正しい猫の愛し方 正午過ぎ。校内に予鈴が鳴り渡る、とある私立高校。
期末テストの終了と共に昼休みに入った生徒達は、とびきりの開放感の中で思い思いの時間を過ごしている。
そんな中、教室がある校舎とは別棟に配された保健室では、数人の女子生徒が入り浸っていた。
「ねぇねぇからぴー、数学の一松先生って家だとどんな感じなの?」
「こらこら、ちゃんと『先生』をつけないとダメじゃぁないか」
まるで友達のように呼ばれたカラ松が生徒に注意するも、彼女達が態度を改める素振りは特に見られない。カラ松もそれ以上追及することはなく、意識は既に先程の質問の答えに向いている。
「そうだな……思い返してみたが、別に家と学校で大きな差はないな」
「家でも無口なの?」
「まぁ兄弟の中では一番静かだな。家族相手で遠慮が無くなる分、多少口数は増すかもしれないがその程度だ。学校にいる様子を見ていてそう思わないか?」
「そりゃあ、あの校長に比べたらねー」
「いや、教頭の方がヤバいでしょ」
生徒は口々にこの学園にいる世にも珍しい六つ子の教員の名前を挙げ、誰が一番うるさいのかを皆で話し合う。カラ松はその会話に耳を傾けながら、座っている事務椅子でくるくる回って遊んでいた。
「あっ、じゃあ猫は? 飼ってないのは聞いたことあるんだけど」
「あぁ、猫か」
カラ松は生徒達の正面に来たタイミングで、足を床につけてピタリと回転を止める。
「ふらりと一人で出かける時は大体猫探しをしてるはずだ。なんなら家に連れ込んでることもあるぞ。たまにいるんだよな……知らない猫が」
「えっ、やば! かわいい!」
沸き立つ女子生徒の甲高い声に混ざり、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴った。
「さて、楽しい昼休みも終幕ジ・エンドだな。早いとこ教室に戻るんだ」
カラ松が促すも、生徒達は怠そうな態度で「えー?」と抗議する。
「カラ松せんせー、お腹痛いんで休んでいいですかー?」
ある女子生徒が軽い口調で尋ねると、カラ松は血相を変えて立ち上がった。
「何?! 腹が痛いのか? ならば……オレの出番だ! オレの歌声に秘められた癒やしのパワーで、苦しみからすぐに解き放ってやろう。ベッドで横になるか? 耳元で優しく、愛を囁くように歌い上げ……」
「あー治りましたー。教室戻りまーす」
「えっ」
カラ松の口上を途中で遮るように、生徒達はスッと立ち上がってスタスタと出口に向かっている。
「カラピの歌聞いてたら別のトコが痛くなりそ」
「確かにー」
好き放題な言葉達が扉でピシャリと遮られ、賑やかだった室内はしんと静まり返った。
「ふっ……やれやれだぜ」
まぁ、ガールズが元気ならそれでいい。さて、昼休みが終わったことだし、そろそろ起こさないとな。
カラ松は踵を返し、ベッドを囲むように閉じたカーテンの隙間に身体を滑らせる。盛り上がっている掛ふとんを撫で上げながら、枕元に腰を下ろす。
「昼休みが終わったぞ。五限は職員室で仕事するんだろう?」
もぞもぞと体位を変えてカラ松に向いた顔に、カラ松はそっとキスを落とした。
「ったく、煩い奴ら……全然寝れなかった」
「いやぁ、お前の人気が出てくると二学期が始まったって感じがするんだよなぁ……一松ゥ?」
一松はあくびと共に「はぁ?」と呆れたような声を上げる。
「二学期の始まり? 寝言なら寝てから言ってよね。現実は期末テストが終わったんだよ。今日から採点、成績表作成と二学期の終わりに向かって地獄の年末進行なんだよ」
一松は身体を起こし、再び大きなあくびをしながら腕を上に伸ばしている。
「なぁ、ずっと疑問に思ってたんだけどさ、なんでオレ達六つ子の中で、生徒人気トップが一松なんだろうな?」
「知らないよ人気とか。すいませんねこんなクズでゴミが何故か人気で。生徒もどうせ弄って遊んでるだけだって」
「いや、お前はホントに生徒に好かれてるっぽいぞ。さっきのガールズ達もそうだっただろう? オレはこんなに生徒を愛してるのに何故だ?」
「さっきの奴らのことは知らないけど。お前の場合は構いすぎて鬱陶しいんだよ。適度に興味持たないでいた方が向こうから近寄ってくるもんなんだよ。猫と一緒」
「猫……猫か」
確かに猫から好かれたことはないな。しかし生徒には愛を伝えていくべきだ。動物でなく人間だし、生徒に積極的に声をかけることで親しみやすさを……。
カーテンがシャッと開く音でカラ松は我に返った。
「職員室戻るわ」
「オレも行こう。保健室だよりを今日のホームルームで配ってもらいたいし」
さっさと保健室出て行った一松をカラ松は追いかける。
「そういや一松、今日の晩御飯はどうする?」
生徒のいない廊下で、一松に問いかける。
「おれのはいい。お前は好きにすれば。今日は採点やらないといけないから食ってる場合じゃないし」
やっぱり。どうせそんなことだろうと思った。中間テストの時はまだ心にゆとりがあるも、期末テストは特に忙しい。一松が寝食を忘れて仕事をする姿が容易に想像できた。
「ノンノン! お前は多忙になるほど痩せていくからいけない。さっと食べて帰るぞ」
「食ったら眠くなるから嫌なんだけど……」
「仮にもしぶっ倒れたとしても、保健室でベッドは貸さんからな」
「ちっ。わかったよ」
「約束だからな」
一松に同意を取り付けていたところで、丁度職員室にたどり着いた。
帰宅してから、一松は早々とちゃぶ台に持ち帰った答案用紙を広げ、採点を始めた。
放課後は一松に付き合って学校に残っていたものの、いつまで経っても帰る気配がなかった。放っておいたらそのままデスクで夜を明かしそうだ。無理やり連れ帰ってよかった。気分転換を兼ねてラーメン屋に引きずり込んだのは正解だった。
カラ松は一松の対面に座り、ノートパソコンを開く。特に急ぐ仕事はないが、一松が頑張ってるならオレも負けてられない。
六畳一間の室内に、赤ペンがシュッと弧を描く。かと思えばピッと紙の上を跳ね、音がまばらなリズムで繰り返されていく。
カラ松はちらりと一松に視線を移してみた。
相当疲れてるな――日頃から目に生気を宿すタイプでもないが、目の下の隈もあって顔から疲労感が溢れ出している。テスト問題作りもかなりギリギリまで時間がかかっていたしな……よし。
「一松、手伝えることはないか? 採点はできないが、成績の入力くらいなら引き受けるぞ」
カラ松の突然の申し出に、一松は思わず採点の手を止めた。
「えっ? お前もその仕事あるんじゃないの?」
「来月の保健だよりを考えてただけで、今日明日で終わらせる必要はないんだ」
「いやいいよ、別に。おれの仕事だし」
「自分の顔を一度鏡で見てきた方がいいぞ。オレは毎日見ているから見逃さないが、過労で酷いツラだ。ほら、書いた点数も波打ってるじゃないか」
納得のいかない様子でしばし睨んでいた一松だったが、観念したように採点済の答案用紙の束をカラ松に差し出してきた。
「入力するファイルはこのUSBの中に入れてるから」
続いて渡されたデータをカラ松のパソコンで開く。一松が画面を覗き込みながら、作業内容を指示する。
「オッケーだ。一松は風呂に入ってリセットしてくるといい。二時までには寝るぞ」
「うん。悪いけど、頼んだ」
「任せておけ」
一松は立ち上がり、ふらふらと風呂場に向かって行った。
その後も二人は黙々と仕事を勧め、一松が「終わったー!」と畳に倒れ込んだ時には時計は二時を回っていた。
「よし、寝るぞ。今からならギリ四時間ちょっと寝れる」
畳に広げていた答案用紙を無くしていないか確認しながら手早くまとめ、ちゃぶ台を部屋の端に寄せる。布団を敷いてから、電気を消す。布団の中に潜ると、みるみるまぶたが重くなっていく。
カラ松は背を向けている一松を包むように身体を寄せた。
「一松」
一松からの返事はないが、カラ松は構うことなく話を続ける。
「すっかり寒くなってきたよな。母さんの煮物が食べたくなってきた」
しばらく沈黙が続いた後に、一松がぽつりと呟いた。
「帰ろっか……今週末。十四松とトド松に声掛けてみる」
「そうだな。オレも明日おそ松とチョロ松に話してみよう」
「寒いし、鍋もいいかも」
「そうだな。なんか最近忙しくて、なかなか実家に帰れてなかったよな」
「同じ町内なのにね」
「みんなと学校で毎日会ってるからあまり久しぶりな感じはないけどな。けどまぁ、何だかんだあの家が一番落ち着くんだよなぁ」
「そうだね。みんないると煩いから、家で仕事はできないけど」
「だからオレ達が家を出た。他のみんなも追随したのが意外だったが。家を出たことで一松は気を遣わずに仕事ができるようになったし……お前とこうして過ごせるようになったのが大きいよな」
カラ松の指が一松の指に絡みに行く。一松もその手を柔らかく握り返した。
「……話長いならもう寝るよ」
「あぁすまん。貴重な睡眠時間だもんな。週末のことはまた明日にでも話そう」
一松からの返事はなく、穏やかな寝息へ変わっていた。
(おやすみ、一松)
そう思った次の瞬間にはカラ松自身も眠りに落ちていた。
翌朝、寝不足な二人は交わす言葉も少なに出勤していた。
生徒と挨拶を交わしながら校舎へ向かっていると、カラ松は物陰に一人の男子生徒がいるのに気づいた。スマホを真剣操作していて、二人に気づいていないようだ。手にしているスマホを隠そうとしない。
朝っぱらこの場所を通る奴なんて少数だし、油断したのかもしれない。まぁ周囲に他の生徒もいないし見なかったことに――そう思っていた直後に、一松が生徒に声をかけていた。
「はーいそこの男子。学校でスマホ弄んのは校則違反だから。そのスマホを渡しなさい」
一松の声で初めて気づいた生徒は、驚いたように肩を跳ねさせた。
「げっ! す、すみませんでした! もう出さないんで見逃してください! 今やってるイベントが今日の十五時までで……」
「いやさぁ、こっちも見ちゃったからには見逃すわけにはいかないんだよねぇ。ウチの教頭が特に煩いの知ってるでしょ? だから没収。ご愁傷さま」
一松が手を出すと、渋々生徒はスマホを一松に差し出す。手にしたスマホを眺め、一松はため息をついた。
「昼休み前のどさくさに紛れて取りに来たら……返さないこともない。でも休み時間はバレないように来るのと、プレイするならトイレとかでやって」
「……わかりました! ありがとうございます」
蒼白だった生徒の顔が急にぱっと明るくなったかと思うと、足早に教室に戻っていった。
「お前にしては寛大だなぁ、一松?」
いや、そうでもない。もしあの生徒がオレやおそ松、チョロ松だったら問答無用だっただろう。一松の生徒に対する態度は十四松、トド松を相手にしている時と同じだな。
「別に。喚かれるのが面倒だっただけ。眠くて頭働いてないし」
怠そうに大きなあくびをする一松。
なるほど、そういうことか。どこにいても、誰といても変わらないのが一松のいいところだ――って、昨日一松ガールズに自分で答えてたじゃないか。
「なぁ一松、珈琲買うけどお前はどうする? 奢ってやるぜ」
「あぁ……じゃあ頼むわ。流石に眠すぎる」
自販機で珈琲を買って渡すと、一松が小さく「ありがと」と呟く。
「オレさ、一松が生徒にモテる理由がわかったんだ」
「昨日までわかってないって言ってなかったっけ? それ絶対わかってないから。勘違いだから」
「わかったんだって。一松のやり方を見習ってオレもモテてみせる……!」
「あぁそう。精々頑張って」
一松がふらりとカラ松の元から離れていく。その丸い背中に向かってカラ松が呼びかける。
「今日は五限が空きコマだろ? ベッド空けて待ってるぜ」
振り返る。
「よろしく」
そう言って一松は職員室へ向かって行った。
「さて、じゃあ五限までの間、助けを求めてやってきた生徒をオレの歌で癒しまくらないとな……!」
カラ松は上機嫌に保健室の鍵を回すのだった。