恋の魔法《Siegfried side》
「こい」
「そうです、恋の魔法。魚じゃなくてラブのほうですよ」
それくらいは分かるが、おそらく目の前の一番弟子も彼の幼馴染に同じ説明を受けたのだろう。
「最近よく国境付近で一般人が迷子になっているという報告がありまして、なんでも『恋の魔法』が行われる場所がその辺りにあるとか。それは別に良いんですけど、あの辺りは魔物も出るので……」
「ふむ、街道の警備にもっと人を割ければ良いのだが、噂だけで配置を変えるのも、ということか」
「そうなんですよね。一時的なものかもしれませんし、そもそも何故あのような、騎士団の詰所くらいしか無い場所に恋の魔法だなんて噂が立ったのかも謎なんですけど、調査するには内容がちょっと」
「確かにな……わかった、通る際は気を付けて見ておこう」
「ありがとうございます。すみません、お任せしてしまって」
「なに、こういう話が好きな団員も居るだろう。いい土産話ができた」
《Agloval side》
「恋の魔法」
「はい、なんでも恋を叶える木があって、その木に好いた相手の名前と、供物を捧げると叶えてくれるらしいですよ。供物は相手が使用した物や髪の毛や血液など、諸説あるので単なる噂のようですが」
単調な事務作業、とはいえ当主として許可を出す為のものなので気を抜く訳にはいかないが、それでも集中が途切れた合間に腹心の彼から興味深い話を聞いた。
「それはまた、中々悪用されそうな。しかし恋の魔法、か……魅了ほどの強制力が無くて良いならば、術者が視界に入った時だけ息が苦しくなるとか、心拍数が上がるとかの呪いで代用できそうだな」
「アグロヴァル様、あまり変な事は……。まあ、問題はその木が関所近くにある事なのです」
「む、国境付近か……観光地化は無理だな。あまり兵を置いても心象が悪くなりかねんし……」
しかし妙だ。アグロヴァルはその噂を聞いたことがなく、耳の早いトーが今話したという事は出回り始めたのも最近なのだろう。そしてその手の噂ならばもう少し人通りが多い所か、いわゆるデートスポットのような場所にできるはずだ。それが何故、そのような場所に。新しい噂ということは、本当にそういった効果の魔法があるのか、何か噂のもとになるような事があったのだろうか。
「よし、我は少し出掛けるぞ」
「かしこまりました、お気を付けて」
ジークフリートが国境近くに着いたとき、辺りはなにやら騒がしく、何か問題でも起きたのかと近くの兵士に話を聞いた。
「すまない、恋の魔法とやらの場所に行きたいのだが、今は通っても大丈夫だろうか」
「いえ、この辺りは魔物も出ますし、もう遅いので近くの村までお送りしますから……ジークフリートさんし、失礼しましたどうぞあ、いえ、少々お待ちを」
「すまない、驚かせるつもりはなかったのだが」
「いいえその、ウェールズ側が先程から騒がしいようで様子を見ていたのですが、どうも当主様がいらしてるようで」
「アグロヴァルが」
何故、彼が直々に出てくるような案件は思い当たらない。もしや同じ噂を調べに来たのだろうかならば何か知っているかもしれない。少し遠くで、供も付けずに森の方へと向かうアグロヴァルを確認して追いかける。
「やあアグロヴァル。こんなところで偶然だな」
「んなんだ、ジークフリートか。……本当に偶然だろうな」
「お前がここに居るほうがおかしいだろう。何かあったのか」
「我はただの散歩よ。面白い噂を聞いたのでな、見に行くところだ。恋の魔法というらしい」
「やはりか。俺も付いて行って良いか」
「知っておるのかこいと言っても魚ではないぞ」
「そんなに俺は色恋を理解しなさそうか」
「これがその木か」
既にちらほらと捧げ物がされた痕跡がある。
「よし、では試してみるか。ジークフリート、髪の毛と血をよこせ。少しで良いぞ」
「何が良いのかさっぱり分からないんだが、何をするつもりだ」
「噂を確かめようと思ってな。さしあたり聞いた手法を全て試すつもりだ。必要そうな物は持ってきてある」
「さっきは散歩と言っていたじゃないか……」
渋々指先から血をぬぐい髪の毛も適当に千切って渡す。
「これ、成功したらどうなるんだ」
「貴様が我に恋をするのではないか」
「お前なぁ……」
何でもない事のように言ってのけて、なにやら儀式めいた事を淡々と進める。
「これで噂に聞いた捧げ物とやらはほぼ網羅したな。本当にそのような魔法があるとすれば、どれかは引っかかるであろう」
手を組みしばらく祈るアグロヴァル。特になんの変化も起きず時間がすぎる。いたずら好きの魔物か、星晶獣などが居るやもしれぬと警戒していたのだが。
「……ふむ。何も起きぬか」
ただの噂かと気を抜いた瞬間、突然ジークフリートが背後から腕を回し、アグロヴァルに抱きついて耳元で囁く。
「アグロヴァル、聞いてくれ。お前が好きだ」
しばしの沈黙。腕を解いたジークフリートが前に回り、こわごわとアグロヴァルの顔を覗き込む。
「黙られると恥ずかしいんだが…………その、すまない、怒ったかお前があまりにも適当に扱うものだから、ちょっと驚かせようかと」
「……もう少し気の利いた台詞を考えておいたらどうだ」
「なんだと」
「しかしわからんな。結局ここは何故噂になったのだ。このような危険な場所に……」
「思ったんだが、もうそれ程危険な場所ではなくなっているのではないか俺達は戦の記憶があるからそう思うだけで、一般の民にしてみれば単に国と国の間という認識なのかもしれない」
「そういうものか魔物は出るのだがなぁ」
「平和になったという事だな」
結局真相は確かめられなかったが、この時二人のやり取りを遠目で見ていたウェールズの兵士と白竜騎士団の者達によって恋の魔法の噂は更に拡散される事となり、無事街道沿いの警備に人員が割かれる事となったそうな。