見えない傷伏黒が乙骨に一方的な好意を持ってる頃の話。
今日は乙骨と伏黒が一緒の任務で共に行動している。乙骨の任務に伏黒が見学がてらついていくという形の任務だ。憧れの特級術師である乙骨の任務についていけるというので少し興奮気味の伏黒。伏黒にとって乙骨は優しくて強くて尊敬できる先輩。それだけじゃない。伏黒にとって乙骨は好意の対象でもあった。そんな人と2人きりで行動できるなんてこんな嬉しいことはない。
軽々と任務をこなした乙骨に感心しつつ早めに任務が片付いて時間ができたので少しだけ2人で散歩しつつ他愛のない会話を楽しんでいると。突然伏黒のスマホが鳴り着信を確認すると五条先生からだとわかる。めんどくさ…と思いつつ出ないわけにもいかない。ちょっと長電話になりそうだと直感した伏黒は乙骨から少し離れから電話に出る。
伏黒くんは真面目だなあと乙骨は思う。わざわざ僕から離れて電話に出るなんて。伏黒の表情から電話の相手はきっと五条先生なのだろうと察した。確か真希さんも五条先生から電話きたときあんな顔してたっけ。似てるとこあるんだよなあ、親戚なんだっけ?
2年生になってから担任の先生が変わり五条先生とも会う機会が減って少し寂しくなった。けど離れたところで電話してる伏黒の表情を見ると電話先の五条先生はきっといつも通りなんだろうなと安心する。
「あれ?おまえ、乙骨?」
突然背後から名前を呼ばれ振り向くとその姿に瞬時に萎縮する乙骨。この人達には見覚えがある。
「えっ…あ、えっと…」
「あー、その反応懐かしいな、やっぱ乙骨じゃん!」
「こんな場所で会うとか思わなかったぜ。学校来なくなって寂しかったんだぜ?相手してくれるやつがいなくなってさ」
そうだ、地元の学校に通ってた頃、乙骨のことをしきりにいじめてきた3人。不良っぽい装いはここでも変わらない。だがここは東京。こんなところでまで会うとは思ってもいなかった。
「噂聞いたぜ?おまえ、化け物飼ってるんだってな?どんな化け物なんだ?見せてくれよ」
「俺達がぶっ飛ばしてやるよ。感謝しな」
「……飼ってません」
「オラッ、早くしろよ!暇じゃねーんだよこっちも」
きっと別のいじめっこ達に里香ちゃんがやってしまった出来事のことを言ってるんだろうと気づく乙骨。変に有名になってしまったなと冷や汗が出る。いじめられていたトラウマが蘇ってきて立ちすくむ。脚が重くて動けない。どうしようと迷っていたその時。
「なんだ、アンタら。俺の先輩になんか用?」
「…!伏黒くん」
怖そうな不良達に怯える様子もなく乙骨を守るように前に立つ伏黒。
「あ?誰だテメェ。こっちは乙骨くんに用があんだよ」
「乙骨の後輩?ガキはすっこんでろよっ!」
1人が伏黒目掛けて拳を振るってくる。だが簡単に拳を払う伏黒。それと同時に腹に1発入れると呻き声をあげて後退する。仲間がやられてすかさず殴りかかってくる別の不良にも屈することなく1発ぶちこみふらつく3人。
伏黒くん、こんなに喧嘩強かったんだ…と驚く乙骨。
「ハッ、威勢がいいのは声だけかよ」
たじろぐ3人を見て鼻で笑う伏黒。それを見て頭に血が昇る不良達。このままだと喧嘩がヒートアップしてしまいそうだ。
「伏黒くん、もういい。やめよう」
伏黒の腕を掴み喧嘩をやめさせる乙骨。
「なんでですか?」
「あぁ?ビビりはすっこんでろや!!」
両者共に納得してない声。でもこれ以上は駄目だ。
「帰ろう、伏黒くん。こんな喧嘩、無意味だ」
「でも…先輩っ」
「これ以上事を大きくしたくない」
伏黒の腕を握る手にグッと力がこもる。無意識に呪力が滲み出る。
不良達に聞こえないように後ろを向き囁くように話す先輩。いつもより少し低い声。俺に怒ってるのか?
「…ッ、わかりました」
不良に向かってチッと舌打ちし踵を返す伏黒。乙骨と一緒にその場を離れる。
「アァ!?逃げんのかよ!待ちやがれ!!」
「おい、やめろって!」
「なんだよ怖気付いてんのか?」
「ちげーよ!見えただろ?乙骨がガキを握る手!炎みたいなのが上がってたぜ?あいつが化け物飼ってると思ってたがそんなんじゃねえ、あいつ自身が化け物だったんだ!!」
背後から乙骨を化け物扱いする声が聞こえてイライラする伏黒。横をチラッと覗くも振り向くこともなく無言で前を見て歩く乙骨。遠のいていく不良達の声にハァーと納得できないため息をつく伏黒だった。
しばらく無言で歩く2人。人気のない裏道まで歩いてきた頃にたまらず伏黒が口を開く。
「先輩、何故あの時黙って立ってたんですか?何故強いのにやり返そうとしなかったんですか?」
ズキリと刺さるような伏黒の言葉。思わず立ち止まる乙骨。
「ちょっと昔のこと思い出しちゃって…それに手を出してしまったら僕も彼らと同じことしてることになってしまうから」
「でもあのまま俺が来なかったら先輩やられてましたよね?それでも我慢したんですか?」
「早くあの状況を終わらせるには僕が黙っとくのが1番手っ取り早かったと思う。それにやられても僕は反転術式が使える。傷なんてすぐ癒せるから大丈夫だよ」
「はぁ?反転術式が使える?だから何だって言うんですか!?傷が治ったところで先輩がやられる事実は変わらないんですよ?!」
「それは仕方ないよ、終わったことは変えられないし。僕が耐えればいいだけだから」
だんだんと苛立ちが増していく伏黒。乙骨の答えることすべてがいじめられる側の言葉。耐えればいい?先輩が反転術式が使えるというのは今初めて知ったがそれが何だ?それですべての傷が癒えるわけじゃないだろうに。
「なんで悪いのは向こうなのに先輩が耐えなきゃいけないんですか?理解できません。そうやって今まで耐えて、自分が辛いことを無理に隠して何もなかったように振る舞って生きてきたんですか?そんなのいつか耐えられなくなりますよ」
「心配してくれてるんだね。ありがとう。でも昔よりは辛いこと、辛いって言えるようになったから平気だよ。伏黒くんは優しいんだね」
少し切ない顔で微笑む乙骨。その姿に心が痛む。優しい?俺が?俺は今あなたの自虐すぎる姿に幻滅してる。素直で真面目で優しくて純な心の持ち主であるこの人がこんな深い闇を抱えているなんて知らなかった。これから先もこの闇を人知れず抱えて生きていくのだろう。それならば。
乙骨の両腕、上腕を掴んでそのまま建物の壁まで押しつける伏黒。突然の出来事に抵抗できず壁にぶつけられて怯む乙骨。
「ふ、伏黒…くん?」
戸惑った表情で伏黒を見る乙骨に睨みつけるような視線を返す。
「なら、俺があなたに傷痕を残しても文句ないですよね?」
「ッ…?!」
乙骨の返答はない。何か言い出す前に伏黒が己の唇で乙骨の口を塞いだからだ。
「………んぅ…」
ずっと想い焦がれていた人の顔が目の前にある。反射的に目を閉じてしまう伏黒。こわばった乙骨の口元。無理もない。無理矢理唇を奪ってしまったんだから。先輩との初めてのキスは思ってたより柔らかくない。抵抗はないが制服の裾を握られる感触がある。だが構う余裕はない。
うぅ…と小さく呻く声が聞こえてハッとした伏黒は目を閉じたままそっと唇から離れる。解放された乙骨の口から空気が漏れる。先輩の顔が見れなくて俯く。両腕を握ったままの手は震えて力がこもる。
きっと先輩は嫌な思いをしたと感じてるに違いない。それもそうだ、男同士でキスするなんて。俺は先輩のことが好きだった。だけど先輩も同じとは限らない。不快に満ちた顔でこちらを見ていることだろう。でもこれで先輩に消えない傷痕を残せたならそれでいい。
意を決して顔を上げる伏黒。その目に見えた乙骨の表情に茫然とする。
顔を真っ赤にして口元を左手で覆っている乙骨。困惑した表情をしてはいるが嫌悪に溢れた表情とは程遠い。
「せ…んぱい?」
「伏黒くん…腕、痛い……」
「あっ…すみません」
無意識に力のこもった手は乙骨の腕をギリギリと締めつけていたようだ。拘束から解放された腕を撫でながらも視線を合わせようとしない乙骨。
伏黒くんの視線が痛い。伏黒くんがこんなことしてくる人だとは思わなかった。キスって好きな人同士でするものだよね?伏黒くんは僕のことが好きってこと…?僕はどう思ってたんだっけ、伏黒くんのこと…こんな時どうすればいいんだろう、わからない。クラクラする頭。顔が燃えるように熱い。心臓が飛び出ちゃうんじゃないかってくらいバクバクいってる。
「先輩、大丈夫ですか?」
あまりにも硬直して動かない乙骨を心配になった伏黒が声をかける。
「う、うん…だいじょーぶ………」
チラッとこちらを見る先輩。瞳は潤み目は泳いている。かなり動揺させてしまったようだ。
「先輩、嫌じゃなかったんですか?こういうの。男同士だし無理だろうなって思ってたんですけど…」
「わからない…嫌っていう気持ちよりもなんだろう、恥ずかしいとか、なんかドキドキしちゃってるっていうか…なんて言ったらいいのかわからない……」
乙骨の顔はいまだに赤くて耳まで赤い。熱でもあるんじゃないかと思ってしまう伏黒。わかりやすいくらい下がり眉で節目がちな姿。これは脈ありか?今まで見たことない可愛らしい先輩の姿にこっちまで高揚してしまいそうだ。冷静にならねば。
「そうですか…先輩、今起こったことは忘れてください」
「えっ、なんで…?」
「先輩に精神的に嫌な思いさせれば我慢するのやめてもらえるかなと思ったから思い切ってキスしたのに、あまり嫌そうじゃなかったからやった意味ないじゃないですか。なんか悔しいです」
「そ、そうなの?でも忘れられないよこんな出来事。今でもドキドキしてる。お互い、見えない傷残っちゃったね」
困ったように笑う乙骨。笑顔が眩しくてより恥ずかしくなってしまう伏黒。
「そろそろ帰りますか…」
これ以上先輩を見つめていたら気が狂ってしまう。早くこの場から去りたい。
うん…と小さく頷く乙骨と再び並んで歩き出す帰り道。気まずすぎて高専に戻るまで一言も話せない2人だった。
乙骨が伏黒に好意を持ち始めるちょっと前の話。