お題「我慢」 やばいやばい。俺は今背中に冷や汗が伝う中必死に表情を取り繕っていた。何とかこの目の前の喫茶店店員と小学一年生らしいやりとりでこの窮地を脱せねば。
今日は学校から帰って一旦ランドセルを毛利邸に置いた後、宿題と単行本を片手に階下の喫茶店で時間を潰して小五郎と蘭の帰りを待つ予定だった。ドアから明るい髪色が見える。どうやら安室さんが午後からの下拵え中らしい。俺は挨拶をしてから空いていたカウンター席に座った。
一年生の宿題なんてあっという間に終わっちまう。手持ち無沙汰にならないように博士に頼んで工藤邸から持ち出してもらった本を読んでいるとじゃがいもの皮をむきながら安室さんが話しかけてきた。
「その本懐かしいね。僕も読んだ事あるよ。犯人が使ったトリックが大胆だったよね」
「え? 安室さんこの本読んだ?そうなんだよ、これが出た時はワクワクして一晩で読んじまっ……(やべっ!)」
「へー……これが出たのは五年前じゃなかったかな?」
「あはは〜。一晩で読んじゃったってパパが言ってたんだぁ」
安室さんと本の中身について話ができるのが嬉しくてついボロが出そうになった。相手は探り屋の顔を持つ男だ。ヘマはできない。一瞬安室さんの視線が鋭くなった気がして俺の背中にドッと汗が流れた。ここはいつもの小学生のフリをして誤魔化さないと。
「あ〜僕ちょっと小さい文字ばっかり読んでたから疲れちゃった。一回休憩しようっと。安室さん、注文してもいい?アイスコーヒー一つ下さい!」
キュルン! という効果音が付いてそうな純粋無垢な瞳でジッと安室さんを見つめる。俺はただの小学一年生。五年前に発売された推理小説? 何それ? みたいな顔をしてやった。へへん、これでどうだ。
「……! かしこまりました。用意するからちょっと待っててね」
安室さんは一瞬苦虫を潰したみたいな表情で返事をした後黙々とアイスコーヒーの準備を始めた。ん? 話題変えたのバレたか? いつもの少し胡散臭い笑顔も消えちまってる。安室さんの様子を内心ビクビクしながら見守っていたらいつの間にか目の前にアイスコーヒーが出てきた。
「はい、お待ちどおさま」
カラン、と小気味良い氷の音を立てる。良い匂いだ。冷や汗をかいて喉も乾いていたので早速ストローで一口啜ると今日も流石の美味さだった。
「ありがとう。やっぱり安室さんのアイスコーヒーは美味しいね。僕、毎日飲みたいくらい」
先程までの猫被りが抜け切れず少し甘めの声になっちまった。
本心だしまぁいいか。そう思ってチラリと見た安室さんの顔は何故か怒ってるみたいで、でも耳は真っ赤に染まってる。くるりと背中を向けてメニューの下拵えの続きを始めた安室さんは何故か小さな声でこれは試されているのか? 我慢だ、まだ駄目だと呟いていた。何の我慢なんだ? よくわからなかったが今は危機を脱せたし、俺はまた本の世界に旅立つことにした。