カルデアに召喚されてもう3年も経つらしい。
部屋のモニターに珍しくメッセージが届いているかと思えば律儀にそんなものを送ってきたのだ。
ヴォーティガーンは寝起きのまま裸の姿でそのメッセージを黙読すると、背後のオベロンに目を向けた。
もう3年。ここに召喚されて、自分がオベロンであることに絶望したあの日。
オベロンはそこから遅れてカルデアに合流した。
突然現れて、ヴォーティガーンがオベロンとして築いたカルデアとの関係に素早く適応し、その立場に成り変わった。
この霊基に不満と怒りを覚えた彼が自分を触媒に追ってきたと思っていたヴォーティガーンは、オベロンの登場に潔く身を引いた。
なるべくカルデアに関わらないようにとドックの端っこにいたら、オベロンに手を引かれて部屋に連れ戻された。
「きみを追い出したいわけじゃない。きみを守りにきたんだ」
オベロンの言葉が一瞬理解できなかった。怪訝な顔をする自分に、オベロンは大きな手で頬を包み込むと綺麗な顔を間近に寄せてきた。
「きみをもうこれ以上消費させないために、僕は来たんだよ」
「消費…」
それは、オベロンの願いだ。
消費されるものを憐れみ、消費するものを憎む。彼の原動力の怒りもそれによるものだ。
けれど自分は憐れみを向けられるような存在ではない。
「オベロンの霊基をこれ以上めちゃくちゃにしないためか?」
異聞帯ブリテンが生み出した終末装置と混ざり合ってしまったこの身体はオベロンにとってもヴォーティガーンにとってもオリジナルとは違うモノになってしまった。
彼はきっとそのことに対して怒っているのだろう。
俺だって奈落に落ちながら彼のことを解放したいと、解放させて欲しいと願ったのに。
自分だって不本意だというのを伝えると彼は眉を吊り上げて「そうじゃない」と低い声で言った。
「言葉通りだ。僕はきみを自由にしたいんだよ」
「…じゆう」
自由ってなんだろう。
「俺はもう帰る場所はないし、やらなきゃいけないことは成し遂げたよ?もう自由だ」
「まだここにいるだろ」
「それは、」
「もう誰にもきみを従わせない。きみに強制させるものは僕が許さない。たとえマスターであっても許さないから」
「大袈裟な……。大体、お前のそれは俺なんかに向けていいものじゃないだろ。ブリテンで一緒にいて情でも移ったのか?らしくない」
そんなに一緒にいたことはないけどさ。
困ったように笑うと今度はオベロンが傷ついたような顔をする。
「俺は、自分が生まれるべきものじゃなかったって自覚してる。終末装置は卑しいとも思っている。誰かが俺を使って面倒なことを片付けようとしたって、それは正しい使い方だろ。だって俺には終末装置という役目がある。それをするために生まれて、そうであれと生きてきた。責任も贖罪も俺には必要ない。断罪されない。そのための俺なんだから」
消費されるとかされないとか、そういうものじゃない。
生まれるべきじゃなかった。生まれてこない方が良かった。そんな自分を利用することは消費じゃない。
「それにお前のそれは大事なものなんだろう。ダメだろ、そんな簡単に語るもんじゃないよ」
ヴォーティガーンは優しくオベロンの手を避けて一歩下がる。
「あちこち出歩いて迷惑だっていうなら部屋にいるからさ、俺のことは気にしないで好きにしたらいい。こんな形は予想してなかったけど、お前がこちらに来てくれたのは俺の願いでもあったし」
ベッドに腰掛けるとそのまま寝転がろうとしてやめた。
「部屋も好きにしたらいいよ」
しん、とした部屋の空気はあまり良いものではなかった。オベロンとの2人きりというのに慣れず、ヴォーティガーンはソワソワと両足の指先を絡めていた。
「…やっぱり部屋出ようか?」
「ダメだ」
「…あっ、そ…」
「………はぁ、困ったな」
オベロンは大きく独り言を呟いて頭を抱えた。
霊基異常でもなく、二人に分かれてるこの状況のことだろうか。
ヴォーティガーンはチラリと上目遣いでオベロンを盗み見た。
じっと見ていると、頭を抱えたオベロンがそのままこちらを睨んできて慌てて目を逸らした。
「そうか、まあ、そうだよね。生まれた時からそうならしょうがない」
さっきから何をいっているのか気になるものの、もう彼と目を合わせることはできなかった。
「ヴォーティ」
聞き慣れないあだ名。ヴォーティガーンという名前すら彼しか呼ばないのに。
ゆっくりと目を向けるとオベロンは膝をついて恭しく左手を取った。
美しい妖精王に膝を折らせて左手を取られてることに気づいて慌てて身を引こうとするも、オベロンは寸前に強く手を握ってそれを阻止する。
「僕はきみを追ってきたんだ。きみのために、きみに会うためにここに来たんだよ」
「あ…」
ダメだ。そんな価値、自分にはない。
「ヴォーティガーン、僕はきみを守るよ。絶対にきみを忘れない。きみの価値を僕が守る」
「違うだろ!そんなの、おかしい」
「おかしくないよ」
「おかしいよ!言っただろ、俺はなんでもない、妖精でも人間でもない、生き物だと言えるのはお前の肉体があるからで、本当は形すらもない…守るも何も、そんなものないんだよ」
「だからだよ。僕だけがきみを見ていたから」
「お前おかしいよ。ブリテンにいた時はそんなことなかった!」
「…ブリテンでは、僕も余裕がなかった。きみには酷い言葉もぶつけたし許されないこともした。……許して欲しいとは言わない。許さなくたって良い。きみのしてきたことを無駄だったと忘れることはできない。忘れたくないんだ。終末装置だって言われたって、それが何も残らないものだとしても、僕だけはきみがなんのために動いていたか知っているから」
まっすぐな目に見つめられてヴォーティガーンは俯いた。
どういう反応をするのが正しいのだろう。わからなくなっていた。
怒っても否定しても彼は宥めて諭してくる。けれど喜ぶことはできない。すぐには受け入れられない。だって彼の言葉が理解できないのだから。
嘘だとは思っていない。あの呪いはお互いには適用されないようだ。
嘘ならば良かったのに。
ヴォーティガーンの顔を覗き込んだオベロンは瞳を伏せながら泣いている姿を見た。
「わからない」
「…」
「お前の言ってることがわからない」
「わからなくて良いよ。分かるようになってくれたらいいよ」
いずれその時が来るから、とオベロンは落ちてくる涙を拭った。
今でも彼の言葉の意味を理解できていない。
彼に守ってもらえる価値ができたとも思えない。
けど、彼の行動が自分のためなのだというのは理解できる。
背後のオベロンの寝息を聞きながら、モニターを操作して今日のスケジュールを確認する。
午前中にいつも通りのシミュレーターでトレーニングがあるのみだ。
3年間彼はずっと働いてきたのだからそろそろ交代しても良いのではないだろうか。
自分だってオベロンのために何かをしたい。
「オベロン」
「ん……?」
「今日のトレーニング、俺に行かせて」
「……は?」
オベロンは耳を疑ったかのように起き上がった。
「トレーニング。いつもの時間にシミュレーションがあるだろ。俺が行きたい」
「どうしたのさ、急に」
「3年間、代わってもらったんだからいいだろ」
3年間という言葉にオベロンはやっと合点した。
「いや、今日はないよ」
「タスクに載ってるけど」
「昨日マスターに変えてもらったんだ」
起き上がったオベロンは背後からヴォーティガーンの腰を抱き寄せると右手でモニターの操作をする。ヴォーティガーンの眺めていたスケジュール表は彼の長い指で閉じられてしまった。
「変えてもらった…?」
「そ、だから今日は休み」
オベロンは抱きしめたヴォーティガーンを可愛がるように顔を擦り寄せキスをしてきた。
「大体、君じゃ代わりは無理」
「それはどういう意味だよ」
その言葉にムッとして、オベロンの顎を押しのけた。
だがめげずにオベロンはヴォーティガーンを背後から抱きしめたままだった。
「魔力量もステータスも違うから」
「違うわけないだろ、なんなら俺のほうが先に来て……」
ふと試しに背後のオベロンへスキルのひとつでもかけてみる。影響の少ない夜のとばりをかけて、その影響に声を上げた。
ステータス上昇は微々たるもので、自分が記憶している効果とは程遠い。まるでカルデアに召喚されて間も無くの頃を思い出す弱体化だった。
「な、な、なん、…なんで!?おかしい、俺はお前がくるまでにマスターに最優先でリソースを貰っていたんだぞ!?いつからこんな…」
「言っただろ、僕は誰にもきみを従わせないって」
「お前!俺を食ったな!?」
「ほら、貴重な休みだ。ベッドに戻ろう」
「まて!答えろ!俺のリソースをどこにやった」
抱き抱えられながらヴォーティガーンは細い手足を振り回して抵抗する。左手や両足の爪を突き刺せば早いのにつま先はちゃんとしまっているのが愛おしい。
「本当は身体だって弱体化させたっていいんだぜ?」
揶揄うようにそういうと、パタリと抵抗がやむ。
呆れと恐怖が入り混じったような信じられない顔をしてヴォーティガーンはオベロンを見下ろしていた。
「きみを守るために必要なんだよ。わかっておくれ」
「分からん!」
ベッドに押し倒すと、拗ねるヴォーティガーンの手のひらにキスをする。
「俺は、お前に守ってもらうほど弱くない」
「弱いとは思ってないよ」
「お前は結果的に俺を無理矢理弱くさせてるじゃないか。そんなことされたって、俺は嬉しくない。返せよ、俺の…」
オベロンによって塞がれた口に彼の濃い魔力が含まれる唾液が流し込まれた。
腕はシーツに押さえつけられて、下半身も彼の足によって押さえつけられていた。できる抵抗はシーツを蹴り飛ばすくらいだった。
「やっ、ぁ、……んっ、ぅうっ」
オベロンの魔力を身体が熱を上げて求めているのが分かる。頭からつま先まで、彼のもので満たされたいと身体が欲している。
ヴォーティガーンはその熱に抗おうと身を捩る。
この関係が嫌だった。
彼に求められて、それに応えてもつれるように絡み合って。
これが交尾に該当するものだというのは流石の自分でも知っている。実際その通りだと思う。交わされるのは体液に混じった魔力ばかりで、それ以外に理由はない。
「やめっ、ろ!」
一瞬の隙で短くそう伝えるとオベロンの動きは止まる。
「お前は、こんなことがしたくて俺を閉じ込めてるんじゃないのか?」
息も絶え絶えに、涙目でオベロンを睨みつける。
「こうやって、俺を無力化させて、でなきゃこんなの無意味だもんな」
「……」
「否定もしないのかよ。これだって、お前のいう消費と変わらないじゃないか」
ぱちん、と強く頬を叩かれる。
突然のことでなにがあったのか分からなかった。ただ後から熱と痛みがやってきて、オベロンの振り上げられた腕を見て殴られたのだと気付いた。
「……こうでもしなきゃ、きみはまたいなくなるだろ!」
「いなくなったことなんてないだろ」
「あるよ!きみは自分のことを無価値だと語るから!!」
意味がわからない。
なぜ性行為のことと自分のことが繋がるのか。
よほど変な顔をしていたらしい自分にオベロンはまた目を吊り上げてそういうところ!」と怒鳴った。
「きみが何かあったら、自分を犠牲にすることは簡単に想像がつくんだよ」
「で?」
「そんなことにならないために力を奪っておくのは必然だろ」
理屈はわかった。
「それじゃあこれはやっぱり無意味じゃないか」
その方法でしかないなら、やる必要はない。
正しくそう言ってくれたら自分だって大人しくしているつもりだし、無茶もしない。
自分がどうなろうと構わないが、オベロンが嫌がるならやらない。
期待外れだと言わんばかりの反応にオベロンの眉が動いたことに気付いていない。
「きみを繋ぎ止められるならなんでもするよ」
繋ぎ止めるという言葉を強調する。だが彼の表情に変化はない。
「大体、きみが好きなのにこんな事をすることをなんでわかんないんだよ」
もっとストレートに伝えるとヴォーティガーンはようやく目を向けてきた。頬を赤らめて目を逸らしたがそれはもう答えだった。
「わかってよ」
「………わかったよ。3年経っても変わってないことがな」
「ヴォーティ…!」
「でも本当に、これはやりすぎだ。全部とは言わないが半分くらいは返して」
「ええ……」
「お前ばかり察して、か?ほんと勝手なやつだな」
赤くなっている顔を覗き込もうとしたら顔面に思いっきり手のひらをぶつけられた。
「見るな」
「見たい」
「見るな!それより返してくれるのか?どうなんだよ」
「見せてくれたら答える」
「………なら、いい。答えなくていい」
「なんでだよ!かえす返す、すぐにでも返すよ、ヴォーティ!」
素早くうつ伏せになったヴォーティガーンの顔を覗き込もうと、オベロンは肩を引き寄せるが、枕を持って意地でも顔を見せなかった。