Happy wedding 雨。さーっと細かく静かに降り注ぐ窓の外。雨雲が月をすっかり隠してしまっている。雨を嫌いだという人は多い。特に結婚式の日は晴れを望むだろう。ジューンブライドと言うけれど、梅雨のある日本には適さないのかも。
僕も雨はあまり好きではなかった、あの日までは。今は雨も悪くないと思える。彼と僕が出会ったあの日を思い出せるから。きっと、今日の雨も彼との距離を縮めるためのものなんだ。
結婚式場の控え室で僕はふーと息を吐いた。鏡を見れば白いタキシードを着て硬い表情をした自分の姿があった。ヘアメイクさんが髪をオールバックにセットした分、その表情がはっきりと見える。
コンコン
「どうぞ」
ドアのノックに応えれば、室内に待機している式場スタッフさんがドアを開けた。中に入ってきた麻里が僕を見るなりわぁっと声を上げた。
「お兄ちゃん格好いいよ!」
「ありがとう。麻里もドレス似合ってるよ」
「ふふっ、ありがと。絵梨佳ちゃんと一緒に選んだんだよ」
その場でくるりとまわって全身を見せてくれる。濃紺のワンピース型のドレス、頭には真珠のカチューシャ。女の子のドレスコードはあまり良くわからないけど、それが麻里によく似合っていることはわかる。急に決まった式だったけれど、急いで準備してくれたらしい。
「ごめんな、付き合わせて」
「なんで謝るの? むしろ呼んでくれない方が怒るからね。家族なんだから」
頬を膨らませて言う麻里に、僕は笑って、そうだねと答えた。
そうだ。大切な家族なんだ。
「そろそろお時間です」
スタッフさんに促され僕と麻里は控え室を出て式場へと向かった。
「ご親族様はこちらです」
「はーい」
親族と参列者は先に式場に入る段取りだ。呼ばれた方に歩を進みかけた麻里だが踵を返してこちらに戻ってきた。
「どうした?」
「緊張してるだろうけど、変なヘマしないでよね。お兄ちゃんちょっと抜けてるとこあるから」
「わかってるよ」
「じゃ、頑張ってね」
手を振る麻里に、僕も手を振り返して離れる麻里の背を見送った。
「しっかりした妹だよな」
「うわっ」
真後ろからの声に驚いて振り返れば、KKの姿があった。
「びっくりさせないでよ」
「俺が来たのに気づかないお前が悪い。で、何か言うことは?」
僕と同じく白のタキシードに身を包んだKKが悪戯っぽく聞く。普段は暗い色の服をよく着るKKだから白の衣装はとても新鮮だ。そもそも正装を見ることがまずない。引き締まった肉体に洋装はとても似合う。そしていつもと違って整えられた髪。それと、
「髭、剃ったんだね」
いつもの無精髭がなかった。それだけで随分と違う印象を受ける。
「さすがにな」
KKが口のまわりをさする。髭がなくて違和感を覚えてるのかもしれない。
「普段から剃ればいいのに。そっちの方が若くみえるよ」
「やだよ面倒くせぇ。別に若く見られたいわけじゃない」
揶揄うように言えば、KKはいかにも面倒というように首を振った。
二重瞼と長いまつ毛、黒目も大きめだし、実はKKって童顔なのかも? 険しい表情と無精髭、滲み出る威圧感が見た目年齢を引き上げているのかも知れない。でも、僕としてはKKが若く見えようが老けて見えようがどちらでも構わない。どちらも好き。これに尽きる。
「感想は髭だけかよ」
暗に普段は老けていると言われたとでも思ったのか、不機嫌そうに続きを促してきた。もちろん感想はそれだけじゃない。
「綺麗だよ、KK」
僕はKKの頬に触れた。
「白も似合うね。衣装を選ぶとき、黒のタキシードもいいなって思ったけど白で正解だったと心から思うよ。それと、僕は髭の有無なんて瑣末なことだと思ってる。いつものKKも大好きだよ。さっきも言ったけど髭がないと若くみえるね。もともと黒目がちの二重で睫毛も長いから、髭がないと幼く見えてとても可愛らしくて、そんな今のKKも僕は好——」
「ストップ。もういい。ちょっと黙れ」
言い切る前に遮られた。感想を求めたのはKKなのに。でも、顔をそらしたKKの目元が少し赤くなってるのに気づいて僕はほくそ笑んだ。照れてるみたいだ。
「KKこそ、僕に言うことないの?」
「あーそうだな……」
僕のことを流し目で見て一言。
「馬子にも衣装だな」
「なんだよそれ!」
「じょーだんだよ」
今度は流し目じゃなくて、しっかりとこちらを向く。
「格好いいよ、暁人」
ふわりと優しく微笑んで言われたらそれ以上何も言えなくなる。
こういうところ本当にずるい。
「ほら、しっかりしろよ。そろそろ時間だ」
二名のスタッフさんが目の前の扉に手を掛ける。その扉が大きく開かれた。
KKと並んでバージンロードを進む。参列席には麻里、絵梨佳ちゃん、凛子さん、エドさん、デイルさん。みんな拍手で僕らを祝福してくれている。ふわふわとした心持ちで僕はゆっくりと歩を進めた。
その後はあっという間だった。
指輪の交換も誓いの口づけも正直記憶が曖昧だ。緊張と幸福感とで胸がいっぱいで処理できる容量をオーバーしたんだと思う。あ、でも指輪をはめるときに僕の手が震えていたからか、KKが笑うのを我慢してたのは覚えてる。覚えなくて良いことは覚えるなよと自分に文句を言いたくなる。
結婚式って、とにかく緊張するのだということがよくわかった。
ま、全部お仕事なんだけど。
推しの結婚式を見るまで成仏しないと豪語していた幽霊が上げた「尊死っ!」という叫び声がなんだか忘れられない。その言葉を最後に霊は成仏した。尊死ってどういうことなんだろ? なんとなく調べてはいけない気がするので、そのことを考えるのはやめようと思う。
幽霊が出るせいで結婚式の予約が激減したという式場のスタッフさんからは大層感謝された。「本番の結婚式もぜひウチで!」とプランナーさんから名刺も渡された。僕は苦笑いでそれを受け取った。本番があればいいんだけど、と胸中で呟きながら。
ちなみに、なんでKKと僕で結婚式を挙げたのかと言えば、件の霊が生前好きだった俳優——すなわち推しに僕らが似ていたからだ。なんだよそれ。こんなことを報告書に書かねばならないのかと思うと気が滅入ってしまうがこれも仕事だ。そう自分に言い聞かせながら僕は控え室に戻った。レンタルしたタキシードから私服に着替えなければならない。
本当に、本当の結婚式だったら良かったのに。
タキシードを脱ぎながらそんなことを思う。せっかくだからKKと一緒に写真もとれば良かった。KKは嫌がるかも知れないけど。
着替えをすませてから控え室をぐるりと見渡した。もうこんな経験はできないんだろうなと諦めを感じながら僕はドアを開けた。廊下に出たらKKが待っていてくれた。当然だが、タキシード姿ではない。やっぱり写真を撮っておくべきだった。
「おせーよ。着替えにどれだけ時間かかってんだ」
「待っててくれたんだ」
「なかなか出てこないから様子見にきたんだよ」
「皆は?」
「先に帰ったよ。そうそう、麻里は凛子と絵梨佳についていったぞ。一緒に飯食いに行くんだと」
「あ、そうなんだ」
「俺らもさっさと帰ろうぜ。硬っ苦しい格好したから疲れたよ」
うーんと伸びをしながら歩いていくKKの背中を追う。
KKはどんな想いでいたんだろうか。浮かれていたのは僕だけ?
「ねぇ、KK」
KKに追いつこうと少し早足になる。
「なんだ」
「KKは今日の結婚式どうだった?」
「どうって……お前はどうだったんだよ」
「僕はね、幸せだったよ」
KKに追いついた。並んで歩きながら僕は言う。
「本当の結婚式だと思って過ごしたし、準備した。だから麻里も呼んだんだよ」
霊に見せるための「結婚式ごっこ」だとしても家族からの祝福が欲しかったから。
「もちろん、これは仕事だってわかってるけど、それでも嬉しかったな」
「……そうか」
「それで、KKはどうだったの?」
「俺か? 俺はタキシードはもう着たくねぇな。凛子が笑ってやがった」
そういえば、凛子さんが「良い式だったよ」なんて言ってたっけ。KKがうるさいって悪態をついていたのを思い出す。
だから、とKKが続けた。
「次やるなら神前な」
え? 次って?
「KK! それって——」
KKは僕の方を見ないで大股で歩いて僕との距離をひろげる。
ねぇ、今どんな顔してるの?
「KK! 待ってよ!」
僕は走った。きっと頬を染めてるだろうKKの顔を見るために。
窓の外は相変わらずの雨。彼との距離を縮めてくれる、雨。