満ちる魂の色は その男が連れてきたユムカ仔竜が衰弱しているのは間違いない。竜医でなくても判るだろう。だが、診てくれと泣きついてきた男の様子に、イファは少しだけ眉をひそめた。
「食欲がなくて、ここ二、三日何も食べようとしないんです。どんどん色ツヤが、いや、具合が悪くなって……」
男は口早に訴え、身を縮こまらせながらキョロキョロと目線を動かす。竜が心配で不安がっているというより、周りを気にして落ち着きがないように見えた。
単なる勘ではないが、明確な根拠を示せる訳でもない。しかし。
「お前は嘘をついている」
「あ、いや、そうと断定するのは早――ってオロルン?」
懸木の民の集落で、別の往診の帰りに呼び止められて話を聞いていたイファは、突然現れた友人に驚きの声を上げた。
「な~に言ってんだ、きょうだい」
イファの頭上で、カクークがツッコミを入れる。それはそうだ。幾らか不審な点があったとしても、初対面の相手に、しかも挨拶も対話もなく、急に言っていいことではないだろう。
「マジかよ」
「ああ。マジだ」
カクークの追求に、オロルンは深く頷く。その自信は何処から湧いてくるのか。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
嘘つき呼ばわりされた男は声を荒げた。
「こいつの具合が悪いのは嘘なんかじゃない! 先生だって判りますよね だいたい、何でアンタが割り込んでくるんだよ! 関係ないだろ」
「うん、そうだな」
オロルンは男の剣幕に臆した様子もない。色の異なる二つの瞳で、ひたと相手を見据える。
「確かに、僕と君は何の面識もない。仔竜の具合も悪そうだ」
「お、おう。そうだ、だから……俺は……その……」
男の声は徐々に小さくなっていった。否定されたはずなのに淡々と肯定され、自分の主張をどう通していいのか判らない。
相手の動揺を意に介さず、オロルンはイファを見やった。
「この子に必要な薬は持っているんだろう?」
「あ、ああ。食欲不振なら栄養剤と胃腸薬を――」
と、イファが鞄から出した薬包を、オロルンが当然のように受け取って男に渡す。
「水で溶いて飲ませてやるといい。安静にして、軟らかい食べ物を与えるんだ。野菜なら良く茹でて、牛乳を温めて蜜を入れるのも良いと思う」
「それ、俺の台詞じゃないか?」
伝えたいことを全て先に言われて、イファは肩をすくめた。
「ど、どうも。えっと……手間かけさせてすまなかったな、先生」
あまりに落ち着き払ったオロルンの態度に、男の怒りは困惑と警戒にすり替わっていた。二、三歩引き下がって、ぎこちなく愛想笑いを浮かべる。
「じゃ、じゃあな~」
男はそれ以上文句も言わず、薬包を受け取ると仔竜を担ぎ上げて、足早に去って行った。途中、走り回っている子供にぶつかりそうになり、よれた悲鳴を上げるのが聞こえた。
「おいおい、きょうだい。一体何なんだ」
男の姿が見えなくなってから、イファは少し険しい目つきでオロルンを見た。
「ああ。奇遇だな、イファ。こんにちは。今日はたまたま、野菜の肥料を探しに来てたんだ」
オロルンは屈託のない笑顔で答える。先程までの淡白な態度とはまるで違う、柔らかな雰囲気だ。
「会いたくなったか、きょうだい」
カクークは素直に挨拶を返すが、イファは溜め息をついた。
「そうじゃなくて、何で突然『嘘をついてる』だなんて言ったんだよ」
「フッ、どんな人の言葉にも仕草にも法則があり、その法則は嘘によって乱れる。この“俺”に見抜けない『法則(嘘)』はないんでね」
大袈裟な身振りで言うオロルン。その言葉には聞き覚えがある。
「やっぱ『見抜きノ探偵』の台詞かよ」
以前一緒に見た映影の内容を思い出し、イファはもう一度溜め息をついた。
「映影ごっこは、俺とかばあちゃんとか、判るヤツとだけしろって。見ず知らずの人を犯人扱いするんじゃない」
「でも、あの人が嘘をついてるのは、本当のことだ。僕にはすぐ判った」
居直るでも、意地を張るでもなく、オロルンはきっぱりと応える。その自信は、彼独自の観察眼から来るものだ。イファとて、それを無下に否定するつもりはない。
「確かにな……。あの男、懸木の民の格好をしちゃあいたが、歩き方に違和感があった。エクストリームスポーツに慣れた者の重心の置き方じゃない。竜の抱き方も変だった。ユムカの仔が具合が悪くて辛そうなのに、耳を揉んでもやらないなんてな。まあ、何処の人間かは判らないが、少なくとも高所での生活に慣れてないんだろうよ。でなきゃ、子供にぶつかりそうになったくいらいで、あんなに慌てる訳がない」
イファが感じ取った違和感を述べると、オロルンは目を丸くした。
「えっ、そんなこと判るのか? すごいなイファ」
「待てよ、じゃあ何で疑ったんだよお前は」
「デタラメ言ってんのか」
竜医と助手は思わず声を上げてしまう。
「デタラメじゃない。僕は、あの人のことは知らないけど、あの仔竜には見覚えがある」
それは数日前のことだ。
オロルンは、新しい畑に適した場所がないかと探していた。そして、懸木の民の集落のそばに、川に近く水やりがしやすそうで、周りに木があって休憩しやすそうな、なかなか良い場所を見つけたのだが、どうもそこには先客がいるようだった。
「芳しい花にミツムシが集まるように、良い土地には人が集まる。これも『法則』の一つだ」
映影の真似事を差し挟みつつ、オロルンは話を続ける。
そこでは、懸木の民らしい格好をした男女が数名、テントを立てようと四苦八苦していた。しかしそのテントは、彼らの服装とは違って、コアテペック付近で見かけるのものではなかった。
「変だなと思って、少し様子を見ていたんだ。そこには仔竜も何頭か居て、でも、皆あまり元気そうじゃなかった」
イファの肩がぴくりと揺れる。カクークはその肩の近くに寄った。
「それで、フライングモモンガに頼んで、蜜とクッキーを竜たちの元に運んで貰ったんだ」
「最高だな、きょうだい!」
「うん?」
クッキーに反応して喜ぶカクークと、顛末が理解できず首を傾げるイファ。別々の反応を見せる一人と一匹に、オロルンは意味ありげな笑みを見せた。
「疑われたくない者は智者を恐れる……つまり、『ドジっ子大作戦』さ」
「何だって??」
イファの頭上にカクークとクエスチョンマークが並んだ。こういう時のオロルンは、本当に訳が判らなくて困る。
「“俺”は大切なクッキーをモモンガに取られた大間抜けで、テントの方に逃げてったモモンガを必死こいて追いかけて、計らずもそこに飛び込んじまったという訳さ」
要するにオロルンは、相手を油断させる為に自分を愚か者に見せたのだ。待てー!と大声を上げながらフライングモモンガを追いかけて、うっかり野営地に入り込んでしまったていを装う。警戒する人々にぺこぺこと謝りながら、お詫びとして蜜とクッキーだけでなく、大根やキャベツも差し出した。
「あの仔たちが、蜜やクッキーを食べていれば、ちゃんと元気になってるはず」
仔竜たちはクッキーの匂いに気づいて、嬉そうに鳴いていた。それなのに、さっきの男は『何も食べようとしない』などと言ったのだ。それを嘘と言わずして、何と言おう。
「もし何も食べさせてないか、あるいは何か……竜に良くないものを食べさせていたなら、病気以前の問題だ」
そう断じてから、オロルンはじっとイファを見つめた。
「だから今日、僕はそのことを懸木の誰かに伝えようと思って来たんだ。勿論、肥料も買うつもりだったけど」
「成程――それで、お前はこれからどうするつもりだ? キィニチを探すか? ワイナ族長に知らせるか?」
イファは帽子を片手で押さえながら、オロルンを真っ直ぐ見つめ返した。薄水色の瞳は鋭利な光を宿し、その声はいつもより低い。
「どうするかは、君が決めればいい」
仔竜が虐げられているかも知れないと聞いて、イファが黙って見過ごせるはずがないのだ。だからオロルンは、イファがあの仔竜を診ていると気づいた時、懸木の人々ではなくイファに事情を話すことにした。
「それなら、決まってる。放ってはおけない。助けに行くぞ、きょうだい」
イファは静かに、しかし強い気持ちを込めて告げた。左腰のホルスターに手を伸ばし、拳銃に触れる。穏やかな風が、嵐を起こすと宣言したのである。
休憩は終わりだ。
「ああ。この“俺が”見抜いたからには、全ての嘘を曝け出してやるぜ」
「行くぞ、きょうだい!」
二人と一匹は素早く行動を起こした。
懸木の民らしい緑を基調とした衣服を着た者たちが、フレイムボム材のフレームが特徴の、紫色の布を張ったテントの周りに居る。誰が見ても違和感しかない状況に、イファは思わず苦笑した。
「こんな真下でよくバレないと思うよな……」
懸木の民の集落の北、フライングモモンガのラクガキのある辺り。川にも街道にも近い。決して人目を避けられる場所ではない。
「灯台下暗し、だな」
オロルンは、港も灯台もフォンテーヌで初めて見たばかりのくせに、訳知り顔でそう喩えた。連中に土地勘がないとも言えるが、堂々としていれば怪しまれないというのも一理ある。この場合、木を隠すのは森の中、という方がしっくりくると思うが。
「お前……その台詞とか……演技つうか、登場人物の仕草とか行動とか、映影のことは本当によく覚えるよな」
木陰に身を潜めて怪しい野営地の様子をうかがいながら、イファはオロルンの尽きぬ映影ネタに半ば呆れ半ば感心していた。役になりきったり、台詞を諳んじたり。遊びだとしても、その記憶力は凄まじい。
「うん。映影は、現実やウォーベンと違って、そこにあるものの情報が全部伝わってくる訳じゃないから、筋書きに集中できて好きだ」
「へえ、そういうもんなのか」
「娯楽小説も同じだけど、文章は読みながらつい考え事をしたり、前に戻ったり先を読みたくなったりしてしまうから、勝手に流れて進んでくれる映影は判りやすい。見てるだけで全部すっきり頭の中に入ってくる」
魂の感知力に優れ、人も竜も動物も虫も木々も野菜も、全ての命が等しく見えてしまうオロルンにとって、現実の中で様々な情報を取捨選択するのは難しい。しかし、小説や映像から読み取れるそれは、均一で単純なものだ。覚えることは造作もない。
「それに、物語の登場人物は皆、明確な役割を持って生きている。僕もそうありたい」
古名ビディーを継ぎ、ナタを救う為に戦った英雄の一人。旅人を中心に紡がれた物語の中で、オロルンが重要な役目を担っていたことは紛れもない事実だ。
けれど、壮大な絵巻が大団円を迎えた後も、現実の人々は生き続けなければならない。とすれば、自分はこれからどんな役目を果たせばいいのか。
『イファ』が『竜医』なのは、職業ではなく魂の有り様だ。少なくともオロルンの見立てでは、そうなのだ。
「――僕も君のように、そういうふうに、ありたいから」
「俺? 俺はそんなご大層なモンじゃ――おっと、ヤツら動くぞ」
テントの中にいた者たちが出てきて、白い幌付きの貨物車に荷物を積み込み始めた。ナタで使われる貨物車には見えない。
「もう少し近づこう」
イファはカクークを手招きし、自分の側に寄せた。
野営地の者たちは、何頭かのユムカやテペトルの仔竜を檻に入れ、貨物車に載せていく。可哀想に、どの仔竜も元気がなくぐったりしていて、人に逆らう素振りもない。
「やっぱ密猟か。あんな雑な扱いじゃ、売り買いどころじゃねえだろ」
「おいおい、きょうだい……マジかよ」
イファは乱暴な無法者たちを鋭く睨み付けた。カクークも腹立たしげだ。だが急いては事を仕損じる。仔竜たちの安全を考えれば、今は檻に入っていてもらう方がいい。
何台かの貨物車に仔竜や資材を載せ、彼らはいよいよテントを畳み始める。
「さあ、行くぞ!」
「飛ぶぞ!」
イファは風元素を纏い、カクークと共に飛んだ。同時にオロルンも上昇する。夜魂の加護が、淡い光となって二人を包んだ。
「何だ おい! お前ら」
突然、野営地の上に飛んで来た人影に、密猟者たちは声を荒げた。
「え? クッキーの人」
「さっきの医者じゃねェか」
「敵襲だ! 敵襲」
驚き戸惑う声を、ボスらしき男の怒声が制する。皆はっとして武器を構えた。大きな湾刀やクロスボウなど、さすがに武器は偽装せず、使い慣れたものをそのまま持ち込んだらしい。それなりの腕前はありそうだ。
しかし、本当の懸木の戦士のように、鍵縄を使ってこないならやり易い。
「カクーク、仔竜たちを守れ」
「助けてやるぜ、きょうだい!」
イファの指示を受け、カクークは貨物車の方に飛ぶ。イファはホルスターに左手を添えた。神の目を通して己に流れる風の力を感じる。
敵を倒す戦いではない。抑制し鎮静し、救う為の戦いだ。
「自由になれ」
イファが動く前に、オロルンが冥色の宿霊玉を具現化させた。雷元素の力を宿した光が敵の間を移動していく。
「恨みっこなしだぜ!」
宿霊玉に追従するように、イファが広域鎮静剤を撃ち込んだ。爆発が抑制風域を生み、敵を引き寄せて動きを封じる。
「うわあああ!」
淡い翠と鋭い紫が絡み合い、その相乗効果で雷撃が拡散していった。
「よっ」
抑制風域に密集させられた敵は狙いやすい。イファは初撃、次弾と銃を素早く持ち替えて、続けざまに撃ちまくる。
「せいっ」
オロルンは狙い撃ちをしながら、タイミングを見て宿霊玉を送り込む。
瞬時のアイコンタクトで動き、互いを見ずとも狙いを過たない。手慣れた連携だ。敵は為す術もなく、一人また一人と倒れ伏していく。
「くそ! 竜を!」
風域から抜け出し、ボスは湾刀を振り回して貨物車に迫った。さすがの執念と言うべきか。
「させるかよ!」
イファは身を翻して腰を落とし、膝をついて地面すれすれの低い姿勢からボスの足元を狙った。風の威力を込めた一撃が、ボスに止めを刺す。
「フッ、一件落着だ。初めての依頼にしては上出来だったな、きょうだい」
縛り上げて転がした異国の密猟者たちを見やり、オロルンは誇らしげに胸を張った。
「依頼を受けた覚えはないんだが」
終わらない映影ごっこに、イファは何度目かの溜め息をついてしまう。
「ワイナ族長に連絡して、こいつらを連れてってもらわなくちゃ、落着とは言えないぞ。それに――」
檻から出された仔竜たちは、カクークに声をかけられて落ち着いているが、すぐに元いた場所に帰してやることはできそうにない。
「この仔たちの健康状態をチェックして、しっかり食べさせてやらなきゃな」
「任せろ、きょうだい!」
カクークが元気良く応じて、パタパタとイファの側に飛んできた。
「カクークが知らせに行ってくれるそうだ。一応、報告書を持たせよう」
「きょうだい、偉いなあ。ありがとうよ」
事態を伝える簡単なメモを書いてカクークに持たせ、イファは小さくて丸い助手の、桃色の毛並みを優しく撫でた。
「やっぱ最高だな、きょうだい!」
カクークは心底嬉しそうに言って、イファの頬に身休をすり寄せた。それから、大きく羽ばたいて、懸木の民の集落を目指す。
「気をつけてな」
心配性の竜医は、カクークの姿が高い木の向こうに見えなくなるまで見守っていた。彼にとってカクークは、勇敢で信頼に足る、だが庇護するべき大事なきょうだいなのだ。
「なあ、イファ」
オロルンは、ずっと空を見上げている友人に呼びかけた。振り返ってくれたところで、ずいっと頭を突き出す。
「な、何だ?」
「僕も、偉かっただろう」
張り合うところなのか、フードまで外して頭を近づけてくるので、イファはその要求に応えてやることにした。
「そうだな。ありがとうよ、きょうだい」
イファは礼を言い、オロルンの藍色の髪をがしがしと撫でた。艶やかな髪はひんやりとしていて、カクークの毛並みとは違った心地良さがある。
「どういたしまして」
オロルンは満足そうに微笑むと、少し耳を伏せ、しばらくイファの掌の感触を堪能した。こうしてイファの側にいると、足りないはずの魂が満ち足りて、心がいっぱいになった気がする。それが嬉しいのだ。
END