心臓に直接響く爆音に、耳から頭を貫く甲高い歓声。汗が滲むほどの明るい照明の下で、俺はいつもオベロンの後ろ姿だけを見ていた。
ステージの最前線でオベロンはいつもキラキラして観客の視線を奪っていた。
この時ばかりは観客に嫉妬する。だって自分はオベロンのパフォーマンスを見たことがないからだ。いつも背後から逆光の影だけを見つめていた。
彼女たちの歓声の前でどんな顔をしているのか、どんな姿なのか、どんな弾き方をしているのか、気になって仕方がない。
オベロンの姿を映したグッズはひとつもない。ブロマイドどころかCDもなければうちわのひとつも用意されていない。
女性ファンが多いことから写真撮影会なんてものを開催しようという話は何度か打診されていた。
けれどオベロンはそれで入るであろう収入を蹴ってまでいつも断っていた。
知らない女と写真は撮りたくない。むやみやたらと安売りをしたくない。誰のものにもなるつもりはない。
インディーズにすらなれていないバンドマンが生意気を言っているように聞こえるかもしれない。だがオベロンは観客の前でパフォーマンスはするが自分が被写体となるようなものはたとえCDであっても世には出さなかった。ライブ会場はオベロンが演奏する時だけ全面撮影禁止とされている。
わがままだと藤丸も最初は呆れていた。だがオーナーであるノクナレアがそのルールを認めたのだ。そんなことを言えるほどオベロンの技術は凄まじく素晴らしいのだ。
彼の演奏を聴いて、ライブハウスの盛況を見て藤丸もついに何も言わなくなった。
俺だって本当はチェキだってブロマイドだって欲しいし、正直ステージから降りてチケットを買って観客と同じように正面からオベロンを見たい。
キーボードなんてやりたくない。
立ち位置に不満もあるが今はもっと違う意味でここにいたくないという気持ちが強くなりつつある。
今までは一緒に目を合わせて演奏できたのに、藤丸立香がギターとして加わってからオベロンは彼にばかり構っている。
わかってる。ボーカルもギターも兼任してる彼はバンドの要だ。そしてベースであるオベロンが彼をリードする役割を持っているから必然的に関わりが多くなるのもわかる。
でもオベロンとずっといたのは自分だ。そりゃ今では目なんて合わせなくてもお互いなんとなくで息を合わせたりすることなんか簡単だけど、だからこそオベロンは藤丸にばかり気を遣っているのかもしれないけど。疎外感を感じていないわけじゃない。
だからもう後ろ姿しか見えないキーボードなんかやめたら、オベロンを正面から見れるのに。
俺だってうちわとか持って応援したい……。いや、やっぱそれはなし。恥ずかしすぎる、見られたら死にたくなる。
悶々と考え事をしていたらいつのまにかパフォーマンスは終わっていて、オベロンに肩を抱かれるまで気付かなかった。
その後ろ姿にも女の子たちは悲鳴をあげていて、いいな、なんてまた思った。
そもそも俺があそこに立ったって同じような声を上げられるわけなかった。絶対異質。
結局キーボードやめてもやめなくても、オベロンを見つめるには背後しかないってことか。
オベロンがいつもより丸まっているヴォーティガーンの背中を見つめていることに当の本人は気づいていない。
「おつかれ二人とも!」
控室に戻るなり藤丸はそう叫んだ。
「おつかれ〜」
「……」
タオルで汗を拭いながらオベロンは片手をあげて藤丸とハイタッチをする。だがヴォーティガーンは無言のままで藤丸のハイタッチを無視した。
藤丸とコミュニケーションをとらないヴォーティガーンの態度に彼は今更落ち込むことはなかったが、差し出した手が所在なさげに下された。
「お客さん盛り上がっててよかったね!」
「それはよかった」
「大半はオベロンに夢中だったような気がするけど」
「そうかな」
「オベロンそういうとこドライだよね」
「まあ実際どうでもいいし」
盛り上がる2人の会話にヴォーティガーンの気分はどんどん下がっていく。
眉間に皺を寄せながら唇を尖らせている彼に2人とも気付かない。
「打ち上げ行くでしょ?」
「タダ?」
「今月も金欠なの」
「ちがう。まだ収入が振り込まれてないだけ」
「それ先月も言ってた」
「ヴォーティもタダなら行くよね?」
「……行かない」
ムスッとして答えるとヴォーティガーンはすぐに目を逸らした。
オベロンは彼の態度に少し驚いた。
いつも不機嫌そうな顔をしているが、実際にそれを態度で示してきたことは滅多にない。ましてオベロンを拒絶するようなこともこれまでなかったのだ。
オベロンとヴォーティガーン二人とも揃っているものだと認識していた藤丸も彼の態度に戸惑った。
「いいよ、先に行ってて」
「俺は行かないってば」
「汗かいたからね、シャワーを浴びてから行くよ」
ヴォーティガーンの言葉を無視してオベロンは藤丸に先に行かせる。その言葉にオベロンは何がなんでも自分を連れて行くのだと察したヴォーティガーンも黙り込むしかなかった。
藤丸は慌てて後片付けをして逃げるように部屋を出ていく。いつものところだよ、と言い残す彼にオベロンは手を振って返した。
「さて」
誰もいなくなった部屋には二人きりだ。
ステージではまだ爆音が響いているが、部屋は静かになった。
オベロンはタオルでヴォーティガーンの顔を優しく拭いて、その顔を覗き込んだ。
「どうしたの」
その声は怒っている様子はなく、優しく諭すようだった。
ヴォーティガーンは途端に泣きたくなった。彼を振り回してしまったことと、自分の気分でバンドの空気を悪くしてしまったこと。いなくなった藤丸への悔しさと、申し訳なさ。
それからオベロンが彼との打ち上げを優先しようとした嫉妬心。
オベロンの優しい目に全部見透かされているようだ。そしてその目を通して自分がどれだけ浅ましく卑しいか魅せられているみたいだった。
「ごめん、」
「いいから」
「……おれ、キーボードやめたい」
「え?」
「だって、いつも俺は後ろだし、最近オベロン、演奏中に目を合わせてくれないし、練習だってずっと藤丸ばっかり構って、ずるい」
「え?」
目に涙を浮かべて顔を真っ赤にした彼は唇を少し尖らせてボソボソと本音を吐き出した。
予想と違う答えを出してきたヴォーティガーンにオベロンが困惑する。
「ずっと俺と一緒に演奏してたのに。最近二人で仲良いし、俺もうこのバンド辞めたい。そもそも別にロックとか好きじゃないし、なんで俺はギターダメなの?」
まるで子供のわがままのような内容に、オベロンは呆気に取られる。
何も言わない彼にまたヴォーティガーンは唇を尖らせてさらに顔を赤くさせる。もう涙は決壊寸前だ。
「俺のことめんどくさいと思ったろ」
「思ってないよ!」
「……」
疑うような目をしてくるヴォーティガーンにオベロンは「えっと」と言い淀む。
「君からそんな言葉が聞けると思わなくて」
「辞めろってこと?」
「なんでだよ!」
自己肯定力低すぎか!?オベロンは叫んだ。
「嫉妬、だよね?藤丸に」
「そうだよ。悪い?それに、観客の奴にも」
Tシャツの裾を掴んだヴォーティガーンは素直に心中を吐露し続ける。
泣きそうな彼に悪いがオベロンは胸の奥がきゅうっと締め付けられる。それは悲しい時に起こるものとはまた別で、ドキドキとした少し気分の良い息苦しさだ。
「オベロンは、俺のだったのに」
「今でも君のものだよ」
「でももう俺のだけじゃない」
寂しそうにヴォーティガーンは目を伏せた。
ダイヤみたいなキラキラした涙が落ちてきた。
「君だけのものだよ。僕は誰も見てないし、興味もない」
「嘘つき」
「嘘なもんか」
「じゃあもう藤丸と仲良くしないでよ」
「仲良くしてるつもりはないんだけど」
「それも嘘」
「本当だよ」
「嘘。オベロンは昔から嘘つきだ」
「君に嘘はついたことないだろ」
「そうだったかな」
ヴォーティガーンが落ち着くまでオベロンは彼を膝に乗せて抱きしめていた。
彼のシャンプーの香りと汗の匂いが混じった匂いはオベロンにとって良い匂いだった。
ヴォーティガーンはオベロンの肩に頭を乗せてシャツの肩先を濡らしていた。
「……打ち上げ行きたくない」
「ちょっと顔出すくらいしよ?タダだし」
「別に腹減ってないし…」
「今頃居酒屋で広い席取った藤丸が一人寂しく背中を丸めて飲んでるかも。それを笑いに行くくらいは良いだろ?」
「じゃあ5分で帰る」
「それは、」
「オベロンだけで行ってくれば」
「君もいないと寂しいよ」
子供をあやすように顔を覗き込もうとすると、すぐに顔を背けられた。
「明日はずっと一緒にいてあげる。ね?」
「………」
ヴォーティガーンは渋々頷いた。
「ごめんね」
オベロンが頬を擦り寄せるとヴォーティガーンはまた少しだけ鼻を鳴らす。
ここ数日、今日のライブのためにずっと3人で練習していた。
ギターとボーカルを担当している藤丸に対してリードベースをしているオベロンとの息の合わせは重要だった。藤丸のスキルにオベロンが合わせる立場なのだ。それはヴォーティガーンも変わらないのだが、だからこそオベロンは藤丸の調子に合わせなければいけない。ヴォーティガーンとは声を掛け合わずとも合わせられる。
オベロンにとってはその関係性は誰にでも自慢のできる誇って良いものだと思っていたが、ヴォーティガーンにとってはそこはどうでもよかったようだ。
オベロンと過ごす時間が大事。彼は目を合わせるだけで言葉のいらない関係よりもそれを求めていた。
今回のことはオベロンも反省している。
次のライブの予定はしばらくないはずだ。
それまでまた二人でたくさん曲を演奏して彼を安心させたいと思った。