百重の塔の頃の話▽月が綺麗ですね的な話です
▽ぐだキャスギル
天頂まで踏破された陽炎の塔は、その名の通りにやがて儚く消え去る。通常より疲労の溜まる――酔う仕掛けが施された鬼の塔。その麓に拵えられた、塔を登る皆の疲労を癒やした温泉。
この期間で、ギルガメッシュはすっかりこの温泉がお気に召したようで、湯あたりするほどに入り浸っていた。
塔は間もなく消える。同時に、女将が誂えた温泉も役割を終え、消え去るだろう。
深夜、最後の湯へとギルガメッシュに誘われた立香は、ふたりきりで露天に浸かっていた。既に何度も見ているとは言え、何度目にしようが見慣れたとは決して言えないギルガメッシュの裸身がすぐ隣にある状況は、やはりここでも未だに慣れない。本人が隠す気が全くないのも気まずさを煽られるのだが、言ったところで一笑に付されるのは目に見えている。まさか男湯で目のやり場に困るとは思わなかった。隣で上機嫌に酒を呷っているギルガメッシュから目を逸らし、立香は中天に目を向ける。竹に区切られたソラには、夜をくり抜いて煌々と輝くまるい月が浮かんでいた。満月だった。
「……ギルガメッシュ王」
ちょんちょん、と剥き出しの肩を指先で軽く叩けば隣から何事か問う声がする。ソラから視線を移して隣を見れば、月下でも月に負けぬ金の糸からぽたりと水滴が落ちた。立香は立ち昇る湯気に滲む真紅の瞳を見詰めて目を眇め、ソラを指で示す。
「月、綺麗ですね」
隣にいる湯気で煙る貴方ほどではないが。というのは黙っておいた。それはあまりにキザすぎる。自分には似合わないセリフだろう。心の底から綺麗だとは思っているが、言葉にすると陳腐になってしまう気がした。ギルガメッシュは立香の指に示されたソラを見上げ、ふ、と形の良い唇の端を持ち上げる。
「……ああ。死んでもいいわ、か?」
そう返し、手酌でお猪口に注いだ酒を呷るギルガメッシュに立香は首をひねる。 その言葉はなにかの引用だろうか。女性が使うような語尾から察するに、何かの物語の女性のセリフだろうか。聞き覚えがあるような、ないような。そんな全く解っていない様子の立香を見たギルガメッシュは愉快そうに笑う。セリフの引用だとしても、そこにギルガメッシュが自分を重ねて死なれるのは困る。正確にはもう死んでいるのだが、それでも、死なれるのは困る。
「…………死ぬのは、なしですよ」
腕を掴んで真剣な目をする立香にギルガメッシュは更に笑みを深める。今にも笑いだしそうだった。
「立香よ。貴様はもっと書を読め」
「でっ」
びしっと額を指で弾かれた立香は咄嗟に両手で額を庇う。遂にギルガメッシュが笑い声を上げた。
❍❍❍
後日、ギルガメッシュの言葉通りにライブラリで検索をかけた立香は、目的の本を見つけ、その中の一節に目を疑ったのだった。