凪砂とあんず
変わったクリスマスをしようと言ったのは凪砂の提案であった。
クリスマスパーティーは事務所のアイドル達でやったが、二人っきりのクリスマスは特別で変わったことをしたいらしい。
昔は閉鎖的な環境下に置かれ、特定以外の交流はぎこちないものだったが、今は交流するのが楽しいと思うくらいに毎日が充実しているようだ。
クリスマスのこの時期。勿論凪砂もアイドルで他のパーティーに呼ばれただろうが、恋人のあんずともパーティーをしたいとのことで、キッチンには材料の数々。
薄力粉にスライスアーモンド。バターに牛乳に卵。
そしてこのキッチンに先程から漂うチョコレートの香り。
クリスマスを越えたら、年越しに節分、そしてバレンタイン……。
イベントがずらりと目白押しなので、クリスマスと飛んでバレンタインのお祝いをする変わったパーティーである。
凪砂はアイドルであんずはプロデューサー。二人の仕事は繋がっているが、いつ二人っきりの時間を作れるとは限らない。
そこでオフが重なったこの日に決行しようと二人でせっせと料理を作っている。
クリスマスの料理は勿論のことケーキはチョコレートにしてチョコ菓子も追加する。もうすぐでオーブンの中のブラウニーが焼けそうである。
あんずはボウルの中のチョコのスポンジを作ろうと、泡立て器で一生懸命にかき混ぜている。隣に凪砂の小さな笑いで空気を揺らした。
「どうかしたんですか?」
「ああ、ごめんね。なんだか楽しくって」
整った顔が柔らかく笑っている。それすら優美であんずは胸がきゅうと締め付けられた思いだ。
こんな綺麗な人が隣にいることが今でも信じられない。付き合って同棲もしている。
『これからもずっと一緒にいて欲しい。私と愛を育んで欲しい』と凪砂の言葉から始まった恋愛。あんず自身、不相応だと思ってた(今でも時々思うことはある)のにひたむきで諦めない様にあんずは折れたのだった。
綺麗な顔に想像がつかない可愛らしい一面の彼の魅力のひとつだ。
凪砂の好物のチョコレート菓子をテーブルに並べて、喜ぶ顔が目に浮かぶ。
思わずふふっと笑みを零してしまった。
「どうしたの?」
「ふふ、ごめんなさい。なんだか、楽しくって」
「あんずさんが楽しいのなら私は嬉しいよ」
凪砂もボウルで溶かしたチョコレートをかき混ぜていく。滑らかで美味しそうだ。
あんずもメレンゲを少しずつボウルに垂らし、スポンジを完成させていく。焼いた時に膨らみますようにと生地に願いを込めて。
黙々と料理をしていて暫くあんずはふと凪砂を見るとあることに気付く。夢中できっと気付かなかったんだろう。頬にチョコがついていたことに。
「凪砂さん、ついてますよ」
え?と凪砂がこちらへ振り向いた瞬間手を伸ばしてあんずの指がチョコを掬っていく。
そしてそれを自らの口に運んでいく。甘い甘いミルクチョコレートの味。
「ついてたんだ…有難う」
凪砂は抑揚なく言うと、あんずの頬に顔を近付けていく。
「凪砂さん…?」
返事もなく静まり返ったキッチンに響くのは、小さなリップ音。キスされたことに理解をして、体が固まってしまう。
「ごめんね、あんずさんの頬にチョコがついてたんだ。美味しかったよ」
ニ コニコと満悦に笑う凪砂にあんずは顔を真っ赤にしたまま「もう…」と何処か拗ねたような声がキッチンに落ちていった。
頬にチョコがついていたかどうかは凪砂のみぞ知る。
茨とあんず
クリスマスだからと言って恋人と過ごすきまりはない。時間が経つにつれて、キリストの誕生日の筈が何故かパーティーをしようだとか家族や恋人と過ごそうというのが恒例になってしまった。
ESも年末に向けて色々と奔走してるスタッフもいれば、中にはクリスマスで浮かれているスタッフもいる。
全く。大きな仕事が舞い込んでいるというのに呑気なものだなと大きな溜め息をつく。
……人のことも言えないか。
クリスマスの夕方。事の発端はコズプロのスタッフに帰らされてしまったことだ。
『副所長、何日も帰ってませんよね?奥さんも家で待ってるんじゃないですか?今日はクリスマスですし』
丁寧で気遣いながらも上司想いの部下であるが、融通が聞かないのが玉に瑕だ。
そんなことを言われて半ば無理矢理帰されてしまい、終電ギリギリの時間帯に帰るか本日もESで寝泊りと意気込んでいた気力は霧散し、途方にくれている。
何気なく歩いていた街中でチキンの香ばしい匂いや屋台の甘い匂いに誘われながらも、茨の手に握りしめたのはひとつの袋だった。
中には僅かだが重量感がある箱。さほど珍しくないもケーキだが、クリスマスという今日の日に特別感はある。
買う前から列を成していたからクリスマス効果とあれどきっと美味しいものなのだろう。
帰り道、スタッフが言ってた奥さんの顔を思い浮かべる。もう結婚をして数年か。
茨はアイドルだけなくプロデューサー業も営んでいたため同じプロデューサー業の妻には学生時代からの面識があった。
色々とあったが、紆余曲折を経て結婚に至る。思えば利害の一致で結婚したようなものなのかもしれない。
かと言って全くそういう感情がないって訳でない。お互い多忙の身であり、時間が取れなかっただけのこと。
クリスマスは毎年忙しくて今日も遅いか帰れないという連絡済みなのにいざ帰るとなると何か気まずい。
だがやることもない。ここでESに戻ったらまた追い返されてしまうだろう。
妻…あんずは確か珍しいことに非番だ。
「ただいま戻りました」
マ ンションの部屋のドアを開けた瞬間パタパタと忙しない音を聞く。目の前にはエプロン姿のあんず。
急遽帰ることになったと連絡してない(というより忘れていた)から驚いた顔をしている。
「茨くん、今日帰りが遅いって言ってたのに」
「いやぁ…その、暫く家に帰ってないことを指摘されまして…」
ぽかんと間の抜けた顔をしている妻の顔を見つつ、ぽりぽりと照れ臭そうに目を逸らす茨は思い出したかのように袋を差し出す。
「…あ、ケーキ買ってきました。今日クリスマスですし」
「クリスマスだから買ってきてくれたの?」
「まぁ、郷に入っては郷に従えっていうでしょう」
別にクリスマスだから浮かれて買った訳でもない。一応最愛の妻が待っているんだからこれくらいは、と思う。
袋を受け取らずあんずは笑みを零した。
「…なんですか」
「ううん。有難う茨くん」
ニコニコと笑う彼女の顔はなんだか意味を含んでるようで釈然としない。
「そんなところに立ってたら寒いでしょ?早く上がってよ。ポトフも作ってるからケーキと一緒に食べよう」
あんずは促して踵を返すとリビングへと歩き出していく。
茨は荷物を置きながらコートのハンガーをかけながら思う。
たまにこういうクリスマスも悪くないかもしれない。
日和とあんず
クリスマス。それはアイドルにだって忙しい時期でもある。年末年始の特番だったり歌番組だったりとよく写っているアイドル程何処のテレビ局だって引っ張りだこである。
その巴日和にも例に漏れず。寧ろ知らない人いないというくらい有名なのだから無理もない。
一応連絡は取り合っているのだが、今日はなかなか反応がない。
それは仕事をやっているのだという証拠…だと思っている。
日和と恋仲になって、同棲を始め、かと言って甘い時間が増えるかと言えばそうともいい切れない訳で。
年末年始のように忙しくて会えないこともあれば偶然に時間を共有することだってある。
午後の二十二時を回っている頃。テーブルには手つかずの料理が並べられていた。
チキンにサラダにケーキ。日和の好物のキッシュだってある。
今日はクリスマスだしと買い物に出かけて、ついつい買い過ぎたり腕を奮ってしまったのもあって、ズラリと並んでいた。
来ないもの解っていて、もしかして早く帰って来るかもしれないということを願って。
もうクリスマスは終わるというのに。
時計の針の音が無常に時を刻んでいく。一刻一刻と聖夜の終わりを告げていた。
ちらりとあんずはリビングの出入口を見た。その先には玄関で日和が元気良くただいまと言ってくるのを。
でも、そんな気配なんて全くなくて。
待っている間に時間は過ぎていくとなんだか眠くなってしまった。
微睡んでればソファーのクッションの居心地の良さが強く感じる。眠ってはいけないと解っているのに、眠気は意思に反していく。そのせいか瞼が重くなった。
うとうと。うとうと。
微睡んで落ちていく。そして意識を手放した。
………ん……ず……あんずちゃん………!!
何か呼び止められた気がして一気に瞼を持ち上げる。
覚醒しつつある意識は、滲んでた視界が明瞭になっていく。未だぼんやりとしているが、気が付いたら寝てしまったのだと気付く。
「あんずちゃん、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうね!」
よく通る声だ。勿論、誰かなんて知っている。
くったりとソファーに体を預けて座っていたあんずの隣に、日和が腰掛けていた。
若草のウェーブかかった髪。紫水晶の綺麗な瞳。
中性的で眉目秀麗な顔立ちなのに、拗ねているような顔は子供っぽい。
「日和さん…」
「もう、あんずちゃんはうっかりさんだね…大事な彼女に何かあったらぼくは心配で寝れなくなっちゃうね!」
声を張って怒った様子でも日和はあんずをそっと抱き寄せた。
「でも、待ちくたびれてこんなところで寝かせたぼくにも責任があるね…いい子に待っていてくれたんだね」
日和に抱き寄せられると少し冷たいが心が温かくなってくる。そして妙に安心をしてしまっていた。
ああ、帰って来てくれたんだという実感。嬉しくて胸がうずうずしてきちゃう。
「ふふ……おかえりなさい、日和さん」
あんずは日和の背に腕を回す。身に包んいるコートの外気の冷たさとちょっとした温もり。
「うん、ただいま。あんずちゃん」
密着した体は少し離れ、二人は自然と唇を重ね合わせた。
「ちょっと遅いけど…クリスマスはギリギリ二人で過ごせそうだね」
「お料理用意して待ってました。キッシュも焼きましたし」
「うんうん!流石ぼくのあんずちゃん!ぼくの好物を把握して用意するのは当然のことだね!」
だが、二人は動くことなくそのまま抱き合っていた。
「メリークリスマス…日和さん」
「うんうん…メリークリスマス、あんずちゃん」
彼の口癖の「いい日和」は幸せに満ちている口ぶりで、温かい部屋の中で響いていった。
ジュンとあんず
十二月二十五日。本日はクリスマスだ。街は大きなツリーを飾ったり、クリスマスのメインカラーの赤や緑で彩ったりしている。
現在は夜も深い時間帯なのに、クリスマス故か街は大分賑わっている。イルミネーション見たさで繰り出すカップルや家族連れが多い。
賑わう原因のイルミネーションは、白いモミの木に色々な飾りをつけられてキラキラと輝いている。特殊な電飾がひとつではなく何色か光るのが印象的だった。クリスマスだけでなく、春夏秋冬らしき彩りを見せてもいた。
春の桜吹雪。夏の淡く光る蛍。秋の紅葉や冬の粉雪。
わぁっと歓声を湧き上がらせていく。あまりの素晴らしさに瞬きを忘れてしまう程に。
しかしそんな中カップルはその盛り上がりに色めき立ち、つい浮かれてしまう人達だっている。人前で抱き合ったり、いちゃいちゃと愛を囁き合ったり。
クリスマスだからと浮かれてしまうのは解るが、イルミネーションを成り行きで見に行ったカップルとしては変に意識してしまう。
仕事が早く終わったジュンとあんず。丁度いいからとこのイルミネーションを見に行くことになった。
クリスマスだから何処か特別なところへ行きたいという思いからジュンはあんずを誘う。
付き合いたての二人。先日に告白して、相思相愛になった二人の初デートだ。
だが恋愛もよく解ってない二人は、付き合うということの実感があまりない。 普段のように食事をしたりおしゃべりをしたり、トレーニングルームで運動したりと今までと変わらない日々を送っていた。
イルミネーションだって二人で楽しく見てたというのに、カップルの動向を見てしまうと流石に意識をしてしまっていた。
気まずい空気が流れる中ジュンは何処か行こうと提案し、あんずは了承した。
その時は早く離れたかったのか無意識とあんずの手を掴んでいた。
あんずが気に留めるような声も気にかける様子なんてなく大股でズンズンと人気のない道を歩いていく。
それも無意識であった。宛てもなくフラフラと賑やかな声は遠のいていく。鼓動が早鐘を打っていたのが落ち着いて、ようやくあんずの声に気付いた。
「あの……ジュンさん、手…」
あんずの方へ振り返るとジュンがしっかりと握っていることにまた心臓が落ち着かなくなる。
「あ、あの、すんません!」
ジュンは慌てて手を離す。
「う、ううん…いいの」
ほんのりと頬を染める二人。これ以上にかける言葉が見つからない。
しかも考えてみれば二人っきりで人気のないところ来てるって結構やばいのでは????
動揺し頭は混乱して、ますます何の言葉をかけたらいいのか解らなくなっていく。
沈黙と寒い気候のせいか、二人の空気が冷え切っていく気がする(ジュンは冷や汗をかいているので尚更)。
こういう時ってどうしたらいいのか解らない。なんかのデート本とか読むべきだったんだろうか。
沈黙していると、あんずの小さな声が聞こえてくる。マフラーで鼻から下を被っていたのを、すっと上げて、息を吐き出していた。
すっと白い吐息が流れ、空へと昇っていく。
「……誘ってくれて有難う。イルミネーション、綺麗だったね」
あんずは空を仰ぐとつられてジュンも空を仰ぐ。散りばめられた星空が視界いっぱいに広がっていた。
「綺麗な星空っすね…」
「うん、まるでサンタさんの贈り物みたい」
サンタ。あまりクリスマスプレゼントを貰った記憶なんてないし、サンタなんて話の中だけだと思っているが、ここは彼女のためにも茶々は入れないでおこう。
「私、ジュンさんとここに来て良かった。イルミネーションもそうだけど、この星空も一緒に見れて嬉しいよ」
喜色を含んだ声音に心臓が撃ち抜かれていく。そして素直で真っ直ぐな言葉は心を温かくさせていった。
そして、何か感情がジュンの中に湧き上がっていく。どう言葉を現したらいいのかはにかんでる表情は可愛い。
これは、惚れた弱みって奴、なのだろうか。
「…ねぇ、ジュンさんが嫌じゃなければ、もう一度繋いで欲しいな…手」
差し伸べられる気配にジュンはあんずを見た。ここで嫌になる訳もない。寧ろいいのか?と聞き返したいくらい。でも、それは愚問のようでジュンは彼女の手を握った後握り返された。
小さくて滑らかな手だ。力を入れたら折れてしまいそう。
「また来年も一緒に見に行こうねっ!」
気が早いですよぉと返したが、そうだったらいいなとジュンも同じ気持ちだ。
聖夜の夜。恋愛をし始めた恋人達は、いつまでも星空を見つめている。