ばんりお&あおみさダブルデート「~~もう! 誰も来ないじゃん!」
スマホを握りしめて学生食堂の前で立ち尽くす俺――若草あおいは半泣きになりながら、どうやってぶつけたらいいのか分からない憤りや悲しみといった感情を抱えてうち震えていた。
***
「今週は学食で大盛り無料キャンペーンをやっているらしい」
そんな情報を持ってきたのは絋にいだったか、大和だったか。
確か学内の掲示板にも告知の張り紙があった……気がする。
鴨川大学文化奨励コンテスト―― 実質ミスターキャンパスとも言えるコンテストの新入生男子の部・優勝の副賞、学食無料券。半年分あったにも関わらず5人で気要らず使ってしまったものだからあっという間に無くなり、家計が元通りの火の車になった俺たちにとって「大盛り無料」という言葉はものすごく魅力的に映った。
「プラス50円のライス大盛りを注文したらそれも大盛りになる」
「おお~っ! 大和は白米んことになると、やっちゃ賢うなるけんね!」
「そうかぁ?」
「大盛りの大盛りは……岬。10倍だぞ10倍」
「ならない!! 大盛りの大盛りなんてない!! どこからでてきたのその数字!?」
得なことには変わらないからいいんじゃないか? と絋にいがその場を丸く収めてくれたけど、はっきり言って理解も納得も全くできないよ。そもそも学食はご飯のおかわり自由だから!
そんな俺の様子を見て絋にいは困ったように笑うと、茶色の封筒を手渡してきた。
「スタジオのバイトで機材の配置換えを手伝ったら『普通なら三人がかりで運ぶものを一人で何度も運んでくれて助かった』って、やたらと感謝されたんだ。あおいに預けておくから飯代の足しにしてくれ」
「えっ、いいの!?」
さすが絋にい! 頼りになる。
でも、三人がかりで運ぶ機材ってなんだろう? グランドピアノ級? いやいやそこまでは人間離れしてないよね……
深く考えると逆に恐怖を覚えてしまいそうなので思考の外に追いやって、臨時収入だという数枚の千円札をありがたく頂戴した。
「明日はみんなで学食行くばい!」
「よっしゃあ! 絋にいにゴチになるぜェ!! 押忍!!」
「10倍の白米……楽しみだ」
「はは、そういうことみたいだから頼んだぞ。あおい」
風太の一言で明日のお昼の予定が決定した。
みんな揃って学食行くの久々かも。たまにはお財布事情を気にせずにお腹いっぱい食べるのも悪くないよね――
***
――というのが、昨日の出来事だ。
絋にいは講義の都合で時間通りに来られないかも、って聞いてたから仕方ないとして……風太は空き時間に七星くんとカラオケ行って盛り上がっちゃったみたいで全然帰ってこないし、岬は合流したもののスマホの通知を見るなり「!?」という感嘆符を頭上に浮かべたような顔をして固まったと思えば、次の瞬間には「ZACKさんのゲリラ配信だ! やっべー! 昼からゲーム実況とかまじ尊敬するっす!」ってコンピュータ室行っちゃうし……ていうか真っ昼間からゲームしてる人なんか尊敬するな!!
で、大和は迷子。単純に迷子。もうこれに関しては諦めの境地に達してるから何とも思わない。
それで、学食に来たのはいいんだけど……俺、ひとりで食事するの苦手なんだよね。苦手というか、大体フウライのメンバーと一緒にいるから。いわゆる「ぼっち飯」ってしたことない。
大盛無料キャンペーンのおかげか、いつも以上に混雑している学食。おひとり様もたくさんいるし、俺がひとりで食べてたからって誰も何とも思わない―― と分かっていても、人目が気にならないわけはない。
~~ああ、もう。ハッキリ言うけどひとりでご飯食べるの淋しい!! ひとりはヤダ!!
誰か知り合い居ないかな、なんて食堂の中を覗き込んでみると……
中庭に面した窓のすぐ側、二人がけのテーブル席。陽光を受けてさらさらとした緑髪(りょくはつ)が輝いている。左手で掬った前髪を耳に掛ける仕草は何とも優雅で、どこかの国の王子だと言われても信じてしまいそうなその人物は、俺がよく知っている顔だった。
――桔梗くんだ。
腰掛けてスマホを操作しているだけなのに画になるなあ。可憐に咲く花々を背負っているような幻覚が見えるほど。
伏し目がちな横顔は整いすぎていて、案の定食堂にいる学生たちの視線を集めていた。
アルゴナとは何度か対バンもしている。お互い面識がないわけではないし、相席させてもらっちゃおうかな?
それに、 LRフェスのアンケートで「注目するバンドマンは?」という問いでも挙げたとおり、俺は桔梗くんのことを一目置いていた。
常に冷静に演奏するコツや普段の練習方法とか、聞いてみたいこともたくさんある。良い機会かもしれない。
テーブルの上には料理も空になった食器もないから、これから注文しに行くのだろう。
どのタイミングで話しかけようかな、もしかして迷惑だったらどうしよう……なんて逡巡していると。
桔梗くんは、右手に持ったスマホをちらりと見てから少し間を置いて……僅かに口元を綻ばせた。
表情の変化は微々たるものかもしれない。それでも、背負っている花がぶわりと咲き乱れ、芳しい香りがそこら一帯に広がったかのような錯覚をおぼえる。俺もわけ分からないけど、桔梗くんが不意に見せた控えめな微笑みはそれほどの破壊力があった。
大和も黙ってさえいれば負けてないんだけどな……なんて溜息が出かかったところで桔梗くんは立ち上がり、ジャケットを脱ぐと椅子の背もたれにかけた。
そして飲料水のサーバーへ向かうと、コップに注がれた水をふたつ持って席へと戻ってきた。
あ、誰かと待ち合わせしてるんだ。
早まって相席をお願いしなくて良かった! と思うと同時に、これからやって来るであろう〝誰か〟が気になって仕方なくなってしまった。
まず間違いなくスマホでやり取りしてた相手が来るはずだ。
「もうすぐ到着する」なんて連絡が入ったから、お冷を用意したのだろう。
桔梗くんがあんなに嬉しそうな表情をする相手……一体誰なんだろう? 特別な人だったりするのかな。
好奇心が抑えきれなくなった俺は思わず、桔梗くんの席が伺える位置にある一人がけのカウンター席を陣取っていた。
ぼっち飯への抵抗はいつの間にか消え去って、この場にいる事の不自然さを隠すために注文した大盛り激辛担々麺を前のめりに啜りながら、そのうち現れるであろう人物に興味を注いでいた。
***
数分も経たない間に、桔梗くんの待ち人はやってきた。
とことこと早足で歩いてトレードマークである明るい金髪のマッシュヘアを揺らす、やや小柄な人物は俺からしたら意外でもなんでもなかった。
「お待たせ~! 凛生くん」
白石くんだ。
なんだ、バンドメンバーと待ち合わせしてたんだ。アルゴナもシェアハウスで共同生活してるって聞いてるけど……それでも一緒にご飯を食べるって言うのは嬉しいものなんだね。
桔梗くんも俺と同じで、実はひとりが苦手な淋しがり屋だったりするのかな……いや、まさか。そんなはずはないよね!
「ごめん、だいぶ待ったでしょ?」
「いや。俺もさっき来たところだ」
「ホントに? お腹空いたよね。注文行こっか」
いやいや、俺が来た時からずっと居たわけだし結構待ってたと思うよ。
「遅い」と詰らないあたり、桔梗くんって大人だ……
白石くんはいそいそと羽織っていたパーカーを椅子の背に引っ掛けると、黄色いがま口の小銭入れだけを握りしめて、ふたりで食券の販売機へと向かっていった。
***
「見て! オムライス特盛っ!! 大盛を特盛にしてもらえるなんて、ほんっと助かるよね~」
「白石。カレー特盛を頼んだら鬼盛にしてくれたぞ」
「わ~、すごい量……」
うわ、すごい量…… 思わず白石くんと同じ感想が出てしまった。並盛の10倍はあるだろうか。大和の言う大盛の大盛りはあながち間違ってなかったんだ……
ふたりは陣取っていたテーブルに戻ると、手を合わせてから「いただきます」と同時に言った。
「凛生くんが作ってくれるふわとろオムライスもいいけど、こういう昔ながらのオムライスもたまーに食べたくなるんだよね」
「ああ。俺もカレーは辛口で大きな具材がゴロゴロ入ったやつが好きだが、給食や部活の後に食べた大衆向けのカレーは何故だか美味しく感じたな」
「分かる! あ、凛生くん、オムライスひと口食べてみる?」
白石くんは自分のオムライスを大きなスプーンでこれまた大きく掬うと、桔梗くんの口元へ差し出した。
「はい、あーんして」って子供に食べさせるみたいに……さすがに桔梗くん、ひとに食べさせられるような真似はしないんじゃないかな? と思ったのも束の間。桔梗くんは何の躊躇もなく、ツバメのひなのように口を大きく開けていた。
「ん、……美味い。白石も食べるか? カレー」
「いいの? もらっちゃって」
お返しだ、と今度は桔梗くんが白石くんにカレーを食べさせた。
うん……仲睦まじい、って言葉が合うんだろうけど……ちょっと見てて恥ずかしくなるくらい、仲が良すぎるかも。
「美味しい! でも俺は凛生くんの方が好きだな」
「ふっ、天才だからな」
桔梗くんが作ってくれるカレーの方が好き、ってことだよね。きっと……
ふたりは会話をしながらも淀みなく手を動かして食べ進めているけど、桔梗くんの方が食べるペースが断然早い。あんなに山盛りだったカレーが一瞬にして無くなっていた。
白石くんも負けじと……いや勝負しているわけではないと思うけど、一度にたくさんのオムライスを口に運んでいる。
「白石」
「うん?」
「鼻についてるぞ、ケチャップ」
右手で優しく白石くんの顎をくいっと上げて、左手の親指で鼻先についたケチャップを拭うと……それを自身の口元へ持っていき、ぺろりと舐めた。
うわっ、現実でこんなことあるんだ。それがまた嫌味がなくスマートに見えるのが不思議だ。
あはは。白石くん、顔真っ赤にしてる。無理もないよね、あんなことされたら……
「もー、恥ずかしいよ凛生くん」
「ふふ……」
なんだか、少女漫画のワンシーンみたいだと思ってしまった。
そう言えば、大家族で庶民的なごく普通のヒロインと大企業の御曹司で学園の王子様が紆余曲折を経て結ばれる……みたいな作品があったなとぼんやり思い出した。そうそう、ドラマで観たことがあるんだ。だいぶ前だったと記憶してるけど、確か少女漫画が原作だったはず。
知り合いふたりを少女漫画の登場人物に当て嵌めるなんて我ながらどうかしてると思うけど、違和感がないことの方がおかしい。……あの作品の結末ってどうなったんだっけ? 帰りにレンタルショップで借りてこようかな。
マグマのように真っ赤なスープを最後の一滴まで飲み干した俺は、食器の乗ったトレーを返却口へ運んだ。学食のおばちゃんに「ごちそうさまでした、美味しかったです」と早口で伝えて。
久々に食べた担々麺、美味しかったな。絋にいが一緒に居たら辛いもの食べるわけにはいかなかっただろうし……ひとりで食事するのも悪くないかも。またこっそり来ちゃおう。
***
大学からの帰り道、CDだけでなく漫画も貸し出ししているレンタルショップで例の少女漫画を10巻まで借りてきた。
岬が好きそうなヤンキーものの少年漫画に、絋にいが好きそうな青年誌の麻雀漫画……思わず目移りしてしまったけど、もうすぐスーパーのタイムセールが始まる。急がないと。
スーパーに到着するなり俺は、白石くんの姿を探した。
この曜日のこの時間なら確実にいる。というか、白石くんの姿を見なかったことがないってくらい。
……いたいた。野菜売り場で揉みくちゃになりながら買い物してる。右手に抱えてるのは、大根とごぼうと……あの辺が今日の目玉商品なんだ。
「あっ、あおいくん! 来ると思った!」
白石くんもタイムセールのときは必ず俺がいるって認識なんだ……ちょっとだけ照れくさい。でも白石くんと合流できた買い物では絶対に損をすることはない。お互いに近隣店舗のセールについて情報交換をする。
「今日は鶏もも肉が特に安い」
「食パンは駅の向こうの店の方が安かった」
「惣菜はそろそろ値引きシールが貼られるころだ」
……おおよそ男子大学生がするとは思えない会話を繰り広げる俺たち。
だけど、フウライの財布を握ってるのは俺だから! 俺がしっかり管理しないと!
白石くんは上京する前からこんな感じらしいけど、メンバーみんなよく食べるから大変なんだって。
「ミニトマトも安いね! 彩りに買っていこうかな」
「彩り?確かに大事だけど……」
「明日の昼はお弁当にしようと思って。5人分一気に作れば安上がりだし!」
「そっか……俺たちも岬に手伝ってもらって、明日はお弁当にしようかな?」
ああ、でも岬って夜遅くまでゲームやってて朝はギリギリまで寝てるし、弁当作るために早く起きられるかな……
「へえ、岬くん料理するんだ。ちょっと意外。そうだ! 明日一緒にお弁当食べようよ!」
「一緒に? いいけど、桔梗くんと食べるんじゃ――」
しまった。もし「なんで知ってるの?」って問われたら取り繕えなくなって、昼のふたりの様子を見てたことがバレちゃうかも。
悪いことをしていたわけではないけど、ちょっと気まずい……
「うん、凛生くんも一緒」
さも当たり前のようにカラッとした笑顔で言い放つ白石くん。どうやら俺だけが深読みして意識しすぎてたみたい。ほっと安堵すると共に、少しだけ恥ずかしくなった。
「だからさ、岬くんも連れてきて4人で! そんでもって、おかず交換しようよ! 名案じゃない?」
「何それっ! 楽しそう! じゃあ岬叩き起こすね!」
「いや、叩き起さなくていいよ~!?」
そして翌日。
レンタルした漫画を読み耽ってつい夜更かしして寝坊してしまった俺と「料理対決なら負けねェ!!」と張り切って朝5時に起きて渾身の弁当を完成させた岬の姿があった――
***
「ごめん、岬…… 弁当、全部作ってもらっちゃって」
「もう気にすんなって! 大和が炊きたての白米のニオイにつられて起きてきた時はあおいの助けが欲しかったけどな……」
「あはは……」
白ご飯、山ほどつまみ食いされたんだろうという想像は難くなかった。
それにしても、やってしまった。寝坊したら叩き起すなんて思ってたのに……岬は黙って俺が寝てる間に全部やってくれて。
こういう優しいところは昔から全く変わらないんだよね……
「それに昨日、お前に悪いことしちまったから。あの後、誰も来なかったなんて思わなくてよ……あおい、ひとりで飯食えねぇだろ」
「あ、そのことなんだけど」
「とにかく!! ……淋しい思いさせて悪かった。ごめんっ!」
……ああ、もう! 岬ってバカがつくほど真っ直ぐ。こんな感じだから喧嘩ばかりしても嫌いになれない。いや、嫌いどころか――
「おーい! あおいくん! 岬くん!」
「お、白石と桔梗。なんかでっけぇ風呂敷包み持ってるけど……」
お昼には少し早いけど、ちょうど4人とも時間があったので昇降口に集合した。
今日は天気も良いし、折角なら外で食べようよ! と白石くんの提案で中庭に移動する。
ここは緑が豊かで、クラシックな雰囲気のガゼボや生徒の交流や団欒のための鉄製のベンチやガーデンテーブルがいくつか設置されている。テーブルはお昼のピーク時にはすぐに埋まってしまうけれど、今日はまだ空いていた。
「ここにしよっか」
「ああ。風が心地よいな」
白石くんが使い捨てのおしぼりでテーブルを拭いて、桔梗くんは各々の席に紙皿と割り箸を配り……ふたりは世間話をしながらてきぱきと支度をしている。
「たくさん用意したから、好きなだけ食べてくれ」
「いや、多すぎねぇか?」
ものすごい量のサンドイッチに、からあげに、フライドポテトが出てきた。
サンドイッチはカツサンドとたまごサンドかな? 美味しそうなんだけど、全体的に揚げ物が多くて茶色い。申し訳程度に彩りのミニトマトが添えられていた。
「大丈夫大丈夫、凛生くんよく食べるから」
「それならいいけどよ……俺らのも食ってくれよ!?」
岬も大きなタッパーを袋から取り出して目の前に並べていく。
たこさんウインナーの入ったナポリタンに、昨日の特売で買った鶏肉を使ったチキンカツと別添えのデミグラスソースに、カレーピラフのおにぎり。
おにぎりの入ったタッパーの隙間には何故だか、ありとあらゆる駄菓子が詰められていた。恐らく、大和がつまみ食いした分の埋め合わせだ。
「あ、これってトルコライス?」
「おう! そういえば白石には奢ったことあったよな」
「うん。ちょっとお子様ランチって感じでワクワクした! お弁当にしちゃうなんて余程好きなんだねえ」
「……そろそろ食べてもいいか?」
桔梗くんの視線はカレーピラフおにぎりにばっちり注がれている。カレー味のものなら何でも好きなんだね……
みんなで「いただきます」と一礼してから俺は白石くんが特にオススメだという、たまごサンドに手を伸ばした。桔梗くんの作ったサンドイッチは、以前に大和経由でフウライに差し入れしてもらったことがあったから食べるのはこれで二回目だ。
「ん! やっぱり美味しいっ」
「でしょ~? だって凛生くんは……」
「天才だからな。五島のカレーおむすびも美味い。これならいくらでも食べられる」
「くそっ、米炊く時からカレー粉入れておけば大和につまみ食いされずに済んだ……いや、アイツなら米は米だっつって食いかねねェ」
「……どういうことなの?」
大和の米への執着とも言える愛をそこまで知らない白石くんは不思議そうにしていたけど、コンテストのステージ上で「愛するものへのラブレター」をテーマにしたスピーチで競い合った桔梗くんは納得した様子で頷いていた。
上京してからこれまでの短い期間ながらも濃密な思い出話やお互いのバンドメンバーの話……尽きない話題で盛り上がり、自然と食べる手も進む。うん、やっぱりご飯はみんなで食べる方が楽しい!
「作りすぎて余るかもしんねェと思ったけど、全然そんなことなかったな!」
「ね。みんなよく食べるからむしろ足り……ヒッ!」
「あおいくん?」
楽しくて平和なランチタイムから一転。俺は首の後ろがもぞもぞする嫌な感触に襲われ、血の気が一気に引いていくのを感じた。
何かがカサカサと動いているような……これは俺が大の苦手な――
「あおいくん、動かないで」
声にならない悲鳴が出かかったその時。
白石くんはスッと俺の首筋に手を伸ばして「それ」を取り除いてくれた。
両手で潰さないようにふわっと包み込んで「向こうで逃がしてくる!」と少し離れた場所にある植え込みの方へと走っていった。俺に見えないように気を遣ってくれたんだろうけど……やっぱり虫だったんだ!!
「あいつ、素手で捕まえるなんてやるな……」
「えっ!!? 岬が素手で触るの躊躇するような虫だったの!?」
「い、いや! そんなヤベェ虫じゃ……」
「ああ。毒はないはずだから心配するな」
俺にとっては毒とかそういう問題じゃないんだけどね!? いや、毒があったら白石くんも危険ってことになるから、無毒で良かったと安心するべきなんだろうか。
それにしても――
「白石くんって、意外と男らしいところあるよね」
「だよな。覚えてんだろ? 学祭のとき――」
学祭でダブルブッキングされて、結果的に俺たちフウライとアルゴナの2組が対バン形式でゲストとして呼ばれたときのこと。
やんちゃだった過去のこと、長崎にいた頃に対バン相手と揉めたこと……それらに尾ひれが付いたネットの噂のせいで俺たちだけ出演NGになりそうだったとき、白石くんは「フウライが出ないなら俺たちも出ない」ときっぱり言い放った。
メンバーも絶対そう言うはずだから、と全く揺るがない強情っぷりに一度は喧嘩になったけど……あれは白石くんの「男気」に他ならなかった。
「あんなちっせぇのにドラムもパワフルだしな」
「小さいは余計! 買い出しの時もいつもたくさん荷物抱えてるし力持ちだよね」
「ああ。白石はArgonavisの中で誰よりも男らしいんだ」
わかってくれたのか。と言わんばかりに桔梗くんは誇らしげな顔をしている。
仲間が褒められて嬉しいってことかな……いや、すごいドヤ顔。さっき料理を褒めたときの10倍くらい?
「だが、あいつは無理もしがちだから……お互いに支え合っていければいいと思っている」
愛おしげに白石くんのことを話す桔梗くんは、少しだけ切ない表情を浮かべて……いつも堂々として格好良いのに、どこかいじらしく見えた。
岬も同じように感じたのか、目をぱちくりとさせている。
「……ノロケ話かあ?」
「そう受け取ったのならすまない。だが、白石が男らしくて頼りになるのは事実だしな」
否定はしないんだ。誇らしげに白石くんのことを話す桔梗くんは、元の自信満々な表情に戻っていた。
その話題の人物である白石くんは虫をリリースした後、近くの水道で手を洗ってから俺たちの元にぱたぱたと走って帰ってきた。
「ただいま!」
「おかえり、白石」
「なになに? 凛生くんニコニコしちゃって。俺のいない所で楽しそうな話してたわけ~?」
「そうだ。白石が男前だって話をしていた」
陰口叩いてたわけではないから別にいいんだけど……そこ正直に言っちゃうんだ!?
それを聞いた白石くんは照れくさそうにしながらも、ふふん、と胸を張って。
「凛生くん、惚れ直しちゃった?」
「ああ。格好いいぞ白石」
わあ……ふたりの周りにキラキラとしたエフェクトが見える。
庶民的なヒロインと、御曹司の王子さま。境遇としては変わらないんだけど、中身は優しくて面倒見良くて男気溢れるナイスガイと、万能でクールだけど愛情深い……淋しがり屋さん?
「いひひ……ありがと。あっ、俺飲み物買ってくるね!」
「俺も行く」
白石くんの上着の裾を控えめにつまんで意思表示をする桔梗くんと、その手をぎゅっと握って「行こっか」と笑う白石くん。傍から見れば仲の良い友人、なのかもしれない。でも俺から見たら――
「あおい!」
突然、俺の手を握る岬。
「ちょっ、何なの急に……!」
「別におかしくないよな!? ダチなら、手ェ握ることもあるよな!?」
「……へ、変ではないと思うけど……」
ああ、もう岬まで妙な空気に当てられちゃって……一体何なんだよ~!
***
「岬くんって、いかにも雨の中で動物拾って来そうな心優しいヤンキーって感じだよね」
「若草も絵に描いたようなツンデレだったな。ふたりともバンドに加入する前、漫研サークルで読んだ漫画の登場人物そっくりだ」
「分かる! ラブコメに出てきそう! って言うか凛生くん、漫研にも入ってたんだっけ……」
そんな噂をされているとは夢にも思わない俺たちは、何とも言えない沈黙の中ふたりが戻ってくるのを待っていた――
***
数分しか経っていないはずなのに、やけに待っている時間が長く感じた。白石くんと桔梗くんはそれぞれペットボトルの水とブラックの缶コーヒーを携えて帰ってきた。
あれだけ大量にあったお弁当も残りわずか。おにぎりのタッパーの埋め合わせに使われていた駄菓子を、興味深そうに見つめる桔梗くん。あまり食べたことがないのかな? 白石くんは「これ昔よく食べたよ! 懐かしいね~」なんてしみじみと語りながら、甘くない駄菓子を選んで桔梗くんに差し出している。
「これは……ラーメン? ずいぶん粉々だが……茹でなくていいのか?」
「マジか、食ったことねーのか……それはそのまんま食べるんだよ! 俺は料理にも使うけどな! 揚げ物の衣とか、サラダとか……」
「五島、詳しく聞かせてくれないか」
料理男子同士、岬と桔梗くんは意気投合したようで話が盛り上がっていた。
たった今お腹いっぱい食べたばかりなのに、安くて大量に作れて腹持ちのいい料理のレシピを交換し合っている……そんな様子をいかにも微笑ましいといった感じで目を細めて見ている白石くん。……と、俺。
ばっちり目が合うと、白石くんはにやりと笑って。
「あおいくん、俺と〝同じ〟だね?」
何のことだよ? と、やや不機嫌に返すと、白石くんは「さあね?」と会話を切り上げて、また視線を桔梗くんへと移した。
いつの間にか話題が料理から野球へと変わっていたふたりを、俺と白石くんは目の前の駄菓子が無くなるまでずっと眺めていた。
中庭に人が増えてざわざわとしてきた。昼食のピーク時になったみたい。俺たちがテーブルの上を片付けて、早くどこかに移動しないか伺っているのだろう。女子のグループが嫌でも視界に入ってくる。そろそろお開きの時間かな。
4人で手早く片付けてこの場を立ち去ることにした。
「ごちそうさまでした。最後は何だか慌ただしくなっちゃったね」
「ごちそうさま! 今日はありがと。またダブルデートしようね!」
「「デート!!? そんなのじゃ!!」ねェっての!!」
「フッ、息ぴったりだな」
「ほんと! 俺たちも負けてらんないね!」
ニコニコと楽しそうに笑い合う白石くんと桔梗くんを見て、やっぱりそうなんだ! という気持ちと、勝負するつもりなんてないから! という気持ちが同時に芽生えた。
岬は顔を赤くして「デート……俺が理解(わか)ってねェだけでこれはデートだったのか!?」と自問自答している。
だ・か・ら! デートじゃないってば!! ……少なくとも〝今〟は。
俺と岬の関係が変わるのは―― もう少し後のこと。