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    890_deadline

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    恋愛弱者の日車先生が本気で恋をする話
    狩られる話の先生視点。1話のようなもの。。
    性表現がありますがR15程度。

     人は初めて恋をした時の事を覚えているものだろうか。
     人生で初めて心を揺らした時のことを記憶の中へ留めているものだろうか。
     周りの人間にそれを問えば、皆それぞれに様々な過去を口にした。恋の相手が幼馴染だという事もあれば、同級生に、美人の女教師。はたまた胸の大きな歯科の女医。
     往々にして苦々しい顔をする者もいたが、ほとんどの人間はそれを"人生における良い思い出"として口にしていた。
     しかし、問いを投げれば必ず自分にも好奇の目が向けられた。恋の話などという話題はあえて問わなければまず他人には話さない。ならば問うてきた相手にも同じ事を尋ねてみようと好奇心を持つのは至極自然な事である。
     ならお前はどうなんだ日車、俺はここまで話したんだ聞かせてみろ、と彼らは意気込んだ。目を輝かせた。
     …………しかし、無かった。
     ……自分には無かった。初恋が。
     正確には──覚えがなかった。今までの人生で交際相手が全く居なかったという訳では無かったが、そこに”ああ自分は相手に恋をしているのだ”という気持ちを覚えた事が一度も無かったのである。
     今は分からずともいつかその”タイミング”は訪れてくれるものなのだろうと気長に待つうちに、気づけば年齢は二十台の半ばを迎えてしまった。
     これを言うと誰も信じてはくれなかったが、冗談や誇張で無い事が分かると腹を抱えて大笑いするか、嫌味なほどに暖かな同情の目を向けてくれた。
     しかし、自分を好いてくれる交際相手の事を同様に大切にしなければと言う気持ちは常にあった。だがそれは俗に言う”愛”からではなく、どちらかと言えばギブアンドテイク的な感覚に近しい物であった。与えられれば返し、離れていけば手放した。
     世では愛を誓った者同士が袂を分つことを”バツがつく”と言うが、ならば愛すら分からぬ自分はその評価にすら値しないのだということは明白であった。
     人の見た目への関心は低い方だが、自分の事を好いてくれた女性達は容姿も整っていた方だと思う。あんな子とセックスできるなんて羨ましい、なんて下卑た冗談を言われた事もあったが、やはりデートをしても、キスをしても身体を重ねても、世間が謳うような”愛おしさ”を交際相手に覚えることはなかった。
     自分なりに平均的な”相手”を務めようとはしてみても、何処か空回りしているような感覚が常に付き纏った。
     そして、交際を始めて一年も経てば皆口を揃えてこう言うのだ。

     ──日車君、私の事本当に好き?

     ……分からない。それが自分の答えだった。
     相手の事が嫌いという訳ではなかった。話をするのは楽しかったし、共に時間を過ごす事も苦痛では無かった。キスも交わしたし、いざ行為をするとなれば”役割”もこなせた。
     ならば相手が好きだからそうしたのかと問われれば、それを肯定することはできなかった。
     愛とは何かと哲学人ぶるわけではないが、それを問われると途端に思考が止まるのである。
     ……今自分は目の前の女性を本当に心から愛しているのだろうか、と。
     セックスまでしているのだからもうそれは好きということで良いのでは、と何度も自分に問いかけた。頑な自分を納得させる為に強い酒も散々飲んだし、効用のよく分からないサプリもついでに飲んだ。
     しかし、やはり腑には落ちなかった。結局何をしても自分の思考を傾かせることはできなかったのである。
     耐えかねた女性からどうして自分と付き合ったのかと泣きながら問われれば”好きだと言われたから応じたのだ”と、そう答えた。そう言う事しかできなかった。
     我ながらなんて最低な男なのだとは思ったが、もうそれ以外に言葉は見つからなかった。それが自分の出せる最良の答えだった。
     そして学部四年の頃、同様の事を口にすると初めて顔にぴしゃりと冷や水をかけられた。
     もういい! と声を荒げて喫茶店の席を立つ彼女を追いかける事すらせず、ただ席で呆然とする自分に周りからの冷ややかな視線が無遠慮に突き刺さった所で、ようやく”嗚呼、自分は恋愛が『分からない』のではなく『できない』人間なのだ”と悟った。
     机の上に置いていた携帯電話に目をやると、それは小さな湖のできたテーブルの上の孤島となってその身を浸らせていた。せめて連絡をしようとすぐに水溜まりから拾い上げたものの、それはもうどのボタンを長押ししてもそこに電源が入ることはなかった。
     ──欠陥品。腕を伝う雫に袖を濡らしながらふと脳裏に浮かんだその三文字はまさしく自分に相応しいと思った。
     ようやく席を立つと、その足で電話会社に向かった。水浸しのまま店に入ろうとすると店員に止められたので、ずっと握りしめていたびしょ濡れの端末を手渡して”これと同じ物を”と伝える。
     店員はそれを見ると”これもう古くて在庫無いんですよ”と言うと、最新機種を勧めてきた。半分憔悴しながらそれでいい、と伝えると店員は店の奥に消えていった。
     五分も待つと代わりがやって来た。カードで端末の支払いを済ませてテレビ番組の合間に流れたCMで散々見たそれの電源を入れると、中は既にほとんどデータの引き継ぎが済んでいるようだった。
     電波を手に入れた端末は、待ってましたとでもいうように型落ち機種に残っていたやり取りをそっくりそのままネットの海から吸い上げる。そして5分も経てば、それはもう完全に”貴方が今まで使っていたのはこの私です”という顔をして手の中に小さく納まっていた。
     使い勝手が分からずアイコンの絵柄で機能を判別しながらいくつか画面をタップしていると、いくつか未確認の通知が表示されている事に気が付いた。
     ……留守電だった。先ほど席を立った女性から何度か連絡が入っていたようだった。
     一瞬かけなおそうとしたその指で、履歴ごと削除する。……もう話す事など無いだろうに。
     店を出ようとしたところで初期設定のコール音が鳴った。目をやると、画面には先程の女性の名前が表示されていた。
     切るか。出るか。………………出る。通話ボタンを押した。
     画面が通話状態のに切り替わると、スピーカーに耳を当てる前に猫に追われた鼠のような悲鳴めいた声が鼓膜を貫いた。

     “ああさっきはごめんなさい日車くん! 私、カッとなっちゃって。でもやっぱり貴方しかいないの。分かるでしょう?”
     

     ──代わりを探したらどうだ。


     ぽつり。無意識に出たその言葉にはっとした。
     違う、今のは本意では。明らかにヒートアップする声に咄嗟に弁明をしようとしたが、どこが冷め切った自分がその通りではないかと口を塞いだ。
     ……どうして、代替品が無いと思う。
     すう、とまるで氷が当てられたように熱が引いていったのが分かった。
     電話口では甲高い声が何か非難していたが、構わずに通話を終了する。
     もう、二度と電話がかかってくることは無かった。
     ──かくして、俺の最後の青春は幕を閉じた。
     その後は準備してきた司法試験に問題なく合格し、一年に及ぶ司法修習も特に大きな波乱が起きる事もなく終了。最後の二回試験も無事に終える事ができた。
     途中世話焼きの友人から何度か女性を交えた飲み会に誘われたが全て丁重に断りを入れた。
     恋愛とはもうしばらく向き合う気もなかったし、何より試験合格後に送付したエントリーシートの宛先に、長いキャンパスライフを過ごしてきた”東京”の二文字は含まれていなかった。
     それを知った友人からは”ユリちゃんにフラれたからって別に東京まで捨てなくても!”などと的外れな励ましを受けたが、別に女性恐怖に陥った訳ではなかった。しかし、全く疲弊していなかったと言えば嘘になる。
     東京で過ごしたのは七年と少し。目まぐるしい日々と豊かな喧騒は様々な刺激を与えてくれたが、やはり自分にはどこか落ち着かなかった。
     車が多ければ人も多い。資料の充実した図書館が近辺に密集している点ばかりは大変悩ましかったが、ではこの先もこの土地に留まるのかと問われれば、答えは否だった。
     高木と名乗る女性から正式に事務所への採用の通知を受けたのは秋の頃。東京からわざわざこっちに帰ってくるなんて地元思いだねえ、なんて電話口で笑っていたが、最後には待ってるよ、と明るく声をかけてくれた。
     友人達が早くも最後の忘年会の開催について沸き立っている中、並木道を歩いているとふと、どこからか感じたことがない甘い香りがすることに気が付いた。
     それは花のような、蜜のような、不思議な香りだった。
     すんすんと鼻を鳴らして何か甘い匂いがする、とこぼすと、お前はワンちゃんか! と肩を叩かれたので即座に叩き返す。もちろん倍の力で。
     今年の店選びを手伝ってやらないぞと脅すと、友人はひいひい言いながらこの香りは”金木犀”の香りなのだと泣きながら教えてくれた。
     ……金木犀というのは何度かニュースや雑誌で見聞きした事があった。周りに目をやると、確かに深い深緑の中にどこか見覚えのある橙の花が目に入る。
     ”小難しい法律は頭に入ってるのにどうして金木犀を知らんのか”と周りはざわついていたが、もう何も耳には入らなかった。
     ……その香りに、色彩に、まるで身体に備わった五感の全てが囚われたようだった。足が無意識にその花の元へと向かう。

     ──それはまるで誘われるかのように。

     ざあ、と風が吹いて花が散る。それは木漏れ日となった太陽が雫へ姿を変え、世界へと降り注いだかのようだった。
     はらりと目の前に花弁が舞い落ちた。思わずそれに手を伸ばすとそれは指の隙間から容易くすり抜ける。そして再び高くに舞い上がると、青々とした空へと遠く吸い込まれていった。
     立ち尽くし、世界の全てがそこへ縫い留められたようにその情景をただ見つめていた。遠い青の中を日を受けた花びらがちらちらと黄金に瞬きながら空を泳ぐ。
     ……どうかしたのか。その声に我に帰る。地元にこんな花は咲いていなかったのだ、と静かに答えた。
     ──実物は、初めて見た。
     ……するとしばらく間を置いて、

     “東京にはめちゃくちゃ咲いてるわ!”

     “デートとかで公園行かんかったんか!”

     “だからフラれるんじゃい!”

     と、総攻めにあった。そしてパーンと景気良く肩を叩かれる。
     ……言えてるな、と小さく笑いが込み上げた。デート先に咲いていた花も思い出に残らないような自分は、やはり色事には向いていない。
     そういえば、新橋の方に美味い店を見つけたんだが。話題を変えると途端に沸き立つ連中に、広がらずに道の端を歩けとなだめて歩く。
     勤め先の近くにもこの花は変わらずに咲いているのだろうか。店はどこだ酒は安いのかと騒がれる横でそっと花の事を調べると、近場では無かったもののいくつかの位置情報と共にあの花の写真が地図上に掲載されていた。
     良かった。内定も出ているのに東京を離れたくなくなるところだった。
     お前達、最後に奢ってやるから来週までに年末食べたいものくらいは決めておけよ。そう言うとバラバラと騒いでいた男達はまるでカルガモのように大人しく後ろに着いてくる。勿論笑顔で。
     まったく、現金な奴らだ。
     花は向こうにも咲いているかもしれない。だが、共に時間を過ごしてきた彼らと離れるのはほんの少し寂しいかもしれない。 
     優しく甘い香りはだんだんと遠ざかっていく。
     その香りを、景色を、少しでも長く留められるよう静かに目を閉じた。
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