甘く、舐める ころろ、と何か硬い物同士が当たる音がする。何の音かと音のする方を探れば、どうやら隣を歩いている坤の薬売りが口内で飴を転がす音らしい。どうやら飴はそれなりの大きさをしているようで、坤の片頬をまぁるく膨らませている。
確かに、何やら懐をゴソゴソと漁っているな、とは思っていたがまさか飴を取り出していたとは。
二人がこのように連れ立って歩いているのは、次なるモノノ怪退治の場へ赴く為であった。とはいえ同じモノノ怪を斬りに行く訳では無いので、こうして隣を歩くのも現し世へ降り立つまでの残り僅かな時間の話。
離の薬売りが十翼の館から出立しようとした際、運良く坤の薬売りも次の仕事へ向かう所だったようだったので。それならば『そこまで』とどちらともなく隣へ並び立ったのだ。
ころろ、ころ。
と可愛らしい音をさせて。飴を転がす坤の薬売りはどこか上機嫌である。確かに、坤の薬売りは平素から腹を空かせている質ではあるが。何も出立ギリギリまで何か口に含ませずとも、と立ち居振る舞いに小言を言いたい同輩としての顔と、機嫌の良い坤は可愛らしいな、と恋人としての顔とがせめぎ合う。
それ故、ついジィ、と顔をよぅく見つめてしまっていたらしい。ハタ、と視線に気が付いた様子で坤の薬売りが振り返った。
「あの、なにか?」
なにか、もナニも無いだろう。どこか不明瞭な発音でそう問われ、やはり呆れが勝ってしまい離の薬売りは溜息を吐いた。
「何を食べているんですか」
「あぁ、……アメですよ。まぁ、溶かして固めだだけの、カンタンなものですが」
返答の最中もやはりころ、ころろ、と飴を転がすせいで、坤の返事はところどころ柔々としている。確かに口に物を含んだままにしては、きちんと返事をしてみせた方だろう。だが決して〝ナニ〟を食べているのかを問うた訳では無く、言外に〝ナゼ〟食べているのかを問うたつもりだったのだが。
もしや伝わらなかったのだろうか? などと思いかけた時、坤の薬売りがクスリと笑う気配があった。
「これはべつに、あっしが腹を空かせているわけじゃナイんですぜ」
「ほう?」
半ば疑心に思う気持ちを隠しもせず少しだけ首を傾げてみせれば、坤は『勿論意図は分かっている』と言わんばかりに苦笑いした。
「売り物……というには大げさですが、苦い薬にも甘い飴をオマケで付けると、まぁ中々売りやすくなるもんで」
「なるほど?」
「それにこういった甘味の類は、女子供を〝懐柔〟するにはもってこいでね」
懐柔、などと言ってはみせるが、〝薬売り〟などは警戒されてなんぼ、な面さえある。何より、離よりは幾ばくか柔和な物言いをする坤には懐柔、など不必要な薬であろう。いくら引き戸に仕舞ってあるのかは知らないが、その殆どは坤の腹に収まっているに違いない。まぁ、少しは本当にオマケにしているのだろうけど。
「あぁ、でもそうだ。せっかくなので……」
そう言葉を区切った坤を不思議に思うと同時、クン、と振りを引かれて体を引き寄せられる。まだここが端とは言え十翼である事に加え、坤の薬売りが隣に居るという事で完全に気を抜いていた。
離の薬売りはたたらを踏む事すら叶わず、引き寄せられるがまま、ぽすりと坤の懐へと収まった。
突然の事に驚く離を他所に坤の顔が近づいてきて、ちう、と優しく唇を塞がれる。驚きに目をぱちくりさせる離の様子に、唯でさえ猫のようにも見える坤の瞳がきゅるり、と弧を描いて喜色を伝えて来る。
はて坤からの口付けとは珍しいな、と思っていると、何と更に珍しい事に離の唇をその舌でチロリと舐めて来た。これは離が坤へと教え込んだ口を開けさせる合図で、いつもは離が坤へとする仕草であった。
なんと珍しい事続きだな、と思いつつ素直に口を開けてやれば、ちょろん、とほんの僅かばかり舌が差し込まれる。おっかなびっくり、という程では無いが、不慣れな事を隠し切れていない。幼さのようなものさえ垣間見える愛撫に、坤の初心さが窺い知れる。
もう散々ッぱら、閨で出来ることは一通り経験させてやったというのに。いつまで経ってもまるで乙女のよう。
ちろ、ちろと子猫が乳でも舐めるように施される愛撫に痺れを切らし、今度は離の方から坤の口内へ深く舌を差し込んでやる。
「ん、ンッ、」
鼻に抜けるような声は抗議のつもりかもしれないが、離にはまるで子猫の甘えた鳴き声のように聞こえた。離が押し入ったのと同時、引っ込みかけた坤の舌をひっ捕まえて絡め合う。くちゅり、と響いた水音は、飴で甘くなった坤の口内と同じ、甘い音がした。
吸って、擦り合わせて。普段より何倍も甘い坤の口内をこのまましゃぶりつくしてやろうかとした寸前。坤の口内からころん、と送り渡された物があった。
「ンッ、っ、ぷはァ……ッ」
そのままトン、と肩を押され体を離させられる。離が素直にそれに従ったのは、偏に坤の瞳に薄くなみだの膜が出来ていて、目尻が朱に染まっていたせいだ。このまま無暗に深追いした結果怒らせて、喧嘩別れにでもなれば切ない気分を味わう羽目になるだろう。それは流石に避けたい。
そんな思いから素直に従ったというのに、離れた坤はと言えば口元の垂れた涎を拭いながらもキッと睨みつける様にしている。仕掛けてきたのはそちらだろうに、とは思えども、仕掛けた癖に返り討ちに合った、というのが余計に腹が立つのだろう。
だがそれも直ぐに持ち直させ、フンッと勝ち誇ったような顔で鼻を鳴らして見せた。しかしどう見ても未だ涙の膜も目尻の朱もそのままなのだから、強がりが丸わかりでいっそ可愛らしい。
「どっ、どうですか! 甘いのが苦手なアンタにァ、きっと大変な甘さでしょう!」
「えぇ、マァ……」
確かに得意か不得意かで言えば後者ではあるが。そうも胸を張ってされて困る程の〝意地悪〟でも無い。
「せ、精々、飴が無くなるまでは苦しんで、」
坤の言葉は次第に語調を弱めて行き、終いにはモゴゴ、と再び不明瞭になってしまった。聞き損じないようよぅく耳を澄ませていれば、一際小さな声でぽしょり、と続きが呟かれた。
「その間くらいは、あっしのこと……、想っていてくださいね」
坤から施された口付けなどよりもよっぽど強い驚きに離が目を真ん丸にしていると、坤はビョン! と跳ねるようにして背筋を正し、誤魔化すかのように今度は大声で続きを言った。
「でッ、ではあっしはこれで!! 離の方も、どうかご武運を!!」
最後の方など、お前は声で客引きをする物売りか、と言わんばかりの大声で叫び捨て、坤は返事も待たずに駆けて行ってしまった。八卦一の健脚の持ち主はあっという間に見えなくなってしまう。憐れ、取り残された離の薬売りは一人、ポカンと呆けるばかり。
「…………いやァ、なんとも……」
可愛いような、小憎らしいような。口渡しされた飴が永遠に溶けないのならばいざ知らず。簡単に溶け消えてしまう飴を転がず間だけなど、情人を想うには短すぎる。
「俺の想いも、舐めれたもんだ」
などと押し付けられた飴を舐めながら、仕事の場へと向かうのだった。