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    えんどう

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    えんどう

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    ▷花見の話

    ##春の話
    ##第三者がいる話
    ##1万文字以上

    満開の桜の下▽花見をするだけ
    ▽ぐだキャスギル





     花見がしたい、と言い出したのが誰だったのか定かではないが、それに技術顧問達が揃ってやる気を出したのは確かだった。そして話を耳にしたらしい厨房組が腕を振るうと言い出し、祭好きの者達が騒ぎ出し、アイドル達がライヴをすると盛り上がり出したのを止めている間に花見の準備は整っていた。
     そして当日。
    「――わぁ……」
    「ほう……」
     目の前に広がる光景に、立香とギルガメッシュは並んで感嘆の声を漏らした。辺り一面、見渡す限りを埋め尽くす桜、桜、桜、……立香にとっては馴染み深い、淡い紅色をした桜の木が、寄り添いあうように列をなして見渡す限りを埋め尽くしていた。
    『どうだい? すごいだろう?』
     ふふん、と自慢気なダ・ヴィンチが通信機から話しかけてくる。一番の功績はこの桜を再現したダ・ヴィンチにあると思うのだが、彼女は花見の間は管制室から離れられないらしい。レイシフトではないにしろこれだけの人数がシミュレーター内にいるのだから、パラメータだの乱数だのなんだのよく解らないものを整えるのに骨が折れるらしい。宴会が終われば手が空くだろうか。これを直に目で見れないのは惜しい。
    「先輩! ギルガメッシュ王!」
    「マシュ!」
    「皆さんお待ちですよ! 早くこちらへ!」
     殆どが座っている中、マシュが立ち、立香達に向かって大きく手を振っていた。マシュの言葉に、その周りへ座っている者達が立香の方を振り向いて同じように手を振ったり、手招いたりする。もう待ちきれないと全員の顔に書かれていた。
    「今行く! ……王様、行きましょう」
    「ああ」
     ギルガメッシュを伴い、立香は皆の輪の中へ小走りで急ぐ。立香のために用意された席は、見える中でも特に大きく、辺りに張り巡らせるように枝を伸ばした立派な桜の木の下だった。席は二人分空けられていたので、ギルガメッシュもここへいていいのだろう。いつものようにゆるりと歩いているギルガメッシュを手招いて、二人が席についたところで花見、もとい大宴会が始まった。
     
       ❀❀❀
     
     宴もたけなわ、を通り過ぎ、酒に潰れる者は潰れ、笊どころか底なし柄杓の者達は静かに花見酒に興じ、酒を飲まぬ者は思い思いに食後の甘味などに舌鼓をうち、ある者は部屋へ引き上げ、ある者はその場で眠り込み、集団らしいものも点々となり、人もまばらになった頃。宴会中はあちらこちらへと引っ張りだこだった立香がようやく解放され、最初の席――大桜の下、ギルガメッシュの隣へ戻り、「よっこらせ」と腰を下ろした。ギルガメッシュはそれを横目で見、手に収まる程度の小さな盃(確かお猪口とか言っていたか)を傾ける。
    「――もう、よいのか」
    「ええ。やっと落ち着いたんで」
     ふぅ、と息を吐いてから伸びをする立香は、肩の荷が降りたとばかりに清々しい顔をしている。
    「王様は飲んでます? それ?」
     どんちゃん騒ぎの中心にいたせいか、立香の蒼い眼を囲う瞼はほんのり朱が差している。もしかしたらどこぞで酒でも飲まされたのかもしれない。
    「ああ、日本酒……酒呑童子の〝とっておき〟とやらだ」
     そう言いながら、ギルガメッシュは盃を半分ほど満たしている淡い朱のかかった液体を口元へ運ぶ。
    「酒呑ちゃんか……それ、王様はキツくないんですか?」
    「この程度の酒で我が酔うとでも?」
    「そんな気はしました」
     尋ねておいて答えは解りきっていたらしい。立香はそれ以上追及もせず、深く息を履いて両足をシートの上で伸ばした。そよそよと癖毛が風に揺れている。
     長閑な時間。立香から視線を外し、盃の中のとろりとした酒を飲むギルガメッシュに、立香の視線が向けられる。じ、とずれない視線を感じながら、二口、三口、少量の酒を喉へ流し込む。満開の桜はシミュレーションにも関わらず風で花弁が舞い、ギルガメッシュと立香の周りにちらちらと揺れながら降ってくる。
    「――そうしてると、王様って絵になりますよね」
     ギルガメッシュをじっと見つめていた立香が、唐突にそんなことを言う。何を言い出すかと思えば、その視線はそういう意味であったらしい。
    「当然であろう。この我を誰だと心得る」
     立香の言葉は(大人しくしていれば)が省略されていたのだが、今はそんな些事を気に留めるほど狭量ではなく、ギルガメッシュは素直に賛辞と受け取って得意気に唇を持ち上げる。細かいところを気にする様子がないのは、もしかして酔っているのでは、と立香は思うが、この程度なら可愛いものだろう。今素直に喜んだギルガメッシュを可愛いと思ったし。
    「貴様も飲めるのであれば飲むが良い。こんな日に素面でいるのは無粋というもの」
    「や、オレはいいです。ジンジャーエールで酔える男なので」
    「何だそれは」
     立香の言葉を、くく、と笑うギルガメッシュはやはり機嫌が良いように立香には映る。本人は酔っている自覚がないため認めようとはしないだろうが、飲んでいるのは酒呑童子の酒である。さすがに半神でも酔うのだろう。その酒呑童子は酔い潰れた勇士達の屍の中、茨木童子に膝枕をしながら一人でぱかぱか呑んでいた。ギルガメッシュの元へ向かう途中通りがかった立香は声をかけられ、慌てて逃げてきたところだった。あれは、あの酒だけはいけないと本能が全力で叫んでいた。普通のものであれば、少しは呑んだかもしれないが。
    「オレはいいんです。この空気が好きなので」
     風に流されてもなお消えない熱気、楽しそうに笑う声、美味しい料理に舌鼓を打ち、誰も彼も地に足のついていないような、ふわふわとした空気、そういうものが立香は好きだった。勿論、見るだけでなくその輪の中に飛び込んでいくのも。
     ギルガメッシュは、そう言いながら微笑う立香に眼を眇める。立香が輪の中心になることも知っているが、その中心にいながら碧落を眺めるような目をすることも知っていた。
    「王様、それ飲んだらちょっと一緒に来てくれません?」
    「ん? 構わぬが。帰るのか?」
    「いえ、あっちにダ・ヴィンチちゃんが力作を用意したらしいんで、一緒に見に行きましょう」
    「力作……?」
     肝心の主題をぼやかした立香の言葉にギルガメッシュは首をひねる。ダ・ヴィンチが力作と言うならば見る価値はあるのだろう。盃の中に残った強い酒精を喉へ流し込んで、盃を置けば立香が手を差し伸べてきた。
     
        ❀❀❀
     
    「――――すっ、っっっげ………………」
    「ほぅ、これは……」
     ほぼ二人同時に呟いた立香とギルガメッシュは、揃って続く言葉を失う。
     並んで立つふたりの眼前には、満開の桜がひしめきあって、どこまでも続く薄紅色の絨毯と天井を形成していた。
    「――……これは……、力作と呼ぶに相応しい……」
     さらさら、さらさら、風が吹くと華奢な花弁同士が触れあって密やかにさざめく。繊細な細工のような花弁は風に揺られ周囲の花弁と触れあううち、零れ落ちるようにはらはらと風に舞って散り、先に落ちて床を形成していた薄紅色に混ざって見えなくなる。息をするのも忘れるし、思い出して呼吸すればそれだけで肺の中いっぱいに桜の色が染み渡りそうだった。桜の匂いなど、初めて嗅いだかもしれない。それほどに、桜で大地が埋め尽くされている。
    「…………行きましょう、王様」
     賞賛を呟いたきり隣で言葉もなく桜を見ているギルガメッシュへ手を差し出す。ふたりで見て来たら?と、作者に言われたのだ。その言葉がなくともこれはもっと間近で見たいと思う。立香が差し出した左手へ伸びるギルガメッシュの右手は、いつもの黄金をまとっていない。その手をしっかり握って、立香はギルガメッシュと共に一面の桜の中へ踏み込んだ。
    「すっげ……」
     さらさら、さわさわ、花弁の揺れる音がやまない。柔らかな風が常に吹いているのだろう。舞う花びらも途切れることがない。ソラは満天の星空なのに、薄紅色は自ら淡い光を放つように暗闇の中でも浮かび上がって見えた。花弁の絨毯を踏むのも勿体無いが、踏めば土の感触ではなくやわらかな薄い布を踏むような感触を足裏に伝える。靴音もさせず二人で歩を進める。
    「すごいですね……」
    「絶景を前にして言葉を失うのは解るが……立香、他に言い様はないのか? 先程からそればかりではないか」
     感嘆の溜め息をつく立香に、呆れ顔のギルガメッシュが微苦笑で問う。桜からギルガメッシュへ視線を移した立香はおどけた風に首を傾げた。
    「それ、オレに求めちゃいます?」
    「努力はできよう?」
    「王様が教えてくれるなら」
    「む。我に教えを請うとは大きく出たな」
    「王様が教えてくれるなら頑張れそうですし、王様、物知りでしょ?」
    「我の知識は物知りなどという枠には収まらぬぞ?」
    「期待してます」
     他愛もない話をしながら、桜の天井の下をふたりで歩く。
     談笑するギルガメッシュの、淡くきらめく金の髪に、剥き出しの白い肩に、繋いだ手の上に、薄紅色の花びらが落ちて、触れて、流れ落ちる。いくつかは髪に残り、布に引っかかり、ギルガメッシュが動く都度ゆらゆら揺れる。
     他愛もない話で笑う横顔を、立香も笑って見遣る。立香に教えるための本の話、図書館の話、司書の紫式部の話、彼女の特殊スキルの話、その特殊スキルでひと悶着あった時の話……は忘れろと小突かれた。ギルガメッシュ自身も思い出したのか、立香を小突いたあと少し照れ臭そうにする顔を服の襟に隠していた。些細な反応が愛おしく、繋いだ手があたたかい。周りには誰もおらず、宴会のざわめきもない。ふたりの他は、舞い散る桜だけ。
    「――――着きましたよ」
    「…………これは…………」
    「ダ・ヴィンチちゃんの〝力作〟です」
     僅かに唇を開いて見上げる横顔を、立香は満足げな笑みを浮かべて見る。
     ダ・ヴィンチから聞いた〝力作〟は、日本のとある県にあるらしい樹齢千年ほどの大桜。桜の道はそのおまけ、だと立香は聞いていた。おまけのクオリティも高すぎるのは、万能の天才であれば今更言及するまでもない。
    「樹齢千年くらいらしいですよ。王様よりは若いですね」
    「ひとを老人のように言うでないわ」
    「言ってませんよ。王様はピッチピチですもんね?」
    「うむ。我の玉体は永久にピッチピチよ」
     軽口を交わしながら大桜へ近づく。立香が手を引き、ギルガメッシュが続く。ボコボコと地面に浮かび上がる太い根まで本物のようだ。ギルガメッシュを無理に引き寄せないよう時折後ろを確認しながら根を踏まないよう避けて進む。
     大桜の真下まで歩き、花を見上げる。広く横へ伸びた枝に咲き乱れる白い桜。これは今までの桜と種類も違うのだろうか。真っ白な花弁は淡雪のようだ。
    「王様、ちょっとそこに立っててください」
    「?」
     立香と同じく花を見上げていたギルガメッシュへ言い、立香は繋いでいた手を離す。そうして一歩二歩と後退り、ギルガメッシュから離れていく。
    「どこにも行きませんから、動かないでくださいね!」
    「――」
     離れる立香を見るギルガメッシュが、刹那迷子のような顔をした気がして立香は声を張る。あながち間違いでもなかったらしく、ギルガメッシュは唇を引き結んで立香から目を逸らした。理由が解ればその行動は照れ隠しにしか見えず、ただただ可愛い、と思う要素になるだけだ。緩む顔を抑えもせず、立香はギルガメッシュと大桜の全容が同時に見られる位置まで離れ、カメラを構える。いつもの端末でもいいのだが、これはゲオルギウスも使っているカメラだ。端末よりも画質が良いため、頼んで借りてきた。これは絶対絵になるからと作者のダ・ヴィンチにも推されたことで、ギルガメッシュが写真を好まないことは重々承知のうえで、それでも。
    「――――」
     ちらちらと、白い花弁が舞い落ちる。枝を左右に長く張り巡らせた桜は満開である。根元に立つギルガメッシュの何倍もある桜は、夜空を背景に雄々しく、力強く、けれど桜の儚さを抱いて聳え立っている。ギルガメッシュはその桜を見上げ、舞う花弁の中で静かに佇んでいる。桜の周囲は明らかに月明かりだけではない明るさを保ってはいるが、それでも薄暗い中では真赤も黄金も鳴りを潜め、黒のベールを一枚纏っているように見えた。ギルガメッシュの金髪も、薄暗闇で仄白い。整いすぎた横顔が、レンズ越しに立香の目を惹きつける。ああ、これは確かに、
    (きれいだな)
     カシャ、と、アナログカメラを模した電子音がして、その絵が一枚の写真に収まる。続けて数回シャッターを切り、ギルガメッシュの方へ近づく。もう少し、もう少し顔がよく見える位置からの写真がほしい。近づいては立ち止まってシャッターを切り、また近づく。と、覗いたレンズの向こうにいるギルガメッシュがこちらを、立香を見た。あ、バレた。
    「――貴様、また性懲りもなく……」
    「や、いやいやいや、これはダ・ヴィンチちゃんに頼まれたんですよ。自分はシミュレーターの調整で動けないから、写真を撮ってきてほしいって」
     ダ・ヴィンチの指定は桜だけでなく宴会そのものもなのだが、そこは伏せておいた。案の定、ギルガメッシュは「そういう話であれば……」と納得しかけている。努力する人間のお願いには多少弱いギルガメッシュだから、これを信じてくれれば楽なのだけど。
    「証拠に、これオレの端末じゃないでしょう? 正真正銘パシャッとするやつですよ」
    「ふむ……」
     冷ややかな目で立香を見るギルガメッシュへ、カメラを向けて、一枚。諦めたように溜め息をついて、やれやれとかぶりを振ったところをもう一枚。金の髪からはらりと白い花弁が落ちて舞うのが美しい、と思った。
    「まあ、それが方便であれ真実であれ今宵は赦そう。何せ我は今気分が良い。美しい花に美味い酒、ああ、肴も美味であったな」
     立香の半分の嘘はやはり見抜かれているらしい。えへ、と笑うとギルガメッシュに鼻で笑われた。嘘も赦されたのだろう。はらはらと舞う桜が微笑うギルガメッシュの頬を掠めて地面へと落ちていく。緩やかで、穏やかで、静かな時間。
    「……貴様は……、我の顔ばかり見ずに花を見ぬか」
    「え?」
     呆れと笑いを含んだ視線を向けられ、立香は目を瞬いてギルガメッシュの視線を受け止める。
    「見事なものゆえ見せたかった、のではないのか?」
    「え? そうですけどオレは……ああ、いや、王様が綺麗だったから、つい」
     ギルガメッシュの言わんとしていることをやや遅れて理解した立香は、はにかみながらするりと言う。言われたギルガメッシュは、ふん、と小さく息を吐いて立香から視線を外し再び桜を見上げる。指摘されたからにはそれ以上見つめ続けるのも、と並んで桜を見上げた立香は、その後ギルガメッシュが横目で立香を見たことに気づかなかった。
    「……花を愛でるには少しばかり情緒が足らぬか……」
     視線には気づかなかったものの、ぼそっと小声で言われた一言は耳に届いて、む、と口をへの字に曲げた立香は隣を見る。今度は、横目で立香を見るギルガメッシュと目があった。
    「失礼な……花よりも王様の方が綺麗なんだから仕方ないじゃないですか」
     立香にも審美眼はあるし、この感想は間違っていないと思う。見事に再現された大桜も美しいが、それ以上にギルガメッシュはうつくしい。惚れた弱味、というものもあるだろうし、ギルガメッシュの生誕にまつわる物語を紐解けば当然とも言える。けれど当然だから言わなくていい、というものでもない。言わねば伝わらないことはたくさんある。これもそのうちのひとつ。
    「……賛辞は良い」
    「いいじゃないですか。オレがそう思うってだけの話です」
    「貴様は、またそういうことを……」
     ごにょごにょ口籠るギルガメッシュを、立香は緩んだ顔で見遣る。花を見よ、とまた言われたが、これはただの照れ隠しであろうことは淡い照明の中でもその顔色を見れば一発だった。立香は満足して目を細め、桜を見上げた。はらはらと、夜風に白い花弁が舞っている。立香は写真を撮るためにギルガメッシュから一歩離れ、カメラを構える。もう諦めたのか本人が言うように機嫌が良いのか、咎めることはしない。シャッターを切る音がして、美しい写真(多分)が一枚完成する。桜は、はらはら、はらはらと花弁を散らして、はらはら、はらはら、はらはら、はらはら、………………多くない?
    『――立香君! デート中ごめんよ! 今からそこに、突風が吹く!』
     通信機から切羽詰まった声がして、立香が応答するより前に〝突風〟が吹いた。
    「ぅわっ」
     思わず腕で顔とカメラを庇って目を瞑るほどの強風。ざああと木々が揺れて、花弁が優雅さの欠片も感じさせない動きで舞い上がる。最早嵐か竜巻か、立香は開けることもままならない目を薄く開いて目の前を確認する。
    「お、おうさ――」
     そこにいるはずのギルガメッシュの姿が、舞い上がりでたらめに散る花弁でノイズがかかったように見られることを拒む。咄嗟に右手を伸ばしてギルガメッシュを掴もうとするが、後退った分遠く、届かない。空を切る、自分の手。
    「ギルガメッシュ王……!」
     脳裏にチラつくのは、あの時の。
    「立香!」
     が、その手は、桜の幕の向こうから伸びてきた手にがしっと掴まれる。あたたかい手に。
    「王様」
     慌てて力任せにその手を引き、飛び出すように幕から現れたギルガメッシュに左手も伸ばす。たたらを踏むその身体を受け止めるように腕を回して抱き締めた。風が収まるまでずっと、離れないように強く。
     数秒か数分か、風が収まるまでそうしていて、腕の中に愛しい身体があることを噛み締める。やがて嵐が収まり、通信機が起動した。
    『立香君! 無事かい』
    「――大丈夫、です……」
    「今のは何だ?」
    『ごめん、花の量と風の強さのパラメータ設定がズレてしまって! 修正したからもう大丈夫だけど、二人共怪我はないかい?』
    「大丈夫。王様も」
    「ああ」
    『ほんっとごめん! もう絶対起こさないから安心してデートを楽しんでくれたまえ!』
    「でっ」
     言いたいことを言って途切れた通信機に向かって残りの言葉を呟く。デート。確かにそうなのだけど、改めて言われると気恥ずかしい。
    「立香、もうよい。ダ・ヴィンチめの話を聞いたであろう?」
     至近距離で言われてようやく、まだギルガメッシュが腕の中にいることを思い出す。けれど指摘されても慌てて離れたりはせず、もう一度ぎゅうと抱き締める。
    「ん、……? 何だ、どうかしたのか、立香」
    「……すみません、なんか、いろいろ……思い出しちゃって」
    「…………まったく……」
     ギルガメッシュの肩口へ顔をうずめているせいで、立香にはギルガメッシュの表情を窺い知ることはできなかったが、向けられる声のやわらかさに目の奥が痛む。そっと背中へ回った手に撫でられ、目の奥の痛みが形になって溢れそうだった。
    「……我は今、こうして触れられるほど近くにいるのだから、良いとは思わぬのか?」
     ぐず、と立香が鼻をすすると、ふと吐息だけで笑う音が聞こえる。背中だけでなく頭まで撫でられ、じわりと胸の内があたたかくなったような気がする。痛みも和らいで、立香はあたたかい身体をぎゅうと抱き締めた。「苦しい」と苦情が聞こえたが、今は無視して数秒、数十秒、いくらかの時間そのまま抱き締め、それから離れた。
    「気は済んだか」
    「…………はい」
     今があるから良い、それはそうだ。けれど、脳に焼きついたあの出来事は、あの時の笑顔は、届かなかった手は、あまりに鮮烈で立香の中に焼きついて消えない。消そうとも思わない。忘れるなんてとんでもない。
    「では仕切り直しだ、立香。貴様もつきあえ」
     金の波間から、ボトルとグラスがするすると現れる。これは先程ギルガメッシュが飲んでいたものではなく、いつものワインだろう。
    「オレも、ですか?」
    「ここにジンジャーナントカはないぞ?」
     ギルガメッシュは足元に近い木の根に腰を下ろし、立香にグラスを差し出した。
    「そうですけど……飲めるかなぁ……」
    「なに、舐める程度でも良かろう」
    「そういうものですか?」
    「そういうこともある」
     なんとなく納得したようなしてないような、微妙な半笑いでグラスを受け取った立香は、ギルガメッシュに向き合う形で根に座る。見上げれば満開の桜が視界を埋め尽くした。
    「佳い花には佳い酒だ。貴様も覚えておけ」
     持ち上げたボトルからグラスへそっと濃い赤紫色の液体を流し込んだギルガメッシュは、立香へボトルの口を差し向ける。これは、注いでくれるということなのだろうか。一瞬迷って、立香がグラスを差し出すと、ギルガメッシュのグラスと同じように赤紫色の液体がグラスへ注がれた。ギルガメッシュの真似をしてグラスを口へ運び、傾けてみる。ふわりと果実の甘い香りがして、流れ込んだ液体のまろい渋味が舌の上を撫で、喉へと落ちていく。アルコールがその後をじわ、と温める。まだこの感覚には慣れない。
    「どうした? 貴様にはまだ早すぎたか」
    「……解ってるなら他のもの出してくださいよ……」
     微笑うギルガメッシュを、立香は拗ねたような顔で見、それでももう一度グラスに口をつけてみる。ギルガメッシュはそれを横目にグラスを傾け、しろい喉仏を上下させる。舌が唇をぺろりと這うのを見ながら、立香もほんのわずかな量、グラスから口内へ流し込む。
    「でも、飲めなくはないです。たぶん、おいしい?」
     ギルガメッシュが出したのだから相当に上等な酒であるのだろう。立香にまだ酒の良し悪しは解らないが、無理、というほどの抵抗はない。飲みやすいものなのだろう。
    「我の酒なのだから当然であろう? コレに敵うものはそうあるまいよ」
     立香が褒めたのが効いたのか、ギルガメッシュはニコニコと機嫌が良さそうだ。まだ酒呑童子の酒が残っているのかもしれない。楽しそうにしている様は可愛いと思うし、楽しいと思っているなら、それは幸いだ。
     桜がちらちらと舞い、グラスを手にしたギルガメッシュはそれを見上げ、緩やかな動作でワインを飲む。本当に絵になるな、と、そこで立香はカメラの存在を思い出し、グラスを倒さないようそっと地面に置いて構える。シャッター音が一度して、気づいたギルガメッシュが瞬きをして立香を見、呆れたような顔をして手を伸ばしてくるのを、ファインダー越しに見る。
    「うわ、っ」
     伸びてきたギルガメッシュの手はカメラを構えていた立香の手首を掴み、無遠慮にぐいっと引き寄せる。思いの外強い力に引かれた立香は腰を浮かせた途端にバランスを崩して、ギルガメッシュの方へ倒れ込む。きっちり受け止められたため、地面に衝突することはなかったが。
    「お、王様……?」
    「我が絵になるのは解るが、そうガラス越しに見ては見えるものも見えぬぞ?」
    「え? なに……」
     何を、と問おうとした立香の口をギルガメッシュが塞ぐ。触れた柔らかい唇は、いつもより熱い気がする。驚きはしたもののそういうことなら、と立香はのそのそ姿勢を正して唇を堪能する。いつもより熱いギルガメッシュの唇は、ほんのりと上等な葡萄酒の味がした。自分も同じ味がするのだろう、と思うと心臓が跳ねるように大きく打った。唇の隙間から這い出してきた舌は、唇の熱さとは裏腹にほんのり冷たい。立香の方もアルコールで体温は上がっている。その少しひんやりとした舌が同じ温度になるまで触れあわせ、口腔内で絡めあう。角度を変える都度粘度のある水音が跳ね、ギルガメッシュが甘い声を漏らし、お互いの体温は上がっていく。
    「ん……」
    「……おうさま、」
     ちゅ、と小さな音をさせて唇を離し、それでも身動げば触れあう距離で立香は融けそうな真紅を見つめる。
    「……なんだ」
     返事は囁くような声だった。瞬きの合間に震える睫毛を間近に感じながら、立香はグラスを持ったままのギルガメッシュの手に触れる。触れられる距離にいる。
    「……触りたいです、もっと、……」
    「ん、」
     グラスを持つ手の甲を骨に沿って指で撫ぜると、くすぐったいのかグラスを握り締める。逆の手で腰のあたりに触れればきゅうと目を閉じて、肩を震わせる。唇の合間から漏れた声は甘い。
    「王様」
    「っぁ、」
     その腰から脇腹へ撫で上げ、更にその上へ進めようか迷う手に、ギルガメッシュは身体を震わせる。触りたい、もっと、もっと、
    「……ここで、か?」
    「………………部屋で、です」
     蕩けた声で問われたが、立香は割にしゃっきりした声で答える。それが可笑しかったのか、ギルガメッシュが、ふふ、と笑う。
    「よい。が、少し待て」
     ギルガメッシュは立香の頬を覆うように手を当て、押し離して立香の目を覗き込み悪戯っぽく笑う。
    「酒の一杯や二杯、飲み干す間くらい、待てるであろう?」
    「……」
    「貴様が待てと言う間我は待っているのだから、たまには貴様が待て」
    「うぐ」
     心当たりはありすぎるため、どれのことを言っているのか解らないし、そう言われると反論もできない。
    「そら、立香も飲むが良い。王からの下賜だぞ?」
    「…………はい……」
     ちょっと盛り上がっていたのに、悪戯っ子みたいな顔で笑うギルガメッシュが愉しそうで、待てない、という言葉は飲み込んだ。少しだけ減っていたグラスに勝手に酒が注がれ、ギルガメッシュは自分のグラスにも注ぎ足して呷る。すこぶる機嫌が良さそうだ。楽しそうにしているのは好い。好い、けど、盛り上がっていた分の熱のやり場が見つからず、立香は少しだけ肩を落とし、その様で更にギルガメッシュは笑う。その笑った顔を可愛いと思ってしまうので、立香は大人しく相伴に預かるしかない。
    「…………生殺しだ……」
    「少しは我のもどかしさも解ろう?」
    「じゃあ今日は待たせませんし、待ちませんから、覚悟してください」
    「……」
    「……」
     にっこり、お互いに含みのある笑顔で見つめあい、数秒してどちらからともなく吹き出して笑いあう。楽しげに笑う顔がなんとも愛おしく、これは確かにガラスを通して見るのは惜しいかも、と立香はカメラへ伸ばしかけた手を引く。はらりと舞い落ちる花弁がギルガメッシュのグラスの中の液体へ浮かび、くるりとひと回しして花弁ごと飲み込むのを眺めながら、立香もグラスを傾けた。
     満開の桜の下、ふたりきりの宴はもう少しだけ続く。
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