マッド・ドッグは諦めない サンダウン・キッドが忽然と姿を消した。
馬に戻ったOディオにまたがり、荒野を駆け、こいつをキッドに見せつけてやろう、そして今度こそ決着をつけてやろうと、意気揚々とサクセズタウンへ向かっていた途中のことだった。
道中で所在なげにうろうろする馬を見つけた。見間違いでなければあれはキッドの馬だ。クレイジーバンチの奴らに仕掛ける罠を探して町中を駆けずり回ったあの夜、繋がれているのを見ながらいい馬だと、嫉妬半分八つ当たり半分でキッドにそう言った記憶がある。
なぜか荒野にぽつんと残された馬を見て首を傾げる。
肝心の持ち主が見当たらない。
どこかそのへんで用でも足してやがるのか、と辺りをいくら注意深く見回っても、キッドの姿も気配も全くなかった。
少しの間待ってみても、キッドがやってくる様子もない。
あの野郎、馬を置いて、一体どこへ?
ここからどこか別の町へ行くには、人の足では時間がかかりすぎる。キッドはそんな真似はしない。危ない目に遭ったところで確実に切り抜ける腕を持っているから、いくら目立とうがいつも馬に乗って堂々と移動する。
訝しく思いながらサクセズタウンに向かい、町の中に入ると、住民が皆、驚いた顔でこちらを見てきた。
「あっ、マッドのおじちゃん! キッドと一緒に帰ってきたんじゃないの?」
と、いの一番にこちらに駆け寄ってきたビリーは落胆の表情を隠さない。俺はそんなビリーに少し笑い、そして問うた。
「おいビリー、キッドはどこへ行った? キッドの馬がここから少し離れた荒野に置き去りにされてた。しかし肝心のキッドが見当たらねえ」
ビリーは俺の言葉を聞くと驚いた表情を浮かべ、「えっ!?」と声を上げる。
「キッドは、別の町へ行くって言ってたよ。…どうして、馬だけ?」
「わからねえ、……馬だけ置いて、歩いて一人でどこかに行くような真似する野郎じゃねえはずなんだが」
俺とビリーは酒場に行き、アニーに事情を話した。アニーも驚いたようで、まあとにかくその馬を放っておくのもよくないだろうと、皆に声をかけ、キッドの馬をサクセズタウンまで連れ帰った。
そして、馬がいた辺りを数人で念入りに探してみたが、やはりキッドの姿はなかった。
「一体どうなってるのかしら、……何か事故に巻き込まれたとかじゃなければいいんだけど」
その日の夜、酒場で心配そうに呟くアニーと、それを聞いて頷くマスターに俺は笑った。
「あの人っ子一人いねえ荒野で事故も何もあったもんかよ。落っこちそうな谷や川があるわけでもねえし。それに、辺りを探したが、死体も何もなかっただろ」
「でも」
「明日になったら、またキッドが行った方へ行って探してみるぜ。まかせな、キッド探しに関しちゃ俺の右に出る奴はいない」
そう言って俺はグラスに残っていた酒を一気に飲み干し、酒場を出ると、宿屋の部屋に引っ込んだ。そうさ、そのうち見つかるに決まってる。ひょっとしたら、俺と鉢合わせするのが気まずくて、馬を目眩しに置いて逃げたのかもしれない。少しだが手を組んだ相手と戦うのは気が乗らなかったとか、そういう甘っちょろい考えで。
そうだといい、と思いながら眠りについた俺を起こしたのは、アニーの慌てたような声だった。
「マッド、大変なの! お願い、早く起きて! キッドの馬がいなくなったの!」
昨夜は誰も町から出た者はいない、と、保安官は困惑したような顔でそう言った。
「でも、キッドの馬はいなくなってるわ! 夜にはちゃんといたはずなのよ、それにちゃんと繋いでおいたから、どこかへ逃げ出すはずもないし」
「ああ、……一体どういうことなのか」
保安官が途方に暮れたようにかぶりを振る。その言葉を聞いてアニーは突然駆け出し、俺もそれを追いかけた。
アニーがやってきたのは、キッドの馬を繋いでいた場所だった。
「ねえ見てマッド、……キッドの馬の蹄鉄の跡、ここに来るまでの跡はあるけど、ここから出て行った跡はないのよ。だから、たぶん本当に、ここから出て行ったわけじゃないんだわ。……それなのに、どうして、いなくなっちゃったの? まるで突然ふっと消えちゃったみたいに」
キッドの馬は、……キッドも、と、気丈なはずのアニーが真っ青な顔でそう言うのを見て、俺はアニーの頭をぐしゃぐしゃと強く撫でた。
「大丈夫だ」
俺はそれだけ言うと、部屋へ戻った。そして、荷物をまとめ、金を払って宿屋を出ると、Oディオに再び跨った。
「どこ行くのよ、マッド」
アニーが不安そうにそう言い、俺はにっと笑う。
「決まってるだろ、キッドの所だ」
「だって、でも、……どこに」
「あいつは逃げるのが上手いんだ、でも俺はそんなあいつを見つけるのがなかなか得意でな」
「マッド」
「キッドが死ぬわけねえ、あいつが死ぬのは俺があいつの心臓をぶち抜いた時って、生まれた時からそう決まってるからな」
俺がそう言うと、アニーはしばらく呆気に取られたようにぽかんと口を開け、やがて微笑んだ。
「そうね、……そうよね」
「この俺が探すんだ、見つかるに決まってる」
俺はそう言うと、Oディオに跨り駆け出した。背後から、アニーやビリー、他の奴らが俺の名を呼ぶのが聞こえたが、振り返らず、荒野をとにかくひた走った。
いくつも町を渡り歩いた。賞金首と見れば路銀稼ぎにすぐさま撃ち取り、保安官、酒場のマスターや荒くれ者たち、名うての情報屋、とにかく手当たり次第になりふり構わず、キッドに関する情報を集めた。
わかったことはひとつ。
サクセズタウンを出てから、その姿を見た者は誰一人いないということ。まるでこの世界から消えたみたいに、どこにもその存在を感じ取れなくなってしまった。
こんなことは今まで一度もなかった。
俺の目の前から姿を消しても、生きていればどこかで誰かには目撃されるもんだ。そもそもキッドは、そこまでわかりにくい行動を取る奴じゃなかった。そういう情報を頼りに俺はこれまでずっとキッドを追ってきた。
本当に、ぷっつりと糸が切れたみたいに、その足取りが途絶えてしまった。
サンダウン・キッドは忽然と姿を消した。
俺の知らない間に、俺との決着もつけないまま、どこかへ行方知れずになってしまった。
そんなことが。
……そんなことが、許されるはずがねえ。
俺はまた来た道を戻り、荒野を駆け抜け、サクセズタウンに舞い戻った。
いくら探しても見つからない。これはきっと、最初からやり直した方がいい。そう思って、久々にサクセズタウンに足を踏み入れたら。
「あ!! マッドのおじちゃん!!」
ビリーが目ざとく俺を見つけ、嬉しそうに駆け寄ってきた。そして、
「聞いて!! キッドが帰ってきたの!!」
と嬉しそうにそう言って。
…………は?
俺はそのビリーの言葉に頭の中が真っ白になった。
帰ってきた?
誰が? ……………キッドが?
「ちょうど昨日、馬と一緒に帰ってきたんだよ! でも、なんだかキッド、すごく疲れた様子で、昨日はずっと酒場の2階で休んでたんだ。今は元気になって酒場にいるから、会いに行ったら」
俺はそこまで聞くと、すぐに酒場へ走った。
嘘だろ、あんなに探したのに、しれっとサクセズタウンに帰ってきやがっただなんて、そんな。
果たして、サンダウン・キッドは、そこにいた。
カウンターの端の席に座って、ちびちびと目の前のグラスに口をつけている。カウンターの中にはマスターとアニー。2人とも楽しそうにキッドに話しかけては笑っている。
俺はつかつかと靴の裏を鳴らしながら、キッドに近づいた。
マスターとアニーが俺に気づき、驚いたような表情をしたが、やがて満面の笑みを浮かべてこちらを見てきやがったので、俺はチッとひとつ舌打ちをした。
無言でどっかりとキッドの隣の席に座る。
キッドはこちらを見ることもなく、ただグラスに口をつけている。
俺は。
ありったけの罵詈雑言を、頭の中で思い浮かべた。なんて言ってやればいい。この、俺の、胸の中の、ぐつぐつと煮えたぎるような、怒りともなんともつかないこの感情を、どうやったら、この野郎に。
「マッド」
突然自分の名を呼ばれて面食らう。
気がつけばキッドはこちらを見ていた。
凪いだ目で、じっと。
「な、……………な、なんだよ」
気がつけば俺の心臓は跳ねるように動いている。さっき頭の中で必死にかき集めた罵詈雑言のたぐいはどこかへ霧散してしまい、俺は結局ろくにキッドを罵りもできないまま、阿呆の一つ覚えのようにキッドの顔をただ見ることしかできなかった。
「…………元気そうだな」
キッドはそれだけ言うと、俺からまた視線を外し、再びグラスに口をつけ始める。
俺はキッドのその言葉を頭の中で反芻した。元気そうだな。元気そうだな。元気そうだな……?
俺はそのキッドの言葉を、いつもよりなぜかどこか少し温度のこもった言い方だったその言葉を聞いて、なぜか、ぼろぼろと涙が止まらなくなっちまった。
マスターとアニーがぎょっとしたような顔で俺を見てくる。キッドは俺の顔をちらりと一瞥し、ふ、と少しだけ笑ったように見えた。
キッドが笑ったところなぞ、誓って今まで一度も拝んだ事はない。
「よくわからない所で、よくわからない連中と手を組んで、よくわからない戦いをしてきた。悪い奴らじゃなかった。俺をしつこく追ってきた根性もなかなかのものだった。何より、強かった。……だが、手を組むことに関しては、お前が一番やりやすかった」
そしてキッドは、喋りすぎた、と言って、グラスに残った酒を一気に煽ると、席を立った。
カウンターに札を置くと、世話になった、と言って、こちらを一瞥もせずにさっさと酒場を出て行こうとするキッドを、アニーが、ちょっと待ってよ、と言いながら慌てたように追いかけていく。
俺はまだみっともなくぼろぼろと涙を流している。
マスターが、どうぞ、と言ってこちらに遠慮がちに差し出してきたのは酒ではなく布だった。
布で涙を拭きながら、ちきしょう、と悪態をつく。
どうして俺はいつもいつもあの野郎に勝てねえんだ。
元気そうだな、だと?
ちきしょう、それは、てめえじゃなくて俺の台詞だよ!
「絶対許さねえ……」
俺は勢いよく席を立ち、走り出す。
目指すはサンダウン・キッドの心の臓。
俺が欲してやまない、いつかぶち抜いてやりたい、そこに向かって。
「今度こそ決着つけようぜ、サンダウン・キッド!」
俺がそう叫べば、キッドは振り向いた。
「……そういえば、喧嘩をふっかけてきても、決闘を挑んでくる相手はついぞ見なかった」
そう言ってキッドは俺の顔をまっすぐ見、今度は明確に口の端を上げて笑った。
俺はそんなキッドの顔を見て、なぜだかまたうっかり泣きそうになる。
それを誤魔化すように指で目頭を押さえ、クソ、と悪態をついてからキッドを見れば、もうそこにはキッドはおらず、離れた所で自分の馬に跨り、颯爽と荒野へ向かって駆け出すキッドの姿。
古臭いポンチョを翻し、荒野を駆けるキッドの背中を見ていると、どうにもこうにもまた涙が溢れそうになる。俺はまた、クソ、と悪態をついた。
「おいキッド! どこへ逃げても絶対に追いついてやるからな、覚悟してろよ!」
俺がそう叫ぶと、キッドはもうこちらを振り向くことはなく、しかし俺の言葉に応えるように、空に向かって一発、銃声を響かせた。