【刀×医パロ(🍯🌰)】㉓納刀SCUの夜勤帯が終わる時間になり、日中のコアメンバーへの申し送りを済ませ、シャワーを浴びに行く。
一昨夜は当直、今朝まで夜勤、半日休んでオペ、明日がやっとオフ。よくあることだ。外勤と重なったり会議とぶつかったりして休まず眠れず勤務が続くこともある。
着替えるついでにシャワーを浴び、ロッカー室へ戻る頃に日勤の病棟メンバーに合う。
貞宗の姿を見かけたので声をかけた。
「貞、午前どこだ」
「伽羅!おはよ!今日は普通に病棟にいるぜ!午後、中央手術室だよな?」
「11時にピッチ鳴らして起こせ。当直室で寝る」
私服に着替えているので手にぶら下げたPHSを見せると、貞宗の元気な快諾が返ってきた。
「今度プリンくれよー!」
医局に立ち寄り、冷蔵庫に入れておいたフルーツサンドを袋ごと引っ張りだして当直室に向かう。
部屋に入ると、身支度を整えた光忠が申し送りの電話をしているところだった。黙ってソファに座り、袋の擦れる音に気をつけながら、持ってきたサンドイッチを開けて食べ始める。
「伽羅ちゃんも終わったんだね。それ朝ごはん?お茶とか持ってきてないの?」
「…ない」
光忠がギャーギャーと怒って部屋を出ていく。すぐに同じフロアにある自販機から買ってきたであろうホットのほうじ茶を持って戻ってきた。
「水分ちゃんと摂って!体冷やさないようにもね!伽羅ちゃん、僕がいなくてもちゃんとしなくちゃだめだよ」
あんたに世話を焼かれたいから何もしないんだ、俺は。
口を動かしたまま黙って受け取ると、光忠がソファの隣に座って頭をくしゃくしゃにした。少し眠気があるせいか、一気に力が抜けてその手に委ねてしまう。
「もしかして、患者さん、ステった…?」
「…ん」
くしゃくしゃの下で顔が見えないまま相槌を打つ。光忠が頭を引き寄せて肩に乗せ、俺の背中をさする。
「うん、うん。最近あまりなかったもんね。伽羅ちゃんも患者さんも頑張ったよ。お疲れ様」
背中から伝わる温もりが心地よくて、自然に目を瞑る。このままだと寝そうだったので、光忠の肩に置かれた額をぐりぐり押し付けて起き上がった。顔を上げて目が合う。光忠の目も少し疲れているが、穏やかだ。
「そういえば、加州くんのメッセージはちゃんと既読にしたのかい?」
優しい手の中で気が緩んでいたところにその名前を聞いてうんざりした。
「…した。すぐまた来た」
「あはは、加州くんは伽羅ちゃんのこと心配なんだよ。たまにはお返事してあげたらいいのに」
俺の仏頂面に光忠がまた笑う。最後にぽんぽんと軽く頭を叩いて、先におうちに帰るね、と言い光忠が立ち上がった。
「伽羅ちゃんはここで寝るの?」
「ん」
当直室はこのフロアに並びで何室かある。ここが一番広いが、他の部屋は空室で新しいシーツも敷いてあるので、俺がここに来る理由は光忠が寝た後の布団が欲しいから以外にない。
「ふふ、かわいい。昨日の約束、忘れないでね。午後までに連絡入れておくから」
光忠の笑顔はいつもと同じで和やかだ。俺はサンドイッチを食べ終わった口をティッシュで拭きながら、澄んだ琥珀の眼をじっと見る。
「光忠」
「なあに」
「別に気が変わってもいい」
ティッシュを屑籠に捨てる動作と一緒に目を逸らした。
「今日も、あんたといつもみたいに夕餉が食べたい。それだけだ」
再び顔を上げると、その眼は先ほどの静かな姿から一変させてぎらぎらと滾っている。何か言いたそうな光忠が、いいよ、晩ご飯も一緒に食べよう、とだけ返事すると、サイドテーブルに鍵を置く動作を俺に分かるようにやって、当直室を出た。
俺はベッドの上に移動して寝転がる。携帯のロックを解除した最初の画面が、清光から来たメッセージのアプリになったままだ。履歴は数日前のビデオチャットのあとから怒涛の更新頻度で遷移している。
『おおばかくりから』
『なんで勝手に切るんだよ』
『おーい』
『へーんーじー』
『俺の話ちゃんと聞いてた?』
『今更奥さんから逃げてもお前なんにもなんないからね』
『燭台切さんの親にも会ったんだろ?』
『プロポーズも次があるから今まで付き合ってるにきまってんじゃん』
『なんか思い出した?』
『っていうか返事』
『せめてきーどーくー』
……
『おい、うらぎりもの』
『俺知らなかったんだけど』
『奥さんに指輪贈った話しろ』
『5年の時ってだいぶ昔じゃん』
『何があった』
『おーい』
『あ、既読!返事!くれ!』
『おーい』
『もーほんとうっざ』
『いい加減にしろをそっくりそのまま返す』
……
俺は睡魔で時たま途切れ途切れになる視界を無理やりこじ開けて、文字の入力バーのところをタップし、テキストをスワイプして入れていく。
『終わった』
『あ!きた大俱利伽羅!なに!終わったって何?』
『話し終わった』
『えっどういうこと?状況まったくわかんないだろそれ。説明してよ』
『明日また話す』
『ええええ!!!!そんな生殺しある!?!?』
『午後オペ もうねる』
『くっそーお前それで終わりかよ、もうほんっとゆるさないからな!』
アプリを閉じて画面をロックした後も何度も通知音が聞こえたが無視した。
頭まで布団を被り、足を畳み胸の前に腕を折って組み、目を閉じる。
昔は自分の父親が残影のようにまとわりついて、それを振り払うことばかりが走り続ける目的だった。
ある日を境に、それが触れられる実体となってからも、ならば俺はその男を追いかけるべきなのか、光忠の父のような人になれるのか、光忠には追いつけるのか、どれも遠く途方のない気がしていてずっと苦しい。
俺は何ならできるのかと、どう成し得れば立派な医者になれるのかと、絶えず苦悩しても答えは見つからない。
昨日、折り紙の指輪を渡した時の光忠は、吹っ切れたように晴れやかな顔をしていた。きっとあいつは“立派”になったんだろうな。
立派じゃない俺は釣り合わない。光忠には足りない。
だけど、どうしても離れるための力が湧かない。一緒にいる時間と気持ちがあまりに多過ぎて、どうか捨てないで縋ることばかり考える。
次に意識が戻ったのはもうPHSの単調な着信音が鳴ったのに気づいた時だ。
一瞬で覚醒して反射的に通話ボタンを押す。貞宗が電話口で、朝だよー!起きろ起きろー!と期待通りの目覚ましをしてくれる。
「起きた」
「おー、おはよう伽羅!顔洗って出て来いよ!俺今なら飯行けるぞ」
返事をしてすぐ通話を終え、来た時の所持品を持ってすぐに部屋を出る。ロッカー室でまた洗濯済みのスクラブに着替えて、ナースステーションのクラークに当直室の鍵を営繕に戻すように依頼し、エレベーターで食堂に上がる。
先に着いて列に並んでいた貞宗に、窓際の席をとったと指さされる。場所を確認してトレーを持ち、給仕の順番を待った。
定食を持って貞宗の向かいに腰掛けると、貞宗が嬉しそうに話し始めた。
「今朝の目覚ましのお礼、プリンって言ったけどもう要らねえよ」
「どういうことだ」
「さっき明けのみっちゃんに会って、千疋屋のゼリー4つもくれたんだよー!だから伽羅は免除な!」
「エントの礼か」
光忠は退院患者の家族から贈り物をもらうことが多い。本来は固辞するものだが、ベッドに置き去りにされたり宅配で送られたりして受け取ってしまって、無碍に処分することができず寄贈品と同じように美味しくいただくこともある。
「内科はエントがデフォみたいなとこあるからなー。
なあ伽羅、お前がやってる事は人の命を救うことだぞ。患者がステったからって、伽羅が命を奪ったわけじゃない。お前は神の手って言われてもおかしくない仕事してるぜ。その両手が沢山の人の命と健康を救っているんだ。分かるだろ」
「そんなご大層なことはできていない」
「伽羅」
俺は定食の米を中ほどまで食べたが、腹に収まらないので残しておかずにだけ手をつける。
「食ったら働け、太鼓鐘貞宗」
「わーったよ!…今日の、ICU入ったら連絡しろよ」
頷いて、貞宗の完食を待たずに席を立つ。
オペ中の記憶はあまりない。いつも、それ用に用意された思考と肉体が、俯瞰して見ている本体の下で働いているようだ。その本体も傍観しているだけで指示したり思案したりすることはできない。
手術と処置は順調に終了した。切開後の不測の腫瘍や血管の損傷もなかった。
オペ看の作業が落ち着くのを見守り、患者がICUに移るのを確認すると、お疲れ様でした、と声をかけ、清潔野に戻る作業をする。
術着を脱いでスクラブに着替えながら、貞宗に電話をしてICUに行くことを告げる。ロッカーのドアを閉めたところで長谷部に会った。
「大倶利伽羅、今いいか」
なんだ、と言いかけて、昨晩の光忠に言われたことをぼんやりと思い出した。
「ICUに寄ったら上がる」
「急ぎか」
長谷部が引き留めようとするので、居直って
「光忠にあんたを振り切ってさっさと帰れと言われている。無視してあんたの話を聞くべきか、指示してくれ」
と告げた。
「理由は」
「…聞いていない」
長谷部は重い溜息をついて、行け、と手を振った。
光忠のことが苦手すぎるだろ、長谷部。
同期のふたりがどういう関係でお互いに接しているのか、未だに分からない。光忠から聞くと仲の良い友人みたいに受け取れるが、長谷部は光忠に敵うことがない。恐怖なのではとさえ思える。
歩きながら、ズボンのポケットに入れて持ち歩いていた携帯の画面を点けた。
渋滞している清光からの通知を掻き分け、光忠のLINEを見つける。
着替えたら、屋上に来て。
屋上はヘリポートになっており、災害対策ワーキングや病院の外部立入などの保守、監査くらいしか実際に出たことがなかった。そもそも普段は施錠されているはずだ。
最上階までエレベーターで行って、スタッフ通路を通り、裏の非常階段に続く鉄の扉を開ける。それがすぐ閉まったバタンという反響音と、自分の足音だけがこだました。
踊り場で残り半分を折り返すと、最上段の先に光忠の姿が見える。
「伽羅ちゃん」
「…待たせた」
光忠は以前一緒に買いに行った時のスーツを着ていた。長身が活きる一張羅だ。この眩しいくらいの伊達男は昨晩の思惑の通りにここで一興するつもりなのか。
光忠がポケットから鍵を取り出して屋上の扉を開けた。想像通りの強風だ。季節風か、周りのビル風かもしれない。
俺の手を取り、ヘリポートのHの印が描かれているところまで歩いていく。
「すごい風!だけど天気もいいね!」
光忠が風に負けないように笑顔で叫ぶ。
Hの横軸の中央まできた。光忠が俺の両手を取り、片膝をついて跪く。
「みつ、おい…」
「大倶利伽羅広光さん」
光忠はもう叫んでいなかった。この風の中でも、何を言っているか全て聞き取れた。
掌の中から指輪が出てきて、光忠の指が俺の左手の薬指にそれをゆっくり通していく。
銀色の線形に膨らんだ輪の胴の部分に、斜行した模様が入っている。自分の腕の龍にも少し似ている気がした。
まっすぐ見上げた笑顔が俺を捉える。光忠の眼は光が反射してきらっと弧を描いて、幸せで溢れていた。
「どうか僕と、結婚してください」
〈了〉