『見つめれば、青』 いつからだろうか、ちょっとおかしいなとは薄々感じていた。会うたびにご飯は奢ってくれるし、何かしらプレゼントをくれる。
最初の頃はただ金持ちってのは周りの人間にこうも金を使うのかと思っていたが、それも度を超えてきているんじゃないかと思い始めたところで。
「お前のこと、好きなんだけど」
忠仁は持っていたクレープ─これも先ほど彼から買い与えられた─を落としそうになったのをなんとか持ち堪えた。
冬空よりも鮮やかな青色と視線がかち合う。どうして今まで気づかなかったのだろうか、その瞳の熱に。友人に向けるにしては優しく甘い眼差しに。
その青から目を離せなくなった忠仁の口から、思わず言葉が溢れた。
「どうして俺様なんだ?」
その言葉にコージーは一瞬目を見開いたが、すぐに当然だという風に言い放った。
「理由なんて必要か?」
「必要、だろう」
「そうか、じゃあ次までに考えておく。そしたら返事くれるか?」
「へん、じ……?!」
今この瞬間忠仁はお付き合いの申し出をされているわけだから、申し出には「はい」か「いいえ」の返事をするのが道理だ。……いや、そもそもこれはそういう"好き"なのか? 付き合ってくださいと言われたわけでもない。もしかすると俺様の早とちり、なんてことも──
「あまりにも鈍いお前のために言っておいてやるが、俺のはそういう……恋愛的な"好き"だからな」
コージーは忠仁に背を向けてそう言ったが、その耳は真っ赤になってしまっている。ああ、本当にそうなんだ。変に実感が湧いてしまって、忠仁まで顔に熱が集まる。
そのあとのことは、正直あまり覚えていない。お互いに目を合わせることもできず、ちゃんとした会話ができていたのかも怪しい。
帰り道、忠仁は本屋へと立ち寄った。「恋愛エッセイ」と書かれたコーナーを見るが、『絶対的に愛される方法』『彼を振り向かせる10の法則』など、想いを寄せる側向けの本ばかりが目立つ。
「そうじゃなくて……告白されたらどうしたらいいかって話なんだが……」
「忠仁?」
「うわあああ!」
「声でか……」
杜人はそう言って耳を押さえる。
「急に声をかけるな、驚くだろ!」
「何度か呼びかけたが気づかないから。そんなに夢中になって何探して……」
そこまで言ったところで、杜人はここが恋愛エッセイコーナーであることに気づく。
「……なるほど?」
「ち、違う!俺様じゃない、コージーが……!」
「お前ら、まだ付き合ってなかったのか?」
「は、ハァ?!」
「もうとっくにデキてるもんだと思ってたぞ」
「いや、そんな、何故そうなる?!」
「何故って……一目瞭然というか……」
「俺様は別にあいつのことなんか……!!」
忠仁の口はそこで止まる。好きじゃない、のか? 正直、告白されるまでそんなこと考えてもみなかった。熱を帯びた青が思い出されて、心臓がうるさくなる。
一方杜人は、面倒なことに片足を突っ込んでいるかもしれないという予感がしていた。
「杜人」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないだろう!」
「言わなくてもわかるんだよ、僕は恋愛ごとには明るくないんだ」
「……ビックメックセット。ナゲット付き」
腕組みをしてそっぽを向いていた杜人の耳がピクリと動く。
「今ならアップルパイもついてくる」
「……期間限定シェイクは?」
「つける!」
「……今回だけだからな」
食欲には勝てない。
「──ということでだな、どうしたらいいと思う?」
「ほまへはほうひはいんは?」
「先に食べてから言え」
杜人は食べていたビックメックをごくりと飲み込み、シェイクをずごーと吸ったあと、一拍おいて言う。
「お前はどうしたいんだ?」
「いや、今はお前の意見をだな、」
「じゃあ僕が付き合えって言ったら付き合うのか?」
「そ、れは……」
「違うだろう。結局は忠仁次第だと僕は思う」
「俺様、次第……」
「もう一度聞く。忠仁はどうしたい?コージーのこと、どう思ってる?」
「俺様は……わからない。最初はいけすかないヤツだと思ってた。ああ言えばこう言うって感じで煽ってくるし、むかつくし。でも、年上のくせに危なっかしくて、目が離せなくて。いつのまにか一緒にいるのが当たり前になった。隣にいるのが、当たり前だったから……俺は、どうしたいんだろう」
「その"当たり前"が、そうじゃなくなったら?」
「どういうことだ?」
「お前じゃない誰かがあいつと肩を並べるのが当たり前になったり、あいつがどこか遠くへ行くことになったりしたら、お前はどう感じるだろうな」
忠仁は想像してみる。答えは思うより早く溢れ出した。
「いやだ」
それを聞いた杜人は、彼には珍しい柔らかい表情をした。
「僕には恋愛ごとはわからん。ただ、これに嫌だと言えるのは、その人の側にいたいって気持ちがあるからなんじゃないのか」
「側にいたい、か……」
「まあ、あとは自分で考えるんだな」
大量にあったジャンクフードをすべて平らげた杜人は、ご馳走様でしたと言ってその場をあとにした。
帰り道。冬の陽は落ちるのが早くて、街はもう夜の色に染まっている。忠仁は夜空を見上げながら、コージーと過ごした時間を思い返す。むかつく。口がへらない。かと思えば素直なときもある。あんなボンボン、価値観は一生合わないだろうな。でも、居心地がいい。楽しい。側に、いたい……? そうなんだろうか。実感が湧かない。でも……
「あいつの一番が俺様じゃなきゃ、むかつく」
これが恋情なのか、忠仁にはわからない。だって恋なんてしたことがない。
それでも、彼の一番が自分じゃないと許せない。それが自分にとっての一番が彼であるということの裏返しであるのに、忠仁はまだ気づかない。
その夜、忠仁は夢を見た。大切な人が、どこか遠くに行ってしまう夢。そこは途方もなく遠くて、もうきっと会えることはなくて。
「行くな」
その声は音にならない。手は空を切る。
ああ、俺は──
朝、目覚める。何か夢を見ていたような気がするが、思い出せない。ただ胸に残るのは、焦燥感。頬には一筋の涙が伝っていた。
忠仁はぞんざいに身支度を済ませ、家を飛び出した。
思わずコージーのマンションの前まで来てしまった。どうしよう。エントランスの手前で立ち往生していると、扉が開く。
「お前、なんで、」
コージーは突然の訪問に驚きを隠せずにいるようだ。その姿を認め、忠仁は安堵でへにゃへにゃとしゃがみ込む。
どうしたんだ、と心配そうにこちらを覗き込む彼の両肩を、忠仁は立ち上がり掴んだ。
「俺様の側にいろ」
ここまで全力疾走で息も絶え絶え、今朝の焦燥感も勢いに加担して、想いは考えるよりも先に声になった。頭が回っていない。コージーの真っ赤な顔を見てやっと、自分が言った言葉の意味を理解したのだ。
「あ……えっ、と……つまりだな……」
目を合わせることができない。自分の声より心臓の音の方がうるさいんじゃないかとすら思えた。
「俺も、考えてきた」
「え?」
「お前のことが好きな理由」
ああ、告白されたときにそんな話になっていたんだった、と合点がいく。
「理由なんてない。俺は、お前だから、忠仁だから好きだ」
これまで散々、その青に煽られ、翻弄され、惹かれてきて。今は真っ直ぐに射抜かれている。
どくん、どくん。これはどちらの鼓動だろうか。
「正直、恋とか、今の俺様にはわからない。ただ、でも、これだけは言える。お前の隣に立ってたい。その場所を他の奴に譲るのは御免だ」
忠仁はやっと整ってきた息を改めて吸って、吐いて。続ける。
「俺様の一番はお前だ。だから、お前の一番も俺様にくれ」
彼は心底嬉しそうでいて、少し泣きそうな笑顔で答える。
「そんなの、とっくの昔にくれてやってる」
青と琥珀の視線が溶け合う。その距離はいつのまにか限りなくゼロになって。目を閉じる直前、世界で一番愛おしい声が自分の名を小さく呼んだ気がした。
『見つめれば、青』・完