隠し味 〜BS side〜「ふう、ちょっと休憩していいかな」
「めずらしいね。万浬くん、いつも『スタジオ代もったいないよ~』ってドラム叩きっぱなしなのに」
「俺は効率重視なの!」
……ちょっとだけ声マネ似てるのがむかつくんだけど。
でも航海くんの言うことはごもっとも。
スタジオを借りてのバンド全体練習。本当ならもう少し叩きたいけど…… 今日は、ちょっとね。最初から飛ばしすぎちゃったかな。
シェアハウスから持参した水筒に手を伸ばすけど、さっき飲み干しちゃったから空っぽだ。
うーん。喉は乾いたけど、自販機で買うのはもったいないな…… これでは何のためにお茶パックを煮出してまで麦茶を作ってるのかわからなくなっちゃうよ。
今日はスタジオ延長しないだろうし、我慢して――
「白石」
「うわっ!! 凛生くん!」
いつの間にそばに来てたんだろう。
水筒を逆さにして一滴でも落ちてこないかな、なんてしょうもない事をしているのを見られてしまった。かっこ悪いな、俺。
「飲み物を買いに行くなら俺のも頼んでいいか?」
「まだ買いに行くと決めたわけじゃ……」
あ、これって。
俺が飲み物買うのをケチって、水分補給を我慢しようとしてることバレてるな。凛生くんってば俺の体調管理に関しては、とてつもない嗅覚を働かせるから。
「……うん、行ってくるよ」
「スタジオの外の自動販売機、電子マネー使えたよな。これで白石のとふたり分買ってきてくれないか」
「どうせ買うなら自分で払うし、いいよ俺の分は」
「いや俺が出す。使い走りをさせるようなものだからな。種類は白石と同じものでいいから、頼んだ」
「あ! ちょっと~~!」
強引にICカードを押し付けると、如何にも手が離せないといった様子でいそいそと持ち場であるキーボードへと帰って行った。
……全く、わざとらしいんだから。そんなことしなくても、凛生くんに見つかった時点で買いに行くよ。
それでも常に気にかけてくれて、俺のことを見ていてくれるのは嬉しい…… なんて思っちゃう。
――結局、俺って凛生くんのこと好きで好きで仕方ないんだよね。
そもそも、何で今日はこんなに疲れているのかって言うと。
昨夜、ちょっと…… いや、かなり。凛生くんと盛り上がっちゃって。
バンド練があるから控えめにするつもりだったんだけどさ、凛生くんってば……
「万浬くん、行かないの?」
航海くんの声で現実に引き戻された。
いけない、思い出すと身体がまた熱を持ってしまいそうだ。思考がそちら側に引っ張られてしまう前に、急いで上着を羽織ってスタジオから退室する。
ドアを閉める間際に凛生くんをちらりと見遣ると「頼んだぞ」と意味を込めてなんだろうけど、俺に向けてぱちっとウインクをしてきた。
――そんな可愛いことされたら、ますます熱くなっちゃうじゃん。
俺は邪念を振り払うようにかぶりを振ると、足早に自動販売機へと向かった。
***
スタジオの裏手に設置された赤い自動販売機。
炭酸飲料にジュースにお茶にコーヒー…… いたって標準的なラインナップだけど、種類はたくさんある。でも俺は迷わず水に決めた。一番安いし。
同じものでいいって言ってたし、凛生くんのも水でいいよね。
それに…… 凛生くんが家から持ってきたスポーツドリンク、足元に置いてあったのが見えたけど、まだ半分くらい残ってた。本当は飲み物を追加する必要なんてなかったんだよね。
凛生くんに感謝の気持ちを込めながらICカードをタッチして、ペットボトルに入った水を二本購入する。
一本は開封して、すぐに口へと運んだ。ハードな練習と、凛生くんのことを考えていて火照ってしまった身体にスーッと沁み込んでいく。
ふぅ、と一息ついても、頭に浮かぶのは凛生くんの姿だ。
――昨夜の、凛生くん。
「今日は控えめにしよう」ってふたりで約束してのセックス。
でもさ、若い俺たちが控えめにする、なんて無理じゃん? それでも凛生くんは、何とかセーブしようと努力してなのか…… ちょっとだけ抵抗したり、今までになく恥じらいを見せてくるものだから。
俺は逆に燃えてきちゃって…… 結局めちゃくちゃに抱いてしまった。
たくさん痕もつけちゃったな。凛生くんの服装がぴっちりとしたハイネックで、首まで完全に隠していたことが昨日の情事を物語っている。
そう、いま手にしているペットボトルを凛生くんに見立てると―― 首筋、鎖骨、肩口……
「……なにしてんだろ」
昨夜、凛生くんにしたように水の入ったペットボトルにくちづけを落としていた俺。幸い、スタジオの裏手だから通行人もいなくて目撃者はいなかったけど…… これじゃあクールダウンどころではない。
しかも凛生くんに渡す方の水だよ、これ。
……やってしまったものは仕方ないし、もう少しキスしちゃお。今度はもっと想いを込めて。ほら、愛情はいちばんの隠し味って言うじゃない? 結局ただの水なんだけどね。
***
「お待たせ」
「休憩できたか?」
「うん。あ、飲み物ごちそうさま。こっちが凛生くんの分」
「ありがとう」
頭はぐるぐるして休んだ気がしないけど、身体は休憩できたはずだ。
凛生くんに先程キスしまくったペットボトルの水と、預かったICカードを手渡す。
「……」
「凛生くん?」
凛生くんは水をじっと見つめていて。やばっ、なにか違和感があるのかな? もしかして、キスしてたことバレたのかな? なんて様子を伺っていると――
おもむろにペットボトルを首筋にあてがって。
「……気持ちいい」
「〜〜〜〜っ!!」
服で隠れてはいるけれど、昨晩に痕をつけたところと、さっき俺がキスを落とした、植物のイラストが描いてあるところが見事に合わさっている。
つめたくて気持ちいいって事なんだろうけど、妙に色っぽい声で言うものだから……なんだかクラクラしてきた。
「おかげでクールダウンできた。後で大切に飲ませてもらう」
「うん…… 大切にしなくてもいいけど、凛生くんが飲んでね」
「ははっ、名前書いておかないとな」
***
俺が凛生くんに渡した水は、ラベルに力強く美しい文字で「桔梗 凛生」と書かれて、シェアハウスの冷蔵庫のドアポケットに立てられている。
大切にしてくれるのはいいけど、いつ飲んでくれるんだろう。そんな事を思いながら、今日もそこにいるペットボトルにキスをした。