終戦後フェルヒュー「ああ、これはベレス様。何かご入用でしょうか」
ベレスが店内に入れば、作業机の向こうから初老の男性が声を掛けてくる。
彼女は微笑みながら頷いた。
「ええ、代理で受け取りに。フェルディナントからの依頼品はもう完成しているでしょうか」
ベレスの声に男性はゆっくりと頷く。
彼は背後に並ぶ棚の中から、丁寧に一組のカップとソーサーを取り出してきた。
夜闇を思わせるような深い青黒のボディに、煌めく金のハンドル。
内は透き通るような純白で、絢爛過ぎず、しかし気品のある落ち着いた居ずまい。
ベレスが思わず美しさにため息を吐けば、男性は笑った。
「こちら『お姫様のために』と伺っております。お相手様の外見的特徴や内面などをお聞きしてデザインしましたが、さぞ彼が深い愛を捧げておられるお方なのでしょうね」
◆ ◆ ◆ ◆
「……ということがあったんだ」
ベレスの話を聞いていたエーデルガルトとヒュ―ベルトが息を飲んだのは、同時だった。
宮城の一室、女帝とその側近のみ入室を許可されている私室。
そこでエーデルガルトとヒュ―ベルト、そしてベレスの三人は政務に関する小さな会議を行っていた。
それが一区切り終わり、ちょっとした雑談としてベレスが持ち出した話題が先ほどのカップの話だ。
「街へ買い出しに行くついでだったんだけどね、まさか彼の口から『お姫様』とは」
この帝国で最も有名な堅物主従は、こう見えて恋愛話を好む。
特に身内相手ともなれば、ベレスの予想通り二人は興味津々と言った風に聞き入っていた。
「……お姫様、お姫様ね……」
エーデルガルトが腕を組み、思案している。
その隣でヒュ―ベルトもまた、同じ格好で考え事をしているようだった。
ベレスは二人のそっくりな仕草に笑いつつ、彼女も心当たりを探る。
実は既に一人あたりは付けているが、当の本人は欠片も自覚していなさそうであった。
「一番仲が良いのはあなたよね? 彼とそういう話はしないの?」
「残念ながら、彼とそういった話は」
ヒュ―ベルトが本当に残念だといった顔で首を横に振る。
ベレスは一番仲が良いことは否定しないのか……と思った。
「彼は民からも官僚からも人気がありますのに、浮ついた話は一切聞きませんな」
エーデルガルトはあなた達が仲睦まじすぎるから……と思ったが、口には出さない。
しかし顔には出ていたので、気付いたベレスから熱い同意の眼差しを送られた。
「二人はよくお茶会をしているよね。どういった話をしているの?」
「まぁ、他愛のないことです。例えばこの間は……旅行してみたい国について話しましたね。興が乗りまして、今度、彼のドラゴンで遠乗りの約束を」
「ドラゴンで?」
驚いたように聞き返すエーデルガルトに、ヒュ―ベルトは困ったように続ける。
「うっかり、高所からの眺めに憧れている話を引き出されてしまいまして。それで是非ともドラゴンで、と」
「断れない……なんて性格じゃないよね?」
ベレスの言葉に、ヒュ―ベルトは笑った。
ヒュ―ベルトは高所が苦手である。
それをあのフェルディナントが知らないはずもなく、人の嫌がることを、ましてやヒュ―ベルトの嫌がることなどするはずのない彼の行動規範から大きく外れる行為に思えるが、ヒュ―ベルトは疑問符を浮かべる二人を前に続きを言った。
「ええ、もちろん。ただ……フェルディナント殿が。フェルディナント殿が、絶対に大丈夫、何かあっても必ず君を守って見せるなどと言うものですから……つい了承してしまったのですよ」
「…………」
「…………」
その言葉を言われた時を思い出しているのだろうか。
ヒュ―ベルトの表情は困った風を装いながらも、甘く優しく緩んでいる。
その顔を見たベレスとエーデルガルトは互いに顔を見合わせ、同時に頷き、再びヒュ―ベルトに向き合った。
「……なにか?」
二人から心当たりのない強い視線を浴びせられ、ヒュ―ベルトは困惑する。
「エル」
「ええ、師……ヒュ―ベルト、あなた昔からそういったことには鈍感だったわよね……」
何か事情を共有しているらしい二人から、謂れのない憐みの目線で見られている。
「エーデルガルト様。失礼ですが、そういったこととは?」
ヒュ―ベルトが困惑のまま聞けば、エーデルガルトはため息と共に言った。
「……だって、あなた、まさにお姫様と騎士のような会話じゃない、それ」
「…………はい?」
ヒュ―ベルトは間の抜けた声を上げた後、数度瞬きをし、指を顎にかけ少し俯く。
そうしてしばらく無言でいたかと思えば、急に笑い出した。
「ク、クク、ふっ……失礼。この私が、お姫様だと。貴方様はそうおっしゃったのですか?」
「ええ。師もね」
ヒュ―ベルトは笑いが堪えられないようで、顎にかけていた手で口元を覆いながら続ける。
「ふ、ふ……この私ですよ。それこそ、億が一にもありえません。私のような面白みのない男を捕まえて、お姫様などと」
「君たち、本当にお付き合いをしていないのかい?」
「ええ、もちろん。それこそフェルディナント殿には"お姫様"とやらがおられるようですから」
妙に勝ち誇ったような顔で答えるヒュ―ベルトに、ベレスとエーデルガルトはそれ以上何も言わなかったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「怖い思いをさせはしなかったかい」
「そうですな、全くもってと言えば噓になりますが、それでも大変有意義な時間でした。特にあの、空から見下ろす夕日の沈みゆく水平線の美しさを、私は忘れることはないでしょう」
ヒュ―ベルトの返答に、フェルディナントは安心したように微笑む。
慈愛に満ちたその表情にヒュ―ベルトは、ふとこの間の会話を思い出した。
フェルディナントの、お姫様。
彼にはお姫様と称する女性がいる。
彼のこの慈しみに満ちた愛を受け取るべきはそのお姫様であり、あまり自分が彼の時間を奪ってはいけないのではないだろうか。
そんな悲観的な感情を、ヒュ―ベルトは俄かに抱いた。
水面に揺れる眩い光が、終わりを感じさせる黄昏時の無意味な切なさが彼を感傷的にしたらしい。
「ヒュ―ベルト? やはり無理をさせてしまっただろうか……?」
押し黙ってしまったヒュ―ベルトに違和感を覚えたフェルディナントが、眉を下げながらヒュ―ベルトの顔を覗き込んだ。
「ああ、いえ……申し訳ございません。貴殿もお忙しいでしょうに、こんなにも時間を割いていただくことに恐縮しまして」
「それは君も同じだろう? 私は君が私のために時間を使ってくれることに、言葉に出来ないほどの喜びを感じるよ。だからできれば予定通り、この後君とテフを楽しみたいのだが……無理強いはしないさ」
二人はこの後、フェルディナントの部屋で軽い茶会をする予定にしている。
ヒュ―ベルトはフェルディナントの時間を奪うことに妙な引け目を感じていたが、フェルディナントの残念そうな笑顔を見てしまってはダメだった。
「いえ、その……嬉しいのは私も同じです。ですから、フェルディナント殿のご迷惑にならなければ、是非に」
「む、今日の君は何だかしおらしいというか……何かあったのかね? 君が折角そう言ってくれたのだ。それこそテフを飲みながら、困りごとなどあれば何でも相談してくれたまえよ!」
些か本人にするには憚る話題ではあるが。
二人は予定通りフェルディナントの部屋へと向かったのだった。
そして。
「……フェルディナント殿、その茶器は……」
「ああ、素晴らしいだろう! 街で腕の良い職人と知り合えてね、作ってもらったのだよ。ぜひ君に使ってもらいたいと思って」
用意されていた茶器は、初めて見るはずなのに、どうしてかヒュ―ベルトには見たことがある様に思えて仕方がなかったのだった。