「ええっ」
と悲鳴にも似た声を上げたのは、今年十四になる娘だった。俺は咄嗟にどうしたのと反応してしまい、心底嫌そうな目線を向けられてしまった。娘は絶賛思春期なのだ。
「何って、もう、最悪なんだけど」
一応返事はしてくれた。最悪、ショック、と続ける娘が、溜息をついてスマホの画面を見せてくれる(レアケースだ)。
「好きなモデルの子に熱愛のニュース……」
画面上に表示されているのは、隠し撮りなのだろう、粗い白黒の写真だった。長身で整った顔立ちの青年と、華奢な女性が並んで写っている。二人とも笑顔だ。これが娘が好きなモデルかあとぼけっと眺めて、再び声を上げてしまった。
「え……!!?」
結構な大声だったので娘が迷惑そうに顔を顰め、非難するように何!? と苛立った声で言う。
「か、要ちゃん?」
娘のスマホを奪い取るように手に取り、写真を拡大してまじまじと眺めた。やっぱり要ちゃんだ……と言えば、娘がややヒステリックに、
「だから要ちゃんて誰!?」
と叫んでいる。
高里要は元女優だ。透明感があるのにどこか妖艶で、可愛くて、神秘的な彼女は当時売れっ子だった。が、その人気の絶頂で俳優の乍驍宗と結婚し(この結婚も当時はとんでもない大ニュースだった)、更にその数年後に引退してしまったのだ。
サクギョと要ちゃんが初めて共演した映画を観てから彼女のファンだった俺は密かに、というかかなりのショックを受けた。あの時会社を休んだ人も多かったな……としみじみと思い出し、Wiki◯diaの高里要のページが瞬く間に編集され本名:乍要、配偶者:乍驍宗と書き換えられたのを見て涙が込み上げた時の胸の痛みも鮮明に蘇ってしまった。
引退から数年、乍驍宗が妻が妊娠出産したと明かした時も妙にショックだった記憶がある。
よくよく見れば写真の青年は乍驍宗に瓜二つで、そういえば息子さんサクギョにそっくりだって聞いたことあるな……あの時のお子さんこんなに大きくなったんだな……要ちゃん昔のまま変わらず可愛いな……と様々な想いが心中を駆け巡り、娘にスマホをひったくられるまで、暫し感慨に耽っていた。
***
「そこに座りなさい」
何故説教モードなのだろうと思いながら、鴻基は父に示されたソファに腰を下ろした。向かいの席では父が厳しい顔で座り、その膝の上に母を抱き上げている。これは乍家では日常の風景なので、誰も何も突っ込んだりはしない。
「あの記事についてでしょう? イ◯スタに母ですってコメント出したし大丈夫だよ。正頼もそれで問題ないって」
広瀬さんが昔の写真データくれたから、母さんの自慢もしておいたよ、と鴻基は怯むことなく続けた。問題は憶測記事を書かれたことではないのである。自分の愛妻が息子の恋人ではないかと書かれたことに憤っている――というよりは混乱しているのだ。
「母さんと買い物に行っただけだし」
「それはそうだが」
「いつも行くスーパーの近所に母さんの好きなカフェがあるんだよ」
父さん知らないの? とわざと言えば、驍宗はあからさまにショックを受けた顔をした。
「そうなのか……?」
「最近のお気に入りです。ソイラテが美味しいんですよ」
と要はにこにこしている。記事が出た時も、鴻基と要は意表を突かれて二人で大笑いしたくらいだ。
「びっくりでしたけど、鴻基の恋人に間違われるほど若く見えたんですかね」
要が笑って夫を見ると、驍宗は真顔で要を見返し、愛おしそうにそっとその頬に触れた。
「要は出会った頃から変わらず可愛い」
「もう、いつもそう言うんですから……」
「本当だ。何よりも可愛く美しい」
こういった遣り取りを、この二人は一緒にいると四六時中している。母さんは本当に可愛いよ! と鴻基が混ざることもあるが、今は姿を消した方が良さそうだなと様子を見て、彼は立ち上がった。
「俺、飛燕の家に行く約束してるんだよね」
飛燕というのは幼馴染で、父の後輩に当たる俳優の霜元と女優の李斎の息子だ。年も近いので、それこそ生まれた時から家族ぐるみの付き合いがある。兄弟のような存在だった。今は同じ高校の先輩後輩でもある。
「あ、お土産を用意してあるから、持って行ってね。お夕飯は?」
要が見上げて来るのに、鴻基は頷き返した。
「今日は霜元さんが作ってくれるって言うから、食べて来る」
お互いに頻繁に行き来をしているので、どちらの家族も慣れたものだった。
玄関先のベルを押すと、すぐにインターフォン越しに慣れ親しんだ霜元の声が聞こえた。
『よく来たね、今開けるよ』
という声の後、少しして玄関のロックが開く。
「お邪魔しまーす」
と玄関に入ると、エプロン姿の霜元が出迎えてくれた。
「霜元さん、これ母からです」
「毎回悪いね。さ、上がって。李斎ももうすぐ帰ってくるし、飛燕は部屋にいるよ」
「ありがとうございます」
鴻基はにこりと笑い、勝手知ったる家とばかりに二階への階段を上がった。
「ひえーん、入るよー」
親しき中にも礼儀ありと一応ノックをして返事を待つと、どうぞ、と招かれた。部屋に入ると飛燕は机に向かっているところで、鴻基が中に入っても顔を上げない。
「また勉強してる。さすが医大志望はやる気が違うね」
そう軽口を叩くと溜息と共に飛燕が顔を上げて振り返った。
「まあ、もう二年だし勉強好きだからね。鴻基も一年では成績上位の癖に」
端正な飛燕の顔を眺め、鴻基は笑った。
「俺は要領が良いだけだから。まあ勉強は面白いけど」
飛燕はペンを下ろしてくるりと椅子を回転させ鴻基に向き合うと、スマホの画面を見せた。
「要さんと熱愛報道だって?」
と悪戯っぽく笑う。
「もうびっくりしたよ。父さんも何故か怒り出すし」
「そりゃ、驍宗さんは要さん命だし、面白くないんじゃない」
「でも母親との熱愛報道だよ? ちゃんと裏取りしてほしいよなあ」
「ま、要さん昔から変わらず綺麗だし、引退して長いからさ」
「それは同意する。母さん本当に可愛いから」
出たよマザコン、と再び飛燕が茶化す。鴻基は唇を尖らせた。確かにマザコンの自覚はあるし、父の影響か母を女神のように思っていることも事実だった。
「今日も追い出されたわけ?」
「追い出されてはないよ、元々来る予定だったし。まあ恒例のいちゃいちゃタイムが始まったから早めに出たけど」
「お前が一人っ子でいるのが謎だよ」
昔からだけど、という飛燕の声に、鴻基はラグの敷かれた床に座りながら、だよね!? と同調した。
「俺もほんとに不思議。十人くらい兄弟いてもおかしくない気がする」
十人は多いだろ、と冷静に返事をした飛燕に、鴻基は言葉を続けた。
「今からでも弟か妹生まれないかなー母さんに似たら絶対に天使みたいに可愛いと思うんだよね」
そう言う鴻基は乍驍宗のクローンと言われる程父親に瓜二つなのである。違うのは驍宗よりも軟派な雰囲気だろうか。
俺絶対良いお兄ちゃんになるのになあ、と鴻基は嬉しそうに話す。
「でもさ、母さんが俺を産む時初産ですごい大変だったらしいから、父さんが気にしてるんだよね」
「あー、それは驍宗さんも色々考えるだろうね。うちは逆に本当に初産かって驚かれるくらいすぽんと産まれたらしいけど」
続きはいつか生まれるはず