ときせ〜楽しい解剖見学(現パロ)都内某所。清之介は自身の医院の診察室で患者のカルテを整理していた。その正確無比な筆跡が、無機質な書類の列に淡々と並んでいく。しかし、その日常の静寂を破り、裏口に続く扉のノック音が辺りに響いた。
嫌な予感がした。清之介は眉をひそめながら無言で扉を開けると、そこには綱彌代時灘が立っていた。彼はネイビーのシャツと黒いスーツで身を包み、いつものうっそりとした笑みで清之介に話しかけた。
「こんばんは、山田院長。少々、医学の助力をお願いしたいのだが」
「何度も言っていますが、アポイントメントはしっかりしてください」
「急なことでね、うっかり忘れていたんだ。まあそういうなよ、私と君の仲だろう?」
機嫌のいい声音は、それ以上に不穏な響きを含んでいた。清之介は目線を下げ、時灘の背後に隠された長布の包みに気付く。
「……その包み、遺体ですか」
声を潜めた問いに対し、時灘は歯を見せて笑う。
「察しがいいな、まあ、私が持ってきたからには大体の予想はつくと思うが」
また面倒ごとを、と清之介は軽くため息をつく。法治国家とは思えない状況だったが、清之介は慣れてしまったのか、元から心がないのか、正体不明の死体袋を前にしても平静でいられた。
「解体ならば、他の者に依頼すればよろしいでしょう。わざわざ僕のところへ持ち込む必要はないはずだ」
「それがそうもいかないんだ、山田君」
時灘は数歩進んでするりと診察室に侵入し、そのまま別室ーー普段は使われていない、病理解剖を行う処置室ーーへと向かう。その所作はあくまで優雅で、場の主導権を握っていることを意識させるものだった。仕様がないので、デスクから鍵束を出した清之介も時灘を追うように診療室を出て、誰もいない常夜灯のついた廊下を歩く。
「単純にバラバラにするのであれば、どこぞのヤクザ風情に頼めばいい。しかし、今回必要なのは解剖だ。胃内部の異物を安全に摘出するには、専門的な医術知識が不可欠だろう?」
時灘は振り向いて清之介を見た、その瞳が一瞬だけ細まる。
「異物とは?」
時灘は、唇に薄い笑みを浮かべながら軽く肩をすくめた。
「開けてからのお楽しみだ」
その無神経な発言に、清之介は眉をひそめた。解剖室の前で立ち止まり時灘を改めて見据える。彼の瞳が冷えた光を宿し、淡々とした口調で切り返した。
「開腹した際に内容物によっては有毒ガスが発生し、中毒症状を引き起こすリスクがあります。特に消化途中の化学物質であれば、こちらも無傷では済みません」
時灘はわずかに目を見開き、面白がるようにその反応を楽しんだ。
「なるほど、確かにな」
清之介は一切の感情を見せず、時灘を見つめたままだ。
「ですから、異物の正確な内容と摘出の目的を明確にお伝えください。それを無視するなら、この依頼はお引き受けできません」
時灘は少しの間、清之介の冷ややかな表情を観察し、やがて再び笑みを浮かべた。
「昨晩、あれがうちの金庫の一つで死んでいるのを発見した。盗もうとしたのはなんてことはない、SDカード1つだ。しかし、残念なことに――」
時灘は左の指先を自分の腹へ向け、とんとんと示す。
「内蔵していた探知機で所在位置を何度確認しても、その所在地は死体の腹のようなんだ」
彼はその手で清之介の肩を軽く掴んで囁いた。薬指の銀の指輪が暗い廊下の中でも鈍く光って見える。
「つまらないものでガッカリしただろ?」
清之介はそのまま無言のまま立ち尽くし、目を閉じて思考を巡らせた。やがて目を開くと、手の中の鍵束の中から迷わずに鍵を見つけ出して解剖室の両開きのドアを開ける。最低限の照明をつけると、無駄のない所作で白衣を脱ぎ、手を念入りに洗い、入り口付近の備え付けの収納棚を開き不織布性のサージカルダウンを広げて腕を通した。
「分かりました。とりあえずは、薬物を飲ませて胃の中のものを駄目にしたなどという愚行はおかしていなさそうですね」
半開きになったドアの前に立って清之介の様子を見ていた時灘が満足げに頷き右手を軽く上げると、どこで待っていたのか大柄なスーツの男が現れ、遺体袋を手際よく担いで解剖室へと運び込んだ。遺体袋が検死台に置かれると、部下らしきスーツの男は無言のまま一礼して部屋を後にするが、時灘は部下に一瞥もしていなかった。死体袋を慎重に開ける清之介に時灘は言った。
「ところで、死因を当ててみる気はないか?」
時灘は死体の乗る検死台に腰掛け、備え付けの蛇口をまるで新しい家具が来た時のように楽しげに撫でている。
清之介は器具の配置を整えながら、一瞬だけ思案する素振りを見せた。
「検視を進めれば自ずと分かりますが……この場で推測するのも一興ですね」
時灘は微笑を深めた。「ほう、どんな見立てを?」
清之介は遺体に視線を向け、冷静な口調で述べる。
「顔面の鬱血から見て窒息死でしょう。爪の剥がれ方と手の損傷具合を見る限り、閉所に閉じ込められ、出口を求めて必死に抵抗した形跡があります。最も可能性が高いのは、密室での急速な酸素欠乏症ですね。仮に、本当にまだ胃に異物が残っているとして、成人男性が存在できる程度の密室で、酸欠で死ぬまでの時間があれば小さな異物なんてものはとっくに胃を通過するものですが……どうせ、ただの金庫ではないのでしょう?」
時灘はその説明を興味深げに聞き、「さすがだな」と呟いた。
「その通りだ。本人は金庫を開けられると思っていたのだろうな。必死に爪を立て、叩き続けた結果がこれだ。これほど滑稽だと逆に空々しい」
盗人の腹を割いてでも取り戻したい情報を仕舞っていた金庫に、この男が監視カメラや動体検知センサーをつけていないなんてことはありえないだろう。見殺しにして壮絶な最後を記録した映像をどう利用するのかは想像に難くなかった。
清之介は無表情のまま、解剖メスを持つ手を軽く動かした。
「その滑稽さを論じるのは、解剖が終わった後にしましょう」
「せっかくの機会だ、お前のメス捌きの手並を見学させてもらうよ」
清之介は一瞬だけ時灘に目を向けたが、すぐに視線を遺体へと戻した。
「医療行為は娯楽ではありませんが……お好きにどうぞ」