学生フェルヒュー+エデヒューヒュ―ベルトが倒れたのは、今から数日前のことである。
そしてそのことを知るのは三名のみで、彼を介抱したリンハルト、彼の主であるエーデルガルト、そして彼の担任教師であるベレスだけだった。
リンハルトの適切な処置で大ごとには至っていないが、エーデルガルトはヒュ―ベルトにもっと休みなさいと噛んで含めるように言い聞かせたし、ベレスもまた有無を言わせず彼に休息を取らせるように努めている。
ヒュ―ベルトにとってそれは、もちろん不服であった。
故に彼は主と教師の目を盗んで帝国の雑事だとか未読の書物に手を付けていたのだが、一度調子を崩した体は簡単には元の状態に戻らない。
リンハルトに介抱された日は彼の言葉に甘え完全な休息日としたヒュ―ベルトだったが、その日以降に積み上げていった疲労はそろそろ無視できない頃合いとなっていた。
しかし、目を光らせているはずのエーデルガルトとベレスは彼の体調の変化に気が付いていない。
そのからくりは簡単なもので——ヒュ―ベルトは、自分自身にライブをかけ続けているのであった。
一見すれば、快調に見える。
だが医学と白魔法とは似て非なるものであり、これは彼の疲労が解消されているわけでは決してなかった。
魔力のリソースをそちらに割かねばならないのはヒュ―ベルトにとってもあまり好ましいことではなかったが、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
様々な条件を天秤にかけた中でヒュ―ベルトが選択した最も効率の良い方法というのが、このライブだったのだ。
「ヒュ―ベルト、ここにいたのね。探したのよ」
「マヌエラ殿」
図書室で書物を漁るヒュ―ベルトに声を掛けたのは、マヌエラだった。
一体何の用事だとヒュ―ベルトが本棚からマヌエラの方へ向き直れば、先ほどまで笑顔だった彼女の顔が一変する。
あ、とヒュ―ベルトが気が付いた時にはもう遅かった。
ヒュ―ベルトが弁明のため口を開くよりも、マヌエラがサイレスを唱えるのが早い。
「……ッ」
ヒュ―ベルトは口を動かすが、それが音となって出ることはなかった。
明らかに怒っているマヌエラを前に、ヒュ―ベルトは観念したように目を逸らす。
医学と白魔法の両方を得意とするマヌエラに、小手先の誤魔化しはきかなかったようだった。
その後ヒュ―ベルトは、エーデルガルトとベレスから大目玉を食らった。
聞けばマヌエラはリンハルトから『最近ヒュ―ベルトの調子が悪いように見えて』と声を掛けられヒュ―ベルトを探していたそうで、恐らく魔術に長けるリンハルトもまたヒュ―ベルトの実情に気が付いていたのだろう。
マヌエラからのサイレスこそ一日灸をすえた後に解呪されたが、彼女の授業時間以外はマヌエラの監視が一週間付くことになり、実質ヒュ―ベルトにとって謹慎期間となった。
エーデルガルトとベレスだけならまだしも、リンハルトとマヌエラの目までかいくぐるのは今のヒュ―ベルトにとって非常に厳しい。
総合的に判断し、ヒュ―ベルトは潔く休養を取ることにしたのだった。
「ちゃんと早寝早起きを徹底していたみたいね。今日の演習後も無理せず休むのよ」
「世話になりました。もう貴殿の迷惑にならないよう、努めさせていただきます」
実地演習に向かうヒュ―ベルト達を笑顔で送り出したマヌエラの元に気まずそうな顔をしたヒュ―ベルトが戻ってくるのは、それから数時間後のことである。
本日の演習は、近隣を騒がせている盗賊の討伐であった。
ベレスの指揮の元、黒鷲の学級の生徒達総出で赴いた実地訓練。
賊の鎮圧自体は問題なく終わったのだが、トラブルが発生したのは帰途につこうかという時だった。
何者かがリンハルトに杖を向けたことに気付いたヒュ―ベルトが、咄嗟に彼を庇ったのだ。
彼の魔防を前に、並大抵の魔術は通らない。
そう思っての行動だったが、ヒュ―ベルトの目論見は外れることになる。
なぜなら何者かが撃った魔術は——ある意味ヒュ―ベルトにとってなじみ深い——サイレスだったからだ。
事に気が付いたベレスが即座にサイレスを放った者を切ったが、賊の討ち漏らしというわけではなさそうである。
辺りを警戒し脅威が去ったと判断したところで、リンハルトがヒュ―ベルトにレストをかけた。
これでひとまずは一件落着、となるはずだったのだが。
「全く、どうして僕なんか庇ったのさ。おかげで助かったけど……ほら、これで終わり終わり」
「…………」
「ヒュ―ベルト? どうし……、あれ?」
怪訝そうな顔をするリンハルトに、カスパルが不安そうな顔でどうしたんだと聞く。
「いや、これ……なんでだろう、サイレスが解呪できていないな……」
「ヒュ―ベルト、本当なの?」
焦った顔をしたエーデルガルトが聞けば、ヒュ―ベルトは無言で頷いた。
「見慣れない魔術師だったし、よっぽど強力な術なのかも。あー、もう、ほんと僕が受けてれば楽をでき……じゃないや。僕以外にレストを使える人はいませんし、ひとまずマヌエラ先生に診てもらうのが良いかと思いますね」
リンハルトの提案をベレスが肯定すれば、次に声をあげたのはフェルディナントである。
「ヒュ―ベルト、こちらへ来るといい。魔術が使えなくては、自衛もままならないだろう」
フェルディナントの指すこちらとは、彼の愛馬の上、即ちフェルディナントの後ろを示していた。
彼と折り合いの悪いヒュ―ベルトは露骨に顔を顰めたが、普段なら口をついて出たであろう嫌味も音にならなければ、エーデルガルトに背を押されてしまい逃げ場もない。
畳みかけるようにベレスが頼んだよ、などとフェルディナントに言うものだから、ヒュ―ベルトは観念するしかなかった。
「残念だけれどこれ、あたくしでも解呪できないわ……」
マヌエラの言葉に、一縷の希望があっけなく潰える。
しかし彼女は、すぐに続けた。
「けれどこの感じだと、時間経過で弱まると思うわ。本来なら数分で解呪されるものだし。いくら強い魔術だろうと、ヒュ―ベルトの魔力ならある程度の時間をかければ自力で解呪できるはずよ。ただ……」
「それまではずっと喋れないということね……」
エーデルガルトの言葉に、ヒュ―ベルトが頭を下げる。
「やめて、あなたは悪くないのだから謝らないで。といってもこれじゃあ、もうしばらく休養を続けてもらうのが無難かしら……師はどう思う?」
「私もそれに賛成だけれど……分かっているよヒュ―ベルト。昨日の昨日まで大人しくしていたからね、それでは不服だろう。けれどそうなると……」
「私は良いわよ。ヒュ―ベルトの言いたいことややりたいことなら大体わかるし、私を傍に付けた上で活動してもらう分には問題ないでしょう」
エーデルガルトとベレスの間で、話がまとまりつつある。
それを止めたのは、当事者であるヒュ―ベルト本人だった。
困り顔で首を横に振りエーデルガルトのことを見つめれば、彼の主は呆れたように目を細める。
「今はそんなこと気にしている場合じゃないでしょう」
「…………」
「あなたも強情ね。じゃあ他に何か案があるのかしら?」
傍から見れば、念力で会話しているようだった。
そのやり取りを見て小さなため息を吐いたのは、ドロテアである。
これだけ意思の疎通がとれているのなら問題ないのではと誰もが思う中、ヒュ―ベルトは一体何を懸念しているのだろうか。
学友たちに見守られるヒュ―ベルトは、苦虫を潰したような顔をしながらエーデルガルトの傍を離れた。
そして彼が歩み寄った先は——フェルディナントの隣である。
「な、なんだね」
決して柔らかいとは言えない表情で上からじぃと見下ろされては、フェルディナントがたじろぐのも仕方のないことだった。
エーデルガルトでも、今の彼の意図は理解できない。
その場にいる者の視線が二人に集まり、気まずい空気が流れる。
膠着している現状にマヌエラが紙とペンの用意を始めたあたりで、不意にフェルディナントが声を上げた。
「わかったぞ! 君はエーデルガルトの手を煩わせたくない……そうだな?」
「そこはもうわかっている。問題はなぜヒュ―ベルトがあなたを選んだのか、ということなのだけれど」
苛立ちを隠さないエーデルガルトに、フェルディナントが鼻を鳴らす。
「ふふ、従者の気持ちを汲み取ってこそ皇帝の器というもの! なに、君の次にヒュ―ベルトのことを理解しているのが私だったというだけのことだ」
「ヒュ―ベルト、フェルディナント、仲良い、良くない。違いますか?」
「ペトラ、だからなのだよ」
フェルディナントがヒュ―ベルトに向き直る。
ヒュ―ベルトは相変わらず不機嫌を隠そうともしていなかったが、フェルディナントはもうたじろがなかった。
「私たちは何もかもが正反対だ。考え方だけでなく、食の好みまでもね。だからこそ互いがわかりやすい——ヒュ―ベルト、君はそう言いたいのだろう?」
「ヒュ―ベルト」
エーデルガルトの問い掛けに、ヒュ―ベルトはゆっくりと頷いた。
それを認めたフェルディナントが、勝ち誇ったように宣言する。
「はは! もう勝負は着いたようなものだが……ふっふ。エーデルガルトより私の方がよりヒュ―ベルトのことを介助できるのだと、証明して見せよう!」
エーデルガルトが、明らかに悔しそうな顔をした。
それを見てドロテアは、やはり小さなため息を吐く。
「センセイはそれで良いのかしら?」
用意した筆記用具を引き出しに戻しながらマヌエラがベレスに問えば、彼らの担任教師は微笑みながら頷いたのだった。