ばんりお商店街デート(仮) 今年のハロウィン、Fantôme Irisとの合同ライブが開催された。
途中、的場が何故か洲崎さんによってステージに呼び込まれたりと予定外のこともあったが……無事に終わって、ライブは成功したと言っても良いだろう。
打ち上げはFantôme Irisのシェアハウスの一階にあるカフェで行われたのだが、そこの厨房で楠さんの手伝いをして―― プロの技術というものを目の当たりにしたのだった。
Argonavisのみんなは、いつも俺の料理を美味しいと言って食べてくれるが……楠さんに比べたらまだまだだ、と痛感した。
それから、たまに楠さんのカフェでバイトをさせて貰うようになった。
シェアハウスや大学からは少し遠いので決して効率が良いバイトとは言えないのかもしれないが、プロから学ぶことは多い。
たまにメンバーへの土産や余ってしまった食材を分けてもらえるので、家計が助かる―― というのは、白石の言葉だ。
今日は帰り際に試作品だというクッキーを頂いてしまった。しかも、メンバーの人数分……五つも。
中身が薄らと透けて見える袋をシックな茶色のリボンで結んだそれは、売り物と言っても差し支えない。
そのうえ三時間程度しか働いていないのに、賄いまで出してもらった。あまりにも高待遇で申し訳なさすら感じてしまうが、そのぶん全力で調理も配膳もしたつもりだ。
賄いはランチで提供していたあんかけスパゲティ―― 楠さんの地元では一般的な、いわゆる「名古屋めし」らしいのだが、それに使用されているやや太めの麺が余っていたので、それを油で炒めて、熱した楕円型の鉄板に移し、溶き卵をぐるっと回しかけて半熟に固まったところへ、カレーソースをかけたものを頂いた。
なんとも手の込んだ賄いだと思ったが、名古屋では「インディアン」といった名前で提供されていることも多いのだという。
茹でてからあえて寝かせることによって生まれたもちっとしたパスタの食感。隠し味にソースを使用しているというカレーも、何だか懐かしいような味がして、とても美味い。
カレーライスは何度も頂いたことがあったが、こうやってスパゲティにかけるのも悪くない。
半熟の薄焼き卵と合わせて食べることによってマイルドになるから、甘口カレー派の七星や的場でも食べられそうだ。
シェアハウスに一人用の鉄板はないが……パエリアを作った時の要領で、大きめのフライパンでまとめて五人分を作るのもいいかもしれないな。
次の料理当番の際の献立が決まったところで、ちょうど電車が停まった。いつもはこの駅で乗り換えるのだが……最寄り駅まではあと三駅。
よし、夕飯までの腹ごなしに家まで歩こう。
……と言うのも、仕事から帰ってきた御劔さんが俺の食べっぷりを見て、賄いのおかわりをご馳走して下さって……しかも厚切りに切ってソテーした、ハムのトッピング付きで。
はじめは遠慮していたが「いいから食べりん」と、はじめて聞く方言で押し切られ―― 結局大盛りのスパゲティを二皿食べてしまった。さすがの俺も腹八分目といったところだ。
本当ならばランニングしたかったのだが……頂いたクッキーが粉々になってしまいそうなので、走るのはやめてゆっくり歩くことにした。
***
最寄りの駅前を通り過ぎて、住宅街への道にさしかかろうとしたが……
進行方向とは逆の、商店街の入り口に遠目でもわかる明るい金髪。
――白石だ。ちょうど今、買い物に来たばかりのようだ。
普段から白石が愛用している牛柄のエコバッグを携えている様子がないので、きっと折り畳んだ状態でパーカーのポケットあたりに忍ばせてあるのだろう。
俺のいる位置からは少し距離があったが、ここから声をかけようか……そう思案していたところ、白石がこちらの存在に気付いて大きく手を振ってくれた。
「凛生くん! 今バイトの帰り?」
「ああ。白石は買い出しか?」
「そ。もうすぐタイムセールがはじまるからね!」
いつになくゆっくり歩いて帰ってきたから、気付けばそんな時間になっていたようだ。白石は俺の持っていた紙袋を目敏く見つけると、
「あっ、またお土産もらってきたんだ」
「試作品のクッキーらしい。人数分あるから、後でみんなで食べよう。感想は俺が責任もって楠さんに伝えておく」
「うん! おやつ代も浮くし、ありがたいよね」
「ふふ…… 白石らしい感想だ」
「ちょっと凛生くん~、今のは楠さんに言わないでよ? ちゃんと食べてから味の感想、言うからさ」
ふたりで笑いながら、何気ない話をしていたそのとき。商店街のスピーカーから時刻ちょうどを知らせる音楽が流れはじめた。
……少し、話し込みすぎたか。
「あっ! 時間だ。凛生くんは、帰る……よね?」
「いや、俺も買い物に付き合わせて欲しい」
「……やった!」
――白石の姿を見つけた時点で、俺はそうするつもりだったんだろうな。
俺からの申し出を噛み締めるように喜んでくれる白石を見ていると、何だかこちらまで嬉しくなってしまった。
「荷物持ちでもなんでもこき使ってくれ」
「そんなことしないよ。ね、今日はこれから、商店街デート! ってのはどう?」
「それはいいな」
俺とふたりきりになると、白石はすぐに何でも「デート」にしたがる。
シェアハウスのテレビで、ふたりで野球中継を見ている時ですら「おうち野球観戦デート」だなんて言っていたな。
そんな白石の、普段はしっかりしているが、少し子供っぽくて無邪気なところも……好き、だと心の底から思う。
「もー、凛生くん笑わないでよ」
「……ん? ああ、すまない」
指摘されて気付いたが、俺は白石のことを考えていて……つい笑顔になってしまっていた。
ポーカーフェイスな方だと自負していたが……どうも白石相手には通じないようだ。
***
タイムセールで賑やかになってきた商店街を、白石のいつものルートで回ることにした。
まずは八百屋から行くらしいが……俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「今日の夕飯は何にするんだ?」
「んー? まだ決めてない」
「……大丈夫なのか? そんな行き当たりばったりで」
「ちゃんと考えてはいるよ!? 結人くんじゃあるまいし。安くなってるものを見てから決めようかなって」
五稜に流れ弾が当たってしまったことはさておき。
店頭で安くなっている食材を確認してからメニューを決める、という白石。それが出来るほど頭の中にレシピの引き出しがたくさんあるのだろう……なかなかやるな。
「いらっしゃい! おや、万浬ちゃん!」
「おばさん、こんにちは! お買い得な野菜は、どれかな~っと」
「今日はカブが安くなってるわよ」
「カブか~……」
葉っぱがついたままの白いカブ。俺はあまり使わない食材だ。普段はカレーに入れることもないしな。
白石は、どうするのだろうか。買うのか、それとも――
「どうやって食べるのが美味しいの?」
「そうだねえ……うちではクリームシチューに入れて食べたりもするねえ」
「シチュー! 牛乳も使えるし、いいかもっ! 他には? 何入れるの? お肉は?」
「鶏肉と…… ああ、お肉じゃなくて鮭でも美味しいよ。そう言えば魚屋さん、今日は鮭が目玉商品って言ってたような……」
「決まり!」
……なるほど。こうやって店主に聞いて献立を決めるのか。
人とコミュニケーションを取るのが上手な、白石らしい決め方だ。
鮭とカブのクリームシチューか……どのような味になるんだろうな。
「凛生くん。シチューに入れるなら、他にはどんな野菜が欲しい?」
「え? ……そうだな、ニンジンと、タマネギか? あとは、ブロッコリーも入れると彩りがよくなるな」
「……だってさ! おばさん、うちには食べ盛りの大きな子供が四人もいるんだよ~。全部買うから、ちょっと安くならない?」
誰が大きな子供だ。
……反論したかったが、よく食べるのは事実なので黙っておいた。それに、これも白石なりの交渉術なんだろう。
***
結局、八百屋ではカブとニンジンとタマネギとブロッコリーを……ちょっとどころではなく、かなり安い値段で購入した。
鮮やかな白石の価格交渉は、次に訪れた魚屋でも遺憾なく発揮されて……鮭の切り身を、冷凍保存しておく分と合わせて多めに買って、値引きしてもらっていた。
牛乳は白石の実家から送ってもらって沢山あるし、これで今日の夕飯の材料が揃ったな。
野菜と魚の入った牛柄のエコバッグは白石との攻防の末、俺が持つことになった。
お互いに荷物持ちを譲らなかったから―― 持ち手を片方ずつ持って歩いたりもしてみたが、身長差があるのでどうも安定しなかった。
傾けて食材同士がぶつかると傷むし、あまり良くないんじゃないか? と説得したらようやく白石も折れてくれて、こうして俺が持っている。
「ね、凛生くん。夕飯のおかず、もう一品くらい欲しくない?」
「そうだな…… 作り置き、冷蔵庫にまだあったか?」
「ううん。せっかく野菜も魚も安く買えたんだし、もう一件行こうよ!」
そう言って俺の手を引く白石。
なんだか、こうしているとテーマパークのアトラクションにあれこれ連れて行かれているような感覚がする。
……なるほど、デートらしくなってきたな。
白石に連れられてやってきたのは惣菜屋だ。
確か商店街の夏祭りでArgonavisが演奏をすることになったのは、惣菜屋のおじさんからの誘いを受けたからだと聞いていた。商店街にある店の中でも特に白石が懇意にしているのが、ここなのだろう。
店主の男性は店の奥で揚げ物をしていたようだったが、白石がやってきたことに気付くと目元に深い皺が寄るほどの笑顔で歓迎してくれた。
「うーん。コロッケひとつ、58円……」
「四つ入りで200円か……安すぎないか?」
コロッケを作る手間を考えたら、破格の値段だと感じたのだが……白石はこれでも納得がいっていないように見えた。
惣菜を揚げ終わった店主が、俺たちの元にやってきて。
「いらっしゃい万浬ちゃん! 今日は友達と一緒かい?」
「こんにちは! こっちは凛生くんだよ。うちのバンドメンバー」
「へー! 凛生ちゃんも楽器弾けるんだねえ!」
「……はい」
「ちゃん」付けされて名前を呼ばれるのは、子供の頃以来だろうか。
しかし、白石が俺の事をバンドメンバーだと紹介したのには……少し引っかかるものを感じた。
「でさあ、おじさん。俺たちのバンドって、全員で五人いるんだよねえ……」
「ったく、万浬ちゃんは買い物上手だなあ……いいよ! 五つで200円にしてやる!」
「やったー!」
「……すごいな、白石」
なるほど、そういうことか。
俺たちのバンドは五人。コロッケ四つでは足りないから……俺の事をバンドメンバーだと言うことで流れるように値引きの話に持っていった白石。
鮮やかとも思える交渉術は、これだけでとどまることなく。
「さっき揚げてたの、何?」
「メンチカツだよ! 買ってくかい?」
「へー! メンチカツ、しかも揚げたてかぁ……美味しそうだね!」
「買うのか?」
ひとつ88円、豚肉とキャベツのメンチカツ。特価品というわけではなく、コロッケより値が張るが……白石にしては奮発したな。
「ふたつ欲しいんだけどなあ……そんなに持ち合わせないし、どうしよっかなあ」
「二個で150円、どうだ!」
「買ったッ!」
俺も決して細かい方ではないが、こんなにどんぶり勘定で良いのだろうか?
余計なお世話だとは思うが……店が潰れてしまうのではないかと心配になった。
白石は合計350円を支払うと、紙袋に入った揚げ物を大事に抱える。
しかし、メンチカツはふたつしか買わなかったな……五人で分けるつもりなのだろうか。さすがに足りないんじゃないか、と考えていたら、白石が紙袋からごそごそと何かを取りだした。
「はい、凛生くん」
ワックスペーパーで包装されたメンチカツをひとつ手渡してくれた。
先程揚げたばかりのものだから、まだ熱々だ。
「みんなには内緒ね」
「夕飯のおかずにするんじゃないのか?」
「揚げたてなんだし、今すぐ食べた方が絶対美味しいって! それに……」
白石は隣を歩いている俺の正面に回り込んで、にっこりと白い歯を見せて笑うと。
「せっかくのデートなんだから、凛生くんと一緒に何か食べたいじゃん?」
「……そうだな」
「ちゃんとお店予約して、とかそういうのじゃなくてごめんだけど」
「いや、これがいい。……ありがとう、白石」
白石とふたり並んで歩きながら食べる揚げたてのメンチカツは、今までに食べた中で一番美味しいものだった。
そして、明るくて人懐っこい白石は、みんなに愛されているんだな……と今回の商店街デートで実感した。
俺も、……俺を選んでくれた白石が隣にいる今を、全力で共に過ごしていきたい―― メンチカツの最後のかけらを飲み込みながら、密かに誓った。
「いひひ……何だか買い食いしてると、ちょっと悪いことしてる気がしちゃうよね」
「そうなのか?」
「凛生くん買い食いしたことないの!? ……部活が終わった後とか、お腹空いたんじゃない?」
「すごく減る。だから高校の頃は、選手寮の食堂で寮母さんに頼んで弁当を作ってもらっていた」
俺は函館の祖父母の家から通学していたが、野球の強豪校ということもあって学校の近くに寮も完備されていた。
寮生以外にも、食べ盛りの球児のために食事を提供してくれていたから、俺もその恩恵に預かっていた。
……もっとも、弁当と言ってもその場で食べていたのだが。
「特にカレーから揚げ弁当が美味しかったな……」
「……それ、もう夕飯じゃない?」
「いや、間食だ。家に帰ったら夕飯はちゃんと食べる」
そう、夕飯以外は間食だ。
白石とゆったりデートしている間に日が傾いてきた。商店街をあちこち歩き回って、少し腹が減ってきたな。今夜の夕飯は白石の作るシチューか……楽しみだ。
――夕食後、洗い物をしながら楠さんのカフェで頂いた賄いの話をして、白石を驚かせることになるのはまた別の話。