ハナカスを考えてみた その2 運転士として時間は守ること。そう指導しているからには自分自身はより厳粛に。
そう自らに課している吾孫子カスミは、シュミレーション訓練の時間が近くなったので彼女の指導下にある子ども達を呼びに行った。靴音を立てて、いつも彼らが待機している部屋に入る。
中では"適合率"という数値によって選ばれた子どもたちがちゃんと待っていた。いや、待っていたというのは正しくない。各々やらなければならたいこと、または好きなことをしながら時間を効率的に使っていた。
例えば30分ほど前に到着したばかりのシンはまだ宿題の途中のようだった。学校配布のタブレットを抱えて眉根を寄せている。
今時の宿題はタブレットでなのね、とジェネレーションギャップを受けたカスミは、声を掛けるのを忘れてランドセルに入るサイズのタブレットを入口から見つめた。おかしい。そんなに自分の頃から時代は経っていないはずなのに。
整備場にいることの多いアブトも今日は珍しくおり、シンの隣から画面を覗きこんで「そこ違うんじゃないか」と口出ししている。
シンとアブトの向い側に残りの二人。宿題をちゃんと終えた様子のタイジュが背筋をピンと伸ばして文庫本を開いていて、最後の一人、ハナビは愛用のギターで何やら熱心に練習していた。
ビィンと弾かれる音。
アンプに繋いでなくとも聞きとれた音階に、カスミの肩がピクリと跳ねる。
「ハナビくん、それ」
「イエス。前に吾孫子さんが好きだっていってたソング。譜面がネットであったから」
机の上に広げた何枚もの紙にはおたまじゃくしが間隔を開けて整列している。彼の好みそうなテンポの早いのとは真逆のしっとりしたバラードだ。内容は、高嶺の花を諦められない男がただ静かに、けれども情熱的に己の恋心を歌ったもの。
彼にはまだ早いんじゃないかしらと、カスミは優しく弾かれてくる音に聞き入りながらも思った。
「なぁ。吾孫子さん」
顔に出してしまった訳ではないが、見咎めたようなタイミングでハナビが譜面を追っていた視線を上げる。
「これがちゃんと弾けるようになったら、聞いてくれね?」
聞かれ、反射的に「ええ、いいですよ」と答えた。その瞬間だけ音が鼓動のように跳ねた気がした。
「あーごめん、吾孫子さん。訓練ちょっと待ってくれる? 宿題あと少しで終わるんだ」
「分かりました。シン君の宿題が終わったら集まってください」
すぐに背中を向けたから気づけなかった。
音楽の世界に戻らず、じっと見上げてくる少年の眼差しの真剣さに。どんなに絶壁の崖だろうと登る決意を湛えた花摘人の瞳に。
「うぅ…見てるこっちがドキドキして落ち着かねぇす…」
「オレも」
一ページも捲られてないな本を閉じてタイジュが情けない声を出し、同調するようにシンもタブレットを置いた。電源は既に切られていて液晶画面は真っ暗だ。
立ち上がりながらアブトも言う。
「意気は買うが、脈はなさそうだぞ」
「これからだぜベイベー!」
既にハナビの狙いを知っている少年たちは、手探りのアタックに多少の興奮と大小の緊張を覚えていた。
端から見ても駆け引きにもなってない駆け引き。
その道の険しさに苦笑を溢しながら、しかし不可能を可能に変えてきた少年たちは全員が同じように思っていた。
可能性はゼロじゃない。