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    ※2022年2月5日に開催された、二階堂オンリーに合わせて公開したお話をポイピクに移動させました。

    ▶︎このお話のテーマは「柘榴」
    ▶︎原作に沿って(途中双子の過去模造、295話要素も含んで)進みます。
     長いお話初挑戦、視点諸々読みづらい箇所がありますが、お許しください。

    柘榴故郷柘榴造反洋平の耳夕張小さい洋平網走襲撃右手柘榴一粒宇佐美と二階堂向かう先終焉旅路
    「洋平、洋平…!離せ、洋平がまだ中にいるんだぞ!」
     弾薬に引火し、黒煙巻き上げる禍々しいほどの赤い炎。
     燃え盛る兵舎の前、必死に火の中に戻ろうと泣き喚く二階堂の手には双子の片割れ、つい先程まで生きていた兄弟の巻脚絆が握り締められていた。
    「何を考えている二階堂!貴様まで死ぬ気か!」
     火の中へ戻ろうとする二階堂を数人がかりで取り押さえる兵士達。邪魔をする兵士らから逃れようと、二階堂は必死にもがき、声を荒げた。
    「…っ触るな!お前らに俺たちの何がわかる!洋平が死ぬわけないだろう!なあ、洋平!」
     いつもの癖で二階堂は自分の隣に顔を向けたが、そこに見慣れた姿はなく。錯乱したかのように見えるその行動に、苛立った兵士らから
    「目を覚ませ、今しがた見ただろう!」
     と、怒号が飛ぶ。
     見ただろう、その言葉に二階堂はびくりと固まった。
     見た?何を?やめろ、聞きたくない、思い出したくない、言うな

    「貴様の兄弟は死んだんだ!」

     つい先程見せつけられた現実が、脳裏にぶち撒けられる。
     暗い部屋の中、血溜まり、虚な目をした洋平が—
     ぞくり、自分の肚を冷えきった銃剣で貫かれたかのような感覚に、二階堂はたまらず膝から崩れ落ちた。
    「よ…洋平…」
     枯れた喉から絞り出すように兄弟の名前を呼ぶが、返事は無く。
     あぁ、そうか、洋平が居なくなるとはこういうことなのか。
     二十数年間で初めての出来事に涙が頬を伝い、言い様のない薄ら笑いが込み上げる。
    「なぁ、洋平…ははは、おい、嘘だろ、返事してくれよ洋平…」
     力ないその声は、方々から響く爆発音によって掻き消された。
    「なあ洋平…どうしてだ、洋平…!」
     絶望を味わうまま二階堂が顔を上げる。
     燃え盛る炎の中に浮かび上がるのは、「あの男」の顔。
    「……杉元、佐一…!」
     歯を食いしばり、冷たい地面に拳を叩きつけ激昂する二階堂。
    「あの野郎…!必ず…必ず仇を討ってやるからな!杉元佐一をぶち殺して、お前の元へ送ってやる…待ってろよ、洋平…!」
     炎を轟音と共に吸い上げる暗い夜空に向かって、二階堂は声が枯れるまで洋平の名を叫び続けた。

    『浩平!』
     二階堂の頭の中に洋平の声が響き、灰色がかった記憶が蘇る。
    『俺が死んだら!』
     広がる景色は先の戦争、達磨の男、命の天秤、全速力で駆けた雪原、そして自分と並走する洋平の姿。
    『お前だけでも、故郷に…静岡に帰れよ、浩平!』
     記憶の中の洋平が、浩平を真っ直ぐに見つめた。
     
    「…けどよ、洋平。お前がいない故郷に帰ったって、俺は…!」


    故郷
     俺たちが生まれた村は酷く閉鎖的で、顔を見ればすぐに「畜生腹」だの「忌み子」だのと嘲笑う、愚かしい村人であふれていた。
     母親は畜生腹の女として双子の俺たち共々、牢と何ら変わらない粗末な掘立て小屋に住まわされ、そりゃあもう惨めな生活を送らされた。
    「まるで犬猫のようじゃないか」
    「見ろよ、何から何までそっくりだ」
     毎日誰かしらから言われてきた言葉。
     暴力、嘲笑、どん底の生活。
     村人たちに従って、俺たちなんてとっとと殺すなり捨てるなりしたらよかったのに。頑なに俺たちを庇い育てた母親は、とんだ馬鹿でお人好しで。記憶の中には、父親なんてどこにもいなかった。
    「怪我、大丈夫か、洋平」
    「お前も大丈夫か、浩平」
     鬱蒼と茂るみかん畑で、よく二人して怪我の手当をし合った。
     みかんの木には大きくて鋭い棘がたくさん生えていて、その木の下に潜り込んだら、暴力をふるってきた奴らも大抵諦めて帰っていった。
     逃げ込んで、息を殺して、身を寄せ合って。そうして落ち着いたら、日陰に隠れたみかんを捥いで食べた。酷く酸っぱいものではあったが、何もかも嫌いな村の中で、俺たちはあのみかんだけは好いていた。

     そうして俺たちが生まれてから十数年。母親が死んだ。長年の無理が祟ったのか、流行り病だったのか。どちらにせよ、俺たちには「畜生腹」に「病気持ち」が付け足されて、そこからは、いよいよ扱いが酷くなった。

     心の奥底に在る記憶。
     鮮明に覚えているのは、母親が死んでから暫く経った頃。
     俺たちが初めて人間を手にかけた日のことだ。
     あの日、疫病神、死んじまえ、嘲笑う声と共に投げつけられた石が洋平の頭に命中した。
     だらだらと垂れる血、痛みで額にうっすらと汗をかく洋平。
     いつもと違ったのは、当たりどころが悪かったのか、力なく洋平がその場に崩れ落ちたことだった。洋平が死ぬかもしれない、焦った俺は庇うように洋平の前に立った。

    「やめろ!」

     そう叫ぶ俺の額にも、笑い声と共に続けて石が命中した。
     額が割れて、洋平と同じく血がぼたぼたと地面に落ちる。
     痛みに思わず、目頭が熱くなる。
     どうして俺たちがこんな目に遭わなきゃいけないんだ?
     どうして洋平が血を流さなきゃいけないんだ?
     どうして?
     答えのない疑問は、物心ついた時からずっと腹の奥底で渦巻いていた。
     人間じゃないのか?

     …どうして、俺たちは。

    「もうたくさんだ」
     俺の頭の中で、声がした。
    「俺たちをこれ以上傷つけるな」
     そうして、弾き出した答えがひとつ。
     
     『 殺せば済むのでは? 』
     
     馬鹿みたいに簡単で、すぐに解決する方法。
     そう気付いた途端、思わず笑みが溢れた。
     どうして今まで思いつかなかったんだ?
     人は人を殺してはいけない?
     それは外道のすることで?

    「…ふふ、あはは…!」

     血を流しながら笑い出した俺の様子に、後ずさる奴等。

    「俺たちは、人じゃないんだよなぁ…?」

     それを教えてくれたのは、お前たちだ、クソッタレ共。
     俺らの母親は人間だった、お前たちよりずっと。

     泣いて帰る度に、そっと頭を撫でてくれた手
     寒さで震える俺たちを優しく抱きしめてくれた手
     喜んだ顔が嬉しくて、幾度もふたりで揉んだ痩せた肩
     ちいさな手、かわいい手と俺たちの手をそっと包み笑う声
     だけどもうその声は聞こえない、聞こえてこない
     俺たちが守るものなんて、この世にお互いしか…

    「……なぁ、洋平」

     俺の顔を、じっと見つめ返す洋平。
     お前はわかってくれるか、俺の憎悪を。
     この腹の底で渦巻く黒い感情を。
     俺が何を考えているのか、どうしようとしているのか。
     こんな、人生の分かれ道のような選択で。
     洋平、お前は…

    「…わかった、浩平」

     立ち上がり、俺の肩に手を置いて、にぃ、と洋平が笑った。
     洋平の目に映る俺の顔も、同じように笑っている。

    「決まりだな」

     そうして俺たちは、足元に転がった血がついた石を拾い上げた。

    「殺そう」
    「殺そう」

     血で石が滑らないように、この手でもう一度強く握りしめて。
     

    柘榴
     初めて殺したやつは、俺たちに投げつけてきた石で思いっきりその頭をかち割ってやった。うめき声を上げる男の様子と、一線を超えた俺たち。こいつと一緒にいた奴らは早々に見捨てて逃げていきやがった。

    「無様でしかねぇなぁ」
     泣こうが喚こうが構わず、二人で滅多打ち。
     今更なにを?
     どうしてお前たちは赦されると思ったんだ?
     そうして原型を留めない顔を見て、俺と洋平は顔を見合わせた。
    「…俺たち、とうとう人を殺しちまったな、浩平」
    「俺たちは人の子じゃねぇからいいんだよ、洋平」
     地面には、割れた柘榴のように真っ赤な脳髄が撒き散らかされていた。
     どちらからともなく、ぐり、とその脳髄を踏み潰す。
     ぐち、にち、にちゃ
     いつだったかこいつが、俺たちを踏み躙った時と同じように。
    「…ふふ、」
    「…くく、」
    「「あはははは」」
     どちらともなく駆け出し、夕闇の中へ。
     勿論その晩騒ぎになりはしたが、村中の奴らが総出だろうがもう関係なかった。暴力を受け続けた俺たちは、これまでの鬱憤を晴らすかのように、ただひたすらに狂ったように暴れ尽くした。
    「二度と俺たちを馬鹿にすんじゃねぇ」
    「殺されたい奴だけ、かかってきなぁ」
     俺たちの気魄きはくに怯えた馬鹿どもは散り散りになって去っていった。それ以降、俺たちのことを村の奴らはいつしか「忌み子」から「狂人」と恐れ誰も近寄ってこなくなった。
     村では変わらず俺たちふたりだけだったが、畜生腹や忌み子と揶揄されていた頃より、ずっと良かった。

    ◇◇◇

    「君たちかね、双子の狂人というのは」
    「…なんだ、あんたは」
     それから何年経ったか。ある日突然、村にふらりと現れた軍人。それが俺たちと鶴見中尉との出会いだった。
     村人でも手に負えないようになった俺たちの噂は、なんの悪戯か、たまたま静岡に来ていた鶴見中尉の耳に入ったようで。
     駿府城辺り、第三十四聯隊から人手不足の北海道の師団へ移籍させる手頃な兵士を探しにきていたとかだったか…細かい目的は忘れた。
     とにかく、双子で、暴力的で、互いのことしか信用していない。裏を返せば、互いのためならどんなことにでも手を染める…
    《歪んだ愛》
     そこがお気に召したらしい。
    「…殺したのか」
    「当然」
     その返事を聞き、咎めるでもなく。
     俺たちの足元、地面に散った奴の脳髄を見て、
    「まるで柘榴だな」
     と、わざとらしく首を振り、鶴見中尉はそう言った。
    「この村を出て、軍へ志願することを勧める」
     俺たち二人を振り返るなり、そう口を開いた鶴見中尉。
     何を言い出すんだこいつは、と俺と洋平は顔を見合わせた。
    「その尖った闘争心、この村で燻らせておくのはあまりにも愚かだ。食べごろの柘榴を、ただ腐り落ちていくのを見ているのと同様にね。…この村で一生を腐らせるか、軍で生きるか…君たちの人生を選びなさい」
     黒い瞳が俺たちをじっと見つめる。
    「…どうする、洋平」
    「俺はお前がいるならどこへでもいくぜ、浩平」
    「…では、決まりだな」
     俺たちの話を聞いて、にんまりと笑った鶴見中尉。

     村にとっても、俺たちが出ていってくれさえしたら、あとはもうどうでも良かったみたいだった。村を出ていくことと引き換えに、これまでに殺した奴らへの罪の所在は有耶無耶になった。
     静岡から遠い北海道の第七師団へと。
     地獄から、別の地獄へではあったが…洋平と一緒だったから、俺はどんな場所へでも乗り込んでいけたんだ。

     東京府へ間もなく発車する汽車の中。
    「おい、こっちにもくれ」
    「まいどあり」
     行商に気付いた洋平が、車窓から顔を出して何か買っていた。
    「はは、手持ちが底をついちまった」
     洋平が差し出した手には、大きなみかんが一個。
     そのまま「ほらよ」と半分に割って俺に手渡した。
    「静岡のみかん。食い納めだな、浩平」
     そう言って、洋平はみかんを一房、口に放り込んだ。
    「なんだこれ、すげぇ甘くてうまいぞ、浩平!」
     嬉しそうにみかんを食べる洋平を見ながら、俺も一房。
     これまで食べたどのみかんより甘くて、思わず笑みが溢れる。
    「俺たちが普段食ってたみかんとは随分違うな、洋平」
    「日陰もののみかんばっか食ってたからな…なぁ浩平」
     洋平へと視線を向けると、まっすぐ俺を見つめる洋平と目が合った。
    「何があっても俺たちは一緒だ。北海道だろうがどこだろうが、これからもずっと…二人で生きるぞ、浩平。何があってもだ」
    「…洋平さえいたら何もいらない。俺たちはずっと一緒だ、洋平」
     洋平さえいたら。俺のその返事を聞いて、満足そうに洋平は頷き、みかんに視線を落とした。
    「…北海道にもみかんがあるといいな、浩平」
    「はは、なんだよそれ。みかんはどこにでもあるだろ、洋平」
     俺の「当たり前だろ?」の言葉に、洋平は「そうだな」と笑って返した。

    「当たり前」だと思っていたさ。

     洋平もみかんも、ずっと…


    造反
     洋平が死んでからの日々は、筆舌に尽くし難いものだった。
     隣を見ても洋平がいない、話しかけても何も返ってこない、何をしてもどこに行っても一人。言いようのない苦しさに始終胸を締め付けられた。
     これまでの生活がどれほど洋平中心で回っていたかに気付かされ、そしてもう二度と洋平に触れることができない現実に絶望する日々。
     生まれてからずっと、同じ顔と一緒に飯を食って話して笑って、ガキの頃からそうやって生きてきたんだ。
     もしあの日、俺があの部屋に入っていたら、俺が洋平から拳銃を取り上げなかったら、俺が、俺が、俺が…洋平を、殺したんだ。

    「二階堂、今日は周辺の警備だ。行くぞ」
    「わかった。おい行くぞ、洋へ…」
    「二階堂、お前はどうだ?」
    「そうだな…どうする、洋平…あ、」
    「うー、寒すぎて眠れねぇよな、洋へ……っ、ようへ、洋平…!」
     長年染み付いた癖。
     横を見る度に、洋平がいない現実に発狂しそうだった。
     いや、いっそ狂っちまった方が楽だ。俺たちは二人で一つだったのに。
    「…俺って、何なんだよ」
     洋平がいない俺は、俺なのか?
     そもそも俺は何なんだ?
    『浩平』
     その呼び声が聞こえなくなってから、俺のことを「二階堂浩平」と認識している奴なんて誰もいない。
    「 二階堂 」
    《俺》という存在が、足元から崩れ去りそうで。
     そんな俺の心の綻びに、上手に入り込んできた奴がいた。

    「可哀想になぁ、二階堂」

     真夜中の病室。
     他に造反に賛同していた玉井伍長や野間、岡田、そして谷垣は何があったのか偵察から未だ戻ってこない。
    「しかし単独行動は感心せんな。中央側に着けば金塊の分け前も地位も手に入るんだぞ?」
    「俺は金塊の分け前とか、どうでもいいんです。杉元佐一を今すぐにでも殺したいんですよ」
     一刻も早く造反したかった。金塊目当てじゃない、杉元佐一を殺すため。
     そんな俺の言葉を聞き、さも同情しますと言うように首を振る尾形上等兵。
    「兄弟を亡くした気持ち、分かるぜ。だが…」
     長くなった前髪をかき上げ、こちらに視線を寄越す。
    「杉元佐一を殺すには、まず金塊への手がかりを見つけないといけない…奴はお前が殺したらいい。そのおまけとして金塊の分け前ももらって、立派な墓を兄弟に建ててやれ」
    「墓、ですか…」
     洋平に墓、手持ちが少ない俺の心が少しぐらついた。
    「ほら、建ててやりたいだろう?ならばお前がすることはひとつだ」
     にんまりと、あの食えない顔に笑みを貼り付けて。
    「…今から言うことを、着実に進めろ」
     ぐい、と肩を掴んできて、耳元で兵舎を抜け出す算段を囁いてくる。洋平以外の声が、俺の耳から頭の中へとずるずると流れ込んできて気持ち悪い。
    「……いいな?」
     後戻りはさせないとでも言うように、尾形上等兵は鋭い視線を俺に寄越す。
     俺は洋平の仇を討ちたいだけだ、騙されているわけじゃない。
     …そうだよな、洋平。
    「…洋平、お前は」
     どうする、いつもの癖で口にしかけた言葉に被せるように
    「二階堂」
     暗闇の中、尾形上等兵が俺の言葉を遮った。
    「…全ては『ヨウヘイ』の為になるんだぞ、二階堂コウヘイ一等卒」
    「…わかりました、進めておきます」
     俺のこの決断を、洋平、生きていたらお前は止めただろうか。

    ◇◇◇

    「急げ、宇佐美が殺しに来るぞ」
    「あ、あんた一体何をしたんだ…!」
    「ははぁ、想像に任せる」
     そうして怪しげな猫に導かれるまま、俺はあの日、兵舎から飛び出した。
     そのまま、谷垣らしき兵士がいるというアイヌの村へ。
    「二階堂、婆さんの肩でも揉んでやれ」
    「…わかりました」
     何で俺が、と思ったが上官命令は絶対、が染み付いている身としては逆らえない。谷垣が戻ってくるまでの間、婆さんの小さな肩に手を乗せる。何やらぶつぶつ言っているが、何言ってんのかさっぱりだ。俺たちの様子を家の入り口の方からチラチラと伺っていたアイヌのガキが一言
    「フチ、きもちいいって」
    「ははぁ、好評のようだな二階堂一等卒。何だ、兄弟で揉み合っていたのか?」
    「……えぇ、まぁ」
     昔取った杵柄、ですかね。婆さんの肩が、誰かの肩と重なる。
     そう口から出かけたと同時、家の入り口から聞き慣れた野郎の声が聞こえた。
    「帰ったか、谷垣」
     この家で里心なんてもの、芽生えさせられてんじゃねぇぞ。
     婆さんの肩を揉む手に、僅かに力が入る。
     囲炉裏の端、寄せられた残り炭がパチンと爆ぜ、火が消えた。

    ◇◇◇

    「谷垣狩りだぜ」
     アイヌの村で谷垣を殺し損ね、雪山を延々と追いかける羽目になってしまった。
     どっち道、俺にはもう戻る場所なんてないんだ。造反を谷垣が鶴見中尉に報告しようが何しようが、どうだっていい。俺はとにかく杉元佐一を殺したかった。
     あいつが洋平を殺したから
     あいつが、あいつが、あいつが…!
     寒さに震える山の中。火も禁じるとか馬鹿かよこのクソ上官。
     寒さで脳みそがやられそうな中、口から出たのは
    「故郷の静岡に帰りたい」
     その一言に尽きた。一分一秒でも早く杉元佐一を殺して、そうして俺たちの故郷に帰れば、なんとか…なんとかなるはずだ。
     別にあの村に帰りたいわけじゃない。
     静岡に残っているであろう洋平の思い出を感じたい、その一心だった。
    「故郷か…」
     一人寒さに震える体を抱きしめ、俺はぼんやり、洋平と過ごした故郷の記憶を思い出していた。

     ガキの頃、初めて村の人間を殺した時よりもっとずっと昔。
     今夜みたい冷え込みが激しい日の夜。
     あまりの寒さに、俺は体調を崩した。今思えば静岡であの寒さは特別珍しかった。
    「なぁこうへい、だいじょうぶか?」
     心配そうに、洋平が俺の顔を覗き込んだ。
     熱を出した俺と、元気な洋平、額に冷えた手拭いを乗せる母親。
     心配そうな顔をする洋平は、目に涙を溢れさせて
    「おっかちゃ、こうへ、しぬのか」
     なんて泣きながら聞くから、あれ、俺死ぬのかなって思って、つられて俺もうじうじと泣いた。
    「こうへ、おれをひとりにするなぁ!」
     そうして俺の布団から離れずしがみついていた洋平は、みるみるうちに顔が真っ赤になり、くしゃみをひとつ。そのうち洋平もぐったりとして、結局俺と同じように熱を出し、二人寝込む羽目になった。
    「双子だからかしらね…」
     感心するように、ふふ、と母親がそうつぶやいた。
    『双子だから』
     あれから、俺たちは生き死にも何もかも一緒なんだと思うようになった。
     一緒にいて、何でも分け合ったし、それが普通だと思っていた。
     奉天でも俺たちは二人して生き残った。
     あの地獄みてぇな大戦をだぞ……目を瞑れば、あのどす黒い恐ろしい風景が瞼の裏に浮かぶ。
    『双子だから』
     …だから、だから俺は正直、俺の体も勝手に洋平の後を追うようにくたばってくれると思っていた。
     しかし俺の心臓は待てど暮らせど一向に止まってくれない。
     地獄で待っているであろう洋平は、俺のことをどんな気持ちでみているのだろうか。俺がただひたすらにこの地獄で生き続けている理由は?俺たちが引き剥がされる理由って?

    『 浩平 』

     洋平の声が聞こえた気がして、慌てて飛び起きた。
     震える手で顔を擦ると瞼にまで霜が降りていて、危うく後一歩で死ぬところだったと気付く。
    「…ありえねぇ、寒さで死ぬところだったぞクソ尾形…」
     無駄死にだけはごめんだ。
     本当、こんな胡散臭い野郎となんて……おや?
    「……なんだあれ」
     遠くに煙が…おそらく焚き火の煙だろう。
     近くに座る尾形に視線を向けると、
    「行って調べてこい」
    「エサですか俺は」
    「隠れて援護する」
    (一番信用ならねぇんだよ…)
    心底乗り気でないまま、辺りを警戒しながら焚き火に近付く。
    「足跡はひとり分…間違いなく谷垣だ」
     雪に残された足跡を確認する。
     焚き火の横には鹿の死体。銃を振って尾形に合図を送る。
     谷垣の野郎、のん気に鹿を食ってやがったのか?
     そう疑問に思いながら、火のそばに腰を下ろした。
    「ふうううあったけぇ…」
     火に手をかざし、思わず安堵の息を漏らす。
     凍死寸前まで凍えた俺の体には久しぶりの暖がこれ以上ない程心地よく感じられ、じんわりと手先の悴みが解けていく。
     そうして暖で生気を取り戻した途端、腹の虫が僅かに鳴いた。
    「腹減ったな、俺も食っちまうか」
     火と肉を前に、つい頬が緩む。
     焚き火から転がる鹿の死体へと視線を逸らし…

     ……待てよ、何かおかしい。

     谷垣はこの鹿をどうやって…

     瞬間「しまった!」と頭の中に警鐘音が鳴り響いたのと、頭に雷が落ちたような衝撃が走ったのはほぼ同時


     ブオオオオオオオオオッ
     

     音もなく近寄ってきた馬鹿でけぇヒグマ。
     頭の皮が剥がれて、左耳が千切れ飛ぶのが見えた。
    「やめろ!このっ…!」
     声を荒げた次の瞬間にはヒグマに押さえ込まれる。
     死んでたまるか、援護は、援護がなぜ無いんだクソが!
    「早く撃てクソ尾形ぁ!」
     何してやがるあのクソ上等兵、クソ、クソ!
     谷垣を警戒しているのか!囮のつもりか!
     洋平の死に顔と、嫌な顔で笑うクソ尾形の顔
     洋平を餌に使いやがって、野郎…こんな所で死んでたまるか!

    「おがたあああああああああ!」

     腹の底から怒りをぶち撒け、声を張り上げた。
     銃声、ヒグマのうめき声、硬直が解ける身体。
     絶対許さねぇからな、そう思うと同時に、俺の意識は途切れ…
     
     

     気がつけば後ろ手に縛られ、痛みで朦朧とする俺。

    「美男子の条件は、左右対称だ」

     鈍く光る剃刀

     消えた猫

     耳に走る激痛

     俺はどうやら、トカゲの尻尾だったようだ


     ……洋平、俺、お前がいないと何も判断つかねぇわ。


    ◇◇◇


    「さっさと歩け、二階堂!」
     ふらつく足をなんとか動かし、下山する。いっそ意識が途切れたままの状態であれば担架で運ばれただろうに…いや、それはそれで置き去りで死んでたか。
     ふと途中、崖の下に転がる死体を回収する奴らが目に入った。
     誰だあれ、三島か?死んじまったのか?
     …あぁ、脳天ぶち抜かれたのか。
     ははは、割れた柘榴みてぇに雪に真っ赤な脳髄ぶちまけて散ってやがる。

    「ふふ…洋平みろよ、あはは、懐かしいな、柘榴だ、なぁ洋平、柘榴だぜ」

     あはははは、そう笑う俺のことを、周りの奴らは一歩引いて見ていた。
     あぁ、懐かしいな洋平。この腫れ物を扱うような感じ、村の奴らそっくりだ…お前が元気だったら、こいつらなんか、すぐ殺してたのにな。
    「なぁ洋平、残念だよなぁ、こいつら殺せなくて…なぁ洋平」
     そう言って、俺は血塗れの洋平にずっと話し続けた。
     そうなんだよ、ふふ、洋平、なぁ洋平。
     雪、手のひら、血、耳、なぁ、洋平、ふふ…
     
     …なぁ洋平、聞こえているか?


    洋平の耳
     造反に失敗した俺は、そのまままた師団に連れ戻された。
     杉元佐一は俺が殺す、戻る理由はそれだけ。
     毎日ただひたすらに頭が痛くて眠れない日が続く。
     洋平、痛いよな、ごめんな、我慢できるか?
     気が紛れるようにお話を聞かせてあげるよ。
     え、早く聞かせろって?まぁ待てって。
     俺が見た夢の話なの。あのね、洋平が出てくるんだよ。
     ぱたんって扉の向こうに行くんだ。
     俺はね、慌てて扉を必死にこじ開けようとするの。
     中から俺の名を叫ぶ洋平の声が聞こえて
     嫌な汗が噴き出して
     そうして扉の隙間からはじんわりと真っ赤な血が…

    「……洋平っ!」
     真夜中、飛び起きた。
     誰もいない隔離部屋、荒い呼吸。
     まただ、またあの夢を見た。
     縫われたばかりの頭がひどく痛む。
     脈打つ速度と同じく、頭の奥からズキズキと痛みが脳内を犯す。
     そもそも俺は今どうなってるんだ。なぁ、洋平。どう思う?
     いつものように、浩平って…洋平に…俺の名前を…。


    ◇◇◇


     鶴見中尉殿について、鰊御殿のところににきた。
     難しい話は分からない。
     そもそも俺を一緒に連れてきた理由もわからない。面倒臭い。
     だから鶴見中尉の洋琴にあわせて歌ったのに、洋平を滅多打ちにして放り投げられてしまった。
    「ぴぴいっ!」
     慌てて洋平を拾い上げ、そのまま屋敷の外に飛び出した。

    「洋平大丈夫?あぁ、危なかったね」
     そう言って顔を上げると、眼下には海が広がっていた。
    「わあ…!」
     ざざぁ、と波の音が聞こえる。
     最後に海を見たのって、日露戦争へ出征するとき?
     どうだっけ?
     ぼんやり海を眺めていたら、昔の記憶が朧げに思い出された。
    『いつかこの村を出て、海のように広く眩い世界を二人で見なさい』
     あの人、虐められて泣く俺たちの頭を撫でたよね。
    『そうして、ひとしく二人平穏に暮らしなさい』
     酷く、優しい笑みを浮かべてさ
    『そう願って、「広がる水面」と「平穏」の字を…』
     俺たちに触れる前に落ちた腕。
     最後の最期、そう告げたあの人は……誰だっけ。

    「…俺たち、何一つ叶えられていないね、洋平」

     寒い北海道の地で、俺は一人。
     洋平に耳打ちして、ふふって笑った。

    夕張
    「じゃあ二階堂さん、準備しますのでここで待っていてください」
    「早くしてよねー」
    「きぃ!誰のものを作ってあげると思ってるんですか!」
     目の前で江渡貝君が地団駄踏んで怒り出した。何でも、洋平に似合う何かを作ってくれるらしい。
     正直誰も洋平に触れないで欲しいけれど、鶴見中尉も
    「今以上に男前にしてもらえ」
     って俺たちに言うから、仕方なくだよ。うん。
    「ほら、キョロキョロしない!僕が戻って来るまでは作品に無闇に触れないでくださいね!絶対ですよ!」
     江渡貝君が俺に念押しして部屋を出て行った。
     部屋の中を、ぐるりと見渡してみる。外はもう薄暗くなって、部屋の中を照らすのはランプの灯だけ。
    「…そうだ、まだ探している途中だったんだ」
     洋平のもう片方の耳、探さなくっちゃぁ。
     えーっと、まだ調べてない部屋は、と…
     ランプを片手に廊下に出て、違う部屋に入ってみる。
    「わぁ…」
     一歩中に入ると、いたるところに人、人、人。
     どれもこれも人間で、きっとここなら洋平の耳、見つかるよね。
     キョロキョロとしていると、天井から声が聞こえてきた

    『兵隊さんが来たねぇ』
     見上げると、男がこっちを覗き込んでいる。
    『おや、さっき弥作さんのお母さんに酷いことをした兵隊さんじゃないか』
    『そんなことがあったのかい?恐ろしい人だねぇ』
     別のところからも、そんな声が聞こえてくる。
    「ごめんね、洋平の耳を探していたんだ」
    『ようへい?誰だい、そりゃあ』
    「俺の兄弟。耳が片方だけで可哀想だから、俺が探しているの。ほら」
    『へえ、そりゃあ兄弟思いだね』
    「だから、左耳を探してあげなくちゃだめなの」
     相槌を適当に返しつつ、他の剥製の耳をキョロキョロと見て回る。
    『俺たちは度肝を抜かれたけどね』
    『しかし耳が見つかったらどうするんだい?』
    「次は…手かなぁ」
     すると別の場所からも
    『耳と手が見つかったらどうするの?』
    『胴体は?』
    『足は?』
    「そっくりなのが見つかったらいいねぇ」
    『しかし…』
    「洋平さんの顔はどうするんだい?」
    『本当だ、洋平さんは今耳だけしかいないのかい?』
    『顔が洋平さんじゃなけりゃ、いくら耳を探したって』
    『何を言ってるんだ、耳が洋平さんなら…』
    『いやお前のそれは…』
    「何言ってんだよ、洋平、は…」

     …洋平って、洋平って…どんな顔をしていたっけ…

     窓の外。遠くでは、ごろごろと雷が鳴り出していた。

    「二階堂さん!どこに行ったのかと探しましたよ!」
     がちゃりと扉を開けて江渡貝君が部屋に入ってきた。
    「あ、江渡貝君」
     俺が江渡貝君の方を向いた瞬間、窓の外がぴかっと光って、窓に…
    「…あ、洋平!洋平!」
    「に、二階堂さん?」
    「洋平がそこにいた!」
     嬉しくて窓に駆け寄ると、薄暗い窓の外にいる洋平もこっちにかけ寄ってくるじゃないか!
    「洋平、洋平!どうしたの、その包帯!誰にやられたんだよ洋平!」
     慌てて洋平に触ろうとしたけれど、ガツンと何かに阻まれた。
    「何!何!何なの、邪魔しないで!洋平に会わせて!」
     ガンガンと俺たちをの邪魔をする何かを叩くと、ガシャンと大きな音がして、洋平の顔がバラバラに…
    「よ、洋平…!」
    「やめてください!二階堂さん、落ち着いて!」
     血まみれの俺の手を掴んで、江渡貝君が声を荒げる。
    「それは…それは窓ですよ!映っていたのはあなたです、二階堂さん!洋平さんじゃない!」
     江渡貝君の声に引き戻され、一歩思わず後ずさると、ガシャ、と足元から音がして、視線を下に向けると割れたガラス。そしてよくよく見ると、うっすらとガラスに映っていたのは…
    「…おれ、だ…」
     洋平じゃなくて、俺の顔だ。包帯で巻かれた、俺。
     つまり浩平だ。
     なぁんだ…俺かぁ…
     
     ……だけど待ってよ。
     
     俺の顔をいつも見ていたのは洋平なんだよ。
     つまり今俺の顔を見ているのなら、おれは洋平…?
     …それってつまり、どういうこと?
     俺って今、どっち?

    「二階堂さん?二階堂さんってば…ちょっと!大丈夫ですか?」
     気がついたら江渡貝君が俺の肩をゆすって声をかけていた。
    「ねぇ江渡貝君、あのさ」
     何だかわかんなくなってきちゃった…
    「…洋平、どうやったら取り戻せるんだろう…」
    「二階堂さん…」
     うぅん、と少し悩んだふうに見せた江渡貝君。
    「今はその耳…いえ、洋平さんを今よりずっといいようにするしか、僕には…」
    「そっかぁ…」
     かちゃかちゃと江渡貝君がガラスの破片を片付けている。
     その間、俺はずっと別の窓に映る顔をぼんやりと眺めていた。
     あれは洋平じゃないんだね、俺なんだね。

    「…ねぇ、江渡貝君」
    「なんですか?」
    「人間の剥製を作って欲しいって頼んだら…引き受けてくれる?」
    「損傷が激しくなかったら、いいですよ」
    「わあ、本当?楽しみだなぁ」
     一際大きな雷が轟き、窓に洋平そっくりの俺が映った。
    「待ちきれないね、洋平」
     
     本当に、待ちきれないよ。


    小さい洋平
    「あああ足が痛い!洋平が痛がっているんだよ軍曹!モルヒネをくださいよ!」
     足が燃えるように痛いって洋平が痛がっているんだ、洋平を助けてくれ!
     軍曹が持つ薬瓶に手を伸ばすも、慌ててそれを遠ざけられる。
    「なんでくれねぇんだ…!」
     怒りで思わず軍曹に掴みかかった。
    「不敬だぞ二階堂!」
     一発殴られたが、知るか、クソが!
    「洋平を見殺しにする気かよ!」
    「洋平洋平とお前は何を…立て続けに打てる訳がないだろう!」
     そう言って軍曹は俺たちのモルヒネを持って行ってしまった。
     クソ、俺の予備が。
     仕方なく、ベッドの下に隠していたモルヒネの瓶を出したが、肝心の注射器が見当たらない。足がじくじくと痛み出す。
     あぁもう、飲めばいいのか?
     瓶の蓋を投げ捨てて、震える手で瓶を掴む。
    「待ってろよ洋平、今楽にしてやるからな」
     そうして中の薬品をごぶりと煽った。胃が燃えるように熱くなって、あまりの熱さに喉元を掻きむしる。
    「……ぐ、…!」
     猛烈な目眩と吐き気に身体中の汗が一気に吹き出し、力が抜け落ちてベッドに倒れ込んだ。
    「ようへ…これで痛く、ねぇよな…」
     はぁ、はぁ、と暗闇に俺の呼吸音だけが響く。
     ぐわんぐわん回る視界の中に、じっと洋平が…洋へいが…
    「…あれぇ、よーへー?」
     目を凝らすと、小さい時のよーへーがすぐそこで泣いている。
    「ねぇ洋平、痛いの?大丈夫?」
     急いでよーへーの元へ行こうとするけれど、体が思うように動いてくれない。ずりずりと一生懸命這って、小さいよーへーに耳打ちするように、かがみ込む。
     小さいよーへーは何も答えない。しくしくってずっと泣いてる。
    「よーへー、大丈夫?ねぇ、また石を投げられたの?」
     また誰かに殴られたの?痛いね、苦しいね、悔しいね。
     何でみんな俺たちのこと、嫌ってたんだろうね。
     俺たち、何にもしていないのにね。
    「かわいそうにねぇ。おれが守ってあげるからね、よーへー」
     よーへーを、よしよしと撫でてあげる。
     なんにも怖いことはないんだよ。
     暗い病室。俺はよーへーのことを、ずっとよしよししてあげた。


     真夜中。二階堂の病室から、ひそひそと声がする。
     昼間の様子が気になった月島は、そっと扉を開けて中を見た。
     二階堂が何やら寝台に座って、誰かと話をしている…?
     いや、面会者がいるわけない。目を凝らし、よく見ると…
    「かわいそうにねぇ。おれが守ってあげるからね、よーへー」
     暗い病室で一人、自分で自分の肩を抱き、さする二階堂の姿が見えた。
     何か言いかけたが、そのまま扉を静かに閉める月島。
    「…救われないな、二階堂」

     その言葉は、月島自身の心もちくりと刺した。


    網走襲撃
     張り詰めた空気の船上。
    「船に乗るなんて久しぶりだねぇ、洋平」
    「おい二階堂、あんまりへりに近寄るなよ。落ちるぞ」
     甲板でひそひそキョロキョロしている二階堂に、宇佐美が苦言を呈した。
    「はぁい」
     当の本人の二階堂は気のない返事をして、また耳とひそひそ。
     忠告聞かずうろうろする二階堂を見て、宇佐美は何度目かのため息をついた。
     前方には、網走監獄が迫っていた。

    「速やかに攻め入れ!」
     鶴見に従い、一斉に雪崩れ込んだ網走監獄内。
     駆け足で進む聯隊から少し遅れだした二階堂に、また宇佐美が声を掛ける。
    「二階堂、遅れるなよ」
     有坂閣下からもらった義足は他より優れているとはいえ、これまで五体満足だった二階堂にとっては走るだけで痛みが起こり、満足に動くことができない。
    「待ってよ、走りにくい…」
     そう二階堂が愚痴をこぼした時、前方、鶴見中尉たちの方から声が聞こえ、瞬間、二階堂が何も言わずに顔を上げる。
     目は見開き、口には満面の笑みをたたえて。思わずギョッとした宇佐美が
    「おい、二階ど…」
     と声をかけるかかけないかの瞬間、前に立つ同胞たちをかき分け前方へと物凄い力で同胞達を押し退けて行く。
     二階堂の脳裏には、あの部屋の記憶や洋平の虚な顔、燃え盛る炎が、懐かしい洋平の声が、ただただ二階堂の脳内では…

    殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ
    殺セ殺セ殺セ殺セ「見つけたぞ杉元!」殺セ殺セ殺セ殺セ
    殺セ殺セ「やめろ二階堂っ!」殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ
    殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ
    殺セ「離せ!俺に殺させる約束だろう!」殺セ殺セ殺セ殺
    殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ


     洋平の仇を前にして荒れ狂う二階堂、一発の銃声を皮切りに、何百人もの凶悪な囚人たちと第七師団達の死闘が始まった。
     血の雨降り注ぐ中を掻い潜り、執念で杉元を見つけた二階堂。
     あと少し、この散弾銃さえ奴の脳天に撃ち込めば…
     
     その瞬間、二階堂は「勝てる」と確信した。

    「洋平!杉元がそっちに行くぜ!」

     叫ぶと同時に口角が僅かに上がる。だがその次の瞬間
     義足を捻られ、右手が…

     ― 浩 平 ! ―

     何度も殴られた後、義足を振りかぶる杉元が見え、二階堂の視界はそこで暗転した。


    右手
    「嘘だ…」
     網走近くの病院、暗い廊下、張り詰めた空気。
    「嘘じゃない」
     その暗い廊下、とある一室。
     鶴見は冷めた目で二階堂を見下ろして
    「杉元は死んだ」
     と、もう一度二階堂に告げた。思わず唇を噛み締め、
    「う、そだ…」
     ぎり、となくなった右手首を二階堂は左手で強く握りしめた。
     ぎちぎちと肉と包帯が擦れる音が、いやに部屋に通る。
    「嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
     寝台脇に置いてある薬瓶一切合切をひっくり返し、怒りを孕んだ瞳で鶴見を睨みつける。
    「騙そうとしてんじゃねぇぞ!」
    「よせ二階堂!」
     激昂し、鶴見に掴みかかろうとするが麻酔が切れてまだ間もない体、おまけに右手右足が無い状態では体勢を保てず、そのまま勢いよく寝台から床へと転がり落ちた。その隙をついて、慌てて取り押さえる兵士たち。
    「ざけんな、離せクソが!」
     拘束されても、二階堂は尚も必死に動いて怒声を張り上げる。
    「言ったじゃねぇか!俺が…俺に殺させるって…!」
     怒りを孕んでいる目からは、涙がとめどなく溢れる。
    「俺が殺さなきゃ、俺が洋平のもとに送ってやらなきゃ意味がねぇんだよ!何であの時止めた、あの時あの部屋に追い詰めたら即刻殺せたはずだ!あの時殺してさえいれば洋平は…!」
     まだ何か騒ごうとしたが、治療直後の体に無理がたたったのか、すぐにぐらりと頭を垂れて大人しくなる。
    「騒ぎ過ぎだ」
     肩で息をする二階堂を一瞥し、鶴見は部屋を後にした。
    「軍曹!軍曹…!」
     鶴見に続こうとした月島の背中に、二階堂の縋るような声。
     一瞬立ち止まった月島ではあったが、
    「…暴れないよう寝床に縛っておけ」
     とだけ告げ、部屋を出た。二人の背後から
    「…赦してくれ、洋平…!」
     と懺悔とも悲鳴ともつかない声が聞こえてくる。

    「…何故あのような嘘を?」
     廊下を歩く鶴見の背中に、月島は至極真っ当な質問を投げかけた。
    「んん?まぁ、口実を…与えてやろうと思ってな」
    「口実?」
    「…故郷に帰りたがっていただろう、いい機会だ。あの杉元は死んだと思わせてやった方が幸せかもしれん」
    「…そうですか」
     夕張、あの病室でひとり自分の肩を抱き、空想の中の兄弟をあやしていた二階堂。
    その姿を知る月島の喉元に
    「それはあまりにも残酷すぎるのでは?」
     と出かけはしたが…今だすすり泣く二階堂の声を背に受け、月島は黙って鶴見の後に従うしかなかった。
    「二階堂」
     数日後、二階堂の見舞いに来た月島。
     二階堂は布団を引っかぶったきり出てこない。
     まるで子どものような振る舞いに月島はため息を吐き、
    「…お前が故郷に帰るなら、会えるのはこれが最後だ。最後まで上官に生意気な態度とるつもりか?」

     小樽、旅順、それこそ彼ら兄弟が第七師団に配属になった頃を思い返す。
     いつだって双子の兄弟でつるんで、自分たち以外とは距離を縮めず。しかしあの黒い瞳の奥に時折見えた、他者への興味。

    『月島軍曹殿』

     月島に対してにんまりと悪戯坊主のように笑って見せたのは、二階堂浩平だったのか二階堂洋平だったのか。

    「…全く、お前たち兄弟は…手のかかる奴らだな」
     月島は布団の膨らみを、ぽん、と優しく撫でた。
    「兄弟」と聞き、ぴくりと布団が動き…
    「……いってらっしゃい、ぐんそー」
    「…あぁ、早く良くなれよ、二階堂」
     ひょこり
     布団から出てきた頭をもう一度撫でて、そのまま月島は樺太への任務に赴いた。


    柘榴一粒
     月島たちが樺太へと旅立った後、二階堂の世話は宇佐美上等兵が請け負っていた。結局いまだ二階堂は塞ぎきったまま。
     病室の戸口に立つ宇佐美に、二階堂の様子を見にきた鶴見は声をかけた。

    「二階堂の様子はどうだ」
    「食事も変わらず、一切手を付けておりません。先程やっと眠りました」
    「なんともまぁ、強情な奴だ」
     ふぅ、とため息を吐いて鶴見は病室の奥へ目をやった。
     少し離れていても分かるほど二階堂の顔は青白く、死人のようだ。
    「ようへ…ようへい…」
     うわ言のように二階堂はずっと兄弟の名を呼び続けている。
    「ずっとあの調子です」
    「痛い、痛いよ洋平…かわいそうにね、痛いよね洋平…」
    「うーむ、どうしたものか…」

     心配そうな声を出しつつ、鶴見は窓の外を見やった。
     木々を揺らす木枯らし。
     病室の外では、本州より一足早い秋が訪れようとしていた。



    ◇◇◇



    「二階堂」
     夕暮れ時。鶴見は一人、二階堂の病室を訪れた。
     肝心の二階堂は鶴見の声を聞くやいなや布団を頭か被ってしまうし、寝台脇には有坂閣下から貰ったばかりの義手が適当に置かれていた。
    「具合はどうだ?」
     椅子を引き寄せ、枕元近くに座ってみせても顔を出さない。
    「お前に土産を持ってきてやったんだがなぁ」
     鶴見が残念そうな声を出すと、少しだけ布団をずらして顔を覗かせた二階堂。その様子を見て、「現金な奴だ」と鶴見は笑みを零した。
     鶴見の手には、どこから手に入れたのか、柘榴の実がひとつ。
    「なぁんだ」と言いたげに顔をしかめて、二階堂はまたすぐ布団に潜り込んだ。
     想定内だったのだろう。鶴見は「あぁん」と少し残念そうなため息を吐いてはみせたが、気にせず柘榴の実を割って、一粒摘んだ。
    「にかーいどっ」
     しーんと反応を見せなかったが、流石に中尉相手には、とでもまだ考える余力があったのか、(もしくは「適当に相手したら早く出ていってくれるかも」という考えのもと)再び顔を出した二階堂。その様子に鶴見は満足げに頷いた。
    「どれ、ひとつ『理由』を与えてやろう」
     二階堂の目の前に、柘榴の実を一粒ちらつかせる。
    「故郷に帰りたいか?二階堂」
    「…こきょー?」
     言葉の意味を理解せず、ぼんやりと開く二階堂の口に、鶴見は柘榴の実を、ふに、と押し込む。
    「…?」
     押し込んだ実を噛みもせず、飲み込みもせずにいる二階堂の唇を親指でなぞる。
    「…正直なところ、右手右足を失ったお前はもう戦力にならん」
     がらんどうの、二階堂の濁った瞳に鶴見が映る。
    「離脱して、故郷に帰るのも一つの選択だ…僅かでも、兄弟の思い出に浸ることができるだろう」
     ぷち、と親指で二階堂の唇を押し、唇越しに柘榴の実を潰す。
     そこでようやっと実を二階堂は実を食んだ。
    「…うえ…にがい、すっぱい」
    「ふふふ、お前たちは柘榴が好きではなかったかな?」
     もう一粒、そしてもう一粒。
     二階堂の口に柘榴の実をそっと入れ、食べさせる鶴見。
    「ざくろきらい、みかんがいい…」
    「北海道ではみかんが育たんからなぁ」
    「…ようへいは、ほっかいどーにもみかん、あるとおもってたよ」
    「静岡育ちなら、尚更そう思うだろうなぁ」
    「おれも、ほっかいどーにみかんも、ようへいもいるとおもってた」
    ぼんやりと夕暮れの窓の外を見つめる二階堂。

    「………二階堂」
     なに、とでも言いたげに二階堂は鶴見へと視線を戻す。
    「故郷に帰るか、私と共にここに残るか…選びなさい」
     西日が鶴見の左頬を印象付けるように照らす。
    「…こきょ…ようへ…」
     鶴見の横顔を見て、二階堂は絞りだすように声を出した。
     鶴見の提示した選択肢に答えず、じっと黙って見つめている。
     真っ黒い瞳からは考えを読み解くことは難しいが、故郷に心が惹かれているのだろうか。あの土地に。あの海に。
     それほどまでに恋しいのか、双子の兄弟が。

    「…よ、…」
     喉が、ごくりと動く。
    「ようへい、は…」

     ようへい、おまえなら
     ようへい、おれなら
     ようへい、ようへい、ようへい
     たくさんようへいとの思い出が浮かんで…

    「『お前が行くところなら、どこへでも行くぜ』だったか」

     鶴見の声を聞き、二階堂の目が大きく見開く。
     あの日
     もう何年も昔
     あの時の選択で

    「洋平は…そう言っていたなぁ」
     あの日、この兄弟は確かにそう言い合っていた。
    「…どうだ、二階堂?」
     少し呼吸が速くなる二階堂によく見えるように、鶴見は自分の左耳をとん、とんと叩いて見せた。
    「まだこれが欲しいかね?」
    「まだ忘れられんのかね?」
    「まだ過去に囚われているのかね?」
     ずいっと二階堂の顔に、自身の顔を間近に寄せる鶴見。

    「お前たちは本当にこれが好物だったなぁ、二階堂?」

     鶴見が差し出した手の中を見ると、熟し過ぎた柘榴。
     実が簡単に潰れ、じゅくじゅくと鶴見の手を血のように赤く染めていた。

    「…ざくろ、みたい、だな、って…」

     あの日、殺めた奴の脳髄と柘榴の実がチカチカと交互に入れ替わる。
     脳髄、柘榴、脳髄、脳髄…
     差し出される柘榴から目を離すことなく、顔を寄せる。
     すっと鶴見が手を引いたが、その手首を二階堂は自らの左手で掴み、柘榴へと獣の如く喰らいついた。
     ひとくち、ふたくち、みくち。
     その様子を、止めるでもなく鶴見はじっと見つめていた。
     二階堂の口の端から、ぼたぼたと血のように滴り落ちる果汁。
     それをべろりと自身の舌で舐めとり…

    「…おれは『洋平』を取り戻す」

     ぎらりと二階堂の瞳が鶴見の目をまっすぐに見据えた。

    「それが全てです。鶴見中尉殿」

     口の端を手首から先が無い右手で拭い、不敵な笑みを見せた。

     執念、執着、復讐
     素晴らしい顔つきに戻ったじゃないかと鶴見は内心ほくそ笑んだ。

    「…では、決まったなぁ、にかいどぉ〜?」

     にんまりと二階堂に笑みを向けたが、それには返さず一言

    「だから耳、全てが終わったらくださいよ」

    「…いいだろう、私が死んだらくれてやる」


     夕闇に移り変わる部屋の中、鶴見は垂れ出した脳汁をそっと額を拭った。


    宇佐美と二階堂
     それからの二階堂はようやっと精神面での峠を越えたのか、網走で右手を失くしてから鶴見との一件を経て、これまでの空白期間を埋めていくように体力を戻そうと執念を燃やす。
     鶴見もそのことを分かったうえで宇佐美に「二階堂に指導してやれ」との命を下した。

    「お前さぁ、やる気あんの?」
     仰向けで息も絶え絶えの二階堂を、涼しい顔をした宇佐美が覗き込む。
     右手足が無いという柔道においては不利でしかない体。何度も投げ技を喰らい、二階堂の体は全身打ち身だらけになっていた。
    「ほら、立てよ。右手足が無いからって戦争で言い訳が立ったか?」
    「……ない、ないよ……」
    「分かってんなら早く立ちなよ、ほら」
     汗だくで転がる二階堂に左手を差し出し、
    「時間が惜しいだろ」
     と言う宇佐美。
     事実一度限界まで落ち込んだ二階堂の体力は、はっきり言って一般人以下のものだった。それを過去の前線で戦ってきた筋力まで、いや正直なところ、欠損した部位を補う筋力をつけねばお話にならない。だからこそ「時間が惜しい」のだ。
    『じゅーどーおしえて』
     あの日のお前、やつれて窪んだ眼の奥に光る確かな狂気に僕は賭けてやっているのだ。
     もっと根性見せて鶴見中尉殿の駒になれ二階堂、そう内心思う宇佐美は無理矢理二階堂の腕を引き上げる。
     ふわり、軽くなっている二階堂の体は、意気込みとは裏腹に軽かった。
    「…ねぇ、二階堂」
    「なに」
    「柔道っていうのはさ、体の軸が要なんだよ」
     よれた二階堂の襟元を正しながら、宇佐美が言って聞かせる。
    「今のお前は右手足が無いからね、組み合っただけではほぼ勝ち目はない」
    「えー…」
    『勝ち目はない』の言葉に、二階堂はむすっと口を尖らせた。
     その様子に、宇佐美はふふっと笑って見せる。
    「けどな」
     とん、と二階堂の胸に指をあてる。きょとんとその指の先を二階堂は見つめ、宇佐美はそこから腹の方へと指を移動させる。
    「…最後に勝つのは胆力、『胆が座っている奴』なんだよ」
     ドン、と不意に二階堂の鳩尾…丹田に拳を打ち込んだ。
     急に腹を突かれて、うぇっと二階堂は一瞬呼吸が止まる。
    「やめて!びっくりするから!」
    「あは、気を抜いてるからだろ。わかったら今言ったこと意識し続けろよ」
    「…『胆を座らせる』ってどーやるの」
    「うーん…腹に力を入れてー」
    「いれてぇ?」
    「地面に根が生やす感覚…少し腰を落としてもいい。
     兎に角相手と組み合った一瞬で勝負が決まるから」
    「こう?」
    「あぁ、左手で相手の右手を握っても簡単に振りほどかれるよ。
     掴むなら相手の左手にしろ。
     そして、腹に力入れて重心は下半身。
     相手の腕を掴んで…あ、そうそう。何より大事なこと」
    「大事なこと?」
    「『勝つ』って確信」
     至極真面目な顔で、宇佐美は二階堂に伝えた。
    「『勝つ』って確信、気迫、覚悟。自分の全てをその一瞬に賭ける」
    「…むずかしーね」
    「お前にもわかる時が来るといいね」
    「…むぅ」
    「わかったらまた見せろよな、あのふてぶてしい顔をさ」
    「えー、宇佐美じょーとーへーの方がふてぶてしいよ」
    「ははは」
     そう笑って、また二階堂を勢いよく放り投げた。
    「ピピィッ!」
    「ほらまた気を抜いていたろ」
     不意打ちに成功し、上機嫌に宇佐美は笑った。
     しかし表情は至極真面目な顔をして、
    「…次は左手失くさないよう、気をつけろよ」
     そう二階堂に悟す様に言い聞かせた。
     自身の爪の甘さを指摘された二階堂は若干苛立ちはしたが
    「…わかった」
     今度こそ。その決意と共に、宇佐美の言葉を噛み締めた。


    向かう先
    「準備できた?」
    「待って、今巻くから」
    「早くしろよ…っていうかお前まだ脚絆巻こうとしてるの?」
    「だっていつも俺がこれ巻いてたから…」
    「はぁー…いいよ貸して、巻いてやるから」
     宇佐美は巻脚絆を受け取り、くるくると手早く巻いた。
     二階堂の体力もあれから随分と持ち直し、先日鶴見から登別で湯治中の菊田、有古の両名と合流するよう命を受けたところだ。
    「はい、できた」
    「ありがとー!」
     立ち上がり、二階堂は自分の足の具合を確かめた。よいしょと重い荷物を背負い、歩き出した宇佐美の後へと続く。
    「あ、待って!」
    「今度は何?」
     大きな静止の声を出した後、二階堂はたたた、と入院していた病院の窓枠に近寄り、何やらぶつぶつと言い始めた。いつものことかと宇佐美はため息を吐いてその姿を見守った。
    「うん、うん…行こう、『  平』」
     実際、聞こえていたとて。何が正解だったかなんて、誰にも。

     例えばの話。
     右も左も上も下もわからない暗闇の中。
     光もなにも見えない闇の中に長時間いると、人は段々と自分が存在しているのか、はたまた死んでいるのか、自分という存在が暗闇に侵され、境界が曖昧になってくると言う。
     孤独という暗闇。二階堂洋平が死んだ後、その暗闇の中ひとり耐え忍んでいた二階堂浩平もその例外ではないとしたら。誰も知らない間に「自分」という存在が曖昧になっていたとしたら。
     洋平、両耳、右足、そうして、右手。自身の身も心も削がれていった二階堂は、ある《答え》を導き出していた。それはあの夕張で思いついた案そのもので。
    「体を手に入れたら…俺たちはまた元の二人に戻れるよね」
     元の二人。浩平と洋平が揃った二人。二人は一緒になってはじめて「二階堂」であり、「二階堂浩平」「二階堂洋平」として存在できるのだ。
    「耳は…鶴見中尉のを貰えるよ。洋平の耳はこれで両耳揃うから。うん、任せて。浩平の体は俺がちゃんと見つけてあげるから」
     そうしたら何もかも元に戻るんだと、ただひたすらに信じて。
    「…待ってろよ。俺が元に戻してやるからな」
     窓ガラス。ぎらりと鈍く光る瞳の奥には、あの日の禍々しい炎。
    「二階堂ー、早くしろよ」
     遠くで宇佐美が声をかける。
    「はぁい」
     最後にもう一度、窓硝子に写る顔をそっと撫で二階堂は宇佐美の元へと駆けていった。

     早く、早くその時が来ますように。
     焦る気持ちに同調するかのうように、刻一刻と二階堂の心は狂っていく。

     登別、小樽、そうして札幌。
     
    「やっと…終わるんですね」

     物言わぬ宇佐美の亡骸を前に、二階堂は直に訪れる争奪戦の終焉を思った。


    終焉
     見つけた、やっと見つけたぞ杉元佐一!

     五稜郭、堀の受けから杉元目掛けて渾身の一撃、そして義足の散弾銃を脳天に喰らわせた。
     弾はほんの少し外れ、杉元の頬を撃ち抜きはしたがその応戦に左肩を銃剣で貫かれる。
     痛みなんて何も感じなかった。右足を失おうが右手を失おうが、洋平がいなくなった時からずっとずっと、俺は…!

    「テメエだけは許さねぇ…!」
     許さねえ、クソッタレ、これで終わらせるものか。
     杉元をバラバラにして俺たちはまたふたりに戻る!
     だから、だから、なぁ洋平、洋平、洋平を!
    「洋平を返せ!」
    「ごちゃごちゃうるっせえな!殺し合いだろうがよ!」
     ごちゃごちゃうるさいのはお前だクソが、クソ、クソが、
     絶対にお前だけは、お前だけは絶対に殺してやる!
     洋平を返せ、返せ!返してくれ!

     必死に組み合うも、不死身の杉元の勢いに押され、右足を抱え込まれる。
     そのまま義足に込めた二発目を撃たれた、後がない。
     俺に残っているのは何だ、必死に頭を回転させる。
     武器、武器、何か…!

    『お箸入れになっておる!』
     
     瞬間クソでかい声が脳裏をよぎり、咄嗟に義手の指を開け
     箸を、杉元の、喉元に、突き刺しー
     そして自分の腹を冷たい銃剣が貫く感覚

    「よくも俺の兄弟を…」
     よくも俺達を、よくも俺達を離れ離れにしてくれたな杉元…!
     よくも浩平を、よくも浩平の体を痛めつけてくれたな杉元…! 

    「浩平の体を返せぇ!」

     貫かれた腹を銃剣で掻き回され、ごりごりと骨と内蔵が軋む音がする。体がどんどんと動かなくなっていく、時間がない。

    「兄弟仲良く地獄で待ってろ!」

     杉元、お前も道連れに決まってんだろ
     最後の最後、とっておきを喰らわせてやるよ
     
     これで決めてやる
     
     俺達は『勝つ』んだ洋平
     ピンを抜き、目の前の杉元に見せた瞬間、宇佐美との会話が思い起こされた


    『自分の全てを、その一瞬に賭ける』


    「ぶっ飛ぼうぜ杉元!!!!!!」



     杉元佐一と共に散る覚悟を決め、俺は腹の底から声を張り上げた。



     …瞬間眩い閃光が走り、体を駆け抜ける衝撃に一瞬何が起きたのか判断つかなかったが……おや、まさか……

     
     ─── 洋 平 、



     手を握った瞬間、辺りが光っ



    旅路

     さぁさぁと、風が草むらを吹き抜けていく音が聞こえる。
     土の香り、ほんのりと風に乗って香ってくる、この香りは─懐かしい、きっと蜜柑の花の香りだ。

     うっすらと目を開けると、自分を覗き込む人影が。

    「─洋平?」
     
     光を背に受けているから、表情は見えない。
     自分を覗き込むその人影の頬に、ゆっくりと左手を伸ばすと、両手でぎゅっと強く手を握られた。
     ずずっと鼻をすする音。あぁ、確か、日露で俺が怪我した時も、こうしてくれたな

    「──何泣いてんだよ、洋平」

     起き上がって、視線の高さを同じにすると、やっぱりそこには俺と同じ顔。
     ずっと見たかった顔。
     洋平の顔。

    「──すまねぇ、浩平、俺、お前をひとりに」

     忘れもしない、俺と同じ声
     ずっと聞きたかった、俺の名を呼ぶ声

    「─地獄だったぜ、洋平がいない世界は」

     がちゃ、と洋平に伸ばした右手から、義手が落ち

    「お前を取り戻そうと、馬鹿みたいに走り回って…」

     にじり寄ろうとした右足からも、義足が外れた。

    「二度と、会えないかと…!」

     義手が外れた手で、力一杯互いを抱きしめた。
     同じ顔、同じ声で、同じように泣く、瓜二つの双子の姿。

    「……こ、浩平っ!」
    「洋平、洋平…っ!」

     二度と会えないかと、二度と一緒にいられないのかと。
     互いの体を強く抱擁し、あぁやっと会えたと安堵の息を漏らした。


     少しの間を置いて、浩平がぽつりと呟いた。

    「…すまん洋平、仇をとれなかった」
    「気にするな、俺はお前といられりゃそれでいい」

     それ以外、何も望まねぇ
     互いに鼻をすすり、まじまじと見つめ合う

    「ははっ、酷ぇ泣き顔だな、洋平」
    「ははっ、酷ぇ泣き顔だな、浩平」

     くすくすとからかい、もう一度互いのことを強く抱きしめた。

    「…おちつく」
    「…おれもだ」

     洋平にしがみ付き、浩平は鼻を鳴らした。

    「ずっと故郷に帰りたいって思ってた」
    「うん」
    「けど本当は俺、ただひたすら洋平に会いたかったんだ」
    「はは、俺も同じ。俺も浩平に会いたくて堪らなかった」

     つまり、俺たちが互いの『故郷』ってことか

    「二度と離れねぇからな、浩平」
    「それは俺の台詞だろう、洋平」

     当たり前だ、離れるなんて二度とごめんだぜ、と互いに笑い合った。

    「…よし、じゃあ行くか、浩平」
    「…行くって…どこへだ?洋平」
    「さぁな…俺たちふたりで行けるところなら、どこまでも」
    「そうだな…ずっとこの先…いつまでも、どこまでも、か」

     浩平は洋平に、洋平は浩平に手を差し出し、

    「「だって俺たち、双子だもんな」」
     
     笑い合い、そうして二階堂浩平、二階堂洋平は二人して白い世界、明るい方へと歩き出した。
     
     もう二度と離れないよう、しっかりと互いの手を握って。
                                   


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