ふと少年は顔を上げる。ぴちちち、と、鳥の鳴く声が聞こえた。目の前には白い髪の女性が座っていて、その間にはティーパーティーに必要なものが一揃い置いてある。少年は首を動かして周囲の様子を見た。美しい庭園がそこに広がっている。何故ここにいるのだろう、うまく思い出せない。そもそも自分は一体誰だったろうか?目の前の女性も周囲の情景も今置かれている状況さえ、一体何なのかこれっぽっちも思い出せない。そういえば、さっきまで別の場所で目の前の女性より幼い誰かと一緒にいたような。
「穏やかよね。」
少年が思い出そうとしていると、白い髪の女性はかちゃんと微かな音をさせてカップを置いた。
「ここは見ての通り庭園よ。それ以上でもそれ以下でもないわ。」
「お姉さんは、誰?」
少年が拙くそう言うのを聞けば、女性は優し気に微笑んでみせる。
「私はリリー。白百合でもいいわ、きみの呼びやすいように呼んでちょうだい。」
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痩せた土の匂いがする。高く突き出した岩の上で、明るい空とは裏腹に暗く濁った瞳が眼下を見つめていた。
《チコーニャ、鳥類型がそちらへ向かいました。数は一体、撃墜をよろしくお願いします》
端末から聞き覚えのある青年の声がすれば、チコーニャと呼ばれたその女は顔を上げる。黒く小さい点のようなものが見えた。それは徐々に大きくなり、巨大な鳥であることを彼女の目に知らしめる。
「枷の解除を申請します」
《承認する》
その声と同時に彼女の首輪は効力を失った。身体に満ちる魔力の感覚を気にも留めず、ただ岩に突き刺していた大剣を引き抜く。そして強く岩を蹴り上空へ跳躍した。そのあまりの脚力に、足場になった岩が嫌な音を立てて割れる。鳥の姿をした人喰いは、直前まで女に気が付かなかった。ただふっと自分の上に影が差したので、何事かと見上げようとし、次いで背骨を貫き砕く衝撃にそのまま重力に従って墜落していく。翼を動かし体勢を立て直そうとするが、ぱちりと何かが爆ぜる音と共に人喰いの視界が白む。燃えるような熱と痛みが全身を蝕み、なすすべもなくそれは背中を刺し貫く女ごと地面に叩きつけられた。土埃が舞う。チコーニャはぐちゃぐちゃに砕けた身体が回復するのを待ちながら、ぼんやりと空を見上げた。
あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。数年経ったようにも思えるし、たった一日しか経っていないようにも思える。ちゃんと眠っていないから日付感覚もおかしくなっているんだろうなとチコーニャはどこか他人事のようにそう思った。青いだけの空に、ふいに白い何かが映る。赤い目のそれがゆっくりと顔を覗き込んでくるので、ああまたかとチコーニャは目を細めた。
「あらあら。こんなところでサボり?大胆ねえ。さっさとその役立たずな身体どうにかしたらぁ?」
けらけらと笑う彼女に対して億劫そうに顔を背けながら、チコーニャは回復を待つ。
「そんな調子じゃあプロキオンも失望するわね?ああ、もう食べちゃったから失望も何もないって?そうだったわね?アッハハハ!」
早く回復が終わるか、或いはカノープスが迎えに来てはくれないかな、とチコーニャは耳を塞ぎながら思った。いっそあのまま死んでしまえたらよかったのに、優しい義兄殿はその選択が取れなかったのだ。だからわざと彼女は死ぬような怪我をしにいっているのに、憎たらしいほど彼女の身体は強かった。