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    🌻先生とクリスマスデートする話

    #じゅじゅプラス
    longevityBonus
    #日車寛見
    japaneseCarKanzumi
    #夢小説
    dreamNovel
    #女夢主
    dreamGirl
    #ネームレス
    name-less

     世論曰く──イルミネーションはただのLEDの集合であると言う男は嫌われるらしい。
     しかし、かくいう自分は”そちら側”の人間だった。正確にはあの飾り付けの魅力がいまいちピンとこない。何万個の光の粒がだとか、幻想的だとか、その他の魅力、何某、エトセトラ。世間的には華やかに盛り立ててはいるが、シーズンが来れば爛々と輝き始める駅前は人が増えて歩き辛くなるし、顔を上げれば鮮やかな蛍光色が無遠慮に目に刺さる。ここまでつらつらと皮肉を述べてみたが、要するに俺はクリスマスがそこまで好きじゃない。
     学生時代からも祭事への興味関心はどちらかと言えば薄い方だった。手伝えと声をかけられれば言われるままに手を貸して、解散の号がかかればさっさと帰る。そんな絵に描いたような外野が自分だった。
     こうしたイベントの度に盛り上がれるタイプの人間はほんの少し羨ましい。何度か酒の力を借りてどうにかノリに乗じてみようともしたが、やはり自分はこうした雰囲気というものに対しては決して相容れない側の人間らしかった。
     足早に事務所を後にしてからコートのポケットに入れたままだったスマートフォンを立ち上げると、日付は12月24日を示していた。クリスマスイブ。聖なる夜。自分にとってのそれは長年平日か休日か、または贔屓にしているスーパーに美味そうなチキンが並ぶ日という概念しか無かったのだが──最近は違っていた。
     “最近”というのも特にここ数年の話だ。以前と比べても多少生活に変化こそあったが、一番の変化は自分に交際相手ができた事だろう。
     彼女と出会い、改めて自分は人に手をかけてやる事にやりがいを覚える人間なのだと知った。そして、存外にもそれ以外の発見があった。俺に向けて陽だまりのように笑んでくれるその人の為なら、何でもしてやりたいという気持ちを覚えるようになった。初めての感情だった。
     交際を始めて一年と半分。彼女の住んでいた部屋の更新のタイミングで、婚約を前提にという条件でようやく来月からの同棲を認めてもらった。「もらった」と言うのは彼女のお堅い両親へこれでもかと自分が頼み倒したからなのだが──これはまた別の話である。
     ……そうしてしばらく歩みを進め、やがて駅前のモール街に近づくと、イルミネーションの明かりの数と比例して段々と人通りも多くなってくる。時刻は二十一時。文字通り歩行者天国と化した広い遊歩道には、そこかしこにカップルが点在して、道の先にある広場に設置された大型のクリスマスツリーと写真を撮っているようだった。
     なんとなく周りを歩く人を見渡せば、この日の為に着飾って連れ添い歩く者が八割、残りは自分と同じような仕事帰りか単なる通りすがりといったところか。まだ年末にも入っていないのに陽気なものだ、と以前の自分なら思っていた所だろうが……今の自分も、少なからずあの浮き足立つ人間の中の一人なのだろう。
     ふとコート越しに伝わってきた小さなバイブレーションに、再び端末をポケットから取り出す。電話の通知だった。画面に表示される名前を見て、真冬の冷気と仕事の緊張感で強張ったままだった表情が緩んでいく。
     街中に流れるクリスマスソングにその声がかき消されないように、少しだけボリュームを上げてコールに応えた。
    「……俺だ、どうした?」
     伺うようにしてスピーカーに耳を当てたが、人が多いせいで電波が悪いのか電話の向こうの音は途切れ途切れだった。
    『──ろ、くん、──どこ?』
    「……電波が悪いな、こっちの声は聞こえるか?」
    『聞こ…る──に居るから……の下の……』
    「ツリーの所だろう? 今向かってる」
     どうやら先に着いた相手が俺を探しているらしい。断片的に聞こえる電話口の声はどこか不安そうだった。
     待ち合わせ場所であるツリーまでは、まだもう少し距離がある。距離にして二十メートル程度だろうか。向かう足取りが人並みに逆らうようにして自然に早まっていく。
     早く、彼女に会いたかった。上がった息を吐き出せば、それはすぐに白くなって後方へと溶けていく。しかし、やがて目的であるツリーの下近づくと、慣れない人混みの前でついに足が止まってしまった。
    「……失礼、」
     ──ダメ元で声をかけてみる。期待こそしていなかったがやはり道は開けず前には進めなかった。ならばどこかに進めそうなルートはないかと目をやるが、その場にいる人間それぞれが目的を持って別々の方向を向いて不規則に歩いていくばかりで、それを追うだけで俺はもう辿り着く前に人酔いしそうだった。
    『──ひろみくん』
     耳元で通話状態を続けていた電話口から、さっきよりもはっきりとした彼女の声がする。……確実に近くにいるはずだ。まだ姿は見えないが、もう少し先に進めさえすればきっと──
    「ひろみくん」
    「失礼、急いでいるので」
    「ひろみくんったら、」
    「────あ、」
     見下ろす。……居た。目の前に。
     寒さに少し赤らんだ柔らかな笑顔。
     手元からスマートフォンが滑り落ちた。
    「わあっ!! 危ないよ!」
    「……悪い、助かった」
     ──落ちかけたそれは済んでのところで彼女の手でキャッチされる。危うくバックアップもされていない様々なデータが吹き飛ぶところだった。不慣れな手つきで残してきた彼女との記録が消えでもしたら、それこそ死活問題だった。
     それから会話をする間も無く彼女に導かれるようにして一旦人混みから道の外に逃れた。道沿いのレンガ壁にもたれるようにして、ようやく俺は息を付く。
    「こんなに混むのか……しかし、よく見つけられたな」
    「ひろみくん、道の真ん中で固まってたからすぐ分かったよ」
    「それであのツリーの下から来たのか? 人混みを抜けるのも大変だったろう」
    「そう? 簡単に来れたよ?」
     不思議そうな様子で彼女が首を傾げる。確かに彼女は俺より小柄だが……それでもこの人混みの密度の中を抜けてくるのは一筋縄ではいかなそうだが。何か彼女なりのコツでもあるんだろうか。
    「ね、ツリー見に行こう? もっと中にさえ行けば空いてるから」
    「……この人の中を行くのか?」
    「ふふ、もう、大丈夫だから」
     一瞬怯む俺に、彼女がするりと手を差し出してくる。
     ……それを見て、いつかの時と真逆のようだと思った。
    「……ひろみくん?」
    「──いや、」
     ──今日は、代わりにエスコートしてくれるか。
     俺がその手を取ると、彼女は今日の中で一番幸せそうに微笑んだ。
    「……ちゃんと着いてきてね? はぐれちゃうから」
    「……ああ、分かった」
     まるで子供や弟にでも言い聞かせるような口振りだった。そして彼女は俺の手を引くと、自身の宣言通り、容易く人混みの中で歩みを進めていった。
     彼女はただ、前を見て真っ直ぐに進んでいく。ただそれだけなのに何故か人集りに道が開けていく。不思議だった。彼女なりに進めそうな道を適切に選んでいるだけなのだろうが、まるで人々が彼女のために道を開けているようにさえ思えた。
     先を行く彼女の後ろ姿、キラキラと目の前で髪飾りが揺れる。いつもよりアップにされた毛束の中央、揺れるリボンに付いた金色のチャームは、周りを彩るイルミネーションを受けて七色に輝いていた。
     一回り小さなその手にただ引かれながら、俺はぼんやりとその光を目で追っていた。綺麗だと思った。美醜にも彩りにも興味はないが、彼女を飾り付けるそれは、何故だか今まで見たどんな女性のそれよりも美しく見えた。
     一瞬、彼女がこちらを振り向いた。俺がちゃんと自分に着いてきているかを確かめる為に。しっかりと手を握っているというのに、その目はやはりどこか不安そうで。
    「…………大丈夫だ、離さない」
     その手を強く握り返す。
     躊躇いがちな黒目が、幸せそうに細められるのが見えた。
     それを見た途端に──胸の中がふわりと浮き足立つ。胸中へ柔らかな種火が灯される。それは心の奥底の陰りにまで光を落とし、気づかぬ内に浸るままだったぬかるみの中から容易く俺を拾い上げる。さっきまで感じていた寒さすら忘れてしまうような、そんな温かさがゆっくりと胸を満たしていくのが分かった。
     ……幸せだと思った。周りの雰囲気に少なからず浮かされているのかもしれないが、それを安直に「気のせいだ」と茶化すのは野暮だと思えた。少なくとも今だけは、そんな穏やかな気持ちにただ浸っていたかった。
     彼女の手を握る力を一度緩め、先へ引こうとする手先に今度は指先を絡めるようにして握りなおす。
     再び、彼女が振り向く。頬がさっきより赤かった。
    「頼むぞ、こんな場所で迷子にはなりたくない」
     そう言うと、彼女は少し困ったように笑い返した。
     ──迷子になっても見つけてあげる。
     どこか悪戯なその言葉。
     ふつりと体温が上がる。カウンターを食らったのはどうやら俺の方だった。

    ♦︎

     ……それから、数分もしない内に彼女はツリー近くのスペースまで無事に俺を連れてきた。
     人集りで見えなかったが、ツリーの周りを囲う花壇の中にもトナカイやソリをモチーフにしたイルミネーションがデザインされていて空間を華やかに彩っていた。ツリーを見上げれば木の節々には数えきれないほどのオーナメント。
     遠く離れた場所で同じものを何年も見てきたが、ちゃんとツリーを間近で見たのはこれが初めてだった。
     ぼんやりと光の粒を見上げていると、彼女も横でツリーを見上げていることに気がつく。ちょうど枝に重なった位置に飾られたオーナメントが見たいようで、左右に揺れたり背伸びをしたりとその様はまるで小動物のようだった。
     彼女の気にするそれは、自分の立ち位置であれば身長差こそあっても簡単に見えそうだった。すぐに「位置を変わろうか」と、声をかけようとしたところで、その愛らしい動きを止めてしまうのがなんだか勿体無くて、そのまま俺は彼女に目を向けてしまう。
    「……? ひろみくん?」
     彼女が、自分を見つめる俺に気がついた。
     俺を見上げるいつもと雰囲気の違うキラキラとした瞳。女性は化粧で変わると言うが、確かに今日の彼女はいつもより綺麗な気がする。何処が違うのかまでを上手く言語化できないのが口惜しかった。
    「──綺麗だな」
    「え!?」
    「こんなに近くでツリー見たのは初めてだ。誘ってくれてありがとう」
    「え、あ……ああ、ううん、こちらこそ」
     素直に礼を言うと彼女が頬がほわりと赤くなる。それを見て「デートへの礼だけでなく、今日の彼女に感じた事も伝えれば良かった」と気がつく。会話というものはなんとも難しい。
    「あ──、その、なんだ」
     そしてそれを伝えようと意識した途端に俺は口籠る。ああ、どうしてこう言う時ばかり言葉がスムーズに出てこないのか。
     少しでも適切な言葉を見つける為に、俺は改めて彼女の装いに目をやった。繊細なフリルが揺れるワンピースに、ボルドーのショートブーツ。そして耳元で揺れる華奢なイヤリング。
     そして気がつく。今日の彼女を構成する装いの全てに見覚えが無いことに。
     ……もしや、今日のために準備してくれたのではないか?
     それに比べて自分は仕事着のまま──仮にもそれなりのスーツではあるので普段着よりはマシだが。
     途端に、華やかな周りから一人取り残されたような感覚を覚えた。そして思う。自分は今、もしや彼女に恥をかかせてはいるのでは、と。
    「……悪い、俺も着替えてくればよかったな」
    「え?」
    「いや──こういう場に来るのなら少しくらい君に合わせてくれば良かった」
     小規模なパーティや会食向けの衣服の知識はあったが、こうしたアウトドアで行われるイベント事への意識は欠けていた。こうしたライトな場に訪れた経験が全く無いという訳では無いが、それも学生の時に冷やかし程度に足を向けた時の話だ。
     そうだ、今からでも着替えに──とそこまで思考が巡ったところで、彼女に袖を引かれて俺はようやく我に帰る。
    「ひろみくん、ねえ、お仕事終わりでもいいからって私が誘ったんだよ?」
     ずっと触れ合っていた手が離される。繋ぎ止められていた体温を失った手の平は途端に外気に晒され冷えていく。
    「時間作ってくれただけで嬉しい」
     ──なのに、私はどうしてそんな顔をさせちゃうのかな。
     そっと寂しそうに伏せられる瞳に心が揺れる。そんなつもりじゃない、俺はただ──それでも、すぐには言葉が見つからない。やがて彼女が側からも離れようとするから慌てて繋ぎ止めようと手を伸ばす。
    「──ッ待ってくれ、」
     ──カツン。
     そして、その拍子に鞄から何かが落ちた。
     金のリボンの巻かれた小さなプレゼントボックス。彼女も地面に落ちたそれにすぐ気がつく。
     ……ああ、そうだ、これをすっかり忘れていた。
     さっと小箱を拾い上げて軽く払う。幸い箱には目立つ汚れも凹みも見受けられなかった。
    「……ひろみくん、それ、もしかして」
    「…………いるか?」
    「え!?」
    「……いや、違う、君に用意したんだが、気にいってもらえるか分からない」
    「いやいや、待ってしまわないで!?」
     すっかり消沈してプレゼントを鞄に戻しかける俺を彼女は慌てた様子で止めた。そして半ば強奪するような勢いで狭い中にリターンされかけたプレゼントをさっと救出すると再び俺へと手渡してくる。
    「……もう一回、ね?」
     暖かな手の平が、俺の手を撫でた。
     優しく重ねられるそれに促されるように、俺は再び口を開く。……ああなんだか、一気に恥ずかしくなってきた。
    「……君に、プレゼントを」
    「うん」
    「……似合うと思ったから、だから、受け取ってくれないか」
    「……うん」
     甘やかな同意。頬が熱い。彼女の顔が見れない。クリスマスプレゼントというのは何気ないプレゼントとこうも勝手が違うのか。それとも、その箱の中身のせいなのか。
     彼女の指先がリボンを引く。そうっと箱を開ける。俺と同じくらいに緊張してきゅっと結ばれた唇が、その中身を見て「わ」と開かれた。
    「あ、かわいい……これすっごくかわいい、ひろみくん」
     ……着けてみてもいい?
     彼女が震える声で尋ねてくる。嗚呼、もちろんだ。君の為に用意したのだから。
    「……サイズが合っていてよかった」
    「すごい、ねえ、ほら、こんなにきらきらしてる」
     光に彩られる空に向かって伸ばされる彼女の左手──薬指に嵌められたシルバー製のオープンリング。イエロークリスタルとシルバーで模された小振りな向日葵。それは彼女の指先の動きに合わせて夜光を吸い込むと、まるで一等星のように輝いた。
    「……本当にもらっちゃっていいの?」
    「ああ、返品希望でなければ」
    「もう、そんなことしないよ? ……わあ、」
     手を広げたり、閉じたり、彼女はもう言葉も忘れるほど夢中になってその光を見つめていた。
    「こうして薬指につけると、ほんとに何だか」  
     ──結婚式でもしたみたい。
     ……なんて、とふにゃりと照れ笑う彼女。その笑顔を見て、俺はまたあることを思い出す。
    「そうだ、その事なんだが」
    「……”その事”?」
     そうだ、彼女にプレゼントと一緒に言おうとしていたことがあったのだ。やはりこう言う時に話す事は、予め予定しておくべきなのかもしれない。
    「……それはただのシルバーリングだろう? だから明日──クリスマスには、一緒にエンゲージリングを見にいかないか」
    「え──」
    「ちゃんと、二人で選んでなかったろう?」
    「えっ…………あ、」
     呆然として数秒、そしてぱたぱたと彼女の頬をつたう涙が見えた。
    「……待ってくれ、何故泣くんだ」
     違う、と慌てて彼女は袖で目元を拭うが……もしやプレゼントをイブと二日間に分けるような行為はNGだったのだろうか。そうなのかもしれない。途端に慌て出す俺に、彼女が袖口で目元を擦りながら小さく笑った。
    「うれしくなっちゃった」
     へなりと下がった眉に、俺を見上げる幸せそうに笑うその表情──
    「ひろみくん、だいすき」
    「……っ、俺も──」
     彼女からの言葉をそのまま返そうとして、そして言い直す。
    「………………愛してる」
     返した言葉は、照れと恥ずかしさが入り混じり存外小さな声になってしまった。そしてそれを言い終わった瞬間、周りが急にしん……と静かになる。
    「……?」
     ──あんなに人が居たのに、何故こんなに静かなんだ?
     そんな疑問がよぎった瞬間、周りから突然「わあっ」と歓声が上がった。その声に驚いて周りを見ると、雑踏の中の一人と目が合うなり、その場にいた全員が俺たちを見てさらに盛大な拍手を始めたではないか。
     まるでフラッシュモブだった。しかし、もちろん俺は彼女への指輪以外にそんな準備はしていない。
    「なんだ、何が起きてる……」
    「あの、ひろみくんが公開プロポーズでもしたと思われてるんじゃ……」
    「……いや、正式なプロポーズはとっくにしただろう。忘れたのか?」
    「ち、違うよ! そうじゃなくて、」
    「悪いが、もし君が婚約破棄するというなら、俺も民法770条1項に基づいて──」
    「も、基づきません! 私、先におうち帰るから!!」
    「どっちに帰る気なんだ、昨日家具が入った新居の方がここからは近いんじゃないか?」
    「ひろみくん!!!」
     ──顔を真っ赤にした彼女の絶叫がキン、と広場に響き渡って、驚いた雑踏がサ……と俺たちから距離を取った。そしてその瞬間に彼女は雑踏の向こうの出口に向かって駆け出してしまう。
     相変わらずの逃げ足の速さ。あっという間に雑踏の中に後ろ姿が見えなくなるから、俺も慌ててその背を追いかけた。

    ♦︎

     その後の帰りの車の中でも、彼女はモゴモゴと顔を火照らせながら口籠るばかりで何を話しても口を効いてくれなかった。しかしダメ元で客からお礼にもらったチョコレート菓子が後ろの座席に置いてあると伝えてみると、彼女はようやく機嫌を直してくれる。
    「どうだ? チョコレート」
    「砕いたナッツが入っててね、あと、中のジャムがすっごく美味しい」
    「……ふ、そうか」
     帰宅ラッシュの余韻の残る道路を走らせていると、フロントガラスに小さな水滴が落ちたことに気がついた。そのタイミングで、前の車のブレーキランプの灯りに気がついてこちらもブレーキをかける。
     信号を待ちながら、車内の暖房で徐々にフロントガラスのフチが曇ってくるのに気がついて止めていたワイパーを動かした。ガラスに残る動きの軌跡も水分を含んだものになっていくから、やはり外では小雨が降り始めたようだった。
    「雨?」
    「ああ、濡れなくて良かったな」
    「これも雪になるかなあ」
    「君は雪が好きだな、先週は散々降ってたろう」
    「クリスマスに降るからいいのに」
    「今日は少し暖かいから……どうだろうな」
     ……窓ガラスを横目に、彼女が食べていたチョコレートの包み紙をカサカサと広げ始める。珍しい海外のブランドだったから絵柄を見たいらしかった。そして、手元を眺める頭が一瞬かくんと揺れる。もしかしたら、もう彼女は眠たいのかもしれない。
    「……前、動かないな」
    「雨だから?」
    「それもあるが……この辺りは車線が少ない。もう少し進めば今よりスムーズになる」
     そして、丁度渋滞のポイントに入ってしまったのか車もすっかり止まってしまう。進んで、止まって、また進む。ナビのルート的にもう少し進めば渋滞が解消されるポイントになるはずだが──
    「……ひろみくん」
    「うん?」
    「眠くない?」
    「いいや?」
    「……ほんとに?」
     動かない景色に、暖かな車内。そして、隣から聞こえるふわふわにとろけた声。時刻を見ればそろそろ時刻は二十三時に差し掛かるところだった。いつもなら彼女はもうベッドに横になって、うたた寝をしている頃だ。
    「少し寝たらどうだ。走り回ったから疲れたんだろう」
    「そんな、子供みたいに」
    「違うのか?」
    「……違うもん」
     眠気からか、彼女の口調もなんだか幼くなっている気がする。車もすっかり動かないから、ギアも一度止めて頭を撫でてやると、その瞼もだんだんと落ちていく。
    「……外、ゆきふったらおこして」
    「起きれるのか?」
    「ん、」
    「……口にチョコレートがついたままだぞ」
    「たべていいよ」
     ……食べていいよとはどう言う意味なのか。据え膳という意味でいいのなら躊躇わないが。
     フロントガラスに目をやる。いくつか先の信号が先に青に変わったようだが、まだ周りの車両に動きそうな気配はない。
    「…………おやすみ」
     触れていた手でそっと顎をすくい、柔らかな唇へ自分のものを押し付けた。
     唇が重なると、彼女が小さく吐息を漏らす。安堵と甘えが混ざったようなその音色。もしこのままキスを続けたらどうなるか──とそこまで考えて、チョコレートよりもずっと甘いそれが癖になる前に彼女から離れた。
     ちゅ、と小さくリップ音が鳴る。目の前の信号もちょうど青に変わる。何台か先にカーナビが示していた曲がり角が見えた。そこさえ曲がればあとはスムーズに帰路につける筈だ。
     そうしてしばらく車を走らせて、到着した目標地点でハンドルを切ろうとしたところで、ふと反対車線のウィンカーの光の中にちらちらと何やら白い物が見えた。よく見れば自分の車のガラスの隅にも、同じ物が小さく積みかさなっていく。
    「……起きてるか?」
     その事を誰よりも楽しみにしていた彼女に教えてやりたくて、そっと声をかけてみるが……返ってきたのは小さな寝息だけ。
     どちらにしろ、もう十数分もすればベッドに寝かせてやる為に起こさなくてはならないのだ。だから、今はもう少しだけ隣で寝かせてやることにした。
    「……ん、せんせ」
     ぽつりと、彼女が寝言をこぼす。何か夢でも見ているのかもしれない。それは、もう随分と懐かしい呼び名だと思った。
    「……せんせ……すき、」
    「…………」
     ──そういうのは、君が起きている時に聞かせてくれ。
     帰路を走らせながら、どこか遠くでクリスマスベルが鳴ったような気がした。
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