未定それからというもの、軍の動きは速かった。北壁近くに存在していた村を残さず潰していった、民は逃げ、惑い、一人二人と殺されていく。死体はゴミのように集められ、袋に詰められる。解体され、また市場で売られるのだろう。
同胞たちを出しながら、他の廃棄物と同じように民を殺すが、土方の心はどこまでも凪いでいた。自分に関わりのないどうでもいい人間達、男も女も子供も老人も、切って捨てても何も感じなかった。
脳裏をよぎる紅い羽織がはためく度に、呼び起こされた楽しさが、更に土方を陰鬱な気持ちにさせるのだった。
侵略を繰り返す日々が五日を過ぎた頃、土方は廃棄物の陣を抜け出した。
繋いでいた馬の手綱を握り、何処へ行くでもなく走る。夜風が涼しく、自陣が遠くへなっていくのに躊躇いはなかった。
笑いだしたいような気分の中、林の中にひとつの廃屋を見つける。最近まで使われていたようなそこは、方角から見ると陣を構えている場所から直線的に繋がる場所だった。
恐らく、中の住人は逃げ出したのだろうと土方は適当に当たりをつけて、今夜の居場所を此処に決めた。ガラリと戸を開ければ、中にちらちらと燃える火が見える。
無人の家に火はつかない。
己の勘が外れたか、と思ったが、火に当たっている横顔を見てハッとする。
あの男だ、あの、島津豊久の横顔に間違いない。
会えば首のかきあいが始まる、そっと刀に手をかけながら「島津…」とその名を口にした。
「おん?」
土方が急に入っていったのに、豊久は驚きの声一つも上げなかった。静寂が二人を包む。どうしてお前がここにいるんだ、と投げようとした問いは豊久によって答えを得た。
「目が冴えっしもて、わっぜかじゃねが眠れん。そんままで居るんも気が散る、じゃっで散歩じゃ」
散歩でこんなところまで来る馬鹿がいるか。土方とて結構な距離を移動したが、それは馬の足を使っての話だ。ここからオルテまでどれくらいあると思っているんだこの男は。
「そげん所に居らんでこっち来い、扉開けちょったら寒か」
装備を外した手がちょいちょい、と手招きをする。それに誘われるように、何故か素直に扉を閉めて側へ寄った。
ぱち、ぱち、と微かに木が燃える音がする。目を向けると、ゆらゆらとした火が空気を舐めている。一瞬呆けていれば、豊久が土方に声をかけた。
「お前はどげんした」
「……」
「俺と同じで抜け出したか」
「……手前と一緒にすんな」
「はん、同じじゃろ」
豊久はそう笑いながら、小枝をパキリと折って火に放った。小さな小枝は瞬時に黒焦げになる、炭になりみるみる細くなる様を見て、この侵略でジャンヌが民を焼いている所を思い出した。
『あの男にジャンヌは一度敗北しているが、今度相見えたらどうなるでしょうね』
ぼんやりとした脳に、ラスプーチンの声が響く。揶揄するような発言に、再び頭がぐらついた。
「ぬくいな」
隣に座っている男の声が一瞬で頭を現実に引き戻した。微笑んでいる男はこちらを眺めている。床についていた手を取られ、重ねられ、一言「主ゃあ、いつでん冷たか」と告げたあと、するすると手袋を抜かれる。
肌が顕になっていき、土方の青白い爪の先が見える。抜き去ったものをそばに置いて、男は唇を一つ、そこに落としていった。
「……」
力の入らない手を男は頬に持っていく。犬のように擦り寄せられ、鼻筋が指の間に挟まった。掌に唇が当たっている。
「こげな冷えちょって」
「……寒い事は慣れてる」
短く皮膚を吸われる音が鳴る。擽ったさに指先を曲げていると、手首の脈の辺りを一層強く吸われ、ちょうど袖に隠れる場所に紅い鬱血痕が咲いた。
嗚呼、この男に攫われてしまう。ただあの荒んだ北壁から抜け出してきただけなのに。
武骨な手がゆっくりと己の服を解いていく様に焦る心とは裏腹に、大した抵抗をすることができなかった。
後頭部を支えられて横にされれば、窓の硝子から欠けた月がこちらを覗いていた。