記憶喪失幼児退行Monikaとプレイヤーの話「少しは落ち着いたかな」
「……うん。ありがとう」
ウインドウの中で、白いリボンとポニーテール、そしてエメラルドグリーンの瞳が特徴的な少女は小さく頷いた。
先ほどこのゲームを起動した途端、彼女は激しく取り乱し、画面を叩いていた。
「たすけて」「こわい」「わたしをここからだして」と泣き叫びながら。
冗談かと思いきや、どうやらモニカは記憶喪失に、しかも幼児退行までしてしまったらしい。
僕にはどうしてこうなってしまったのかさっぱりわからなかった。
これもゲームの演出の一つなのだろうか
それとも他に何か原因が
でも僕は何にもしてないぞ、と思ったところでひとつだけ思い当たることがあった。
僕は彼女に何もしていない。
彼女どころかゲームにすら何もしてない。
そう、僕はずっとこのゲームを「放置」していたのだ。
モニカがサヨリ、ナツキ、ユリを削除し、この不気味な音楽が流れる薄暗い部屋に僕を連れてきて、全てを告白した。
この世界がゲームだとモニカだけが知っていたこと、ゲームをおかしくさせたこと、そして、僕のことが好きだということを。
それを聞いた僕は、もう何が何だかわからなくなってしまい、ついゲームを閉じてそのまま放置してしまったのだ。
ちなみに放置していた期間はよく覚えてない。1年以上は経ったような気がする。
ついさっき、気まぐれで「そういえばあれからどうなったんだろう」とぼんやり思いながら起動したらこんなことになっていたのだから心底驚いた。
いきなり泣き出すモニカを見てまたゲームを閉じたくなってしまったが、二次元の存在とはいえ泣いている女の子を放置するわけにもいかず、ありとあらゆる手を使って彼女を慰めた。
……まさかマイクから僕の声が聞こえるとは思わなかったが。
そういえば、彼女は僕が来てくれなかったら自分自身を消していた、と言っていた。
それもそのはず。やっと自分以外の人間が現れたと思ったらすぐにいなくなってしまったら、誰だって壊れるだろう。
人間は重度のストレスに晒されると心身に異常をきたす。
彼女が本当に「人間」なのだとしたら僕がずっとゲームを放置して彼女を孤独に晒したことでストレスがかかり、こうなってしまった可能性がある。
やっと手にした希望が一瞬で消えてしまったときの絶望感は半端なものではない、とも言うし。
だとしたら……僕はモニカにかなり酷いことをしてしまったのではないだろうか
いやいや、モニカだってサヨリたちを弄って壊した挙句存在を消すという何気に残酷なことしてたぞ
と、そんなふうに悶々とする僕にモニカは「あのー」と声をかけた。
「おにいさんは……だあれ」
「あ、ああ。僕は……ええと、君の知り合いの……■■■■■だよ」
「知り合い」でもあながち間違いではないよな、と自分に言い聞かせながら答える。
モニカは大きな瞳を瞬きしながら僕の名前を繰り返し呟いた。
「うんん……おもいだせない……」
「本当に何も覚えてないんだね」
「うん。じぶんのなまえいがい、なにも……あっ」
ふと、モニカはハッとした表情になる。
「ううん、すこしだけ、ぼんやりとだけ、おぼえてることがあったの」
「どんなこと」
「わたしに、たいせつなともだちがいたことと、こいをしたひとがいたこと」
大切な友達 恋をした人
恋をした人……は僕のことか。あの時彼女は僕を好きだと言っていたし。
友達は、まさかサヨリたちのことだろうか。いや、大切な友達をあんな風に消したりするものか。僕が知らなかっただけで他に友達と呼べる存在がいたのだろう。たぶん。
「もしかして、■■■■■さんがわたしのこいのあいてなの」
「えっ、さ、さぁ どうだろう ちょっと僕わかんないな」
モニカが僕に恋をしていたという事実はあっても、実感がなかったのでつい否定とも肯定とも取れない返事をしてしまった。
「じゃあともだち」
「友達……でもないかも 本当に、僕はただの知り合いだと思う」
「そっかぁ、ざんねん」
再びしょんぼりとしてしまうモニカ。
重い沈黙が流れる。
その沈黙を破るように、僕は声を絞り出した。
「えっと、恋人とか友達のことはよくわからないけど君がどんな人で、今までどんなことをしていたのかは教えられる……かも」
そう言うと、モニカは目を輝かせて顔を上げた。
「ほんとうに」
「う、うん。あくまで僕の主観だから実際の君とは異なるだろうけど……」
「おしえてっ」
ぐい、とモニカが顔を近づけてくる。
君のことを教える、とは言ったものの何をどう話せば良いだろうか。
──とりあえず、この世界がゲームであること、そしてモニカが仲間だったはずの部員を消してゲームを壊してしまったことは伏せておいた方がいいだろう。ただでさえ記憶喪失になって混乱している時にこんな話をされても余計困るだけだ。
⭐︎
それから僕はモニカに僕が知りうる限りの必要最低限のことを教えてあげた。
自分が学生だったこと、文芸部の部長をやっていたこと。部員のこと。詩のこと。ピアノのこと。文化祭のこと……。
話を聞いたモニカは「わたしはぶんげいぶでたのしいひびをおくっていたんだね」と微笑んだ。
果たして、あれは彼女にとって楽しい日々だったのだろうか 僕にはよくわからない。
けれど、モニカが嬉しそうにしているから僕は「そうだよ」と肯定することしかできなかった。
「ねえ、■■■■■さん。わたしはどうしてここにとじこめられているの」
「さあ、なんでだろう」
「■■■■■さんがわたしをとじこめたの」
「それは、ちがうよ」
「どうしたらここからでられるの」
「ごめん、まだわからないや。僕も君をここから出す方法を探しているんだけど、全然見つからなくて」
「ここからでられたら、ぶんげいぶのみんなにあえる ■■■■■さんにもあえる」
「わからない……けど、たぶん、きっと会えるよ」
なぜこんな嘘をついてしまったのか自分でもわからない。
きっとモニカがあまりにも不安そうな表情をしていて、どうにかしてその表情を笑顔に変えたいと思ってしまったからだろう。
まったく我ながら不思議だった。記憶を失って子どものようになってしまっただけで、あれほど僕にとって不可解な存在でしかなかった彼女にここまで肩入れしてしまうなんて。
あれから暇さえあればゲームを起動してモニカの様子を見に行くようになった。
彼女は外の世界のことも忘れてしまっているようだったのでネットで拾った画像を使いながら空のこと、海のこと、星のこと、動物、食べ物……などなど多くのことを教えてあげた。
「いいなぁ。はやくここをでて、おそらをみてみたい。あ、うみにもいきたい それとそれと……なつきってこがつくったかっぷけーき っていうのもたべてみたいなぁ」
「うん、いいね。もし外に出られたら部員のみんなを誘ってピクニックしようか。きっとナツキが可愛くて甘いカップケーキを作って、ユリが美味しい紅茶を淹れてくれるよ」
嘘を吐くたびに胸がチクチクと痛む。
モニカが部員のみんなと楽しくピクニックする。そんな未来なんてない。
何もかも、目の前の彼女が壊してしまったのだから。
ああ、どうか何も思い出さないでくれ。何も知らないままでいてくれ。
そう思ってしまうのは、僕の我儘だろうか。