【TENET】My Gospel 思えば最初から予兆はあったのだ。
任務を完璧に遂行する能力だけではなく綱渡りもボート遊びも時には男の魅力を発揮することだって難なくこなす俺が、どういうわけかピッキングだけは得意ではないと言わざるを得ないことや、仕事中は酒ではなくダイエットコークを飲むと決めていること、どちらかと言えば紅茶よりコーヒーを好んでいることすら知っていた。
仲間の情報を待つ間、車内で資料に目を通しているとニールは運転席で眠りこけている。
これは職業柄だろうが、俺は他人がそばにいる時は相手が寝息を立て始めてからでないと眠らない。しばらく共に過ごす中でいつだって先に無防備な姿を俺に晒していた彼は、そのことも知っていたのではないかと今気づいた。
とにかく不思議な男だった。こちらが指示した内容を俺のイメージ通りにやってのけるので優秀であることは間違いないのだが、彼を形容するにはどうにもしっくりこない。
もっと正確な言葉があるはずだとその横顔を凝視するとフロントガラスから差し込んだ陽光が彼の睫毛を金色に染めていた。瞼の隙間から覗く青と緑と灰が混ざったような瞳の、その瞳孔までもが美しいと感じた。
「*****」
その呟きがなければあるいは、いや、その先は神のみぞ知るということにしておこう。
ニールは今、人名を呟いた。それが偶然、俺の一番最初の名であり、一番最初に捨てた名でもあった。
「誰と間違えている?」
僅かな動揺と懐かしさを、からかうような口調に隠す。ニールは瞬きをしてから「ああ、そうだった」と肩を竦めた。
「犬の名前だよ。昔、僕の前に突然現れて、その瞬間から親友になったんだ」
「犬が親友とは、寂しいやつだな」
「友人がいないやつに言われたくないね」
悔しいがこれは否定できない。仲間は大勢いるが確かに友人と呼べる相手はすぐには思い浮かばなかった。
降参を示すために小さくホールドアップをしてみせると、ニールは笑顔の種類を切り替えた。あ、と声が出そうになる。彼を形容する言葉が唐突に頭に浮かんだのだ。
「君にも近い将来、必ず親友ができるから安心しろよ」
「犬は飼わないぞ」
ニールの笑い声を聞きながら資料を封筒に仕舞いグローブボックスに押し込むと、シートに背中を預けて目を閉じた。
彼とは長い付き合いになるだろう。この時の俺は漠然とそのようなことだけを考えていた。
最初に感じた予兆のことや、彼の雇い主の正体、そして彼が歩んできた人生を知るのはもう少し後のことになる。