味噌汁「先生。今日は何点でしょうか?」
「60点。これ、味噌いれたあと沸騰させただろ?煮立ってしょっぱくなってる」
行儀良く正座して味噌汁の出来栄えを問う教え子にきっぱり評価を下す。
「60点…」
文武両道。才色兼備。完璧超人の電波野郎。
何をやらせてもそつなく優秀な成績を修めるこの少年にとって、60点なんて点数は経験したことがないのだろう。
肩を落とし、あからさまに落ち込んだ態度を見せる桂を無視して銀八は食卓に並んだコロッケに箸を伸ばす。
あぁ、やっぱりこの惣菜屋のコロッケにはウスターソースだな。てか挽肉の量減ってない?不景気の波はこんなところにまで及んでいるのか。
物価高騰の煽りを受けたコロッケを咀嚼して、60点の味噌汁に目を向ける。
なんてことない。
どこの家庭でも出てきそうな油揚げとわかめの味噌汁だ。
昨日はなめこ(53点)
一昨日は豆腐とわかめ(65点)
その前は…なんだっけ。
つまり何が言いたいかというと、ここんとこ毎日のように桂が作った味噌汁を飲まされているわけだ。
夕飯時に突撃隣の晩御飯の如くおしかけてくるもんだから飲みに出かけることもできず、ここ最近の夕飯はめっきり自炊だ。
教え子を前にガブガブと酒を煽ることも憚れ、飲酒量は減り。
飲み歩くこともできないので外食の出費も減った。
桂は味噌汁しか作らないため、俺が用意するおかずは自然と和食中心になり…。
あれ?生活スタイルが健康的かつ経済的なものへと改善されていないか?
心なしか最近体の調子が良いような気がする。
まぁ、それはさておき。
「ねぇヅラ君。きみはいつまで味噌汁を作りに来るつもり?」
視線を目の前の教え子に戻して問いかける。
既に落ち込みモードから復帰した様子の桂は、茶碗片手に小さな口をもぐもぐと動かしていた。
桂は箸を小皿に置いてゴクンと麦茶でご飯を流し込むと、
「ヅラ君じゃないです。桂です。もちろん100点取れるまでです」
そうハッキリと言い放ち、コロッケに醤油を垂らした。
「へぇ…」
ヅラ君は醤油派なんだ。
俺はコロッケを口に放り込み発泡酒で流し込む。
やっぱウスターソースのほうが米にもビールにも合うな。
そして俺はコイツが100点の味噌汁を作り上げるまで突撃隣の晩御飯に付き合わなければならないのか。
…何でこんなことになったんだっけ?
桂の味噌汁強化月間が始まったきっかけは2週間前まで遡る。
***
「弁論大会ですか?」
「そ。去年も出たろ?今年もよろしく」
放課後の職員室。
回収したプリントを届けにきた桂に対し銀八は「ちょうど良いとこに来た」と、毎年夏に行われる高校生弁論大会への出場を薦めた。
「何で俺なんですか?」
桂が小首を傾げて疑問符を浮かべるのも当然だ。
大会のルールとして学年の制限はないものの、受験を控えた3年は出場を控えるのが暗黙の了解となっている。
それは銀魂高校においても同じだ。
今までの大会で3年の生徒が出場したことは一度もない。
「お前、去年の大会で最優秀賞獲ったじゃん?だから校長が今年もお前に頑張って欲しいんだってさ」
銀八の言う通り、桂は昨年の大会で優秀な成績を修めた。
その功績は地方紙でも小さく取り上げられるなど、学校側としても大層名誉なことだった。
「でも、俺3年ですよ?仮にも受験生なんですけど」
「お前の頭だったらどこだって受かるから、ちょっとくらい他の事してたって大丈夫だって」
受験生という立場を無視した学校側からの提案。加えて担任教師のあまりに無責任な発言にカチンときた桂は「お断りします」と冷たく言い放った。
「んだよ。ちょっとくらいいいじゃねぇか!減るもんじゃあるまいし!」
「減りますよ。俺の勉強時間が」
「だーかーらっ!お前の成績なら問題ないのっ!選び放題よりどりみどり入れ食い状態なのっ!お前、担任の言うこと信じられないわけ?!」
「そんな無責任な事を言いのける教師を信じられるわけないじゃないですか。他をあたってください」
突如職員室内で湧き起こった口論に、周りの教師は「またか…」と耳を塞ぐ。
傍から聞けばチンピラのナンパのような会話だが、2人が織りなすそれはもはや痴話喧嘩なのだ。
「こうやって先生が誠心誠意心を込めて頭下げてやってんのに何が不満なんだよ」
「国語教師なら誠心誠意の意味くらいわかりますよね?その態度のどこが誠心誠意ですか?もしかしてヤブですか?ヤブ教師ですか?」
キスでもするの?という距離感で睨み合う2人に、流石に職員室内に緊張が走る。
そろそろ誰か止めた方がー。
誰が仲裁に入るかー。
教員の間で押し付け合いが始まろうとした時である。
スパーンッ
小気味いい音が室内に響き渡った。
音が発せられた方を見れば、頭を抱えてわなわなと震える銀八。
と、出席簿片手に銀八の背後で仁王立ちする辰馬。
「ってーな!!これ以上天パが悪化したらどうしてくれるつもり!?」
「金時ぃ!ヅラぁ!仲がいいのは結構じゃがここは職員室やき、痴話喧嘩ならよそでしとうせ」
「ち、痴話喧嘩じゃありませんっ」
赤面して抗議する桂に、頭を抑えて怒鳴り散らす銀八の2人は、ガハハと豪快に笑う辰馬のサングラスの向こうに冷たい視線を感じとり『…すみませんでした』と頭を下げ、逃げだすように職員室を後にした。
***
「先生のせいで怒られちゃったじゃないですか」
「なんで俺のせいなんですかー?」
場所を国語準備室に移してもなお続く言葉の応酬に、先に折れたのは桂だった。
「はぁっ。俺じゃなければならない理由があるんですか?」
「いや、だから校長がお前に出てほしいって…」
「それだけですか?」
桂の視線が銀八を射抜く。
鈍感・天然・宇宙と交信の不思議ちゃん3大要素を兼ね備えているくせに、妙なところで感がいいのだ。
「あー…ちょっとね…。校外活動での実績が芳しくないって校長からお小言もらってしまいましてね」
「そうなんですか?割とうちのクラスは部活で良い結果出してると思いますけど」
桂の言う通り、体力ゴリラが勢揃いした3Ζは剣道や柔道など体育系の部活でかなりの好成績を残しているのだが、
「まあ、それ以上に校外での問題行動が目立つというか」
「…あぁ、確かに」
桂は体力が有り余っている上に血気盛んなクラスメイト達の顔を思い浮かべる。
要は、問題行動というのは他校の生徒や地元のチンピラ達との喧嘩のことだ。
ただ、彼らが闇雲に暴力を奮っているわけではないことは銀八も桂も理解している。
ただただ正義感と仲間を大事にする気持ちが強いだけなのだ。
職員室での口論を『痴話喧嘩』と誤解されたように、第三者からは喧嘩の理由など知るに足らないことだ。
「3Z…もとい学校のイメージアップの為に、ぜひ桂君には弁論大会で優秀な結果を修めてきてほしいなぁ…と」
「からの?」
「ヅラ君を出場させられなかった折には俺の給料を3ヶ月間15%減額すると校長に脅されていますどうか先生を助けてください」
「ヅラ君じゃありません。桂です。…ようやく吐きましたね」
***
15%カットは横暴だろ…とぶつぶつ愚痴る先生をよそに俺は小さく溜息を落とす。
学校のイメージアップの為に受験生を駆り出させる校長は如何なものかと呆れる反面、目の前でへにょんと白髪頭を項垂れている先生に同情心が芽生える。
いや、同情とはちょっと違うかもしれない。
かわいそうだからという理由も多少はあるが、俺が頑張ったら先生が喜んでくれるかもしれない。
とどのつまり、俺は先生に必要とされたいのだ。
なんて打算的な考えだろう。
俺がクラス委員を務めるのも、積極的に先生の手伝いをするのも、ただただ先生に好かれたい。1秒でも長く同じ空間にいたいと思ったからだ。
そんな狡猾な考えで接してきたと知られたら嫌われてしまうだろうか。
「先生、俺が大会に出たところで良い結果を持ち帰ってくるとは限りませんよ?」
白衣の裾を引っ張って話しかけるが先生は項垂れたまま視線を合わせてくれない。
「お前ならできるよ…勝利が約束されてる…エクスカリバーだよヅラ君は」
「言ってる意味がわかりませんが、先生に免じて大会に出ても良いですよ」
「えっ、マジ?」
ようやく赤い瞳が俺を捉える。ずっと俺だけを映してくれたらいいのに。
「はい。マジです」
「さすがクラス委員!!いや〜たすか」
「でも条件があります」
先生のお礼を遮って、もう一度白衣の裾を軽く引き寄せる。
「大会に出るかわりに、俺のお願いひとつ聞いてくれますか?」
「えっ、交換条件出すの?ヅラ君、そんな汚い大人みたいな真似やめなさいよ…。あと先生はお金持ってないよ?」
「先生がお金持ってないことは知ってます」
「じゃあ…」
「お味噌汁」
「…みそしる?」
「俺にお味噌汁の作り方を教えてください」
***
以上。回想終わり。
いや待てよ。
全然謎が解明されていないじゃないか。
何で俺が味噌汁の作り方を教えなきゃならないわけ?
このご時世、味噌汁の作り方なんざネットで調べればすぐだろう。
どうせ交換条件出すなら「内申点上げろ」とか「掃除当番を免除しろ」とかあるよね。
ちゃぶ台の向こうでほうれん草のおひたしを口に運ぶ教え子に視線を向ける。
男の割に華奢な指先で器用に箸を持ち上げるその所作はなかなかのものだ。
こちらの視線に気付いたのか、蜂蜜色の瞳を瞬かせて小首を傾げる仕草に「何で味噌汁の作り方を俺から教わりたい」のか。
喉まで出かかった疑問を飲み下す。
聞くのも無粋な気がしたから、と言えば聞こえはいいかもしれない。
ただ単純に怖かったのだ。
もしもその口から「好きな人に手料理を食べてもらいたくて」何て可愛らしい答えが返ってきたら。
その好意を寄せる対象が俺以外だとしたら。
都合のいい解釈かもしれないが、こいつは俺に好意を寄せている。と思う。
それが思春期特有の身近な大人に憧れているだけなのか、
恋とか愛とかそういう類なのかはわからない。
好意を寄せているということすら俺の勘違いなのかもしれない。
情けないことに、下手に手を出して拒否されることを恐れているのだ。
その整った顔が嫌悪に歪むことを想像するだけで怯んでしまう。
振られることを恐れて、こんなに近くにいるのに手を出せない。
だったらこのままで。
教師と生徒のままで。
傷つくくらいなら臆病を貫くことを決めたのだ。
「先生?」
「明日はナスとねぎにしてよ」
ごまかすように味噌汁の具材をリクエストすれば「任せてください。明日は100点もらえるよう頑張ります」と微笑まれる。
頼むから。その表情、俺以外に見せないで。
自分勝手な願いが俺の胸中を締め付けた。
***
「あ、ヅラ君。今夜はこの前赴任してきた先生の歓迎会だから、味噌汁の採点はしてあげられません」
いつものように国語準備室で銀八の仕事を手伝わせ…とはいかず、
来週末に迫った弁論大会の準備をしている桂に今夜の予定を知らせる。
「えっ…」
信じられません、とでも言いたげな驚愕の表情を浮かべた桂の手元からシャープペンシルが転がり落ちた。
「そんな……。今日こそ100点いただける自信があったのに」
味噌汁強化月間が始まり約20日。
確かに桂の腕前は着実に上がっている。
当初こそ包丁を持たせるのもヒヤヒヤするほど覚束なかったが、最近は味噌汁作り以外も手伝わせられるくらいには成長しているのだ。
「しょうがないでしょ。大人には人付き合いってものがあるんですー」
「でも、お酒を飲んだ後はお味噌汁を飲みたくなりませんか?!」
「えぇ…」
確かに桂の言うことには一理ある。
酒を飲んだ後の熱い味噌汁は胃に染み渡るのだ。
「先生!鍵貸してください!お味噌汁作っておきますので、ご帰宅なさったら召し上がってください!鍵は新聞受けに入れておきますので、点数はメールで教えてください!」
結局、桂の勢いに負けた銀八は鍵を教え子に託して歓迎会へと足を運ぶハメになったのだった。
***
「…今何時だと思ってるの?ヅラ君」
「23時14分です」
せっかくの金曜日。
久々に外で飲む酒だというのに、日中の桂とのやりとりが気になり酒もそこそこに帰宅すれば、元凶の教え子がソファに鎮座していた。
「何で帰ってないの?高校生はもうお布団でシコってる時間ですよ?先生お酒飲んじゃってるから送ってあげられないよ?」
「そんなことより先生。お味噌汁温め直すので手を洗ってきてください」
「おま、そんなことって」
説教を垂れる間も与えず桂は台所へと足を向ける。
ーあぁ、これは何を言っても無駄なパターンだ。諦めて素直に洗面台へと向かう。
Yシャツを洗濯機に放り投げ手を洗う。
リビングに戻ればちゃぶ台の上には味噌汁と麦茶。
「先生!冷めないうちに召し上がってください!」
蜂蜜色の瞳を輝かせた教え子。
「はいはい、いただきます」
ふんわりと立ち昇った湯気からほんのりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
てっきり具材はしじみかと予想していたのだが、お椀の中にはじゃがいもとほうれん草、大根が沈んでいた。浮かんでるのは大根の葉だろうか。
冷蔵庫に眠る野菜の中から、時間が経つことで味が染みる具材を選んだのだろう。
お椀を手に取り一口啜る。
「…うん。うまいよ」
「本当ですか?何点でしょうか?」
素直に感想を告げれば、食い気味に評価を求められた。
「…100点」
満点を出さなければこの奇妙な関係は続けられるのに。それでも真摯に頑張る教え子を前に嘘はつけなかった。
「ほ、本当に100点ですか?」
「マジで100点。俺が作る味噌汁よりうまい」
「先生のお味噌汁より美味しいんですか?」
「先生のこと信じられない?」
「じゃ、じゃあ、毎朝飲みたいですか?」
「え、毎朝?」
声を上擦らせて何度も味噌汁の評価を聞き返す桂に不審に思い銀八は顔を上げる。
顔を真っ赤に染め上げ、今にも泣きそうな表情に息をのんだ。
「だから、毎朝俺のお味噌汁飲みたいですかって聞いてます」
蜂蜜色の瞳が揺れるのと同時に、桂の真意に気づいて箸を落とした。
ちょっと待ってくれないか。
古すぎる。わかりづらすぎる。今時そんなプロポーズあるか?
いや、普通は「毎朝味噌汁作ってくれないか」だからこの場合は逆プロポーズなのか?
いやいやそうじゃなくてだ。
「ヅラ君」
「ヅラじゃないです…」
「えっとじゃあ、かつ、いや、小太郎君」
「はい…」
あ、小太郎君呼びはいいんだ。
「えっと、小太郎君はまだ高校生です」
「…はい」
「その、こういうプロポーズ的なことはまだ早いんじゃ無いかな、と思います」
「だって、俺が卒業したら、俺たちただの他人になってしまいます」
繋がりを求めて必死にアプローチしてくれた教え子と。
繋がりが切れるのが怖くて見て見ぬ振りをした担任教師。
見えない糸は繋がっていたのに、お互い気付かずにここまで来てしまったんだと。あまりにも情けなくて銀八は苦笑する。
まだ付き合ってもいないのにプロポーズとは。
まぁ、こいつらしいといえばそれまでか。
「他人になんかならねぇよ。プロポーズはお前が大人になったら俺からするから」
桂の瞳から溢れた涙を掬って唇を合わせる。
「まずは恋人から始めようか?」