夜のドライブを君と審神者になってはや幾年、この役割にも大分慣れた。しかし、適性があったからという理由だけで本丸と呼ばれる異空間に住み込み、365日役割を全うするのは、なかなか精神的にクるものがあることも事実。本丸の刀剣男士たちとの仲は良好だが、こればかりは仕方がない。一定値を超えそうになるフラストレーションを布団の上をゴロゴロ転がって散らせようとするが、余計に目がさえるばかり。
「眠れない……」
審神者にだって眠れない夜ぐらいあるのだ。昔はそんな夜ばかりだったが、いい大人となった今では、審神者はこのフラストレーションの解消方法を知っていた。寝巻の浴衣からラフなジーンズとTシャツに着替え、そっと部屋から抜け出す。目指すは転送ゲート。現世の自室にだけは自分一人でも転送できるようにと設定していた。完全に一人になって、なんとも安心するにおいの毛布にくるまって、明日の朝には戻ってくる。そんな夜だってたまには必要なのだ。
今宵は満月だろうか。すでに大分高く上った月があたりを明るく照らし、真夜中なのに自分の影が庭に落ちるのが何だか不思議で特別な夜を演出している気がして浮足だつ。
「何やってんだ、あんた」
「あ……」
浮かれたのもつかの間。ついに見つかってしまった。こそこそと庭を歩いて行く審神者を呼び止めたのは肥前だった。
「ちょっと、夜の散歩を……」
まだ転送ゲートは使っていない。未遂だ。自分の部屋以外に行くことはないとはいえ、この時間の無断外出はさすがにバツが悪い。審神者はごまかすことにした。
「そっちは転送ゲートだろ。」
秒でバレた。
「そうだ、肥前!いいところで会った。一緒に行こう!」
審神者はごまかすことをやめた。何だか今日はハイな気分だ。多分月のせいなのだ。縁側を歩いていた肥前の手を取る。
「っおい!履物ぐらいはかせろ」
なんやかんやついてきてくれる肥前はイイ奴だ。こんな時怒ったりしない、理由を聞いたりもしない。他の男士たちに見つからないように明かりをつけずに暗い玄関までわまってくれるし、靴に履き替えて一緒に転送ゲートをくぐってもくれる。
「見つかったのが肥前でよかった」
「後で怒られてもしらねーからな」
「なんのなんの、頼りになる護衛が一緒なんだからなんの怒られることがございましょうか」
「……はぁ」
転送スイッチを押し光に包まれ目を開けると見慣れた我が家の玄関だ。
ワンルームマンションの狭い玄関に到着したため、必然的に肥前と身を寄せ合う形になる。
「うーん、しかし、嫁入り前の娘が若い男を部屋に連れ込むのも如何なものか」
「今更かよ……」
しばし玄関で逡巡する。目に入ったのは玄関ドアに引っ掛けてあった車のキー。
「そうだ、肥前きて」
肥前のだぼっとしたパーカーの袖を掴み玄関ドアを開ける。乗り気でない男の腕を引きながら無機質なマンションの廊下をご機嫌で歩く。
「……あんまひっぱんな」
「あ、ごめん」
パッと手を離す。
はぁとため息が聞こえたが、その後に続いた声はぶっきらぼうながらも優しくて。
「ちゃんとついてきてやっから」
「………やっさしー…」
なんだか少し照れてしまうのを茶化して誤魔化した。
住人たちが寝静まったマンションのエレベーターで目指すは駐車場。四角く無骨な赤の軽ワゴンが私の愛車だ。 そんなところもかわいい。
「久しぶりだしエンジンかかるかな〜」
「こんな時間からどこにいくんだよ」
「うーん、どこ行きたい?」
「知るかよ」
悪態をつきながらも助手席に乗り込んでくる肥前。
「ほんと良い奴だよね君は」
「そらよーござんした」
慣れた調子でシートベルトを閉める肥前に目が丸くなる。
「車乗ったことあるんだっけ?」
「政府にいた時にな」
「え〜そうなんだ、なんか不思議な感じだなぁ」
エンジンはちゃんとかかった。いいコだ。ゆるゆると車を発進させる。
「もっとでかい車だったがな」
「えー、この子もかわいいでしょ。このコンパクトさがいいんだよ」
「悪いとはいってねーよ」
ぽつり、ぽつりと、ゆっくりとしたテンポで雑談をしながら夜の街を駆ける。運転していると余計なことを考えなくてすむ。絞った音量で流れる洋楽に中身のない会話が心地よかった。
「たまには運転もしとかないと勘がにぶるよねぇ」
「そういうもんかね」
夜の街をどこまでも、どこまでも、夜が明けたらまったく見覚えのない景色が広がっているようなところまで行きたい気分だった。本丸の男士の前でその思いを口にすることはためらわれたから、言わなかったけれど。
「肥前は海って行ったことある?」
「あぁ。刀だったときにな」
「今度みんなで行こうよ」
「かったりいな……」
「現代の海には海の家っていうのがあって、焼きそばとか売ってるよ」
「考えてやってもいい」
変わり身のはやさに思わず笑みがこぼれる。もし本当に海に行くことがあったら、たらふく焼きそばとかき氷とトウモロコシをおごってあげよう。
行くあてもなく車を走らせていたが、そろそろ折り返そうかという地点のコンビニに車を寄せた。
車を走らせること若干20分もないくらい、これが私の現世での生活圏の一番端のコンビニだった。
「付き合ってくれたお礼に審神者が何か買ってあげよう」
「おぅ」
私がシュークリームとアイスをどちらにするか悩んでいる間に肥前はカゴにカップラーメン3つとやきそばパンと焼肉おにぎりをぶちこんでいた。
「歌仙と光忠が見たら白目剥いて倒れるかもね」
「なんでも買ってくれんだろ」
「もちろん、もっといれろいれろ〜」
「そんなに隠しとく場所がねーんだよ」
「君も苦労してるんだねぇ……」
「飯はどんだけあってもいいからな」
「若いねぇ」
「若くはねーよ」
「そらそうだ」
ぽんぽんと言葉の応酬が気持ちよい。一通り店内を回ってレジで会計を済ませる。
「えっと、ホットコーヒー一つと、肥前は何か飲む?」
半歩後ろに立つ肥前を振り返ると、返事の代わりに目線でかごを示された。あったかーいのお茶が入っていた。
「りょーかい」
車に戻って出発前にコーヒーを一口すする。あったかくてほっとする味だ。迷った結果買ったシュークリームをついばむように少しずつ食べた。コンビニのライト照らされた薄暗い非日常な空間が終わってほしくなくて、ゆっくりゆっくり食べた。
審神者の仕事が嫌だとか、そういうことではないが、ただただ、今は本丸の外で羽を伸ばしたい気分だった。そんな私の気持ちなどきっと知らない肥前は焼肉おにぎりを4口くらいで食べててビビったし、焼きそばパンももうそろそろ食べ終わりそうだった。
「いや、食べるの早ない?」
「あんたは早く食べないとクリーム垂れてるぞ」
「やば」
結局シュークリームの三分の1くらいは一口で口の中に放り込んだ。そろそろ帰る時間だ。
あまったるいクリームをコーヒーで流し込もうとして、助手席と運転席の境目にあるカップホルダーに自分のコーヒーがないことに気づいた。
「私のコーヒー飲んでます?」
肥前は当然のように私のコーヒーに口をつけていた。
「あんたはもうこっちにしとけ」
ドリンクホルダーに肥前が買ったはずのあったかいお茶が刺さっていた。
「カフェインとりすぎると寝れなくなんだろ。あんたは早く帰って早く寝ろ」
「まじか」
「んだよ」
「こんなときどんな顔したらいいかわからない」
「知らねーよ」
ぷいっと顔を背けられてしまった。
彼の表情はわからなかったけど、不器用な優しさに胸が痛くなった。余計にまだ帰りたくなくなったことなど、肥前は考えもしないだろう。
車を発進させ、しばらくお互い無言だったが、シートから伝わる振動と夜のけだるさでそれも気にならなかった。家に着くのが惜しくて、めちゃくちゃ安全運転でゆっくり帰った。
肥前が何を考えているのかはわからなかったが、夜に二人でコンビニまでドライブして、買い食いして、こんな夜も悪くないなぁと、たったそれだけのことなのにこの特別な夜が終わるのが切なくてしんみりしたりして。
「……えよ」
「なんか言った?」
「また誘えよ」
「それマジで言ってる?」
「んだよ、嫌なのかよ」
「嬉しすぎるからまた誘う」
肥前はふんっと鼻を鳴らして返事をした。
運転中だから横を見られないのがもどかしい。でも多分肥前は窓の外を向いたままだ。肥前がどんな表情をしてるかはわからない。一人で外出する私が危なっかしかったからかもしれない。コンビニでの買い食いの味を覚えたからかもしれない。でも肥前にとってこの夜が二度と味わいたくないほど嫌なものでなかったことに心底安堵したし、私の夜のドライブが”赦された”ことが、なにより私の心を癒した。約束といえるかも微妙な小さな次の約束のおかげで、もやもやとした憂鬱はようやく晴れて、愛すべき本丸にちゃんと帰れそうだった。
「明日も仕事がんばるかー」
肥前から返事はなかった代わりに、満足そうなため息が一つ聞こえた。