【旗主】“匂わせ”する側、される側.
「あ……っ、こんばんわっ!」
「旗野くん、久しぶり」
隠そうともしない好意を纏わせ表情を浮かべ小走りで駆け寄ってくる旗野くんに、労働からくる疲労で普段の倍は重力を感じている片手を挙げて挨拶を返す。嬉しそうに顔を綻ばせる彼の背後で、ぽろぽろと小さな華が舞う。
「仕事帰りですか?お疲れ様です」
「ありがとう。そういう旗野くんは、……こんな時間だし講義の帰りじゃないよね?」
「大学の友達ン家で課題やってて、その帰りです……っ」
「学生も大変だねぇ」
「社会人のアンタに比べたら、それほどじゃ」
「はは、大変そうに見えた?」
「えっ、あっ、そうじゃなくて!い、いや、確かに忙しそうだし、社会に出て働くって責任もついてくるから、その、」
「あと数年で君もそうなるんだから、今のうちに学生時代を謳歌しときなよ」
「はい!あ、あの、えっと、」
「うん?」
俺が社会人になってから遭遇率がぐっと減り、こうして顔を合わせることが珍しいと感じる距離感なってきていて、少しでも会話を引き延ばそうとしているのが丸分かりになっているなぁ。このチャンスを逃すもんかという必死さが滲み出てしまう。
「……?」
もごもごと咥内で必死に言葉を組み合わせている旗野くんの声を聞くために彼に近付いた瞬間、ふわりと漂ってきた違和感に俺は顔を顰めた。匂いが、する。香水だ。
「旗野くんって、香水とかつけるんだっけ?」
「え、いや。つけてません、けど?」
だよねぇ。自分を着飾ることに対して、結構無頓着だもんな。せっかく顔がいいのに勿体無い。
「そっか」
旗野くんは否定するけれど、確かに香水の匂いは香ってきて。その匂いの元を探るように俺が身体を寄せれば、旗野くんは顔を真っ赤に染め上げて「近い近い近いぃ……っ」と悲鳴のような声を溢している。
「……に、においます?」
「ちょっとね」
「えっと、……もしかしたら一緒に課題やった奴のが、移ったのかもしんねぇです」
「香水つけてる子がいたの?」
「多分。俺はよく分かんねぇけど、服装とか拘る奴だから」
へぇ、そう。ふうん。香水が移るほどのの距離を許したわけだ、君は。
っていうか、普通はこんなに匂うもんだろうか。直接吹き掛けられてない?
「帰りになにかなかった?」
「え、帰り?特には、……出るとき背中にゴミ付いてるっては言われたけど」
それじゃん!!そのときにマーキングされてんじゃん!!旗野くん、鈍過ぎないか!?鼻詰まってる!?
「……はぁ」
堪え切れずに出た溜息に、旗野くんの顔が不安に揺れる。
「えっと、香水は好きじゃないですか……?」
「まぁ、そこそこ?」
「そ、そこそこ?」
好きか嫌いかの二択で出されると回答に悩むが、モブに徹したい俺が香水などというオプションをつけるわけにはいかないという理由で、極力避けていたアイテムではある。香水は洗剤や石鹸に並んでBL漫画王道の“匂わせ”に使われる優秀な小道具だしな。
「……俺このあと買い物して帰ろうと思ってるんだけど、旗野くんは?」
「あ、お、俺も!俺も買い物します……っ!!」
うん、いま買いたいものが出来た感じかな。素直でいいね。
「じゃ、一緒に行く?」
「……はいっ!」
俺が社会人になってから遭遇率がぐっと減り、こうして顔を合わせることが珍しいと感じる距離感なってきていて、少しでも会話を引き延ばそうとしているのが丸分かりになってでも、このチャンスを逃すもんかと必死にやり取りを続けてよかった。俺の予想通り、大学に通うようになったことで交友範囲が広がって俺以外のフラグが立ってるじゃん。君は俺専用だろうが。ちゃんと相手とのフラグは再生不可能なくらいしっかり折ってんだろうな、じゃなきゃ許さん。
「最近お気に入りの柔軟剤があってさ、それが切れちゃったんだよね」
「柔軟剤、ですか」
「いい匂いだよ、おすすめ」
「……あっ、その、アンタのおすすめなら、俺も買います……っ」
匂わせには匂わせで返す。うん、完璧だ。
宣告された再告白まで残り半年を切ったってのに、今更第三者ポジになど甘んじてたまるか。
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