クリスマスのマシロちゃんとアーテル 一年九ヶ月振りの地上。あちこちに薄らと牡丹雪が積もっている。それを目にしてようやく今の季節が冬だと思い知る。
僕が生まれ育った土地は雪が多い地域だった。この街とは景色や雰囲気が大きく違う。この街は日没が早くなっても景色が明るい。
けれど、生まれ育った土地と異なる場所に在っても冬は寒く、寒さは淋しさによく似ている。
「マシロ。手を繋ぐといい」
差し出される掌は革の手袋で覆われている。硬くもないし冷たくもない。
今のアーテルは手袋だけでなくチェスターコートを羽織りハイネックのセーターにスキニーパンツ、足元はショートブーツを履いている。傍目には街を行き交う人間と変わりない。
耳元にイヤーマフまで付けているから彼が自律型戦闘人形だと判る人間はいない。いるわけがない。いるとしたら空の関係者だけだ。
つまり、今のアーテルは造形が美しい人で、手を繋ぐのが気恥ずかしい。
そもそも、ここは地上の市街地だ。基地の廊下とは違う。パートナー機と手を繋ぐのが当たり前な場所ではない。
親子連れは別として、恋人らしき人々も手を繋いでいない方が多い。そんな中で僕とアーテルは手を繋いだまま、片側だけで五車線ある広い道路の横断歩道を急ぎ足で渡る。
渡った先はハイブランドばかりがショーウィンドウを飾るビル。キラキラというよりギラギラしていて眩しい。とはいえ、そんな店に用はないのだけれど。
「本物のビチェリンを飲みに行こう」
言葉通りの意味だったのか、それを口実に僕を地上に連れて行きたかったのか。こうして連れられている今も分からない。
ビルの二階、吹き抜けの回廊から離れて奥まった場所にその店はあった。
恭しく出迎える店員に導かれるまま深緑のカーテンの先のサロンに着席する。
「私はビチェリン単品で、マシロはズコットとセットでいいか?」
「任せるよ」
サロンは街の喧騒から隔てられている。静かすぎるくらいだ。
何か喋らなくては。そうは思うけれど、話す内容が思いつかなくて黙ってしまう。
しびれを切らしたのか、アーテルが耳打ちする。
「マシロは、このような店に慣れていると思っていたが」
「そうでもないよ。店に行く機会はあまりなかったんだ」
「きみの生家は通信販売を多く使っていたのか」
「外商が物を持って来ていたんだ。外商は分かる?」
アーテルは首を横に振る。
「情報としては知れるが、どういう暮らし方なのかまでは記録が乏しい。教えてくれるか」
過去を振り返る。思い出そうとすると、やっぱり苦味を喉に感じてしまう。
「裕福な籠の鳥だよ。餌と水は充分に与えられて、玩具も買い与えられる。でも、飛ぶことは絶対に許されない暮らしだった」
アーテルは「そうか」とだけ呟いた。声から憐れみなんかの余計な感情が感じられない。僕はそれが心地いいと思った。
人間は憐れんだり妬んだり、それらを複雑に重ねて同情するふりをする。相手の心を逆撫でしないように対応するのに疲れる。
その点、アーテルや他の自律型戦闘人形たちは、負の感情が都合よく欠けているから会話を交わしていて疲れない。
そう考えているうちに注文したものが届いた。
グラスの中にはホイップクリームの白と濃い茶色の層がある。甘苦い香りが立ち上る。
「これが本物のビチェリンだ。私が作った偽物とは違う」
「そうだね。本物の方が華やかな香りだ」
混ぜずに一口飲む。本物のビチェリンは偽物より苦味がある。
当たり前か。偽物は死に損ないの僕を慰めるためにアーテルがあり合わせの材料でこしらえた甘い飲み物だった。
「お店で言っては良くないかも知れないけれど、僕はアーテルが作ってくれた偽物も好きだよ」
そう言うと、アーテルは嬉しそうに口角を上げてみせた。
「偽物は偽物なりに善戦できるのだな」
「そうだね。偽物だって素敵だよ」
ビチェリンを飲み干して、店を出る。時間はまだ夕方。空に戻るにはまだ時間がある。
「この建物には映画館があるようだ。観ていくか」
「そうだね。暇潰しにはいい選択だ」
シネマコンプレックスには十数種類もの映画の上映スケジュールが並んでいる。
「観たい映画はあるか」
「ないよ。きみと隣で同じ映画を観れたらそれでいい」
「ならば、今から上映時間が近い作品にしよう」
そうしてアーテルに任せた結果、周りの観客が僕と同じ世代の女の子ばかりになった。
「……嫌な予感がする」
僕が眉を顰めると、アーテルは僕の顔を覗き込む。
「どういう意味だ」
「映画としては駄作かも」
今はそれでも構わないんだけどね。
結果は予想通りの駄作だった。平凡な女の子という設定の美少女が口の悪いイケメンと恋愛するだけの退屈な映画。
だから途中から映画ではなく、映画を一生懸命に見つめるアーテルを眺めていた。その方がずっと有意義だと思ったから。
館内が明るくなってもアーテルは立ち上がろうとしない。
「地上の娯楽は面白いな」
「え、こんなのが良かったの」
僕が驚いてみせると、アーテルも驚いた。
「マシロは面白くなかったのか」
「当たり前だよ。あんなの強引なだけで格好良くも何ともない」
そう口にすると、アーテルは破顔した。
「だとしたら、この映画を観て良かった。観た者それぞれに価値が別れて悪口が言える映画は良い」
それはB級映画の評論家の台詞だよ……。
とはいえ、映画デートなんてこれでいいのかも。
清掃員に追い出されて映画館を出る。気づけばもう夜。地上を見下ろせばイルミネーションが街を彩っている。
「地下街まで降りずに地上歩いていきたい」
「ああ、それはいい。飾りつけが沢山見られそうだ」
「じゃあ、行こう」
暗いから手を繋ぎやすくなった。僕たちには都合がいい暗さになった。