酩酊夜更け。
戦闘で酷使した腕をぐるぐると回しながら木製の扉を開ける。カランコロンと扉に付けられた鐘が鳴るとマスターが迎え入れる挨拶よりも前に店内の騒々しい声が届く。
「おや、珍しいもんだねぇ。一服盛ったのかい?」
「いやはやレディ、いかに悪の親玉とはいえ大切なお客様にそんなことはしませんよ」
Bar「蜘蛛の巣」にはジャズの流れる静かな時間。カウンターの隅、珍しく酔い潰れた男の背中を見つけて、ドレイクが眉をひそめる。久方ぶりに宝物庫を開けに行くというマスターに連れられてシュミレーターを駆け巡った後に一杯引っかけようと訪れてみたらそこには珍しい光景が広がっていた。
カウンター席で突っ伏せているバーソロミューに、ボックス席の荒れ様をみて何があったかを察する。大方、黒髭・アン・メアリーあたりがバーソロミューを潰しておいてとっとと帰ったのだろう。
グラスを拭くマスターは何を考えているか分からない笑みを深めながらバーソロミューの隣の空いている席へと案内する。
「はい、どうぞ」
ピンクの髪を揺らしながら席に着くとすっと店のコースターとウイスキーのロックが出てくる。グラスに浮く丸い氷がからからと揺れて、口をつければじんわりと疲れた体に染みわたる。
「これはどうしたんだい、珍しいね」
「さっきまで売り言葉に買い言葉で大変だったんだヨ。彼にしては珍しい飲み方をしていたね」
「そういいながら止めなかったんだろう? 楽しんだようでなにより」
「ンフフ」
おかわりを頼む前に新しいグラスでウイスキーが渡される。偶には店で飲むのも悪くない。
珍しく酒に潰れているバーソロミューをつつく。ドレイクをみれば挨拶の一つくらいは寄越す礼儀正しさを持ち合わせている男が一瞥もせず突っ伏している辺りよほどのことだと見える。
「……アンタが突っ伏してるなんて、嵐の前触れかね」
「んんぅ……」
「真っ赤じゃないか。あんた顔まで出るタイプだったかい?」
「…………ちょっと……飲み過ぎた」
「“ちょっと”って量じゃなさそうだけど。どうしてこうなったんだい」
すっかり結露で濡れたグラスをマスターが布巾で丁寧に拭う。すっかり氷で薄くなった酒を下げてチェイサーを置かれるとバーソロミューは静かに口にする。
ううん、と唸って眉間にしわを寄せたかと思うと再びカウンターへと突っ伏せる。頬とテーブルが磁石の様にくっついて離れない。
「言わないなら当てようか。……女」
「ちがう」
「男」
「……男、ではある」
ふん、とドレイクは鼻を鳴らす。どうやら答えが分かったようだ。興味深い話題に、ちっとも県t脳のつかないマスターがつい口を出す。
「赤髪の忍者クン」
「ちがう」
「あー、じゃあのメカクレの……高杉クンはどうだい?」
「彼は素晴らしいメカクレだ。ああ、そうだ、メカクレだよ、メカクレ……ふふ」
水の入ったグラスを傾けてふらつきながら起き上がる目元は赤く火照り、艶っぽい笑み。だけど語り口は酩酊と情熱がない交ぜの、熱弁の始まりだ。ドレイクがじっとりと口を挟んできたマスターをにらむ。苦虫を嚙み潰したような表情をしたころには遅かった。
「……ッハ! 大ッ正解! イエス、メカクレ! だけどな、そこからが違うんだ……! 好きなことには変わりない、変わりないが種類が違う。私の好きは……もっとこう……命懸けの、魂から湧き上がる、信仰に近い……そ、そう、神聖視!メカクレってのは……『隠す」という意志の結晶……! 何かを守ってる、何かを隠してる、それでも外には出たい、でも見せたくない……あのアンビバレンツが……!!』
「あんたの所為だよ、これどうすんの」
「いや~ 彼が珍しい飲み方するものだから、その原因が分かるなら面白いとおもったんだヨ。すまないね」
「あァ~~~……ダメなんだ……あの神秘的な秘匿性こそが美、“撫でたい”とか、“めくりたい”とか言い出す奴がいるが……あれは大罪だ……! お前は大聖堂に土足で上がるのか!? 他人の祈りを無断で覗くのか!? って話なんだが……わかるかい!?」
力説しながら空のグラスを振るが、もう中身はない。ドレイクが呆れ顔でウイスキーを煽るがバーソロミューは変わらず話を続ける
「触れず! 語らず! ただ黙って! “居てくれてありがとう”って……心で手を合わせるんだ……。イエスメカクレ!ノータッチ!! メカクレは神殿、私はただの巡礼者……! そういう気持ちで見守るのが……愛……っ!」
ドレイクは「またか」とため息をつく。饒舌に話すバーソロミューを尻目にグラスのウイスキーは減っていく。早口でまくし立てたかと思うと、バーソロミューは再びぐらりと揺れてカウンターに突っ伏す。頬は赤い。片目だけ覗くその横顔がなんだか妙に幸せそうだ。
「彼、いつもこんななの?」
「んん?ああ、そんなもんだよ。」
メカクレの愛を語り出すバーソロミューを尻目に慣れた様子で退けると話の続きを促す。
「で、誰なんだい」
ドレイクの一声にぴたりとメカクレへの愛を止めると沈黙ののち、小さな声で答える。
「……パーシヴァル」
しん、と空気が止まったような気がした。静かに、ドレイクの口元が弧を描く
「……ああ、あの騎士様ね」
バーソロミューがゆっくりと顔を上げ、薄笑いを浮かべる。どこか、寂しげで、幸せそうだった。
「夏風邪の様に質の悪い話だ。私は彼と偶然にも“友人”になれた。……それで、十分だった」
「……十分、ねぇ」
「よくよく考えてみれば私みたいな吹けば飛んでいくような弱い英霊が、あんな神代の物語に語り継がれる真っ白な騎士様の隣に並び立てるわけがないのさ。」
「ふぅん。海賊の名折れじゃないか。欲しいものは奪う、それがアタシらじゃないのかい?」
珍しく潰れる程飲んでいた理由がこれだったとは、とドレイクはため息をつく。他人事だからそう思うのだろうが、至極簡単な話だろうにこの男は何を考えているのかぐだぐだとくだをまいている。
「……優しい顔して、真っ直ぐで、誰にでも分け隔てなく接する、あの光を、私は遠くから眺めてるだけで……いい」
酒のせいか、いつもより饒舌だ。声が少し震えている。けれど、笑っている。
「片想いで終わるのがちょうどいい。名前を呼ばれるだけで、私は、ちょっと……満たされる。それで十分なんだ。バカみたいだろう?」
「……バカねぇ」
ドレイクはグラスを揺らしながら、横目でバーソロミューを見た。その顔には、少し呆れと、少し憐れみと、そして確かな愛しさがあった。
「……アンタ、自分がどれだけあの騎士に見られてるか、知らない?」
「は?」
ドレイクの目が優しく蕩ける。意味が分からない。そもそも、ドレイクとパーシヴァルに交流があったことも知らない。酔っぱらった頭では思考が回らない。
「パーシヴァルは、アンタの名前を呼ぶ時だけ、声が優しくなる。アンタに話しかける時だけ、ちょっと顔を向けすぎる。アンタが傷ついたら、全力で駆け寄るくせに、“平静”って顔をするのよ。あたしが女だから気づくのかもね、あの目は……完全に落ちてるよ」
ドレイクの声にバーソロミューは目を丸くする。が、すぐに笑って首を振る
「……それはうたかたの夢だ。仮に彼が私を見てくれてたとしても、それは……尊敬とか、信頼とか、そういう類のもので、私が欲しい宝じゃあない。だから、勘違いしてはいけないんだ」
バーソロミューの独白に、ドレイクがつまらなさそうに煙草をくゆらせて、煙を細く吐き出す。
マスターが奥から灰皿を取り出して、皿に灰が落ちていく。
「……ほんと、どうしてこうもバカなのかしら。どっちも」
「……“どっちも”? パーシヴァルも?」
「酔ってるからか?らしくないねぇ。なんでアタシがあの騎士様のこと知ってると思ってるんだい。あっちから来たんだよ」
「え……?」
「……報われる資格、あると思うけどね。あたしはさ」
バーソロミューはゆっくりと目を閉じ、カウンターに再び額をつける。ドレイクの言葉を反芻するに、バーソロミューのことを訪ねて海賊部屋にパーシヴァルがやってきた、ということになる。しかし相手はパーシヴァル、訪ねてきたというだけで勘違いはしてはいけない。清き愚か者と言われる彼の事だからきっと他意はないはずだ。
「……ありがとう。だけど……私は、今さら……夢を見て、壊れるのは、私が傷つきそうで怖いんだ」
「そんな臆病者に育てた覚えはないけどねぇ」
ドレイクが白煙を吐き出す。マスターが新たにロンググラスに丸い氷をいれるとなみなみに注がれた酒をバーソロミューの前に差し出す。それは空のような青い色をしていた。
「……じゃあ今夜くらいは、夢をどうぞ?ここはBar蜘蛛の巣。誰にも見つからない夜の、いい隠れ家だろう」
ウインクするマスターにけらけらと笑いかけて、ドレイクは静かに微笑み、煙草を消す。
「ほら、乾杯」
「…………乾杯」
ウイスキーのロックと空のオリジナルカクテルがチンと音を鳴らす。
店に流れるジャズが、静かに途切れた。