墓には君の名を記そう 円卓とは本来、侃々諤々とした議論の場である。騎士が、戦士が、魔術師が。褪せ人も指巫女も隔てなく、律の修復たる大義を巡って弁を振るう。きっと、かつての王都ではそうあった。
しかし、今の円卓は閑寂である。響き渡るのは鍛冶師ヒューグの鎚の音と焚き火の爆ぜるざわめきくらいのもので、新顔も減り、積極的な交流を試みる者もわずかな居館はいつも粛然としていた。
だから騒ぎがあると、それは一大事である。
「――D」
ロジェールの顔は険しかった。Dもまた、不戦の約定を知りながらも大剣に指を掛けている。
「……あちらの方から聞こえる」
二人は死の根を探す旅の中、数日振りに円卓へ戻ってきたところだった。普段であれば大した音のない空間で、嫌な空気が震えている。
誰かが言い争っているような雰囲気だった。騒音の出どころは百智卿ギデオンの部屋からである。
「怖いのでDが先陣を切ってくださいね」
張り詰めた糸を緩めようと、尖り帽の下から甘える声。Dは答えなかったが、当然のように一人扉へ手を掛けている。木の板一枚隔てた奥から聞こえてくるのはやはり舌戦のようで、ただならぬ修羅場の気配に多少の緊張を乗せながら扉を開けば。
「父上は分かっていない! 人は内面こそ評価すべきだ!」
「ネフェリよ。お前もいずれ識る時が来る。内面も必要だが、この世の真は外見だとな」
「…………」
「エンシャ殿も内面と仰っております! 二対一となりました!」
正に修羅場、丁々発止の大激論。何を議題としているのかは不明だったが、あっこれ絶対面倒なやつだ、という直感だけは即座に働いた。
「ロジェールにD! 丁度良いところへ!」
ネフェリの声に、二人はすぐに踵を返す。しかし二人が扉へ向き直ったころには、既にエンシャが独特の姿勢のまま立ち塞がっていた。
困ったような笑い声と、臆面ない舌打ち。円卓の数少ない交流希望者は、向き直るころには人好きのする笑みをたたえていた。
「えーっと……だいぶ白熱していらっしゃいましたが、一体何が?」
「御二方は、内面と外見ならどちらを重用する!?」
「……はい?」
恋人に求めるのは内面の良さか、外見の良さか。彼らの議題はまさか――場末の酒場ででも繰り広げられていそうな、恋バナ、というものだった。
ロジェールは言い争っていた三名を見やる……恋愛話とは最も縁遠そうな面子であるし、そもそも円卓において浮ついた話などまずもって聞かない。
何か切っ掛けがあったはずだが……ロジェールが辺りを見回せば、ギデオンの机の上に珍しいものを見つけた。端正な顔立ちをした男のスケッチである。
確か義理とはいえ、ギデオンとネフェリは親子関係だったはずだ。父と、娘と、見目の良い男のスケッチと。聡明な魔術師は確かな答えを導き出す。
「ネフェリ殿、お見合いをなさるのですね」
「ネネネネネフェリッ! そうなのか!?」
「何の話だ!? 父上も動揺し過ぎでは!?」
どうやら推理は外れたらしいが、ロジェールは早くもこの状況を愉快に思っていた。隣でだんまりを決め込んでいるDとは対照的に。
「父上、落ち着いてください! 父上! ……はあ、二人とも、まずは答えてくれ。内面か、外見か!」
机に突っ伏しおめおめと泣き始めたギデオンをよそに、ネフェリが問う。
何だか変な状況だけれど、まあ、たまにはいいかな。
ロジェールは顎に手を当て、目を閉じ、勿体ぶりながら口を開く。
「んー、まあ、そうですね。私は……外見派かな」
ネフェリが分かりやすく肩を落とした。反対に、書物の積みあがった木の板と一体化していたギデオンは嬉々としてがばり身を起こす。
「ふん、やはり智を求むる者そうであろう。さもなくば、ああ……あれは忘れもしない、円卓にドローレスがいたころ……」
百智卿お得意の長話、それも過去回想編が始まった。もちろん誰も聞く耳を持たない。
「クッ、これで二対二か……つまり、D! お前の答えに全てが掛かっている!」
ネフェリがDに迫る。眉間に皺を寄せたキリリ射抜くような目付き、惜しげもなく発揮される戦士の気迫に、Dは思わずたじろいだ。
ちらりとロジェールを見れば、にんまり、悪戯が成功した幼子――Dの心境からすれば小賢しいインプのように笑っている。魔術師の相棒はすぐに思い至った。聡明なくせに時折ひどくしょうもない興に乗じるかの愚者が、こうなることを予想してわざと同票を狙ったのだと。
黄金律の狩人は男を睨む、それも視線だけで焼き殺さんとする鋭さだったが、勝手知ったるロジェールに通用するはずもない。
「………ぐ…」
Dはツレと違い、さらりと嘘をつけるほど器用な性格をしていなかった。それで彼は逡巡の末、ゆっくりと、無辜の罪人へ刑を言い渡すかのように口を開くのだ。
「……両方求めるに決まっているだろう」
ロジェールは答えを聞き、ほう、小さく息をついた。
「D! その回答はずるいぞ!」
「…………」
「エンシャ殿も欲張るのは駄目と仰っている!」
「俺には無言を貫いているようにしか見えんのだが……」
ネフェリとD、そして無言ながらに何かを訴えるエンシャの言い合いが始まった。ギデオン劇場はセルブス悪口編に突入している。
ここはかの円卓だというのに、部屋のどこを見渡しても喧々とした声に溢れていた。かつての円卓もそうあったろうか、それとも浮ついた話など一笑に付していたか。どうだろう、人と竜が愛を育んでいた時代なのだから、然もありなん。
坩堝めいた混沌の中、ロジェールはしばらく黙り込んでいた。それゆえ久しぶりに発された聞き取りやすい澄んだ声は、注目を浴び、議場によくよく響く。
「Dが外見も求めるのは意外でした。どういった見た目の方が好みなんです?」
三人は一斉に発言者へ目線を合わせた。
「は? なぜ言わねばならん」
「そりゃあ私が聞きたいからです」
「そんなものは理由に――」
Dがネフェリとエンシャに向きなおれば、そこにはピシッと音が聞こえそうなほどに美しく手を挙げている二人の姿。彼が何のつもりだと声を荒げる前に、ネフェリが叫ぶ。
「私もエンシャ殿も聞きたい! これで三対一だ。父上がDにつこうと覆らぬ!」
どうやらここは多数決が絶対らしい。
「さあ、存分に話したまえ」
気付けば演説の終わったギデオンも参加し、四対一になっていた。
「…………はぁ……」
深く重い溜息。こんな時でも嘘をつけないのがDという男の融通の利かなさであり、美点であった。
彼は鎧の下で忙しなく視線を動かし、ギリと歯を噛む。あれだけ姦しかった空間は、いまやDのための独擅場だ。
しばしの静寂。
ややもして、虚しい抵抗を諦めた男が口を開く。面に隠され誰も見ることはなかったが、その口元は懺悔する罪人のように重たく、濡れていた。
「……髪は、濃い色で」
八つの目がDへ向けられる。
「肌色は……自分よりも健康的」
四人の視線が散り始めるが、ロジェールはまだDをじっと見ていた。
「そうだな、目の辺りにまで迫る装備を身に着け……」
なるほど。合点したロジェールの炯眼がある人物へと向く。
「最初に会うのはストームヴィル城」
完全に理解した。ちょっと最後のはよく分からないが、ロジェール、そしてギデオンはDの好みを理解した。
さて、識るを求め使命とする者たちの導き出した答えとは。
「貴様に娘はやらんッ! 疾く去れ!!」
「…………は?」
「D、ご本人の前で……思っていたよりずっと情熱的なのですね」
「何を言っている? いや、もう良いのなら今すぐにでも出ていかせてもらう。やっていられん」
Dが大股で今度こそ扉へ向かっていく。愉快でたまらないといった風のロジェールはそれを、小動物のようにパタパタと追いかけていった。
バタン、音を立てて扉が閉まる。かまびすしい空間が、急に大人しくなった。
「…………」
「うむ、エンシャ殿。私も同意見だから、二票獲得だ」
二人は顔を見合わせ、ゆっくりと頷く。Dが言っていたのは、ロジェールのことだよな、と。
「ねえ、D。結構遅い時間だったのですから、わざわざ屋根を捨てることないじゃないですか」
「あのまま円卓にいるより百倍マシだ。着いてこずとも良いものを」
リムグレイブ、さやけき寒空の下。喧騒から離れた二人は、遺棄されたボロ屋を陣取り野営の準備を進めていた。辛うじて存在する壁の傍に寝床を設え風除けとし、扉……だったものの前でささやかな火を焚く。
一通りの支度を終えどちらからともなく熱源の前へ腰を下ろすが、装備はまだ緩めないままだった。
「ふふ、すみません。意地悪をしたのがバレているようですね」
ロジェールの声には、反省の色が乗っている。Dは無言であったが、しばらくしてからぽつり、独り言のように口を動かした。
「……外見と答えたのは道化で、やはり内面を重視するのだな」
風が吹き、炎が揺れる。彼は返事を求めていた訳ではないが、ロジェールが沈黙を良しとしなかった。
「いえ? 求めますよ、外見。面食いですので」
「め、面食い……」
あっさりと否定され、Dは肩透かしを食らった気分である。てっきり自分の困る姿を楽しもうとしただけで、本心は違うと思ったのだが。Dはどうにも納得がいかない。引っかかるものがあるのは、過ごした年月に裏付けされた勘だった。
「おや、鎧越しでも分かるくらいに不服そうですね」
ロジェールが小首をかしげ笑いかける。愛嬌を振りまくのは彼の十八番だ。とはいえ、目前の連れ人には効力がない。
「……善意の塊のような男の癖に。その胡散臭い人好きのする顔で近付き、救える者には容赦なく手を差し伸べる。見目で態度を変える姿など見たこともない」
「そうそう、正にそれなのです」
ロジェールの返答にDが眉をひそめる。言っている意味が理解できないからだ。
遠い森で獣が吠えるのすら拾える静寂。それはしばらく続いたが、Dの眼光に耐えかねたロジェールが破ることになる。彼は少しだけ躊躇ったが、口を開いてしまえばあっけらかんとしていた。
「私、心の深いところは誰にも見せませんから。そんな私が相手の心を……内面を求める資格などないでしょう? ですので消去法で外見と答えました」
ま、面食いなのは本当ですけどね?
ロジェールは茶化すように付け加えた。
「……そうか」
ぱちぱちと炎の弾ける音が聞こえる。ぐぐっとのびをしたロジェールの衣擦れすら聞こえるくらいに、しめやかであった。
次に意味のある音が鳴ったのは、ロジェールがそろそろ横になろうかと大きな尖り帽に手を掛けた時である。
「俺の好みを聞いたんだ。面食いとやらの好みも聞かせろ」
まだ続けるのかこの話。
ロジェールは思ったが、口にはしなかった。なにせDが色恋にまつわる話題を出すなんて、長い旅路の中初めてのことなのだ。楽しく会話を続けてやるのが相棒としての務め。
「ええっ? うーん、そうだなぁ……仕方ないですね、貴方にだけ、特別教えて差し上げましょう」
内緒ですよ?
そう言ったロジェールは、向かいに座る黄金の鎧をじいっと見つめながら、歌うように言葉を紡いだ。
「髪は、薄い金色で」
Dは想像する。
「肌は生白く」
……心当たりがある。
「瞳の色はブルー。何でも暴いてしまいそうな鋭さがあるのに、同時に儚さや危うさもある」
Dは確信した。一人だけ心当たりがある。しかし、よりにもよってあの女など……
「で、そんな素敵なお顔を全部フェイスプレートで覆ってしまう。そういう方が好みです」
Dの予想は最後の最後で外れた。
固まる騎士のフェイスプレートに、魔術師の細い指が触れる。気付けばロジェールはDの隣に腰を落ち着けていた。グローブを着けたままの手が面を上げれば、カチャリと乾いた音が鳴る。
「私、貴方の顔が好みドンピシャなんです。残念ながら貴方はネフェリ殿のお顔が好みのようですが」
ブルーの瞳に、眦を下げる美男がいっぱいに映っていた。絶句するDをよそに、帽子のつばが当たらない程度に顔を寄せたロジェールは大きく息を吸い。
「ああ、ああ。ほんと好き。髪の毛柔らかいのもポイント高いし、声が低いのもキュンとくる。鼻筋だって通ってて、睫毛なんてもう最高。ちょっとこれ以上は致死量かも」
一息に吐き出した。その勢いたるや、細い金の糸を揺らすくらいに。そうして今度は音を立てないようフェイスプレートを下げ、近づけた顔を名残惜しそうに離す。
Dはひどくどぎまぎした。なにせこんなにもストレートに顔面を褒められたのは初めてである。
一体何を考えているのだこいつは。
ロジェールを見れば、先ほどとは打って変わって顔を背けている。悪戯を仕掛けた張本人すら照れているらしい。表情こそは大きな装備で見えなかったが。
「……コホン」
甘いしじまもそこそこに、Dが軽く咳払いをする。うかがうような視線が向いたのを確認してから、Dは兜と手甲を外した。
「うう、眩しい! 人の話聞いていました? 私、死んでしまいます。墓に貴方の顔が尊くて、と記しますよ」
「お前こそ人の話を聞いていたのか? もう一度説明してやる」
「ええ? 何を――」
ロジェールがあ、と掠れた声を漏らす。抵抗する暇もなかった。瞬きの間に、Dの両手が包み込むようロジェールの頬に触れている。
「髪は、濃い色で……」
白い親指が、コイフからはみ出た黒髪をなぞった。耳の前あたりにぴょんと跳ねていたもので、硬い指の腹でさりさりと撫でられるのはひどくこそばゆい。
「肌色は……自分よりも健康的」
反対の手が頬を軽く持ち上げた。指の背がつつと流れていく気持ち良さに、思わず喉が鳴る。
「目の辺りにまで迫る装備を身に着け……」
急に両の手が協力し、異端の証を後ろへ落としてしまった。コイフごと剥かれ、硬めの黒髪が重力に逆らいふわりと踊る。差し込まれた手がこめかみのあたりから耳の後ろへ向けてやわらかく滑るのは、撫でられるみたいで気持ちが良かった。
好みど真ん中の面貌が、己の全てを愛でている――ロジェールはここで、ようやく自我を取り戻した。
「ま、ま、待ってください! それって、ネフェリ殿、では」
「鏡を見たことがないようだな」
現れた顔は、血色のいい頬はもちろん、耳の先まで余すことなく恥じらいの色に染まっている。ただ、キュッと結ばれた唇だけは、ありったけの力で噛み締められていたため白かったが。
Dが低く、とろりと空気を震わせる。
「……俺の、顔だけでいいのか」
無遠慮にこちらを焼く熱線、御本尊。睫毛の震えまでとらえてしまう近さに、ロジェールは身震いした。
「いらんのか……心は」
顔を背けようにも、頬に添えられた白い手が。先ほどまで己の顔を愛していた、美しい肉の枷が。
いけない、そんなに見つめられては、本当に死んでしまうかも。
「……い、言ったじゃないですか。私に、心を求める資格など」
「存外驕っているのだな」
「え、」
「それなりの時を二人で過ごし、心の全てを隠し通せていると本気で思っているのか」
――そんな。Dがそのように思っているなど、ロジェールは全くの予想外であった。
「足りんのなら……もっと、深く。潜ろうか。暴こうか。照らしてやろうか。お前の内面とやらを」
轟々と血の巡る音が聞こえる。破裂しそうなほどに体内の鐘が鳴り響いている。
あまりの煩さに、とてもじゃないがDの言葉を聞き取ることができなかった。今はただ、静かなところへ連れて行ってほしい。
だからDの手が頬から後ろへ流れ、両の耳を塞いでくれるのはロジェールにとって都合が良かった。例えそれが唇を合わせるための前戯だったとして、彼に拒否する意思など微塵もない。とはいえ愛しくて愛しくてたまらない己の趣味が顕現したような顔を浴びるのは、熱でぬるつく腐敗に蝕まれるようであった。
致死量は目前。故に彼は目を閉じ、身を委ね――やっぱり墓にはDの名前を書かないと、そう考えるのだった。