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    松島 月彦

    なんかやべぇ奴

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    松島 月彦

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    聖夜に星満たす宵闇の話

    ##容貌失認のゼと車椅子のアポ
    ##現パロ
    ##アポゼノ

    普段は寮や下宿先から通学している学友たちも大抵、ホリデー期間は家族の顔を見に実家へと帰ってしまう。ほとんどの者はそこで幸福なクリスマスを過ごすのだ。
     ボクとて、スマートフォンのメッセージアプリに「今年は帰ってこないの?」という旨の問いかけが届かなかったわけではない。だけどどうしても帰る気にはなれなかった。地元に帰ったところで、もうボクが「顔を見られる」家族も友人も一人として存在しないのだ。
     事故に遭って以来、一目で相手を判別できなかったが故にまるでボクが失礼極まりない人間であるかのような扱いを受ける機会はたくさんあった。そしてそのことに息苦しさや怒りを感じつつ、同時に一種の罪悪感めいたものを覚えていたことも事実だ。だからちょっと迷ってから「ごめん、バイトがあるから」と返信した後に同じ足ならぬ同じ指で「ホリデー期間はお店開いてないの? 開いてるならシフト入れてほしい」とアポストロスにメッセージを送ったのは、ここだけの話。

     ボクが今日──つまりはクリスマス・イヴ──に“アルビオン”の片隅で真鍮の額縁をせっせと磨いているのは、まあ、そういう理由だ。

    「……ふう。だいぶキレイになったんじゃないかい?」
     始めはくすんでいた飾り彫りも、出っ張った部分や面の広い部分に落ち着いた艶が出て、こがね色に輝いている。彫りの入り組んだ部分や細い溝の部分なんかは黒っぽいままだが、かえって良い味になるだろう。
    「応。……まさに『貧者の金』に相応しき輝き」
     隣で何かの帳面をつけていたアポストロスが、ボクの成果を見てこくりと頷いた。
     貧者の金──真鍮の別称だ。そのむかし錬金術を本気で極めようとしていた人間にとって、金に似た美しい光沢を持ちながらも磨かなければくすんでいってしまう真鍮はしょせん金の代用品でしかなかったのだろう。真鍮の側からすれば不名誉な呼び方かもしれないが、ボクはこの呼び方も真鍮そのもののことも、実は結構気に入っている。
    「実は、」
     ふと、アポストロスが内緒話でもするように声をひそめた。何だろうと思って耳を近づけると、こっそり──店内にはボクら二人しかいないのに──教えてくれた。
    「本物の金より、『貧者の金』方を好ましく思う」
    「フフフッ、ボクも今、同じ事を考えていたよ。金とかプラチナとかの『永遠の象徴』って、ちょっと嘘くさいよね」
    「然り」
     何となく嬉しかった。擦り合わせたわけではないのにアポストロスと意見の合ったことが、貴重な僥倖であるように感じた。ホリデー期間も帰省せずバイトに来た甲斐があるというものだ。
    「それにしても、少し意外だったよ。自分から働きたいって言っておいてなんだけど、ホリデー期間はさすがにここも閉まっているかと思った」
     飲食店ならいざしらず、ホリデー期間は休みを取る店が多い。特に骨董屋とあらば、クリスマスや年末年始に急いで訪ねてくる客もいないだろう。
    「此処は忘れられた物たちの集まる場所。無論、開けずとも困る者はおるまいが、それは降誕祭にあらずとも同じこと」
    「それもそうか」
     アポストロスの言うように、ここは外の時間から切り離された物たちの場所だ。時折何かに呼ばれたかのようにふらりとここへ迷い込んでくる客がいるが、その縁に外の季節は関係ないのだろう。
    「それに」
    「それに?」
    「気の大きくなった酔客が散財していくこともある故」
    「……フッ、アハハハ! そうだね、さっきみたいにね」
     さっき「急いで訪ねてくる客」もいないとはいったが、「急いではいないが訪ねてくる客」なら確かに意外といた。
     恐らく彼らはクリスマスデートの最中で、飲食店でもないのに開いている物珍しさからここへ入ってくるのだ。彼らは大抵ほろ酔いで、財布の紐がちょっと弛い。有り難いことだ。
    「しかしあまり遅くなると、深酒した者が迷い込んでくるやも知れぬ。そろそろ店仕舞としよう」
    「うん」
     そしてボクが看板をしまおうと外へ出たときだった。何か軽くて小さいものがひらひらと舞い降りてきて、ボクの頬に触れた。それは次から次へと降ってきて、冷たい感触を残しては消えていく。
    「わ……雪だ……!」
     もっと北の方の山間部はともかくとして、この国じゃ雪は結構珍しい。ボクが最後に雪を見たのも、確か五年以上前のことだった。
    「ご覧よ、アポストロス。雪が降っている!」
    「ほう……このぶんだと積もるやも知れぬな」
    「ホワイト・クリスマスだね。何年振りだろう?」
     柄にもなく少しはしゃぎながら看板をしまい、簡単な掃除を終えてケープコートを羽織る。
    「送っていくよ。雪に車輪を取られたら危ないだろうから」
     もちろんボクに雪の上を車椅子で進んだ経験はないし、アポストロスはアポストロスで周囲が思っているよりずっと多くのことを一人でできる。ボクが送っていったところで頼りや助けにはならないかもしれない。けれど、さっさと別れて帰ってしまうのが名残惜しかったのだ。これも雪のなせる魔法だろうか。
     そのとき、ズボンのポケットの中で通知音が鳴った。間違いなくボクのからスマートフォンから出たものだが、メールやショートメッセージなどに設定した音ではない。
    「うん……? 何だろ……」
     ボクはせっかくはめた手袋を外してスマートフォンを引っ張り出し、通知の正体を確認してみる。
    「あっ」
    「?」
    「電車……止まっちゃったみたい。雪のせいだね」
     どうやらボクの使っている路線が一時運休となってしまったようだ。ここからボクの借りているアパートまで三駅ほど。ギリギリ歩けない距離ではないが、この天気ではそれなりにこたえるだろう。
     歩いて帰るにしても、電車の復帰を待つにしても、もう少し厚着をしてくれば良かった。
    「油断したなあ」
     ところが口を尖らせるボクを見てアポストロスが一言。
    「泊まっていくと良い」
     トマッテイク──泊まっていく? 何処に?
     ボクがよほどキョトンとした顔をしていたのか、アポストロスはもう一度繰り返した。
    「いつ再開するか分からないものを待つのも、歩いて帰るのも、この天気では難儀であろう。今晩はウチに泊まっていくと良い」


     ◇ ◇ ◇

     本を読みながら待つこと数十分、ゼノンがリビングへ戻ってくる気配はない。膝の上に置いたスマートフォンを確認したが、ゼノンに勧められて入れたメッセージアプリとやらの通知も来ていなかった。
    「……?」
     廊下に出る。いくら暖房を入れているとはいえ、やはり無人の場所は寒い。
    「ゼノン……?」
     来客用の部屋を覗いてみたがそこに人影はなく、寝台の上のシーツはゼノンを浴室に通した直後に敷き直したときのままだ。
     ──まさか帰ってしまった?
     いいや、玄関脇のポールハンガーには外套と手袋が残されている。と、あらば──。
    「……ゼノン」
     脱衣所の扉をノックしながら呼びかけてみる。暫し待って返事のないことを確認してから扉を開くと、先程貸したパジャマを着て洗濯乾燥機の前の床に座り込んでいるゼノンが目に入った。
    「……ゼ、」
     ──眠っている。
     具合でも悪いのかと一瞬肝を冷やしたが、顔色を見る限りそうではないようだ。むしろ普段より血色が良いくらいである。
     自由に使って良いとゼノンに言った洗濯乾燥機の中を覗き込むと、見覚えのあるシャツやらスボンやらが洗い上がっていた。
     なるほど、恐らく筋書きはこうだ。
     浴室に通されたゼノンは着ていた服を洗濯乾燥機にかけ、そのまま湯浴みした。湯浴みからあがった後で洗濯乾燥機を確認すると、あと少しで仕上がるところだった。そこでゼノンはリビングに戻らず服が乾くまでこの場で待つことにしたが、そのまま眠ってしまった──。
    「ゼノン、ゼノン」
    「……」
    「そのような場所に座り込んでいては湯冷めしてしまう」
    「……ん……」
     呼びかけても僅かに身じろぎをするだけで、ゼノンが目を覚ます気配はない。身体が温まるようにと振る舞ったホットワインも裏目に出たか。
     このときばかりは途方に暮れた。流石に脱力した状態の大人一人を車椅子に乗ったまま運ぶことはできない。
    「……アポストロス……」
     名を呼ばれはしたが、どうやら今眼前にいる自分への返事というわけではなく寝言のようだ。
    「全く如何様な夢を見ているのか──」


     ◇ ◇ ◇

    この世界が 全て神の見る夢だというのなら
    万象が いずれ虚空に帰すというのなら
    そのきよらなる手で 温めてくれ 月の使徒よ


     ◇ ◇ ◇

     何かひどく懐かしい夢を見ていた気がする。しかし内容までは覚えておらず、ただ寂寥感だけがこの胸に残っていた。珍しく、誰かに抱きしめてほしかった。強く抱き固めてもらわなければ、ボロボロと崩れ落ちてしまいそうだった。ただ黙って強く、そう、丁度こんなふうに──。
    「──え?」
     ハッとして目を見開く。が、視界いっぱいに何かが広がっており、何も見えない。代わりに、背中と後頭部に人の手の感触があった。恐らく布団の中で誰かに抱きしめられている。
    「!??!?」
     わたわたと身じろぎして何とか視界を確保すると、見覚えのない天井が見えた。
    「え、待って、何処、ていうか誰!??」
     いいや、落ち着け、昨日のことを思い出そう。そうだ、昨晩はアポストロスの家にお邪魔したんだ。そうか、ここはアポストロスの家だし、今ボクを抱きかかえているのも多分アポストロスだ──そこまで思い至ったところで幾分か冷静さを取り戻し、ボクはアポストロス(暫定)の腕から抜け出して辺りを見回した。
     ──あれ、昨日案内された部屋じゃないな? それ以前に、これはどういう状況だ……?
     申し訳ないと思いつつ、上体を起こして布団を捲ってみる。昨晩貸してもらったワンピースタイプのパジャマから伸びる自分の両脚が見えた。隣には同じくワンピースタイプのパジャマの裾が見えるが、そこから脚は覗いておらず、布が膝のあたりまでぺたんと平たくなっている。──やはりアポストロスだ。
     ──ええと、ボクはあの後お風呂と洗濯機を借りて、これまた借りたパジャマを着て、それから……ああ、そうだ、ご馳走になったホットワインの酔いが回ったのか、服が乾くまで待っている間にちょっとウトウトしてきて……そこまでは覚えている。もしかすると、そのまま寝落ちしてしまった? でも、もしそうだとすれば、今もそのまま浴室にいるはずじゃ? これはもしや──。
     そうこう考えているうちに、視界の隅でペールピンクの髪が揺れた。
    「────、……、…………、ゼノン……? 目覚めたか……」
    「え、あ……お、おはよう……ごめん、起こしちゃったよね……寒い……?」
     アポストロスはふるふると首を振ると、ボクの捲った布団を再び掛け直した。巻き込まれる形で、隣にいたボクも布団ごと再びベッドの上にこてんと倒される。
    「あ、の、……あのさ、アポストロス、昨日のことなんだけど……」
     顔が近い。ボクだって、ひとまとまりの顔として認識できないというだけで顔そのものが物理的に見えないわけじゃないし、これだけ近ければ緊張もする。だけどひと思いに訊いてしまった方が良い。
    「昨日……ああ、無論分かっている。他の者には黙っておこう」
    「え……あ、うん、その……」
    「しかし驚いた、まさかそなたがあんなにも激しく──」
    「あ〜〜〜〜〜!!!!!」
     いや、もう駄目だ。やっぱりそうなんだ!
     もしボクが脱衣所で寝落ちしたとして、アポストロスがそこからここまでボクを運んでくることはできないだろう。とあらば、酔っ払って覚えていないだけで、ボクが自分の足でここまでやって来たと考えるのが自然だ。
     きっとボクがアポストロスの寝室まで押しかけて、この無垢なる友人を毒牙にかけてしまったんだ!
    「ゼ、ゼノン?」
    「……自分で自分が恥ずかしい……ううん、恥ずかしいなんてものじゃない……」
     自分でも薄ぼんやりとは気づいていたが、ボクはアポストロスのことをどこか神聖視している節がある。それを酔った勢いで穢してしまったらしいことがショックだった。
    「恥ずべきことではない……われは、その……敢えて言葉を選ばなければ……愛いと思った……」
    「ぶっ」
     もう立ち直れる気がしない。
    「あああ……アポストロス……ボクに限ってそんなことはあり得ないって思ってた……ましてやキミ相手に……」
    「人は誰しも斯様な面を持つものだ」
    「でも……そういう他人のことを内心では散々バカにしていた癖に、結局自分もそんな軽薄な人間だったなんて……」
    「??? むしろ心を持つ者の証では……」
    「ええ……? 逆でしょ……大した責任も意思もなしにそんなことできるなんて動物と変わらないよ……」
    「人は落涙と破顔を許された唯一の生物であるという……」
    「……?」
    「……???」
     何だか話が噛み合わない。
    「……ボクたち何の話をしているの……?」
    「涙を流すことは恥じることではないという話……?」
    「……」
    「……」
    「何、それ……?」


     ◇ ◇ ◇

    「助かった、有難う」
     未だ夢の中にいるゼノンを運び終えてから、フィンレイに礼を言う。
    「これくらい、どうってことないぜ!」
     床に座り込んだまま眠ってしまったゼノンをどうしたものか途方に暮れているときに、丁度年内最後の配達でフィンレイがやって来たのだ。この機会を逃してはならぬと、届けてもらった石鹸やら塩やらの片付けもそこそこにフィンレイの手を借りてゼノンを浴室から運び出した。とはいえ、いくらゼノンが細身といえど、やはり子供一人と車椅子の乗り手一人では大仕事だ。浴室から離れた客間へ運ぶのは諦め、寝台のある中では一番近い部屋──則ち主寝室へと担ぎこんだのだった。
    「それにしてもビックリした! 最近ゼノンと仲良くしてるのは知ってたけど、ここん家に他の人がいるの初めて見たから……あ、石鹸、いつもの戸棚に入れるか?」
    「これ以上の気遣いには及ばない、のちに自分でしまう」
    「そうか? じゃオレは残りの配達に行くよ。雪のせいでスクーターが走れなくなっちゃって、近所はオレが徒歩で回ってるんだ」
    「それは感心なことだ。引き留めて済まなかった」
     金貨を模したチョコレート菓子が幾らか残っていたのを思い出し、フィンレイの配達鞄のポケットへ詰める。
    「メリークリスマス。それから良い年を」
    「あ、カフェエルマのチョコ! ありがとう! メリークリスマス、来年もよろしく!」
     フィンレイが去ってしまうと、家の中は再び静かになった。ゼノンは寝返りも打たずに大人しく眠っている。
     ──代わりにわれが向こうで眠ろう。
     車椅子の車輪を片側だけ回し、Uターンしようとしたときだった。
    「いかないで」
     背中で聞いた、タイヤの鳴く音に紛れて聞き逃してしまいそうなほどのか細い声。
     結局その場でもう半回転して寝台の方に向き直ると、此度はもう少しハッキリ聞こえた。
    「置いていかないで」
     語尾が微かに震えている。
    「……」
     車椅子を横付けし、躄るようにして寝台へ移乗した。
    「ゼノン……?」
     そっと長い前髪を掬う。閉じられたままの瞼からは、涙が溢れていた。
    「誰が置いていくというのか」
    「誰も彼も、キミも」
    「……われはここに居る。そなたを置いてはいかない」
     ひくと息を吸う音が聞こえたかと思うと、堤が決壊したかのように涙が勢いを増した。滂沱といってもよかった。
    「ああ、すまない、泣かせてばかりだな……」
     覚えている限りではこれまでゼノンを泣かせたことなどない。それでも隣に横たわりゼノンの頭を掻き抱くと、遠い昔にもこうして夜を明かしたことがあるような気がした。


     ◇ ◇ ◇

    「あの、もう……本当に大丈夫だよ……」
     昨晩自分が眠りながら大号泣していたことなどまるで覚えていないが、きっと事実なのだろう。アポストロスが嘘を吐く理由もないし、言われてみれば瞼が熱い。
    「憂慮には及ばない」
    「それはボクの台詞じゃ……?」
     それでもって、ボクは何故か未だに布団の中でアポストロスに頭を抱かれている。
    「もう泣いてないよ、大丈夫。それに……『置いていかないで』だって、アハハ……子供じゃないんだから……」
    「………ゼノン」
     ふと、アポストロスが真面目な声を出した。こちらもつられて笑いが引っ込む。
    「……何?」
    「…………われは未だに、あの日飛行機が落ちたときの夢を見る」
     不意打ちに、心臓が跳ねた。アポストロス本人の口からその話題を聞いたことは、今までなかった。
    「五月の青い風の中、燃え尽き砕けてゆく自分の夢の夢だ」
    「……」
    「……事故に遭い目を覚ましてすぐのうちは、事故の意味を考えようとした。人の死や人生、あるいは大きな事故などに、意味があるのだと思いたかったからだ」
     意味。それはボクがずっと考えていることでもあった。
     ボクが事故に遭った意味。ボクが世界中の「顔」を失った意味。ボクがまだ生きている意味。ボクが得た出会いの意味。
    「然し気づいた。初めから用意された意味など、ありはしない」
    「や、やめてよ……」
    「神の与え給うた試練である、などともよく云うが……『困難を乗り越えてより強くなった』『そのために必要なことだった』というのは芝居や小説の中の話であって、現実はそう甘くない。われが死に物狂いでリハビリをしている間に同窓の訓練生たちは皆われを置いて飛行士になってしまったし、われのことを忘れて充実した日々を過ごしている。引き換えにわれが何かを得たかと云えば──自明であろう」
     自分たちの不幸に意味などなく、単に運が悪かっただけで本当に無駄なことだった──それはボクが最も恐れている結論だった。そしてその結論を他の誰でもないアポストロスの口から聞かされるのは、ほとんど絶望と同義だった。
     そんなの、あまりにも──。
    「だがゼノンよ。そこに元よりの意味などありはしなくとも、意味を与えることはできる」
     ボクは思わず顔を上げる。それまで無意識に目を閉じて俯き歯を食いしばっていたことに、そこで初めて気づいた。
    「ゼノン。われは確かに置いていかれてしまったが……それが然程悪いことではないと、今になって思える。無理に追いつこうとする必要などなかった」
     目と目が合う。やっぱり表情としての顔は分からない。でも、カペラと同じ色の瞳が、こちらに静かで優しい眼差しを注いでいた。
    「星明りが地に届くのは、夜の闇が在ればこそ。人が何かを為すのも、夜の眠りがあればこそ。われは──その余剰を受け止める『夜』になったのだと思う」
     ──ああ、そうか。
     このところずっと何かが胸につかえていたのに、その正体が自分でも分からずモヤモヤしていた。でもこれが答えだったのだ。
    「……アポストロス。ボク、今年はどうしても地元に帰りたくなくて。帰っても誰の顔も分からないっていうのもあるんだけれど、それはここにいても同じだし……だから他にも理由はあって……でもそれが自分でもよく分かっていなかった」
     ちらりと様子を窺うと、アポストロスは目を合わせたままゆっくりと瞬きをした。“聞いている”の合図だ。
    「でも今分かったよ。……自分が『置いていかれている』ことを目の当たりにしたくなかったんだ。追いつけないと駄目なんだって思っていたんだ」
     口角が上がる。多分不格好になっているけれど、知ったことか。
    「だけれどそんな必要なかった。『夜』にならなければキミと出会うこともなかった。アポストロス、ボクは、ボクらは、『夜』でも良いんだね」
    「然り」
     さっきまで妙に緊張していた反動か、今度は無性に可笑しくなってきた。
    「フフフッ、冷静になると、今すごく変な状況な気がする。クリスマスの朝になんにもしないで布団に包まっているのって、ボクらくらいなものじゃないかな」
    「左様なことはない。恐らく外の世界では人々が降誕祭に際してせせこましく生産と消費を繰り返している。何もしないことにより、その余剰を中和しているのだ」
    「アハハッ、なんだいそれ!」
     言いながら、ボクは布団に包まり直す。
     もう少しだけこのまま、アポストロスの言うように余剰を受け止めていよう。その後で仕度をして、彼と一緒に駅前のコーヒースタンドでトーストを食べてからアルビオンを開けよう。それまでの間、もう少しだけこのまま。
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    松島 月彦

    MOURNING【合作】バウムクーヘン【フリードとヒルダ】
    古林さんとロジウムさんに「合作しませんか?」とお声を掛けていだいて書いた小説の再掲です。後日この小説をお二方がそれぞれ漫画化してくださったのですよ……良いでしょう……ふふん。
    ◇ ◇ ◇

     滅多なことでは沈まない代わりに、一度沈んだが最後、浮上するのは難しい。
     だいたい自力では立て直せないことがほとんどで、今も昔も、私自身この性格があまり好きではない。
    「どこもおかしくないか? ピョン★」
    「フフフッ、バッチリきまってるよ」
     アイロンのきいたスーツを着込んだフリードさんは、今日は誰かの結婚式に呼ばれている。互いに騎士をつとめていれば共通の友人や仕事仲間も多いけれど、それでもそれぞれしか知らない友人もいて、今日はフリードさんだけがお呼ばれしたのだ。
    「飲みすぎないでね」
    「分ってるピョン★」
    「新婦さんの友達ばっかり見てたら駄目だよ?」
    「うーん、善処はするピョン★」
     ピカピカに磨かれたフォーマルシューズを履いたフリードさんが出ていくのを、宿舎の玄関で見送った。
     扉の向こうに見えた空はカラリと晴れていて、きっと素敵な結婚式になるだろうな、と思った。領地の端っこまで出張していっているエルドゥールさんたちも、そろそろ馬車が目的地まで着いただろう。
     今日は宿舎に非番の私一人っきりだ。
    「休日返上なんだけどね」
     騎士とはいえ実戦ばかりが仕事ではない。デス 1962