契約「私とエンゲージしてくれ」
そろりとラインハルトの様子をうかがうような声音だった。
また来たか。ちいさく、息だけで笑う。
ばたりと投げ出されたラインハルトの手に、誰かの手が重ねられて、ゆるりと薬指の付け根を撫でられた。
視界はかすんでいて、垂れ下がった血が余計にうっとうしい。
事故といえば事故だった。避けられるはずの出来事を、避けようともしなかったことも加味して考えると、自損のようでもあったが。
こうして死が近づくと、どこからともなく現れる男がいることを思い出す。
かすむ視界では黒い人影でしか認識できないけれど、毎度同じ男で、同じような台詞を吐いた。
人のことをさんざん悪魔だのなんだのと言ってくれたが、死にかけの時に契約を持ちかけるなど、そちらのほうがよほど悪魔らしいではないか。
そうして、ラインハルトの返答も決まりきったものだ。
いのちをすべて吐き出すかのような吐息。みずからの薬指を撫でる男の指に触れ返して、いっそ慈しむように。
「私は誰とも契約しない」