「ヴォーティさ、そのクロゼットの中にあるやついい加減捨てたら?」
クロゼットから服を取り出していたヴォーティガーンに提案すると、彼はひどく傷ついた顔をした。
しまったと失言に気付いたがもう遅い。
彼はクロゼットの中のオベロンが捨てるように言った箱を見下ろしていた。
オベロンも箱の中身までは知らない。ただ見るからにボロボロで汚れた箱は引っ越ししてくる時に彼が唯一腕に抱えてきたものだった。
最初の頃はそこから汚い服を取り出して着ていたからそんなものは捨てさせて新品の服を買ったのだが、どうやらそれ以外にも何かが入っていたらしい。
「ごめんね。捨てて欲しいわけじゃなかったんだ」
「……いや、確かにいい加減捨てようと思っていたんだ」
彼は扉を閉めてそう笑った。
「ヴォーティ」
捨てなくてもいいんだよ、と言ったが彼は「本当に大したものじゃないんだ」と答えた。
オベロンはヴォーティガーンの顔をを忘れることが出来なかった。
大したものじゃない。そんな顔ではなかった。何よりあの傷ついた顔をするようなものは絶対に捨てていいものなわけがない。
オベロンは彼の行動も不安だったがあの箱の中身が気になった。
彼が唯一実家から持ってきたものだ。私物なんてないに等しい彼が大事そうに抱えていたものが服だけなわけがない。
ヴォーティガーンが風呂に入っている間に申し訳ないと思いながらクロゼットから汚い例の箱を取り出した。
これを入れる箱すら彼は苦労して手に入れたのだと思う。何枚もガムテープを使って補強された跡があった。
彼が親に隠して守ってきた大事なもの。そうに違いない。それを本人の許可なく覗き込むのは良くないと思っている。だがきっとこれを彼に泣きながら捨てさせたことを一生後悔して罪悪感に苛まれるなら、今怒られたほうがマシだ。
オベロンはよれよれの箱を勢いよく開けた。
ヴォーティガーンの風呂は包帯の取り外しと巻き直しがあるためどうしても遅くなる。
外したって構わないよとオベロンは言ったがまだそれを晒す勇気はなかった。左腕と両足の包帯を巻き直してオベロンの名前を呼んだ。
「風呂上がったぞ、オベロン」
テレビの音は聞こえるがそれ以外の物音がしない。そんなに面白いテレビでもやっているのだろうか。
洗面台から顔を覗かせてリビングを眺めたがオベロンはいなかった。
洗い物をしている音もない。テレビも付けっぱなしで寝たのだろうか。
入浴時間はいつもと変わらなかったはずだ。オベロンは早くに風呂に入りたかったのに戻ってこない俺に苛立って先に寝てしまったのだろうか。
謝って許してもらえるだろうか。
クロゼットの中のものも捨てろと言われてしまったし。確かにあんなもの、誰の目から見たってゴミ同然だ。価値のない、無駄なもの。
捨てなくていいとその後に言ってくれたけど、捨てないととは思っている。
中身を見たら呆れて「なにそれ」と笑われてしまう。その時俺は笑って捨てられるとは思えなかった。
オベロンにあの中身をゴミだと目の前で言われたらきっと泣いてしまうから。
人の宝物はたくさんある。
綺麗なもの、高価なもの、希少なもの、価値のあるもの、思い出のもの。
ヴォーティガーンにとっての宝物は好きな人からもらったものだった。
可愛いシール、綺麗な花、キラキラのビー玉、くたびれたぬいぐるみ、使い古しのタオル。
彼にはくれた理由なんてきっとない。
新しいものを買ってもらったからとか、いらないものだったからと言うかもしれない。
でも両親からは罵倒と暴力しか受けてこなかった自分にとって、痛み以外のものを与えられたのはそれがどんなものでも嬉しかった。
そしてそれをオベロンがくれた事に大きな価値があったのだ。
眩しいくらいに輝いて見えたオベロンは俺にとって本当に神様のような人だった。綺麗なオベロンが俺なんかの兄であることを恥ずかしく思うくらい。
洗面台から歩いて部屋に行くと、クロゼットにしまってあった箱の中身を広げたオベロンが蹲っていた。
ヴォーティガーンはその状況に一瞬気取られたが、慌てて駆け寄り床に散らばったものをかき集めた。
「オベロン、なにしてるんだよ。これは俺が片付けるからお前がやらなくても…」
「片付けないで。捨てちゃダメだ」
鼻声で小さな声でつぶやいたオベロンにヴォーティガーンは首を傾げる。
「なに言ってるんだよ、オベロンも見てわかるだろ?ゴミじゃないか、こんなの…」
「ゴミじゃないだろ!きみの、君が大事にしてきたものじゃないか!」
号泣しているオベロンに呆れてヴォーティガーンは彼の向かいに座り込んだ。
なにをそんなに泣くことがあるのか。
「君がそれを捨てたら僕は怒るからな」
「どうしてお前が怒るんだよ」
「覚えてるのは君だけじゃないんだから」
ボロボロの毛布を摘み上げるとオベロンは「僕があげたやつ」と鼻を啜りながら言ってきた。
「これは?」
「君に似合うってあげたリボンだろ。そのぬいぐるみは君の誕生日にあげたやつ。虹色の色鉛筆も、あこや貝も」
ヴォーティガーンが次々と手に取ったものをオベロンはぴたりと言い当てていく。
「メロンの飴玉の包装紙」
「そんなものまで取っておいてたの?」
「オベロンから貰ったものはなんだって取っておいてたさ。捨てられないように毎日隠す場所を変えてた」
彼が虐待されていた日々を思い出してオベロンは再び涙を浮かべてヴォーティガーンに強く抱きついてきた。
「やっぱり捨てちゃだめだ、これは代えのきくものじゃないんだから」
「……」
「あんなこと言って悪かったよ。中身も見ないで適当なこと言った」
「気にしてないよ」
「嘘。きみ、どうせまたなんでもない顔した裏で泣くんだろ」
オベロンが初めてヴォーティガーンに与えたものは父親が取り上げて捨てられてしまった。オベロンはヴォーティガーンに問いただしたのだ。それまで彼は「なくした」と言い張っていた。
どうせまたそうして最初からなにもなかったかのように振る舞うのだろう。オベロンになにも悟られないように。
「君の宝物はこんなものに入れといちゃダメだ。なにが綺麗な箱を買いに行こう」
「いや。いいよ、そんな」
「ダメだ!」
「はぁ…」
そう言ったら聞かないのはヴォーティガーンも理解している。
オベロンは丁寧に拾ってひとまず箱の中に戻した。きっと明日にも買いに行くと言いだすだろう。
「大事にしてくれて、とても嬉しかった」
「俺にはそれしかなかったからね」
自分のものなんてひとつもなかった。
それを悲しいと思うことはなかったけど、せめて貰ったものは大事にしないと。
ゴミだと言われても、それが俺のせいだとしてもオベロンにそのつもりがなくても、俺にくれたものという価値を蔑ろには出来なかった。
「ヴォーティィィイイイ」
「わかったよ、もうおちついて」
泣いたまま抱きついてくるオベロンをやんわりと押し返したが離すつもりがないほど腕の力が強かった。
「オベロン、ちょっと…」
「君のこと一生大事にする!!なにがあっても手放さない!」
プロポーズのような言葉にドキッとしたが、すぐに平静を装って「なに言ってんの」と頭をこづいた。