしまったんだろう。
「違いない…。どうかこんな父を許さないでほしい」
「アルバ、目を覚ましてくれて、本当にありがとう」
「……。」
今目の前にいるこの人達は、何を抱えている?
私はこの家の全てを、これまでの答えを知りたい。そのためには____
「…私を殺そうとした張本人がよく言えましたね。__時間もないんですし、早く聞かせてください。隠し付けた真実を」
「真実…」
「まさか。ここまでしておいてまだ隠し事をする気ですか?0から100まで、全て説明してください。」
兄がなぜ、2人の話を聞いてやってほしいだなん言ったのか、検討もつかないといえば嘘になる。夢の中で見た幼い父の姿は、脳裏に焼き付いて忘れられそうもない。6年間、私は両親を嫌い、恨み続けてきた。その6年間分の感情も、もしかすると行き場を失うかもしれない。また私は、やるせない思いをするのだろうか。
それでも、聞かないわけにはいかない。これは兄との最後の約束。やっと見せてくれた本当の兄が、本物の私に託した親との関係。私はもう、知る覚悟を決めている。
それに、2人の真実の話を聞いてやっと、兄の自殺の真相が見える気がした_____
「この家の事も、貴方達2人の事も。」
「私が傷つくだとかそんな理由で偽らずに、ありのままを教えてください。」
私はキッと両親の瞳を見つめる。
両親は困ったように顔を見合わせ、何度か言い淀んだ後、観念したのかぽつり、ぽつりと話し始めた。
少しずつ、私が誤解しないよう確実に、2人は全てを口にする。オノール家の事、叔父さんとおじぃちゃんの事、父の幼少期、そして、お父さんと、お母さんの出会いや出生、私達子どもの事、父が描いていた物語。そして_私の将来を、夢を、護りたくて綴った計画。その全てを、語った。
時を知らせる鐘の音など耳に入らず、ただ2人の話を飲み込んでいく。父と母が抱える致死量の想いに、喉が焼けそうだった。嗚呼、世界はなんて残酷なんだろう。
「人って、……脆くて、弱いんだね。」
「何も取り戻せなくていい、全てを失ったまま、このまま余生を歩むつもりだ。だけど、もしも願いが叶うなら、キミに、キミを愛する事を許してほしい。」
父も母も、涙を流していた
胸に詰まる想いが肺を締め付け、呼吸が覚束無い。
ふと窓を見る。明るかった空は暗くなり、そこに一筋の涙を流す自分が居た。
ー●ー
辺りはもう暗くなり、面会の時間もギリギリだという頃、2人の話は終幕した。
「これが、本当の話だよ。嘘偽りの無い、私達の全てだ。」
父は手を組んで自身の指先をじっと見つめていた。私は今の話の全てに頭を抱えそうになってしまう。この両親はなぜこんなにも隠し事が多いのか。いや、それも2人なりに考えて、私たち子供を護ろうとした結果なのだろうとは思うが、こうして兄が自殺し、私も自殺願望があったとなると、やるせなさが拭えない。私は重いため息を吐く。
「…。時間をください、今すぐには到底受け入れられません。」
「もちろんよ。今日は疲れたでしょう?ゆっくり休んでね」
「私達との関係はキミが決めてくれて構わない。答えが出たら、聞かせてほしい」
「……わかりました。」
キミ。
父はこの病室に入ってきてから、私のことをそう呼ぶ。これまでであれば「アルバ」と呼ばれるものの、今日はその気配もない。まるで、他人に接するかのようで違和感を覚えた。それになぜか「キミ」と呼ばれると胸がチクリと痛む。それがなんなのかは私にもわからない。
私は何ようにも言い難い胸の痛みを感じながら、2人の後ろ姿を見つめる。入ってきた時よりかはシャンと伸びた背は、どこか兄の背を感じさせた。
扉を閉めるため振り返った母と目が合う。母は眉を八の字にしながら微笑んだ。私の頬は緩まなかった。
2人が病室から立ち去った後、話を聞きながらとったメモを見る。正直なところ、私は両親の話を信じられずにいた。
本当は愛していたとか、兄が卒業した後は真実を打ち明けるつもりだったとか、私のために洗脳していただとか、また2人の作り出した嘘なんじゃないかと思ってしまう。
真実だと口ではいくらでも言える、私を心配しているかのような言動もあの人たちならかつて演じていた。
話せと言っておきながら、話したことを信じないのは些か不誠実なのかもしれないが、これほど高い警戒心を作ったのもまた両親だ。私が2人に教わった全てを、世界に否定された時の絶望は計り知れない。誰にどれだけ真実だと言われても、頭で辻褄が合うと理解したとしても、心が2人を拒絶する。
理解と信頼は全くの別物だ。
兄との約束は果たした。許さなくて良い。信じなくてもいい。それならば、今は親と関わりたくない。どれだけ2人が改心しようと、2人と共にいる事で自分を失ってしまう恐怖感が付きまとう。話を聞いたからといって、これからの人生も親に捧げるつもりなどありはしない。だから距離を置く。私たちは普通の親子になんてなれない。
病室の窓から外の暗闇を眺める。
退院したらどうしよう。卒業したあとはどうしよう。親とは一緒に居られないのだから、ひとり暮らしを始めようか。そうすると、小説家の道は諦めて働くしかないのか。
ぼんやりと先のことを考え、1人の夜に不安が押し寄せる。
[コンコン]
目線をメモに移したその時、窓から何かを叩くような音がした。すぐに窓の方を向き直ると、大きな翼をはためかせたフォコン先生が、そこにいた。
「フォコン先生?!」
私はすぐさま窓を開けようと手を伸ばす。しかしベッドからじゃ到底届かず、立とうにもまだ身体が悲鳴をあげる。聞いた話ではフォコン先生が私の一命を取り留めてくれたらしい、まさに恩人だ。どうにかして鍵を開けないと_____
「悪いな、邪魔するぞ」
緑色の髪が揺れ、心地よい落ち着いた声が耳を撫でる。
「シッ、シエルせんせ…」
シエル先生は窓の鍵を開け、フォコン先生を病室に迎える。面会時間外に学校の教師が2人も来るなんてどういう事だ、というのはさておき、それにしてもいったいこんな時間に何の用かと困惑する。
「はぁい、元気?オノールさん」
「悪いな、疲れているだろうに」
フォコン先生の大きな翼はいつの間にか消えており、いつものヘラヘラとした笑顔を浮かべていた。シエル先生は持ってきた見舞いの花束を花瓶に移しながら、ここは自身が数年前に世話になった病院である事や、院長とそこそこ仲がいい事、だから私の搬送先をここにしたという話をする。
私が起きてからというもの、見舞いに来る人は皆、泣くわ怒るわ悲しむわ、感情を露わにする人達ばかりだったからか、いつもと変わらない調子で話す2人に安心感を感じる。きっと2人も教師として、私に気遣ってくれたんだろう。少しこそばゆいが、ありがたい。
「い、いえ……。お二人には感謝しているので、、あの、助けてくださってありがとうございました」
「いぃやぁとんでもない。」
「えっと…何のためにここへ?それも、こんな時間に」
「えぇ~??まさか来ちゃだめだったのぉ?」
「フォコうるさい。…まぁ、一応君の両親の話の後でと思ってな。大きな決断をする前に、全てを知ってほしいんだ。」
「オノールさんも、100年以上前のオノール工房の事とかは知らないでしょぉ?」
「それと、学生時代のノクスの事も。」
_____なるほど。
2人も私に真実を伝えに来てくれたらしい。それは大変ありがたいが、どんな話であったとしても少し怖い。フォコン先生とシエル先生の話を聞けば、両親の話が嘘だったという可能性もある。私は少しだけ身構える。
「シエル先生たちも、オノール家の事を知っていたんですね 」
「あぁいや、私たちも先日、君の両親から話を聞かせてもらったんだよ。」
「ちがうよシエルちゃん、無理やり吐かせたっていうんだよぉ」
「おい。」
シエル先生に小突かれているフォコン先生に、しっかりと向き直り言った。
「…。お願いします。」
100年以上、カミサマがこの国を変えてしまうより、もっと昔のオノール工房のお話。フォコン先生はヘラりと軽く頷くと、一瞬にして纏う雰囲気を変えた。その表情は、いつものフォコン先生ではなく、オノール工房のフォコン・カナール、両親が言ってたカナリア様である事を物語っていた。
「俺様は元々、別の国で生まれた貴族吸血鬼だ。」
カナリアサマの黄金の瞳が、ギラリと光る。
「オノール工房が作ったアクセサリーを初めて見たのは、俺様が13の時だった。宝石なんてどれも同じだろうと思っていたが、あの時の衝撃は今も忘れられない。」
そう言いながらカナリアサマは、自身の付けている指輪を見つめていた。その指輪には、キラキラと光り輝く黄色の宝石がはめ込まれており、私が今まで見てきたどの宝石よりも活力にみなぎっている様な、まるで、生命を宿しているかのような輝きを放っていた。
「俺様は、オノール工房の研磨した宝石に呼ばれてアウローラに来たんだ。」
「そうだったんだ…。」
「そこで実際にオノール工房に行き、初代工房長に弟子入りした。家も家族も捨てて飛び出してきた俺様を、あの人たちは家族のように迎えてくれたんだ」
カナリアサマはその”あの人たち”を思い出しているのか、とろりとした優しい表情を浮かべる。
「丘の上に建てられた工房は、毎日たくさんの人が来ていたさ。主に貴族へ装飾品を売っていたが、周辺の住民、オノール工房の宝石を求めてやって来た旅人にも、心惹かれる研磨を施したアクセサリーを売っていた。」
「俺様は初代の手がける宝石より、魅力のある宝石を見たことがない」
「その指輪も、初代に貰った物なんだっけ?」
すっかり自分の世界に入ってしまったカナリアサマに、シエル先生はいつもの調子て話しかける。
「そうだよ、300年前くらいかなぁ。2代目に変わる直前、1代目として最後の作品を俺様にくれたんだ。あの日から輝きは薄れてしまったけど、手入れはずっと続けてる。」
やはりカナリアサマは、甘い表情をしながら1代目オノールの事を語る。きっとカナリアサマにとって、死後数百年立っていたとしても、忘れられない大切な人なんだろう。
「2代目以降、初代が亡くなってからも俺様はずっと、オノール工房で過ごしてきたんだ。初代の研磨を俺様が途切れさせねえって。だが100年前、神様が現れてから全てが狂いだした。」
カナリアサマがカミサマの名を出すと、ピリピリと肌が痛いような、酸素が薄くなったような感覚におちいる。カナリアサマは先程までの優しい表情を一変させ、憎しみに満ちた形相で、包帯が巻かれた拳を固く握っていた。
「誰かの元で輝くはずだったオノール工房の宝石は全て神様に献上され、これまで多くの貴族、いや、宝石装飾界に貢献してきたオノール工房は、真っ先に目を付けられた…!」
「この国の中でもいくつかの大きな工房が招集され、宝石献上の義務化、研磨方法の教育を余儀なくされた。その上、俺たちが今まで売ってきた宝石達は、国の高額取引によって簡単に金に変えられてしまったんだ!」
「初代が、孤児の子どもに贈った宝石も、大事に家宝として受け継がれてきたはずなのに、金欲しさに国へ……神様へ献上された!!」
「神様へ献上して何になる?何故オレたちが国の尻拭いをしなくちゃならないんだ??無茶な要求で工房の職人は全員過労死寸前、装飾品なんて作っている場合じゃなくなって、ただ原石を磨いただけの宝石を何百、何千も国へ納めた!」
「グランツ学園が出来て、ユウェルもアルティザンも増えて、工房の数も数倍になった。それでも国からは解放されなくて、誰も、オレたちの作るアクセサリーを求めなくなっていった。8代目は心も体も病んでしまって、技術の継承もろくにできないまま9代目へとオノール工房は引き継がれたんだ。」
「9代目以降、国の圧力に潰されながらも、なんとかオノール工房の誇りだった技術を取り戻そうと、歴代の工房長が手がけた装飾品から私淑を試みたが、その技術には遠く及ばなかった。……ここからはキミが1番よく知っている、オノール工房の現状だよ。何もかもを奪われてなお、名を下ろすことができない、しがらみだらけの工房長たちだ。」
カナリアサマは感情のままに、屈辱の日々を語る。その瞳には怒りと、悲しみが混ざり合い、揺れていた。
「それなら、私の父や叔父も?」
「ああ。彼らはもはや…。再び掴むことの無い栄光に、手を伸ばし続けなければならなかった、生きし奴隷だよ。」
赤く、濁りきった家族の瞳を思い出す。父もまた、国に道具として扱われ、家名の重圧に押し潰され、技術の継承の断絶を取り戻そうと、もがき苦しんできたのだろう。それでも、自我を失ってもなお、家族を愛そうとしていたのかもしれない。
「父も、道具…。」
両親の話が真実なのだとしたら、私は…。
「でも、私は、、。」
「__信じたくないのなら、無理に信じなくともいい。 」
「…っ。」
シエル先生は腕を組んで壁にもたれかかり、窓の外を眺めながら言った。
「疑心暗鬼なんだろう?何を信じればいいかわからない。信じたとして、自分がどうすればいいかわからない。」
「両親と距離を置くのもひとつの手段だ。」
先生はゆっくりとこちらに向き直り、碧の双眼と目が合う。私の抱える不安を言い当てられ、何かがストンと胸に落ちる。そうだ、私は両親と距離を置くと決めたんだ。私は私を失いたくないから、だから……
「でも、オノールさんは真実を知ってしまった。」
いつの間にかカナリアサマはフォコン先生に戻っていて、柔らかい笑みを浮かべ、優しい口調で私に語りかける。
「両親に対するイメージが少し、変化した。……歩み寄れないことに罪悪感を感じてなぁい?大丈夫?」
歩み寄れない罪悪感。先程までは信じられない事を理由に、話も真剣に受け止めていなかった。けれど、私は今、自分が思っているよりも「道具、奴隷」という言葉に動揺してしまっているらしい。
許さなくとも、話を真実だと信じた方がいいのではないか。少しだけ、心を開いてもいいんじゃないか。私は今、悪者になっているんじゃないか。
「……。わからないです。自分も、両親のことも。」
「ノクスはな、両親についてこう言っていた。」
ー*ー
「なぁノクス、お前の家族ってどんな人たち?」
「…妹は、可愛いけど気味悪い。両親は…、あたたかい人だったよ。」
「人…だった?」
「今はもう、きっと死んだんだ」
「え、あ…。すまん。」
「…ばーか。」
「はあ?!なんでだよ!おい!ノクス!!」
ー*ー
「あたたかい…人」
両親の話では、兄に言葉をかけられたのは出会った最初。つまり、おじいちゃんから取り返した頃が、最初で最後だった。兄はその時のことを言ったのかもしれない。
兄は、生前のうちから両親の変化を察知していたのだろうか。そんな兄が語った、”本当の”両親。
「想いなんてものはねぇ、説明するだけじゃ伝わらないんだよぉ。どれだけ口で言ったって、想いは届かない」
俯いていた私に、フォコン先生が優しく声をかける。
「オノール。キミの両親がどれだけキミを愛していようと、キミに想いを届けられるか否かは、キミが考慮する必要は無い。」
「もう誰も、これ以上オノールさんが傷つくことを望んでないよぉ」
「親なんだから、子どもの我儘くらい喜んで受け入れるさ。」
「親に関わりたくないなら、住む場所とかもフォコたちが用意するよぉ。これでもフォコはお金持ちなんだぞぉ〜300年くらい生きてるからねぇ」
「好きに生きていいんだ。オノール」
フォコン先生とシエル先生の優しい瞳に心が揺れる。兄のような、あたたかい眼差し。ああ、大人ってずるい。
私が傷つかないよう慎重に言葉を選び、まるで赤子に語りかけるかのように柔らかい声を2人は発する。選択肢のなかった人生に、初めて選択肢を差し出されたような、そんな瞬間だった。
「なっ、おい!ちょ、まったく……」
「アハハ、泣かないでぇ?オノールさん」
「妹を泣かせるなって、また化けてでるぞ…アイツ」
「ごめんなさっ…。」
止めどない涙が溢れてくる、きっと、死を前にして涙腺が弱くなってしまったんだ。泣いてばかりで、いつか私の涙が枯れてしまわないか心配になってくる。それでも涙を止める余裕なんてなくて、言葉に言い表せられない、様々な感謝の感情が私に押し寄せる。私は今、護られているのだ。私には、信頼できる大人も、心友もいる。それがどれほど幸福な事か、それだけで今までの人生が報われる。
「……どうして2人は、私にここまでしてくれるんですか?」
「ノクスに、妹をよろしくって頼まれたからな」
「フォコも〜。だからぁ、今のオノールさんはフォコたちの生徒じゃなくて、可愛い後輩の愛しい妹ちゃんなの。」
「…兄が?」
「ああ。先日、ノクスが夢に出てきてな。キミに何も遺してやれなかったから、せめて頼れる大人がついていてほしい。そう言われたんだ。」
「フォコは、彼が突き落としたホープくんを助けた償い。シエルくんは、友達になれなかった償い。どうか君に返させてよ」
「_____お兄ちゃん…っ、ありがとぅ…。」
私の兄は、どこまでも優しい人だった。
死んでもなお、その優しさで私を包み込んでくれる。兄はもう私の神様ではないけれど、私の、私だけの、お兄ちゃんなんだ。
ーー○○○ーー
「俺たちはもう行くよ、遅い時間に悪かったな」
私の涙も落ちついた頃、シエル先生はフォコン先生の背を軽く叩く。
「フォコンに話をさせたかったのと、心配するなって言いに来ただけなんだ。」
「あとは自分でじっくり考えるといい」
「はい。お2人とも本当にありがとうございます」
そう言い残すと、2人は窓から飛び降りた。いや、大きな翼で舞い上がった。
「あの!フォコン先生…いや、カナリアサマ!!」
そんな2人を私はベッドから身を乗り出して呼び止める。最後にどうしても確認したい事があった。
「えぇ、、だからぁ、フォコはカナリアじゃないよぉ」
「え?でも父はカナリアサマって」
「……んん〜…」
カナリアサマは複雑そうな表情で眉を下げると、しょうがないなぁという風に語り出した
「フォコン・カナリア。たしかにこの名は俺様の本名だよ」
「ただ。俺様がオノール工房に弟子入りした時から、オレの名前はフォコン・カナールになったんだ。」
カナリアから、オノール工房に来て、カナールに。
「……もしかして、カナールって」
「初代が俺様を家族として受け入れてくれた。だから……オレも家族の一員としてカナールと名乗る。それだけだよ。だから、カナリア様はやめてくれ」
「カナール、サマ?」
「あはは!どうしてそんなに様付けにこだわるのさ?」
「フォコン。お前がさっきあんなにビビらせるからだろう」
「ええ!?そうだったのぉ?!ごめんごめんそんなつもりはなかったんだよぉ」
優しくて、不思議な吸血鬼、掴みどころのない人外。300年くらい生きていて、幼少期に本当の家族の元を離れたのだという。そんなフォコン先生が、オノール家を家族として認めていた事に、なんだか嬉しくなった。
「カナールさんは、オノール工房にどうなってほしいですか?」
フォコン先生じゃなくてカナールさんに。初代のメンバーであるカナールさんには、オノール工房の今後について聞いておきたいと思ったのだ。
「無理して続けないでほしい。」
「それだけですか?」
「……参ったな、、。……。オノール工房の、フォコン・カナールとして言うなら……。」
「もう、キミが終わらせてほしい。」
カナールさんはシエル先生を小脇に抱えながら、大きな翼をはためかせる。
今日はきっと、私にとって忘れられない夜になる。
「わかりました。」
力強く頷いた私に、カナールさんは眉を下げて微笑んだ。
「フォコでいいよ。呼び名。オノールさんは学園を卒業しちゃうでしょぉ?」
「呼び捨てですか?」
「家族だから」
「……フォコ、ありがとう」
「はぁ〜い。おやすみぃ」
「ゆっくり休めよ、オノール」
今度こそフォコはその大きな翼で飛び立つ。影はどんどん小さくなり、幻想的な夜空に変わっていった。
さあ、私のこれからの人生をどうしようか。
両親の話にどうやら信憑性はあるらしいが、両親と友好的な家族の縁を結ぶのは違う気がする。兄が残してくれたサポートもあって、縁を切っても生きてはいける。
ただ、このまま縁を切ってしまうと、オノール工房の件に関与出来なくなる恐れがある。このまま私が終わらせなければ、カナリアサマが語った生きし奴隷という被害は、ヴィールやホープ、シェーン。その子ども達にも及んでしまうかもしれない。
終わらない負の連鎖は、”オノール家全員”が望んでいないはずなのだ。
それなら、それならば…
両親の覚悟と、オノール工房、どちらも利用する。
ー○ー
翌日、私は「答えが出た」と両親を呼んだ。
両親は面会時間1番にやって来て、今度は素直に椅子へと座る。
「キミの、答えを聞くよ」
「はい。私は貴方達2人を一生許しません。」
「……。」
2人は息を飲む。
どれだけ2人がつらい思いをしてきたといっても、それが許す理由にはならない。真剣に私の事を思っての行動であり、選択なら、私の答えも受け入れるべきだ。
「私にとって貴方達の言葉は嘘でしかないんです。だから、昨日の話だってどれだけ真実であろうと、信じたくありません。」
「…数年前、貴方達に裏切られた時の私の気持ちがわかりますか?何度死のうと思ったかわかりますか?」
「……。」
当時の事を思い出し、胸が痛む。あの頃、ユリスがいなければ私はここにいなかった。
2人は苦しそうな、泣きそうな顔をする。
両親が私の事を愛したいと懇願した昨日を思い出す。泣きながら切に願う父の顔は、今まで見たこともない、人間の表情をしていた。
「なので……、貴方達自身の行動で、もう一度貴方達を信じさせてください。」
「え?」
「私もこのまま、一生疑心暗鬼は嫌なんです。私の人生や兄の事を思う度、昨日の話を疑い続けるのも苦です。それなら、ちゃんと真実を信じたい。受け止めたいんです。」
本当は、縁を切ったら楽なんだろう。捨てられるのだから、捨てればいい。そんな意見もあるかもしれない。私はこの状況において恵まれている。だけどこれは、私の人生だ。私が決めることに、他人にわざわざ説明するような理由はいらない。
「私達に、チャンスをくれるの?」
「はい。」
「ほっ、本当か!?本当にいいのか!」
「何もなしに信じることができないって、その、私達は何をすればいいの?」
母はガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。椅子はその勢いのまま床に転がった。私は2人を交互に見る。
「残りの人生全てをかけて、私を愛してください」
これが信じる条件。
我が子よりも大事なモノを持ちすぎた2人には、私と同じように全てを捨ててもらう。そして、これからも失い続けてもらう。それが出来ないのなら、全部信じられない。
私は聖母でも聖女でもない。
ただの22歳の人間だ。
「本当は私を愛していた、私をこれから愛したい。…なんて言うんですから、できますよね?」
2人の目を見て言い放つ。
けれどその2人の表情は、先程までの緊張した表情から変わり、安堵の顔を見せた
「…はは、よかった、これからは、キミを愛していいんだな」
「もちろん、もちろんよ。私達は貴方が1番大事なんだから」
「…今さら親ヅラしないでください。あくまで私は貴方達を許さないんですから。円満な親子には戻れませんよ。それに信じているわけでもありません。」
「ああ。わかっているよ、ありがとう。」
たしかに昨日、全てを失ったままでいいとは言っていたが、こんなにあっさりと了承するなんて思わなかった。事の重大さが伝わらなかったのだろうか。両親に対する疑いは止まらない。
「なら…オノール工房は貴方の代で終わりにしてください」
「わかった。そうしよう。」
「えっ」
「しかし、そうすると困ったな。父上と政府はどう言いくるめようか」
「工房で働く皆さんの転職先も宛てがわないといけませんね」
「い、いいんですか?今までの職人としての苦労が、無意味になるんですよ?」
「言ったじゃないか、余生全てをかけてキミを愛すると。愛する娘のお願い事だ、なんでもないさ」
父は心から安心した顔で、優しい笑顔を浮かべる。
本当に?本気で終わらせようと考えているのだろうか。また言葉だけなんじゃないか。何か私を陥れる計画を練っているんじゃないか。なにか、なにか、
「それじゃあ、あの工房と家諸共、燃やしてください」
私の大切な本を燃やしたように、兄から貰った宝物に火をつけたように。そうすればきっと、父にとっての手足はもがれたも同然だ。
「どこかの国には、火の煙とともにあの世へ送るという風習があるようです。あの工房や家に詰まった想いは全部、その持つべき人の所に帰ってもらいましょう…!」
「そしたら、工房はもうないんですから、原石は磨けませんよね?」
自分がとんでもない事を言っている自覚はあるが、未だに両親が信じられないのだ。仕方がない。確実な関係を得ないと。
「ははは!流石は小説家だ、発想が豊かで秀逸だな。そうしよう」
「そうですね、アナタが退院したら、ノクスやアルバの部屋も整理をして…」
「…………本気で、、燃やしてくれるの?」
「ああもちろんだ。なんでも言ってごらん。私達にキミの要望を叶えさせてくれ」
「ずっとずっと貴方のことを愛したかったの、貴方を失わないのなら、もう私達に怖いものなんてないわ?」
「………本当にオノール工房を終わらしてくれる?」
「もちろん。父上や政府の人間からどれだけ言われようが、私が責任を持っておしまいにするよ。」
「あのおじぃちゃんがヴィール達に酷いこととかしないかな?」
「それも大丈夫、心配しないで?何とかするわ」
「何とかって…、」
「キミの頼みだろう?全て叶えるよ」
活き活きとした両親の姿に、少しだけ圧倒された。
そんな私を差し置いて、2人は嬉しそうに今後の予定を立てている。こんなに幸せそうな2人を私は見たことがなかった。記憶の中の2人はいつも苦しそうで、怒ってて、悲しそうで、、寂しそうに笑っていて。
目の前で無邪気に笑う2人を見ると、今見ている光景を疑いたくないと思ってしまう。これが真実であってほしい。怖くて怖くてたまらないけど、信じたい。
お兄ちゃんが知ってほしいと言った理由が、ここにある。きっとお兄ちゃんは、2人を信じたから、私に頼んだんだ。でも私は怖いから。まだ…。まだ時間がかかってしまうかもだけど、いつかきっと
「それじゃぁさ」
「ん?なにかな?」
「アルバって呼んでよ。」
「…!」
「あと、パパ、ママって呼んでみたい」
「……っ。」
その瞬間、先程まで即答していた父や母は表情も変えずに黙り込む。少しいたたまれなくなって、私は言い訳のように場を繋げる
「お父さんとかお父様とか、父上とか、ちょっと、嫌なこと思い出してヤダ。パパ、ママって呼んだことないし。……まぁ、お父さんお母さんでも別に」
「もちろん、好きに呼んでくれ」
「アルバ、ノクス。私達の大切な子…」
すると母は私を優しく抱きしめる。大切そうに、まるで赤子に触れるかのようにやさしく、柔く、頭を撫でる。
「そうだアルバ、小説読んだよ。勝手に読んでしまってごめんな、でもすごく良かった。感動したよ、アルバのこれまでの苦労が、努力が詰まっていた。……良い作品だった」
私の頬にはいつの間にか、涙がつたっていた。
私にもいつか、この2人の子に生まれて良かった。なんて思える日がくるのだろうか
何年かかるかわからない、2人がその時に生きているかもわからない。けど、そう思えたらいいな…と今なら少し思う。
ふと、視線を感じて扉の方を母の肩越しに目をやる。
(あぁ……ありがとう)
腕を組んで壁にもたれ、優しい微笑みを浮かべた綺麗な人は、瞬き1つで消えてしまった
(…お兄ちゃん、無事に帰れたよ)
貴方の来世に、幸多からんことを
𓂃٭𓈒𓏸
柔らかな春香る風が吹き、ニュイは静かに病室を去っていった。