街の教会の子供、タツミは近くのお屋敷に非常に綺麗な青年が生活していると聞いて、好奇心から屋敷へ足を踏み入れる。初めは屋敷の庭だけ見たら帰ろうと思っていたのに、引っ越して来る前と変わらず屋敷が荒れていたので「本当にこの中に人が住んでいるのだろうか?」と気になって玄関のドアノブに手をかける。ドアには鍵がかかっておらず、重い音を立てて開いた。屋敷の中は全ての窓にカーテンがかかっていて薄暗く、内装は庭と同様荒れていて蜘蛛の巣や埃で充満していた。やはり空き家なのではないかと思って辺りを見回していると、埃が一様に積もった場所と床板が見える場所がまばらにあることに気づく。埃が積もっていない部分は、よく見ると地下に続く階段へと繋がっていた。
床の跡を辿って地下室へ入ると、真っ暗な部屋の隅に細長い木製の箱が置かれていた。その長さは幼いタツミの身長を優に超えていて、丁度大人一人が中に入れるほどの大きさだった。目を凝らして見るが、床の跡はこの箱を最後に途切れている。恐怖心は勿論あったが好奇心がそれを上回ってしまって、タツミは箱の上蓋をゆっくりと持ち上げる。
「綺麗……」
中にはしなやかな髪を肩まで伸ばした青年が横たわっていて、その顔は薄暗い中でも分かるほど完璧に整っていて人形のようだった。肌に触れるとひんやりと冷たい。もしかすると作りものなのではないか? そう思った瞬間、「うぅん……」と声がした。
「まだ眠いですぅ……ヒェッ!?」
青年は目を開けると、ガタガタッと音を立てて飛び退いた。蓋が大きな音を立てて床へ落ちる。埃が辺りに充満してタツミはけほ、と咳をした。
「に、人間……!!」
青年は両腕で顔を隠すようにして部屋の隅へと後ずさる。腕の隙間から見える表情は酷く怯えていた。
「ご、ごめんなさい! びっくりさせるつもりはなかったんです」
ぺこりと頭を下げ、青年に笑いかける。
「俺はタツミといいます。おにいさんのお名前は何ですか?」
それからタツミは頻繁に屋敷に通うようになる。青年はマヨイという名前だそうで、奥ゆかしい性格なのか毎日地下室に閉じこもってばかりだった。会話はタツミが話しかけるばかりだったし、近づくと家具の影に隠れてしまう有様だったが、青年はそれでも勝手に家に訪問してくるタツミを邪険に扱うことはなかった。タツミは屋敷で様々なことをした。日光が苦手だと言うので庭の雑草取りをしてあげたり、屋敷の掃除をしたり。それが終われば手先の器用なマヨイに無理言って工作を手伝ってもらったり、教会で起きた出来事を嬉しそうに報告したり。タツミが身につけている十字架や時折披露してくれる讃美歌の響きに怯えることはあったが、マヨイは自分に懐いてくれるタツミの純粋さに段々と絆されていったようで、タツミが屋敷に入ると暖かい紅茶を用意して待っていてくれるようになった。タツミの話を聞きたいと自分からお願いするようになり、それがどれほど他愛無い話であっても心底楽しそうに笑うのだった。——ただし、どれだけ親しくなってもタツミの「どうして昼はずっと屋敷に閉じこもっているんですか?」という問いには絶対に答えることはなかった。タツミの周りの人々は稀にしか姿を見せないマヨイのことを不審がっていて屋敷に通うことを禁止したが、タツミは「マヨイさんは良い人ですよ」と言って彼と会うのを止めなかった。
元々マヨイは青年の見た目のまま加齢しない違和感を誤魔化しきれなくなるため、二、三年ほど経ったら引っ越しをする予定だったのだが、タツミとの交流が楽しくて引っ越しをズルズルと先延ばしにしていった。
***
やがてタツミはマヨイの身長や人間だった頃の年齢を追い越して、立派な青年へ成長する。マヨイはタツミ以外の人間と顔を合わせることはごく稀だったが、それでも長年住んでいるとどうしても噂が立つ。「町はずれの古い屋敷に住んでいる青年は何年経っても姿が変わらないらしい。もしかすると最近世間を騒がせている吸血鬼なのではないか?」と。マヨイは殆ど血を飲まなくても生きていけるタイプの吸血鬼で、その食事も行き倒れた旅人や街の亡くなった人々から拝借していたため害はなかったのだが、人間たちにそれが分かるはずもない。ある日の昼間、街の住人たちは手近な武器と十字架を持ち、目を血走らせながらマヨイの屋敷へなだれ込む。
寝床の地下室から引きずり出されたマヨイは、髪を乱暴に掴まれて屋敷の玄関ホールに投げ出される。気づくと四方を十字架を手にした住人たちに取り囲まれていた。人を襲えば逃げられるかもしれないが、タツミの家族や隣人がいると思うとどうしても踏み出せない。少し経つと一人の人間が腕一本分ほどの大きな木の杭を運んできた。これを心臓に突き立てて公開処刑をするつもりなのだろう。マヨイは全身が粟立った。
突然玄関が激しく開け放たれる音がして、同時に「止めてください!」と声がする。タツミの声だ。彼は人々を掻き分け、マヨイを守るように立ち塞がる。「マヨイさんは人殺しなんてしません。現にこの街では殺人事件は起きていないではないですか」と必死で語りかけるが、興奮した群衆は聞く耳を持たない。怒声をあげながら杭を刺そうとする人々を「話せば分かります。落ち着いてください」と言いながら抑え込むタツミだが、不意にその動きが止まった。——ぽた、ぽた、と床に鮮血が滴り落ちる。見るとタツミの腹に杭が貫通していて、群衆の誰かが「この背教者めが!」と叫んでいるのが耳に入る。人間だった頃は遠い昔だが、この傷はどう見ても致命傷だ。血は止めどなく滴り続けてタツミの足元に血溜まりを作り、それと共にマヨイの頭が真っ白になっていく。「マヨイさん、逃げてください……」と掠れた声で呟くのを聞いたのと同時に、マヨイの理性が弾け飛んだ。
マヨイは真昼の森の中で日陰を探して走っていた。着ている衣服は返り血で赤黒く変色しており、肩にはぐったりとしたタツミを抱えている。先程屋敷から逃げる際に住人の血を飲んだため普段よりも力が出せている筈なのだが、それでも、襲いかかる日光がじわじわとマヨイの身体を侵食していた。水場の近くに丁度良い洞窟があるのを見つけ、その中に逃げ込む。タツミを地面にそっと寝かせると、彼の目蓋が薄く開く。
「タツミさん!」
マヨイの目からはぼろぼろと涙が流れ落ち、タツミの服を濡らす。
「俺の、血……、のんで、ください……」
タツミは力の入らない手でマヨイの頬を指し示す。触ると皮膚にあたる部分がボロッと崩れ落ち、細かな灰になって空中へ霧散していった。吸血鬼にとって日光は天敵だ。ここに逃げ込むまでにかなり長い間日の光を浴びていたのだから、こうなることは分かっていた。今更日陰に逃げ込んだところで灰化は止められず、このままだと遅かれ早かれ身体の全てが灰になって消えてしまうだろう。
「……私が人間じゃないって、いつから気づいていたんですか……?」
タツミはにこりと笑みを浮かべるだけで、それには答えなかった。
「俺は、もう、助かりません……。マヨイ……さん、……だけでも……」
タツミの声が徐々に細くなっていく。そんなことありません、と必死に語りかけるが、もう数分と持たないことはマヨイも分かっていた。それと同時にマヨイの全身もぼろぼろと灰になって崩れていく。
「おねがいです……マヨイさん……」
マヨイは涙を零しながらしきりに首を振っていたが、一つ大きく深呼吸をすると、意を決したように首元へ顔を近づけた。
「すみません」
そう呟くと、ゆっくり浅い呼吸をするタツミの頸に牙を突き立てる。
「……っ、、手を……にぎっ、て……」
声は最早、掠れて殆ど聞き取れない。マヨイはタツミの手を必死に掴もうとするが指が殆ど崩れていて上手く握れず、両の手のひらで力一杯包み込んだ。次第にタツミの手の力が抜けていき、やがて地面にドサッと落ちた。
***
タツミはぱちりと目蓋を開く。ここは狭い一室のようで、灯りが灯っておらず真っ暗だ。それなのに、何故か部屋の様子が壁紙の継ぎ目まではっきりと視認できる。鉛のように重い四肢を動かして起き上がると、どうやら木製の箱に寝かされていたことが分かった。——この木箱には見覚えがある。確か、小さい頃に近所の屋敷に忍び込んだ時、その地下に置いてあった箱が丁度このような形だったような——。
「…………マヨイさん?」
ドアが突然バタンと開かれる。
「タツミさぁん!!」
部屋に入ってきた人影はこちらへ駆け寄ってきて、そのままタツミの身体を力の限り抱きしめた。頭が混乱して何が何だか分からない。
「うぅ……。このままずっと目を覚まさないんじゃないかと思いましたぁ……」
「……これは……どういうことですか?」
マヨイはぼろぼろと涙を零しながら訥々と言葉を紡ぐ。これまでに自分たちの身に起こったこと。吸血鬼は血を吸った人間に自分の血を分け与えることで仲間を作ることが可能なこと。ただし全員が吸血鬼になれる訳ではなくて、その殆どがそのまま死亡してしまうこと。もしタツミがこのまま目を覚まさずに死んでしまったら、自分も後追いしようと考えていたこと——。
「まだ理解が追いついていませんが、後追いは止めていただきたいですな……」
眉間を寄せると、マヨイは「すみません、すみません」と頭を下げる。
「勝手にこんな怪物の身体にしてしまってすみません……。でも、タツミさんが死んでしまうのがどうしても耐えられなくて……」
「いえいえ。俺もマヨイさんとまたお会いできて嬉しいですし、どちらにせよ神のご意思に背いてしまったことには変わりありませんから。どうせ地獄に行くのなら——マヨイさん、君と一緒に落ちましょう」
※読まなくていい世界観の話
・マヨイが人間だった頃は特殊な家系の跡継ぎで、その後自分以外の人は全員死んでしまい全財産を受け継いだ。家を借りるお金やその他諸々の費用はその貯蓄から切り崩している。
・巽が吸血鬼になった後、巽とマヨイは神父とその付き人を名乗って街を転々とするようになる。巽は血をたくさん飲まないと生きていけないタイプで、その代わり昼でも外を出歩けたため、神父のふりをして葬儀を手伝いこっそりと血を頂くことで生活している。お腹が空くと理性がなくなってしまうので、気晴らしにでもとマヨイの首元を噛ませてもらっている。
・アルカ年下組はこの半世紀後くらいに仲間になってアルカ4人で仲良し擬似家族になる。
・ヴァンパイアハンターのクレビがいて、アルカと素性を明かしていない時に偶然出会って仲良くなる。その後正体がばれて戦うことになってもいいし、別の悪い吸血鬼相手に共闘してもいい。