小さな木製の窓枠からこぼれ落ちた月の光が、部屋のベッドの上で眠る二人に注がれている。
ジャックの家の寝室で、二人は静かに眠っていた。ヘラクレスの大きな腕がジャックの背を抱き込むようにして包み、ジャックの手もそれに添えられている。
身に纏うものは何もなく、毛布がただ一枚かけられているだけ。
不意に、ジャックはぱちりと目を覚ました。
背中に感じる高い体温と体を包容する太い腕に、ジャックはヘラクレスを感じて目を薄める。
少しして、ジャックはふと思った。
ーー本を片付けるのを忘れている。
まだ少し微睡みの中にいた目がふっと冴える。ヘラクレスの腕からそろりと抜け出し、ジャックは彼を起こさないよう音を立てずベッドから降りた。チェストに置かれた乱れたままのシャツを羽織り、そのままふらりと部屋を出る。
リビングへと向かったジャックは、テーブルの上に置かれたままの、自分が夜床に就く前に読んでいた本を手に取ると、それを本棚へと戻した。
その時、ふと自分の手首にありありと残されたほんのり赤くなった痣が見えて、少しの間それを見つめる。ジャックは眉を下げ微笑した。
寝室へと戻ると、ヘラクレスが起きていた。
「…どこへ行っていたんだ?」
眉をひそめ、若干心配そうな目でこちらを見てくるヘラクレスに、ジャックは微笑を返した。
「本をしまい忘れていたことを思い出したので、戻しに行っただけですよ」
安心させるために微笑んでそう言ったつもりだったが、ヘラクレスのひそんだ眉が緩むことはなかった。むしろその太い眉はいっそう顰められたようにも見えた。
不思議に思ってヘラクレスの座るベッドへと近づくと、大きな手がすっと伸びてきて、軽々とベッドへと引き込まれてしまった。衝撃に軽く目を瞑ったジャックは、戸惑いながらもヘラクレスを見上げた。
「…Sir?」
「そんなの明日でもいいだろう。寝よう、ジャック」
驚いているジャックを抱き込みながら、ヘラクレスはそう告げる。抱き込まれヘラクレスの顔が見えなくなったので、感情の色は見えなかったが、声音だけでも彼がいじけているのだとわかった。
ジャックは少し思案して、ヘラクレスの機嫌が悪い理由に思い当たると、目を閉じそっと反省した。
ああ、またやってしまった、と。
夜、こうしてジャックが目を覚ましベッドから抜け出すことは稀なことではない。
戻ってはくるのだが、必ず何かをする。それもごく些細なこと。
今夜は、本を本棚にしまい忘れたからそれを戻しに行った。ヘラクレスの言う通り、それは明日にでもやればいいこと。だがジャックにとっては無意識の行動だった。そう思ったから、体が勝手に動いていた。
本を棚に戻す。元あった場所に収め、最初の部屋の通りにする。
したことは、した以前の状態に。
それはつまり、証拠を残さないようにすることと同じ。
考えてみれば、それは殺人鬼として染みついた癖のようなものだった。元々部屋に置かれている物が少ないにしても、ジャックの部屋はいつも異様に綺麗で整られていた。
ヘラクレスはジャックのその習性に、夜を共にするにつれいつしか気づくようになったのかもしれない。
もうどこへも行かせないという風にがっちりと腕の中に閉じ込めているヘラクレスに、ジャックは困ったような笑みを浮かべながらも、その腕を人差し指で軽く叩いた。
「…Sir、少し、」
腕がきついです。
そう言おうとしたのだが、唇からその言葉が出てくれることはなかった。
ヘラクレスはなぜかその言葉を遮るように体を少しだけ捻り、ジャックの両手首を掴んでベッドへと押しつけ、覆いかぶさった。
ヘラクレスが何をしたいのか考える間も無く、不意に首筋に口付けられ、ひくりとジャックの身体が跳ねる。
戸惑いの声を上げる前に、そのままはだけた肌に再び口づけられて、首筋や鎖骨を甘噛みされ、舌を這わされる。
「っ、……!」
唐突に始められた行為に、ジャックは吐息混じりにSir、と静止の声を上げるが、ヘラクレスは止まらない。シャツの裾を捲るように腰を撫でられたジャックは体を震わせながらも、ヘラクレスの胸を手で少しだけ押した。
「…っ…、寝るのではないのですか…?」
刺激に、先程の夜のことを思い出させられながら頬をうっすら上気させて、声を噛み殺しながらもそう告げる。ヘラクレスは手を止めた。
「…寝る気がないだろ。今度は何をしに行こうとしたんだ?……そこに散らかって皺になってる服を畳む、とかか?」
青い瞳が少し不貞腐れたように揺れている。
ヘラクレスのその表情と物言いに、ジャックはぱちくりと目を瞬かせた。それから、吹き出すようにくすくすと笑い出した。
「何もする気はありませんよ…?本当にもう寝るつもりでした。それにそれを畳んでも、あなたがまた私の服を乱すじゃないですか」
すでにヘラクレスに乱されたシャツに軽く触れながらジャックが告げる。
ヘラクレスは自分のやっていたことに少しの罪悪感を覚えたのか、うっ、と声をあげ、すまん…と素直に謝った。その姿を可笑しく思いつつ、ベッドに身を預けながらジャックはヘラクレスに手を伸ばす。
「Sir、寝るんでしょう?」
「あぁ」
ヘラクレスはジャックの手を取り、かがみ込んで薄い唇に優しく口付けると、その細い体を抱き込みベッドに沈んだ。
「あなたって意外に心配性な方なんですね…?」
「…ジャック、笑うな…」
夜の静かな部屋の中で、まだくすくすとした微かな笑い声が響いていた。