ワンダーくんと駿くんの喧嘩なんで、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。
大事だから、失いたくないから。
そう伝えたかっただけなのに。
「あーのさっ!今日はもうメメントス引き上げよ?ワンダーもソイも調子悪いみたいだし...」
「おう、俺もその意見にゃ賛成。もう今日はこれ以上戦えそうにねぇからな」
いつもは手を振って別れて、次はどこからパレスを攻略するか、なんてメッセージをやりとりしながら歩く帰り道。
今日は気まずい空気のまま黙って顔を背けて、そのまま解散してしまった。
SNSも素羽の"今日はお互いゆっくり休も!"と書かれた吹き出しを最後に途切れている。
「ワシが思うに、今日のことはお前も駿もどちらも悪いしどちらも悪くないと言える。どちらも言い分を伝えたうえで納得いかないのであれば、一度時間と距離を空けるしない」
ルフェルの言う事は分かる。
自分が悪い部分もあるって、ちゃんと分かってる。
でも心の中で蟠りが解けないんだ。
「あ...渡来軒」
嗅ぎ慣れた香りによく似た匂いが流れてきて、顔をあげると、右手に渡来軒があった。
登下校でいつも通りがかるけれど、こんなに惹かれる匂いがするのは久しぶりだ。
今日はおやっさん...もとい、山越さんがいるのだろうか。
「いらっしゃい」
ガラスの引き戸を開け、夕飯時には少し早い人もまばらな店内のカウンター席に腰を下ろす。
「おぉ、よく来たね。渚くん、だったかな?」
「どうも、」
駿とはここに何度か来たことがあるし、宮澤の件ですっかりお世話になったから、さすがに顔を覚えられているみたいだ。
「ご注文は」
「あぁ、えっと....」
匂いに釣られてやってきたというのに、少しぼおっとしていた。
目の前にある品書きを見る。
ラーメンか。
それともチャーハンか。
せっかくなら両方味わいたいし、半チャーハンセットもいい。
「ゆっくり悩みな」
若者には悩む時間も大切だ、と言って山越さんが後ろにある中華鍋を振り始めた。
悩み、悩み....か。
たしかに普段からこれだけ物事に追われていれば悩みだってある。
いつクスリの買い出しに行こうか、とか。
メロペから出された課題のペルソナを作るならメメントスの調伏の領域に行かないと、とか。
武器の改造は、とか。
もういろいろいろいろ、ある。
でもいま頭の中を大概占めているのは今日の出来事で。
「ずいぶん考え込んでるみたいだねぇ」
は、と気づくと山越さんが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「あ、その...実は今日、駿とちょっと喧嘩してしまって」
「喧嘩ぁ?そりゃ、君たちくらいの歳の頃はおじさんも喧嘩のひとつやふたつ、したもんだよ」
「アハハ...」
たぶん山越さんの学生の頃の喧嘩とは少し毛色が違うと思う。
だって、敵の洗脳にかかった俺が執拗に駿ばかり攻撃したせいで駿が目眩状態になっちゃって。
それを後で謝ったら、"俺がやられたところで他より頑丈なんだから気にする必要ねぇだろ"なんて言って。
たしかに駿はタフガイだし、人一倍打たれ強くてサポートも上手いけど、そういうことじゃないと思う。
俺は駿のこと大事な仲間だと思ってるし、それ以上に大切に...したいし。
それをあんなふうに怒ることないじゃないか。
「まだ納得してねぇって顔してるね。結構結構、それじゃあ怒って空かせた腹にガツンとくるメニューでも作ろうかねぇ」
ムス、と噤んだ口元に笑みを零され、なんだか意地っ張りな子供みたいに扱われてちょっと恥ずかしい。
実際まだまだ自分なんてこの人から見れば赤ん坊同然なんだろうけど。
「そら、できたよ。カツカレー。たんと食いな」
「カツ、カレー....!」
置かれた大皿には茶碗3杯分ほどある白米に、ドロリと少し黒みの強いルーのかかったサクサクのロースカツ。
中華料理店には裏メニューがあるとはよく言うけれど、まさかカツカレーがこの店にあったなんて。
中華鍋でどうやったらこんなにサクサクふわふわにカツが揚げられるんだろう。
アツッとかはふはふ、とか落ち着きなくカツを頬張りつつカレーもかき込む。
美味い。でもなんだか食べたことがない感じ。
もしかしてこのカレールー、ガラスープで伸ばされている....!?
自分も家でたまにカツを揚げて丼物にしたりして食べたり、カレーを作ることもあるけれど、当然市販の味なのでこんなに独特な風味の美味しいカレーは作れた試しがない。
さすが駿の尊敬する料理人。
客のコンディションを読み取ってここまで仕上げるなんて。
「駿が、またなんかつまんねぇ意地張ったんだろ?」
「いえ、そんな。駿が気を使って言ってくれたのに、俺が折れなかっただけです」
「そうかねぇ。駿が気遣いだけで、思ってもねぇようなことを言うようには思えねぇが」
「え?」
腕を組んで俺の食いっぷりを眺めていた山越さんが、懐かしそうに目を細める。
「昔っから『俺もやる 俺もやる』って聞かなくてねぇ。初めて中華鍋持たせた時はこぉんなにちっこくて、心配になったもんだよ」
「へぇ、」
「中華鍋の重さでふらついても『だいじょうぶ、おれつよいから』ってな。母親が忙しくて甘えられる時間も少なかったから、我慢強くなったんだろうよ」
「たしかに、駿は強いです」
「だからねぇ、あいつが大丈夫って言うなら大丈夫だ。大事な友達に本当の気持ちを無理やり押さえつけてまで、嘘は吐かない。そういう子だと思うよ」
まぁ父親でも何でもねぇから年寄りの戯言だと思ってくんな、そう笑って山越さんは洗い物に戻っていった。
「俺、明日駿に会ったらちゃんと謝る。"駿の気持ち、受け止められないまま気持ちを押し付けてごめん"て」
「うむ、それがいい」
渡来軒を後にし、夕日がすでに沈んだ空の紫と紺のあわいを見上げて決心する。
〜♪〜〜♪♪
「『渚、今日のことはマジで悪かった。家帰ったら母さんに沈んだ顔見て詰められてよ。"お前のこと心配してくれてる渚くんの気持ちも考えなさい"ってさ。本当に俺は平気だと思っただけなんだ。でも、悪かった。ごめん。』」
「『こっちこそごめん。駿の気持ち受け止められなくて。でも、心配になった気持ちは本当だから。もっと駿のこと信じるよ。でもこれからも心配はさせて』」
「『おう、』」
手の中の小さな明かりがこんなにも嬉しく温かい。
スマホを閉じてもう一度空を見上げると、明けの明星がポツリと優しく輝いていた。