一人部屋に二人(ジェイルク)「じゃあ、ルークはこの部屋、ジェイドさんはその隣を使ってください」
ケリュケイオンを案内したイクスは、そう言ってルークとジェイドにそれぞれ別の部屋の鍵を渡した。部屋にベッドは一台。元々はビフレスト国との戦争に備えて開発された船だという説明を踏まえれば、相応の広さと言える。
「ちなみに、俺の部屋はあっちで、ミリーナの部屋が……」と案内を再開するイクスに、ルークは上の空で相槌を打つ。おずおずとジェイドに向けられる視線は何事かを訴えていたが、ジェイドは肩をすくめて返した。どう見ても一人部屋だ。ルークがどう思おうが、受け入れるほかないのだ。
静かにそっとドアが開き、音が鳴らないよう慎重に閉められる。ゆっくりとドアノブから手を外し、そしてルークは脱力したように深い溜息をついた。
「どうしたんです、溜息なんてついて」
「うわっ!」
「嫌ですねぇ。人の顔を見て飛び退くなんて。流石に傷つきました」
「ウソつけ! マジでビックリしたんだからな!」
声を張り上げるルークに、ジェイドは人差し指を立てる。
「静かに。夜ですよ、ルーク」
ハッとルークは周囲を見回した。近くの部屋では、出会ったばかりの仲間達が眠っているはずだ。自分がそっとドアを閉めた時と同様に夜の静けさが保たれていることを確認すると、ルークはまるで叱られた子供のように眉を下げ、ジェイドを見た。
「どこに行こうとしていたんですか」
「えっと……特に、決まってないけど……なんとなく?」
笑ってごまかそうとする子供に、ジェイドは眼鏡を押し上げる。
ケリュケイオンに来てから、ルークはイクスやミリーナ達とうまくやっている様子だった。特に面倒見の良いユーリの存在は、ルークからすればガイのように親しみを感じるものだったのだろう。鬱陶しがられるほどに懐いているようだ。
しかし彼らとはまだ出会ったばかりだ。ここにはルークを常に気にかけていたガイも、ティアも、ミュウも、ナタリアも、アニスも、ノエルもいない。ジェイドのほかには誰もいないのだ。
「眠れないのですか」
ほんの一瞬、ルークは息をとめて、それから視線をさまよわわせた。一回、二回、ジェイドの目を通り過ぎてうつむいて、小さく頷く。
「でしたら別に、私の部屋でも構いませんね」
鍵を回して、ドアを開ける。ルーク、と名前を呼ぶと、子供は観念したように頷いた。
ジェイドに与えられた部屋も、ルークの部屋とほとんど違わない。机と椅子と、その反対側の壁にベッドがあるのを見て、ルークはベッドに腰かけた。ジェイドも椅子に座り、机の上に広げてあった本を閉じる。
「へー、ジェイド、本読んでるのか」
「ええ。この世界の本を読みたいと言ったら、イクスが貸してくれました。あなたも読みますか?」
「いや……俺は遠慮しておく……」
嫌そうな顔をするルークに、「面白いんですけどねぇ」とジェイドは笑った。
「お前の“面白い”は当てにならねぇ」
「中々興味深いものですよ。参考になります」
「ふーん、そういう“面白い”か……まぁ、読まねぇけど」
ルークも笑みを浮かべて、「でもさ」と続ける。
「一緒に具現化されたのが、ジェイドで良かったって思うよ」
ガイや、ティアではなく?
なんでもない風を装いながらも、子供が震えているのに気付いたから、ジェイドはからかえなかった。
「最初、イクス達からこの世界の説明をしてもらったけど、さっぱりでさ。ジェイドがいたらなって思ったんだよ。で、そしたら本当にジェイドがいた! ま、最初に会ったのは偽物だったけどな。でも、ジェイド、お前があの時みたいに助けてくれて、やっぱりジェイドだなって」
ふっと息をつき、「体調のこともあるけどさ」と呟かれた言葉を拾い上げ、「体調、ですか」と繰り返す。本来の世界では、ルークの体は音素の乖離現象が進んでいた。遠くない未来、ルークは消滅するはずだったのだ。ジェイドが口を開いて尋ねる前に、ルークは両手をひらひらと振る。
「この世界に来てからは、なんともないよ」
ルークは何故かジェイドを励まそうとするかのように笑った。彼はむしろ、励まされる側の人間のはずなのに。
ルークはなんともないと口にした。消滅の不安と戦い続けた彼の感覚は重要視すべきではあるが、あくまで感覚でしかなく楽観視はできない。もし、本当に“なんともない”としても、それがいつ、どんな影響で変わってしまうのかも分からない。
オールドラントと、ティル・ナ・ノーグでは、世界の仕組みが異なるのだ。音素も預言もない世界で、キラル粒子やアニマが、鏡士、光魔といった存在がある世界。ジェイドにとって、未知のことが多すぎる。
第一、元の世界に戻ったら、このままでは結局、ルークの消滅は免れないのだ。
「なんつーか、ジェイドがいると、心強いっていうか……」
すっかり安心しきった声色だ。自然とジェイドの体の緊張も解けて、「素直ですねぇ」と口をついて出る。
「たまにはな」
けらけらと笑う子供に、先程までの不安の影はない。そのことに気付いて、ジェイドはふっと息をついた。
「……私も、あなたと同時に具現化されて良かったです。もし別々だったら心配で心配で眠れなかったでしょうね。一体いつどこでなにをしでかすかと思うと」
「はいはい、どうせ俺は問題児だよ」
「自覚があるなら結構」
ちぇ、とルークは伸びをして、そのまま体を横に倒した。靴を脱ぎ捨てて足をベッドに上げ、もぞもぞと頭と体の位置を調整する。
「そこは私のベッドですよ」
「知ってる。でも、なんか、今なら寝れそうなのに」
確かにルークの口調は、少し拙くなってもいた。眠れそうなのは本当だろう。もしここにいたのがガイだったら「しょうがないな」と許しただろうか。ジェイドが考えていると、「ガイなら……」とルークが呟いた。考えることは同じだったらしい。
「まあ、ガイはいませんからね。仕方ありません。大目に見ましょう」
「え!?」
ルークが勢いよく起き上がる。眠れそうだと言っていたのに、まん丸に目を開けてジェイドを見つめている。
「寂しいのなら、たまには許して差し上げます。たまにはね」
ジェイドが微笑むと、ルークは泣きそうに笑った。
「はは、ジェイドが優しい」
ベッドの上で膝を抱えて座るルークに、ジェイドは近づいた。彼の目の端に光るものに気付かないふりをして、子供の肩にそっと手を置き、少しだけ力を込めて、ルークの体をベッドに倒す。
「眠れそうなうちに寝てしまいなさい」
「うん……」
横になると、ルークの瞼はすぐに降りて、そのうち寝息を立て始めた。穏やかな寝顔だ。ジェイドは寝場所を失ったが、この子供が眠れるのならば良いと思えた。
旅の間は誰かと同室が当たり前だった子供にとって、自身の部屋ならともかく、慣れない一人部屋は広く感じるのだろうか。それでも夜中に目が覚めれば、ミュウもガイも、部屋に誰もいないのに、今までの癖でそっとベッドを抜け出して、そのことを自覚して溜息をついて。たまたま遅くまでガロウズと話していたジェイドが通りかからなければ、彼はどこに行くつもりだったのか。
「まったく、手がかかりますね」
もしも、ルークと別のタイミングで具現化されていたら――考えるだけでジェイドの身体は冷えた。消滅の近いルークが近くにいなかった時、ジェイドは真っ先に最悪を想定する。この世界で具現化されて、すぐに見つけれられて良かった。生きている確信が持てるまで世界を探すなど、途方もないことだ。
「あなたから目を離すわけにはいかないのですよ、ルーク」
この世界はまだ、ジェイドにとって知らないことが多すぎる。それは不安要素もあるが、同時に、期待を孕んでもいた。もしかすると、この世界でならば――それを研究するのは、どこにいるか分からない、存在するかも分からない相手を探し出すよりも、ジェイドにとっては、よっぽど確実だ。
彼の顔にかかった前髪を払って、再び椅子に座った。閉じていた本をまた開き、読み進める。ジェイドがページをめくる音と、ルークの寝息だけが、この部屋に静かに落ちている。