Valentine Eve's...2月ってなんでこんなに寒いんだろう。
仕事を終えて外に出ると一瞬で身体の芯まで冷えてしまう。こんな日は帰ってすぐに寝るに限る。ぶるぶると震える身体を縮こませながら帰り道を急いだ。
ベッドに荷物を放り、そのまま潜り込みたいのを堪えて風呂へ向かう。座り込んだら立ち上がれなくなりそうだ。何をするのも面倒で半乾きでドライヤーを片付ける。暖房も効いているし放っておけば寝るまでには乾くだろう。なんでかセッちゃんにはバレちゃうんだけど、明日は人前に出る仕事じゃないし、まぁいいでしょ。
ペットボトルの水を流し込みソファに座ると、テレビの下のレコーダーが録画中の赤いランプを光らせている。
「…何か予約してたっけ」
鞄からスマホを取り出すとロック画面で日付を確認する。
「…土曜日、10時45分……あ!」
今日はトリスタのバラエティの日だ。ま~くんが面白い企画をしたから見てほしいと学校で言っていたのを思い出す。そんなこと言われなくても、当然毎週録画をしているので問題はないんだけどね。わざわざそう言ってくるって事はそうとう自信のある企画なのか、それとも早く見てほしいからなのか。
楽しそうに話していた顔を思い出してこっちまで顔が緩んでしまう。あと10分ほどで終わってしまうけれど、どうしようか。
残りわずかだけども追っかけ再生をするか、それとも終わってからゆっくり録画を見るか。明日の仕事はそんなに早くないのでどちらでも構わない。
お茶でも淹れてる間に放送は終わるだろうからと、テレビの電源を入れてからお湯を沸かしに向かった。
電気ポットのスイッチを入れてから戸棚を開けるとずらりと並んだ小さな缶を二つ三つ取り出してテーブルに並べた。その中から水色のリボンで飾られた缶を手に取ってふたを開けると、ふわりとやわらかな香りが漂ってくる。安眠効果のあるハーブをブレンドしました、と得意気に渡してくれたは~くんの顔を思い出して、寝る前の一杯にちょうどいいだろうとティーポットへと茶葉を入れた。
茶葉が舞うガラスポットを眺めていると、遠くから兄者らしきものの声がする。意識を向こうへ向ければ、コーギーの喚く声も聞こえてきた。
今回のゲストはUNDEADだったのか、と予想を立ててテレビの前へ戻れば、見慣れない格好をした連中が揃って立ち上がりステージの上に並んだ。
「……?」
いつもの鮮やかなカラーリングとは違う、シックなスーツ風の衣装を纏った四人が照明の落ちたステージに向かった。薄暗闇の中でスタンドマイクの前に立つと、衣装に散りばめられたラメがキラキラとスタジオの光を拾って淡く輝いている。
赤と青の爽やかな色分けはボルドーとネイビーの大人びた色に変わっていて、マイクに手を掛け立っているだけで目を惹いた。
「さて、どこまで仕上げてくれたのか。楽しみじゃのう」
「うんうん。けっこういい線行ってると思うけどねー」
「ああ。彼らの新しい魅力が見られると思う」
「ぶちかませよ!オメーら!」
コーギーの遠吠えと共に暗転した画面。
バッと照らされたスポットと共に始まった演奏は、聞きなれた彼らの持ち歌とは全く違っていた。
「…は…?え…?」
『Valentine Eve's Nightmare』
スタイリッシュなフォントで画面に曲名が表示される。いや、知ってるし。誰でも知ってる。これは、兄者の…UNDEADの。
イントロから前奏の振りも完璧でどれだけレッスンしたのかがよくわかる。
こいつら本当にあのTrickstarなの…?
いつもの明るくて元気でキラキラ笑顔のTrickstarはどこへ置いてきたのか。
少しトーンを抑えた艶のある歌い方と伏し目がちな表情が、派手すぎないダークカラーの衣装と相まってとても大人っぽく決まっている。
兆発的な鋭い視線、しなやかな指先の動きからはまるで夜闇に誘われているような色気がにじみ出ていて、普段の彼ららしさは微塵も感じられない。
どこまで仕上げたのか、というコメントが頭に浮かび、なるほど、とその意図にたどり着く。
これはバレンタインに合わせていつもと違うアダルティなトリスタを見せようという企画じゃないか?
なんという事をしてくれたのか……これはあちこちで死人が出てしまう。
うわ、ゆうくん、そんな顔をしたらセッちゃんが、
…あれ、しかも、この配置、このパート……
「ま~くん薫さんじゃん!!」
リーダー同士での配置か、黒髪の彼は兄者のパートに声も雰囲気も良く合っていて、しっかりトリスタの実力者であることを見せつけてくる。
コーギーのテンション高いパフォーマンスに明星スバルの暴れ方もバッチリだし、落ち着いた雰囲気ながらのびやかなパフォーマンスをするアドニスのパートにゆうくんを置いてきたのも上手すぎる。
そうこうしているうちに曲は間奏へと進んでいた。
「あっ…だめ…ま~くん…」
MVが解禁された時の世間のあの衝撃は今でもよく覚えている。あの時はすました兄者の顔に苛立ちを覚え、思わず舌打ちが出てしまったのだけど。
この先、薫さんのパートは……
『……チュッ』
「あぁ~~~~~……」
ま~くん……そんな顔を全国に……
ソファの背もたれに項垂れ、ラスサビに向かう彼らを薄目で見守る。
ラストのポーズまでぴたりと決めた彼らには、テレビの中で大きな拍手と歓声が送られていた。
****
ま~くん
ま~くん
ま~くん、ねぇ
ま~~~くん
打ち合わせとレッスンを終えて部屋に戻りスマホを開けばおびただしい数のメッセージが届いていた。
「凛月…なんだよこれ」
「……」
ベッドに伏せった凛月からはなんの声も聞こえない。
もうそろそろ日付も変わるけど、メッセージとスタンプの連打から察した俺はひとまず凛月の部屋へ顔を出した。何も言わないけれど、きっと今日の放送を見たんだろう。
「…見た?」
「……見た」
さて、俺なりに頑張ってみたんだけど、何かお気に召さなかっただろうか。仕上がりも好評で、番組の企画的にはかなり大成功だったと思うんだけど。
「どうだった?」
「………」
「…お~い」
凛月~?りっちゃん?
何度呼びかけても顔は上がらない。
ベッドの縁に腰を下ろしてまるい頭をするする撫でれば、ぴくりと肩が動く。ようやく見えた顔は拗ねたように顰められていた。
「ま~くんずるい」
「…なんでだよ」
「……かっこよかった…あんな、あんな顔を全国に晒すなんて…ひどい…」
「はは。ありがとな」
歌も振りも表情も、めちゃくちゃがんばって覚えてめちゃくちゃ練習したから、カッコよく決まっていたなら素直に嬉しい。艶、色気、誘惑、セクシー。普段の俺達とは真逆の仕草や表現を求められ、その研究も実践もすごく勉強になったし楽しかった。
撮り終えた映像をみんなで見たときは、すでにいつものトリスタに戻っていたけれど。
あー、とかうー、とか唸りながらベッドの上で転がる凛月にもなんだかんだ気に入ってもらえたようで良かった。
そうこうしているうちに、日付は変わり。
「なぁ、凛月。これ」
「…ん?」
差し出したのは真っ赤な箱に入ったアレ。
「え…これ」
「バレンタイン、だろ?寝る前だけどちょっとだけ一緒に食べようぜ」
移動中に寄り道した店で買った美味しいと話題のチョコを手渡せば、拗ねた顔が一瞬で緩む。
「しょうがないなぁ…もう」
座って、と促されてソファに腰を下ろせば、ベッドに張り付いていた身体が起き上がった。
「お茶も淹れよっか。チョコに合うやつ」
「お、いいな」
甘いチョコレートを齧りながら温かいお茶を啜ると、徐にテーブルの向こうからリモコンを取り出す凛月。
深夜に開くお茶会は、録画した自分の番組を見ながら、という気恥ずかしい会になった。
Happy Valentine★
2022.2.13