そう思った途端、もう何も手につかなくなった。それは、本当に、何気ない瞬間だった。
報告書を届けに管制室に行った先、大きな背中がみえる。
シオンに今日の周回結果を伝えてマリーンに得た素材を分配しながら、その背中の様子をチラ見する。マスターを待っている時間潰しなのか、珍しくスマホを操っていた。
こっそりと近づいて声をかけようとし、偶然にも画面に落ちた視線を拾ったのは、「ただの偶然」のはずだ。
【カップル キス いつ】
【キス タイミング】
「……。」
呼吸の仕方を、一瞬、忘れた。
気づかれぬよう笑ってそっと離れたものの、胸の奥で何かがぱちりと火を灯す。
ついこの前、かの騎士様に「お付き合いしてほしい」と言われ、うろたえながらも頷いた私だ。
だが……恋人、という言葉はまだふわふわと宙に浮かんでいて、現実味が薄かった。
それが、こんな検索を見せつけられたら……。
昼間の私は、もう駄目だった。
コントローラーを握れば操作を誤ってレーンの外側へ、ペンを持てば手元が滑るし、仲間に話しかけられても返事が上の空。
「バーソロミュー、今日はやけに静かね?」と食堂ではメイヴに肘でつつかれ、曖昧に笑って誤魔化す。
あの騎士殿が、私との“キスのタイミング”を考えている。ただその事実だけで、視界の端がやけに明るく見える。
夕刻、特別な用事もなく部屋に戻ろうかと廊下をふらついていたところで呼び止められた。
「……バーソロミュー! …今夜、時間はあるだろうか。」
振り返れば、夕陽を背に立つパーシヴァル。
声は穏やかなのに、どこか迷いを帯びている。
部屋に戻る廊下を並んで歩く間、会話はぎこちない。
私が緊張しているのか、彼が緊張しているのか。きっと、多分、両方だ。
自室前に着いたとき、パーシヴァルが足を止めた。周りに人がいないことを確認している。
「……今なら、いいかな」
小さく呟き、こちらを見上げる。
言葉の意味を理解するより早く、彼の手がそっと私の腕を取った。
そして、触れるだけの。
けれど確かに熱を帯びたキス。
短いのに、妙に長く感じるのは、心臓の音が耳に響くせいだろう。
唇が離れた瞬間、彼はほんの少し照れた笑みを見せた。
「……タイミング、間違ってなかったかな」
「……ああ、最高に……参ったよ」
笑おうとしても声が震える。胸の奥が甘く痺れて、世界が柔らかく溶けていく。
これが、“恋人”なんだな。